百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
阿部定の声なき笑ひ日日草 吾平
- 季語
- 日日草
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 阿部定事件を描いた映画『愛のコリーダ』(大島渚監督)を観たのは、大学生三年の夏だったか? 映画好きの友人に連れて行かれ、どんな映画なのかも知らずに見始めたから、いきなりの場面に目玉ぶっ飛び! 見終わった時、もうぐったりだったけど、友人は「いつきちゃん、せっかくだからもう一回観る?」なんていうんで、二度吃驚。彼女は、結局映画の仕事をするようになり、今になってみればナルホドねえと納得する次第なのですが(苦笑)。
後にも先にも一度っきりしか観てない映画ですが、あまりに強烈で、小さな場面が脳の襞にこびりついているのを、この句に出会って再認識しました。実話をもとにした映画だそうですが、実話というのが実は最も怖いのかもしれません。定役をした女優さんはどなただったか? たしかに「声なき笑ひ」を静かに浮かべておられました。凄惨な事件を起こした「阿部定」という女性の日常にも、「日々草」は小さな花を咲かせていたのでしょうね。
改めて、「日々草」はほのぼのと明るいだけの花ではなく、日常の向こうに口を開けている影の存在も知っている花であるよと、生々しく思い知らせてくれた一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年7月4日週掲載分)
擦れ違う日焼の群れの塩素臭 江口小春
- 季語
- 日焼
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 一瞬の実感を切り取った作品です。
「擦れ違う」という複合動詞は、人物と人物の短い時間の動作を描写。どんな人物と擦れ違ったのだろうと思った瞬間、「日焼の群れ」というフレーズが出現します。作者の側は一人、向こうからやってきたのは見事に「日焼」した一団。光景が明確に再現されています。
そして、最も誉めたいのが下五。「日焼の群れ」と擦れ違う瞬間、「塩素臭」がしたという嗅覚です。体から髪から匂ってくる「塩素臭」は、長い時間プールで泳いだ人ならではの特徴。
「日焼の群れ」とありますから、中学や高校の水泳部ではないかと読みました。同じ「塩素臭」を匂わせている可能性としては、オリンピック選手とかも想定できますが、彼らは立派な屋内プールで練習しているでしょうから、「日焼の群れ」という表現にはならない。プール帰りの親子の可能性も考えましたが、その賑やかな明るさに対して「日焼の群れ」という措辞はニュアンスが違いますね。
「擦れ違う」という時間を切り取りつつ、「日焼の群れ」という人物たちをリアルに想像させる言葉の選択。さらに、その「日焼の群れ」が発する「塩素臭」を瞬間的にキャッチする嗅覚。俳人らしい鋭敏なアンテナが、日常の何気ない出来事を見事に切り取りました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年5月18日週掲載分)
石竹や残留孤児の名は菊枝 一走人
- 季語
- 石竹
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 石竹という季語の中には、中国のイメージと日本のイメージが綯い交ぜになっているところがあるんですね。
残留孤児の名前が「菊枝」とだけわかっている……そういうところに取り合わせを持ってきた意欲作です。
石竹の花の可憐さが、どこか切なくもあります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2006年5月26日放送分)
貝殻の奥から梅雨を見てゐたり すりいぴい
- 季語
- 梅雨
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「貝殻の奥から」という発想にまず驚かされます。
「貝殻」の穴から見える雨粒はどんなだろう、降り続く日々をどう過ごそうと想像すると、楽しいような憂鬱なような「梅雨」の日々が浮かんでは消えていきます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年5月発表分)
篝火のじき唸りだす鵜飼かな 登美子
- 季語
- 鵜飼
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「篝火」「鵜飼」とくれば、よくある素材だと通り過ぎてしまいがちですが、この作品から学ぶべきは一句を構築するカメラワークの巧さ。たった十七音で光景をありありと描くには、読み手の脳内にどんな映像がどう再生されていくかを考える必要があります。
まず「篝火」のアップから始まる上五。その火が次第に強くなっていくさまを活写する中七「じき唸りだす」が、この句の眼目です。
「鵜飼」の舟が速力を加えて漁場を目指す風の勢い、いよいよ鵜を放つ現場の昂ぶりが、さりげなくも見事に映像化された中七。
「じき」の一語が示唆する時間の経過もまた、「鵜飼」そのものが時間の感覚を含む季語であるから成立する絶妙なバランス。
「唸る」という動詞が確かな選択であることは言わずもがなの一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年5月16日週掲載分)
青い実の初夏のひかりを身ごもれり はまゆう
- 季語
- 初夏
- 季節
- 初夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 美しいイメージの一句ですね。
この「青い実」は「初夏のひかり」を身ごもっているのだよ、という発想がなんとも素敵です。
「初夏(しょか)」という季語が「青い実」の存在をもって表現されていて、この季語そのものの美しい響きを改めて認識した次第です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年4月23日週発表分)
口開けて河馬の信頼風薫る 越智空子
- 季語
- 風薫る
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「河馬」の「口」に頭を突っ込んで見せる飼育員さん。大きな歯ブラシで「河馬」の歯磨きに挑戦する子たち。
「信頼」という堅い言葉が詩の言葉となれば、季語「風薫る」は、益々清々しい味わいとなります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2018年4月発表分)
伽羅蕗と筍飯と憂国と てんきゅう
- 季語
- 伽羅蕗/筍飯
- 季節
- 三夏/初夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「伽羅蕗」も季語ですから確信犯的季重なりの一句。……とはいえ、「伽羅蕗と筍飯と」と畳みかける夏の食べ物二種は、いかにも美味そうな取り合わせです。
味濃くほろ苦い「伽羅蕗」と薄味の「筍飯」が並列で提示され、美味そうだなあ!と思ったとたんに出現する、下五「憂国と」という変化球。
日本の国ならではの味を喜ぶワタクシだからこそ、この国の未来を憂いているのだよ、という一句を口ずさめば、「伽羅蕗」はますますぴりっと辛く、「筍飯」はしみじみと美味なのでありましょう。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年4月25日週掲載分)
桃の花鳥の形の蒙古班 松山・うらら
- 季語
- 桃の花
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 桃の花と青いアザを取り合わせた句は他にもあるのですが、「蒙古班」ということで赤ん坊だということがわかります。
桃の花の明るさと、赤ん坊の生命力。
蒙古斑が「鳥の形」というのがいいですね。生き生きと、今にも羽ばたいていきそうで、見事な一句だったと思います。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2006年3月26日放送分)
熱湯に放てばきゆうと蜆汁 さわらび
- 季語
- 蜆汁
- 季節
- 三春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 発音すると「キュウ」になるんですが、かな遣いですね、『き・ゆ・う・と』って書いてあるんですね。歴史的なかな遣いの空気です。
『放てば』という、この動詞の選び方がうまいですね。ぱっと入れて熱湯に散っていく感じというんでしょうか。
楽しく、美味しそうな一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2007年3月放送分)
一面の焦土女は馬鈴薯植う 中原久遠
- 季語
- 馬鈴薯植う
- 季節
- 仲春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 世界は戦いに満ちています。時代を越えて、さまざまな理由で紛争が起こり戦争が繰り広げられています。「一面の焦土」となった故国にて、最初に行動を起こすのは「女」たちかもしれないとハッとします。戦争を起こす男たち、戦争に興奮する男たち、戦争で死ぬ男たちを横目に、「女」たちは、我が子を産み育てることを考えます。「一面の焦土」に打ちひしがれている暇はない。今はまず「馬鈴薯」を植えねばならぬと立ち上がる「女」たち。
「貧者のパン」と呼ばれていた「馬鈴薯」を「植う」作業は、まさに命を繋ぐための仕事。台所の食材を超えた季語「馬鈴薯」本来の存在感を、読者の胸に打ち込んでくれる力強い作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年3月18日掲載分)
花冷やブルーチーズの黴ぴりり トポル
- 季語
- 花冷
- 季節
- 晩春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 時候の季語なのに、「花=桜」の映像を内臓しているのが「花冷」の特徴です。この季語をどう表現するか、ストレートに温度としての体感で表現しようとした句は沢山あったのですが、味覚で表現する発想に、おおーこうきたか!という喜びがありました。
「ブルーチーズ」は、慣れない人にとっては実に面妖な食べ物。表面の青い「黴」に驚きますし、恐る恐る舐めてみると「ぴりり」と舌を刺す風味。いつぞや、「あれ、腐っとったけん」と高級なブルーチーズを母に捨てられてたことを思い出しました(苦笑)。
「花冷」という季語の奥に広がる桜の色が、「ブルーチーズ」の「黴」の青と対比され、「冷」の一字が持つ負の感覚に対し、「黴」の味の表現である「ぴりり」が呼応します。 さらに興味深いのは、「花冷」と「ブルーチーズ」が単純に取り合わせられているだけでなく、「ブルーチーズの黴ぴりり」という措辞全体が、季語「花冷」を表現する比喩的効果も持っている点です。「花冷」を味覚で表現すれば、「ブルーチーズの黴」であり「ぴりり」と舌を刺す刺激であり、「花」を楽しむように堪能される「ブルーチーズ」であるよ、ということなのですね。
こんな句を読むと、今夜はブルーチーズをつまみにウィスキーでも飲みたくなってきます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年3月26日週掲載分)
万愚節炎使わぬ暮らしして 鞠月
- 季語
- 万愚節
- 季節
- 仲春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 電化住宅を意味するのか、調理されたものを買ってくれば足りる生活を意味するのか……は、ともかく、「炎使わぬ暮らし」が成立していることに、ふと疑問を持つ作者。
かつて人は「炎」を手にし、そこから文明を手にしてきました。今、「炎を使わぬ暮らし」を手に入れた末に、人類が支払った代償とは何だったのか、そんな作者の自問自答が漏れくるような一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年3月14日週発表分)
あの世まで見えそうな空田を起こす 種村聖巴子
- 季語
- 田起し
- 季節
- 仲春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「あの世まで見えそうな空」という比喩に驚きますが、下五「田を起こす」によって、晴れ渡った農村のいかにも春らしい空が見えてきます。季語の力とはこういうものなのかと惚れ惚れ致します。
あの世ってのは、空の上にあるらしいが、それが見えそうなほどの上天気ではねえか、と見上げる麗かな空。「田」を耕す年月を見守り続けて下さったお天道様。今年も無事に耕せる喜びを噛みしめれば、「あの世」が少しずつ親しいものにも思えてきます。
作者は秋田県の方だそうです。みちのくの爆発的な春へと続く、まだ早春の空は格別の美しさであろうと想像します。滋味深い一句との出会いが、みちのくの春への憧れを広げてくれます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第56回全国俳句山寺大会 特選)
日永訳せばアルカイックスマイル 根子屋
- 季語
- 日永
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 発想に軽い驚きを覚えました。「日永」という季語を訳すとすれば「アルカイックスマイル」であるという詩的断定が大胆。
「アルカイックスマイル」とは【ギリシャのアルカイック彫刻にみられる、口もとに微笑を浮かべた表情。
中国六朝(りくちょう)時代や日本の飛鳥(あすか)時代の仏像の表情をもいう】と辞書には解説してありますが、お釈迦様の涅槃の頃でもある季語「日永」と「アルカイックスマイル」、発想の原点はそんなところにあるのかもしれません。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年2月14日週掲載分)