百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
水澄むといふ絶え間なきみづの孵化 眩む凡
- 季語
- 水澄む
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 「水澄む」は地理の季語。元々は「秋の水」の傍題だったものが、独立した季語として使われ始めたようです。湖・川・沼・池など淡水を指すと私は理解していましたが、「海水は含まない」と明記している歳時記には(今のところ)出会えませんでした。
が、秋の澄んだ大気が水に及び、透明度をうっとりと覗き込むかのような感覚のこの季語を、私のイメージ通りに表現してくれた句に出会うことができました。
季語「水澄む」とは、絶え間なく水が孵化していくことだという詩的断定。秋の泉の底から湧いてくる美しい水のかたまりのような孵化もあれば、秋澄むという季節の孵化が地表の全ての水に及んでいくかのようなダイナミックなシーンとも読めます。季語「水澄む」の一物仕立てとしても秀逸。愛唱句がまた一つふえました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2023年9月兼題分)
喪の明けて外は鯊釣日和かな 大塚めろ
- 季語
- 鯊釣
- 季節
- 三秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「喪の明けて」からの語りが地味に巧い一句。中七「外は」と視線を切り替えて「鯊釣日和かな」と詠嘆したとたんに、周囲の光景がひかりと色彩をもって立ち上がってきます。
「鯊釣日和」という言葉は、故人の思い出につながる「鯊釣」かもしれませんし、生き残った自分の心を切り替えるきっかけとなり得る「鯊釣」なのかもしれません。
「かな」の詠嘆が、ほろほろと心に響きます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年8月8日週分)
鯊釣の河口聳ゆるラブホテル もね
- 季語
- 鯊釣
- 季節
- 三秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「鯊釣」は子どもの頃からこの「河口」だったのでしょうね。見慣れた光景が年々少しずつ姿を変えてきた昨今。
なんと今年は、聳えるかのように賑々しい「ラブホテル」まで建っているよ、という溜息。
「聳ゆる」の動詞が「ラブホテル」の描写でありつつ、作者の心情の表現にもなっているのだと読ませて頂きました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年8月8日週分)
歯ブラシのロケットすすむ銀がかな 宮﨑耀太郎(新居浜市立金子小学校一年)
- 季語
- 銀河
- 季節
- 初秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「歯ブラシのロケット」という言葉が、読者を一気にSF(空想科学小説)の世界へ誘います。
口の中は無重力の位宇宙空間。白いブラシのロケットがぐんぐん進む。隕石のように並ぶ歯と歯の隙間を磨き、奥歯に到達して回転。口をすすいで、無数の星をまき散らす。
澄む秋の夜空に横たわる天の川=「銀河」と、口中の世界が楽しく繋がります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第18回はぴかちゃん歯いく大賞)
※ 学年は応募当時のもの
立派すぎる盆提灯が来てしまう 青萄
- 季語
- 盆提灯
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 笑ってはいけないが、こういうことあるなという共感の一句。
せめて供養ぐらいはと思いきって注文した「盆提灯」がこんなにも「立派」とは?!
こんな出来事にこそリアリティという名の滑稽があるのです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年7月兼題分)
枝豆のしほあぢ龍のなみだほど どかてい
- 季語
- 枝豆
- 季節
- 三秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- かつての「枝豆」は「月見豆」と呼ばれ、十五夜にお供えするものでした。
春には淵をでて天へのぼる龍、秋になると淵に潜む龍。「龍のなみだほど」という比喩は、「しほあぢ」の塩梅を表現するだけでなく、「枝豆」が秋の季語であるという事実をさりげなく伝える工夫でもあります。
「龍のなみだほど」という比喩、きれいですね。大皿山盛りの「枝豆」ではなく、会席膳に上品に添えられた「枝豆」を想像しました。「枝豆」の莢の中にあるささやかな「しほあぢ」を味わう度に、これは「龍のなみだ」の味なのだと思えば、淵に潜みて、十五夜の月を水底から見上げる龍の心持ちに寄り添えそうな気がいたします。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年8月6日週分)
氷水眼鏡にくぼむ耳の裏 綱長井ハツオ
- 季語
- 氷水
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「氷水」が喉を通る。どこかがキュンと縮む冷たさ。
その瞬間、「眼鏡にくぼむ耳の裏」が意識される。
「氷水」に対する肉体的知覚が独特でリアルな一句。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句季刊誌 伊月庵通信 2020年秋号 「百囀集」)
河童忌のルビンの壺に貌がない とかき星
- 季語
- 河童忌
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「ルビンの壺」とは、デンマークの心理学者エドガー・ルビンが、認知心理学の見地から考案した多義図形の一つ。特に有名なのが、このルビンの壺で、画面中央にある白地を認識すると白い壺に見え、画面両側の黒地を認識すると二人の人物が向かい合った横顔に見える図形です。通常この二つの絵柄は、同時には見えないのです。
この句の面妖さは、「ルビンの壺」の図形の「貌」がなくなっているという認識。読んだ瞬間、芥川龍之介著『河童』の世界を覗き込んでいるかのような心持ちになりました。白い壺から人物の横顔へ視線を切りかえようとしたのに、肝心の「貌がない」。その呟きは、再び河童の世界へ戻ろうとしたとたんに、精神の均衡が崩れいく、あの小説をたった17音で象徴しているようで、慄然としました。恐ろしくて哀しい作品です。
※ 河童忌:7月24日
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2023年7月兼題分)
影持たぬ蜘蛛影として生きるかな ハムテル
- 季語
- 蜘蛛
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「蜘蛛」の「影」は、蜘蛛の体の下に潜んでいます。当たり前の事実をこのように提示するだけで詩が発生するのも俳句の特性です。
「影として生きるかな」という詠嘆に、嫌われる「蜘蛛」たちの哀れも読み取れます。
さらに深読みして、そんな「蜘蛛」の姿に作者自身の人生なり感慨なりが投影されている、と鑑賞する人もいるかもしれません。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年5月9日週分)
にんげんがみんなにびいろ日射病 いかちゃん
- 季語
- 日射病
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「にびいろ」の喪の印象が、平仮名書きを怖ろしくさせるのか。
原爆を一瞬思う。「日射病」に一瞬ほっとし、その後で再び怖さがじわじわと押し寄せる。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句季刊誌 伊月庵通信 2020年秋号 「色の歳時記」)
虫籠に動かぬ蛍の匂ひ満つ あまぐり
- 季語
- 蛍
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「虫籠に動かぬ蛍」を詠んだ句は山のようにありますが、その「虫籠」に死んだ「蛍の匂ひ」が満ちているという詩的嗅覚。
昨夜の乱舞する蛍の光景を思いつつ、「虫籠」に残る黒い虫を捨てる朝です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2018年5月兼題分)
冷やし瓜信じられるは夫と吾 登美子
- 季語
- 冷し瓜
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- オレオレ詐欺だか、お母さん助けて詐欺だか知らないが、作者は昨今の社会情勢が生み出す人間不信ってやつにうんざりしているのかもしれません。
「信じられるは夫と吾」と言い放ち、二人で食べるのは我が畑でとれた瓜でしょうか。
余所の野菜も瓜も農薬だらけですものと、二人で耕し二人で食べる「冷し瓜」の味は、いかがでありましょうや。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年5月23日週分)
ぶよぶよにまだ濡れている虹の足 あずお玲子
- 季語
- 虹
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 雨あがりの空に、うっすらと虹らしきひかりを見つけることがあります。あれはひょっとして、虹かなあ?……と、暫し目を凝らしていると、次第に虹らしき色が浮かびあがってくる。空という立方体に、さっきやんだばかりの雨の粒子がきらきらと浮遊している、まさにあの感じ。そうか、あれは虹がまだ濡れているからなんだ! という気づきのなんと瑞々しいことでしょう。
「ぶよぶよ」は、普通あまり気持ちのよいオノマトペとしては使われないのですが、この新鮮な感覚に愉快な驚きを感じます。「まだ濡れている」のは「虹の足」だという詩的リアリティに共感します。
季語「虹」の一物仕立てへの鮮やかな挑戦に、大きな拍手を贈りたい作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年6月兼題分)
蟇家族は母のモノでした おんちゃん。
- 季語
- 蟇
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- なんと切ない句でしょう。「母」は精一杯みなのことを考え、ふるまっていたのでしょうが、専制的かつ感情的な母親に振り回される「家族」の憤りと諦めと切なさが静かに噴き出してくるような作品です。
一見、疣のある醜い「蟇」に「母」という存在を重ねているだけにも読めますが、実は切なく美しい声で鳴くのが「蟇」という生き物。母親には母親なりの信念と偏愛があるからこそ一筋縄ではいかないのです。
「家族は母のモノでした」呟きのような詩語が示唆する悲しみの質量が読者の胸にひたひたと押し寄せます。俳句という文芸が持つ眩暈のするような奥行を突きつけられた心持がします。
「蟇」は動かし難く、季語としての存在感を放っています。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2019年4月4日週分)
縦走の三日目は晴れ瀧しぶき 望月ゆう
- 季語
- 滝
- 季節
- 三夏
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 「縦走」とは、尾根歩き。幾つかの頂上をたどって歩く登山形式です。事典には「最も一般的かつ基礎的な方法」とありましたが、尾根伝いにずっと整備された登山道があるわけではないでしょうから、それなりにハードな登山に違いありません。
この句は「縦走の三日目」、そして「三日目は晴れ」なのです。ということは、ここまでは雨。体力的にも厳しい二日間だったのでしょう。雨の野営から一夜が明けます。晴れ上がった空を見上げ、歩き出せば、少しずつ力が蘇ってくるようです。やがて見えてくる瀧。近づけば、涼やかな「瀧しぶき」。こんな瀧との出会いもまた、縦走の魅力。
たった十七音で、広い景を描きつつ人物や時間経過までをも描く、鮮やかな作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2022年5月兼題分)