百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
山頂を天狗の走る時雨かな じゃすみん
- 季語
- 時雨
- 季節
- 初冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「山頂を天狗の走る」という虚の世界が、山肌を走る「時雨」の映像に重なります。
今日はやけに天狗さまがお山を走る日じゃな――と、囲炉裏端で爺さんが語っているかのような味わいが、この一句の魅力です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年10月兼題分)
半過去で語るセーヌの初時雨 野純
- 季語
- 初時雨
- 季節
- 初冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「半過去」とは、フランス語の文法用語。【過去のある時点で継続している状態】を指します。「初時雨って、半過去に似合ってませんか」と語る野純さんですが、まさにおっしゃる通りです。
「半過去で語る」過去とは、作者にとって過去に成り得ていない過去ではないかと思います。
しかも場所が巴里の「セーヌ」だというドラマチックな世界に「初時雨」は美しいひかりを添えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年10月24日週分)
紅下黒の列菊持ちてずんずん クラウド坂の上
- 季語
- 菊
- 季節
- 三秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 紅下黒は喪服の色。菊を持ち、紅下黒の列につく。列はずんずんと進む。
五七五を裏切った韻律は、乾いた弔意を思わせて。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句季刊誌 伊月庵通信 2022年秋号)
秋の雷水に交じらぬ強き酒 可不可
- 季語
- 秋の雷
- 季節
- 初秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「秋の雷」そのものを何かに喩えるとすれば、「水に交じらぬ強き酒」かもしれないなあと、感覚的に納得させられた一句。
濃いウヰスキーを連想したのは「秋の雷」という季語が内容している、かすかな色彩感覚なのかもしれません。喉を焼く「強き酒」の香りもまた「秋の雷」に似合います。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年8月29日週分)
赤い羽根挿す場所本当に胸か 綱長井ハツオ
- 季語
- 赤い羽根
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- こんな問いを突きつけられるとは思いもしませんでした。「赤い羽根」へ募金をすれば、胸に「赤い羽根」を付けてくれる。なんの疑いもなくそう思っています。が、このように問いかけられると、「赤い羽根」を付けてもらう時の不思議な緊張感が蘇ります。それは、他者の顔が我が胸のここまで近づくことの違和感でもあるでしょう。思わず息を止めるという句が毎年量産されるのも、この共通体験が生み出す結果に違いありません。
「赤い羽根挿す」という表記は、金色のピンを「刺す」という印象を引き出します。他者が自分の「胸」に(細いとはいえ)金属を刺す不安感。「本当に胸か」という呟きは、募金という行為の裏にあるささやかな自嘲も匂わせるかのようです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2020年10月兼題分)
木犀と子象が同じ空の下 ゆきる
- 季語
- 木犀
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 今年生まれた「子象」でしょうか。「子象」がこの世に生まれて初めて嗅いでいる「木犀」の香り。小さいけれど長い鼻を空に伸ばして、「子象」は存分に香りを味わっているのでしょうか。
「同じ空の下」には、「木犀と子象」と、それを見ている私もいます。小さな三点の三角形がほのぼのとした詩的空間を創ります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年10月03日週分)
良き挙式だったと突き合う秋刀魚 高橋寅次
- 季語
- 秋刀魚
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「佳き挙式だった」という呟きで状況が、そして「突き合ふ」という複合動詞で夫婦の存在が読み取れます。
胸一杯で挙式のご馳走を食べる余裕もなかった。その夕飯の「秋刀魚」に満足と淋しさが交錯するのです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2018年8月兼題分)
また天を地に秋分の砂時計 ほうじ茶
- 季語
- 秋分
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「また天を地に」で神話のような世界へ行くのかと思いきや、「砂時計」を引っ繰り返すという動作にもってきた一句。こんな手もあったかというコロンブスの卵ですね。
「秋分」という季語が持つ「時間」「半分」「折り返し」等のイメージが、「砂時計」というモノでストレートに表現されました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年9月5日週分)
秋晴や牛乳箱の青きれい あつちやん
- 季語
- 秋晴
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「秋晴」は言うまでもなく青いのだから、敢えて「青」を取り合わせるのは小さな勇気がいります。
「牛乳箱」は、朝配達してもらう牛乳の受け箱だと読みました。「秋晴」の朝を思いました。
いかにも秋らしい晴天のなんと美しいことかと見上げ、玄関先に置かれた「牛乳箱」の「青」もまた「きれい」だと思う。
ひょっとすると、つい最近、牛乳の配達を頼み始めた新品の「牛乳箱」かもしれません。
「秋晴」を喜び、「牛乳箱の青」を素直に「きれい」だと誉め、そして真っ白な牛乳を飲み干す。なんと健康的な「秋晴」の日でしょう。
なんの企みもなく、「きれい」なものを「きれい」だという。これこそが俳人の素直な心根。こんな感覚を忘れないでいたいと強く思った一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2020年8月20日週分)
歯みがき粉探す残暑の祖母の家 山崎志音(県立松山西中等教育学校)
- 季語
- 残暑
- 季節
- 初秋
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 夏休みに行く「祖母の家」。楽しい一日を過ごして、歯磨きをしようと思ったら「歯みがき粉」がない。普段とは違う洗面台に同じ経験をした人も多いことでしょう。
「残暑」のもどかしさが共感度を増します。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第16回はぴかちゃん歯いく大賞 中・高校生の部優秀賞)
傷ついた心と国と秋の蝶 ほろよい
- 季語
- 秋の蝶
- 季節
- 三秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「秋の蝶」は、我が身を嘆きながら飛んでいるみたいな生き物です。「傷ついた」という措辞は、「心」「国」「秋の蝶」と三つのものにかかっていきます。
一瞬、難民の坊やが亡くなったニュース映像を思いました。世界中の人が俳句の心をもって下さるならば、世界は絶対に平和になっていくと思うのですが……。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年8月13日週分)
蟷螂やほとんど水の臭ひの死 ほろろ。
- 季語
- 蟷螂
- 季節
- 三秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 水辺で死んでいる蟷螂を思いました。この死に様は針金虫のせいに違いありません。針金虫は蟷螂などに寄生し、脳をコントロールして水辺へ向かわせます。蟷螂が水に入ると、針金虫は宿主のお尻から出て、己の生殖のために体をくねらせて泳ぎ出すのです。実際にヨロヨロと水を探して歩く蟷螂や、蟷螂から出てきた針金虫を見て、これがそうか!と驚きました。さらに、寄生された蟷螂自身の生殖能力はほぼ奪われるという事実を知って、衝撃を受けました。
中七下五は蟷螂の死の実感であり、上五「蟷螂や」は生態系の中で担わせられた運命への詠嘆でもあります。「ほとんど」という一見曖昧な措辞に、強いリアリティがあることに感銘を受けました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年9月発表分)
恍惚の口より佛出て踊る 杏と優
- 季語
- 踊
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 一読、空也上人像の口からでている六体の「佛」を思いました。日本史の教科書に載っていたのは六波羅蜜寺の「木造空也上人立像」。大きな頭と痩せた脚。首から鉦をぶら下げ、右手に撞木、左手に杖。唱えた念仏が口から出ると佛の姿になっていく、という木像です。
踊ることも念仏を唱えることも、続けていると次第に「恍惚」としてきます。恍惚とは、心奪われてうっとりするさま。舞踏的恍惚と宗教的恍惚が一致していく、それが季語「踊」の本質なのでしょう。
死者の魂を念いつつ踊り続ける姿は、まるで「恍惚の口」から吐き出された「佛」が踊っているかのよう。やがて「佛」と我は渾然一体となり、「踊」の輪は輪廻のごとく回り続けるのです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2018年6月28日週分)
法師蝉ピース一本供えけり あい
- 季語
- 法師蝉
- 季節
- 初秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- この句は「法師」に対して「供え」という動詞が、取り合わせの接点となっています。そして、取り合わせられているのが「ピース一本」というモノ。煙草の銘柄の「ピース」だと分かれば、たちどころに映像が浮かんできます。
愛煙家で、特に「ピース」を好んでいた故人の墓に、火を付けたピースをお供えしている光景です。
下五「供えけり」という詠嘆に、思いが籠もります。「法師蝉」の鳴き始めるお盆の頃の光景でありましょう。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年7月24日週分)
影の持つ水鉄砲も透きとほる かのたま
- 季語
- 水鉄砲
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「影」とは「水鉄砲」を持っている人物の影です。一句の世界に存在しているのは水鉄砲を持った人とその「影」のみです。手にしているのは、透明あるいは半透明の素材でできたスケルトンの「水鉄砲」。夏の太陽光線は「水鉄砲」を突き抜け、水はゆらゆらと光を弾いています。
ポイントとなるのは、「影の持つ水鉄砲も」の「も」です。この助詞は、手にしている「水鉄砲」も透き通っているけれど、「水鉄砲」の影も透き通っていることへの気づきを表現しています。
「影」として立つ人物は「水鉄砲」を撃とうと構えているのか、はたまた撃たれた一瞬の放心か。賑やかで元気な印象の強い「水鉄砲」ですが、不思議な静寂もまたこの作品の大きな魅力です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2019年3月21日週分)