百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
チンアナゴ伸びて光のごとき初夏 抹茶金魚
- 季語
- 初夏
- 季節
- 初夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 一読、水族館の水槽の「チンアナゴ」を思ったので、「初夏」がどこまで感じとれるかと迷いました。ダイビングかもしれないと調べてみると、チンアナゴは体験ダイビングでも観ることができるぐらいの砂底に生息していることを知りました。そのとたん海底に届く「初夏」の明るい光が見えてきました。「チンアナゴ」の群は同じ方向へ「伸び」上がり、ゆらゆらと揺れています。
それはあたかも「光」を求めているかのようです。求める光の先には「初夏」という颯爽たる季節が動きはじめていることを、「チンアナゴ」たちは知っているのでしょう。せめて水族館の「チンアナゴ」に会いたくなってきました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2020年5月兼題分)
葉桜のかげゆらゆらと歯科のいす 原田泰輔(愛媛大学教育学部付属小学校)
- 季語
- 葉桜
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 歯科医院のいすに仰向けになって待っていると、ふと窓に映る葉桜のかげが揺れているのを見つけたのでしょう。
治療を待つ不安な心の動揺が、そのかげの揺れに重ねられて表現されています。
かげのように、「ゆらゆらと」ゆれる心でいすの上で待っています。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第20回はぴかちゃん歯いく大賞 小学生の部優秀賞)
怒り来て縦に割れたる蜂の口 クズウジュンイチ
- 季語
- 蜂
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「蜂」の一物仕立てに挑んだこの句、圧倒されました。
「蜂の口」なんぞというものをしげしげ見たことはないのに、「怒り」の感情に支配された「蜂の口」が、カッと「縦」に「割れ」襲い掛かってくるCG映像が、我が脳内で生々しく再生されることに驚きました。一匹の「蜂の口」が大写しとなるその背後には、同じように「縦」に割れた「口」を開けて、怒る蜂たちが押し寄せてくるのです。怖い、実に怖い!
この生々しさを作り出しているのは、語順の巧さ。「怒り来て」で巨大にして禍々しい感情が、こちらに向かって押し寄せてくる緊迫感を作り、さらに中七「縦に割れたる」という謎の言葉を畳みかけられると、読み手の心は不穏に揺れます。最後に「蜂の口」がいきなり出てくる。クローズアップの画面が眼前に押し寄せる。これが、恐怖を作り出す仕掛けとなっているのです。
書いてるそばから、また怖くなってくる迫力の一物仕立て。この手法は、とにかく観察するしかないのですが、「蜂」をここまで接近して眺め続けることができることそのものが、才能に違いないと確信します。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年1月12日週分)
桃の花はつかに見えし親知らず 小谷亜美(聖カタリナ女子高等学校一年)
- 季語
- 桃の花
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- この句の「はつか」とは「わずか」という意味です。
生え始めた「親知らず」の感触は、折りしも咲き始めた「桃の花」にも似た「はつか」なる風情でありましょうか。
繊細な感覚の一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第8回はぴかちゃん歯いく大賞 中・高校生の部優秀賞)
※ 学年は応募当時のもの
風景になつて遅日の磯に居る 小川天鵲
- 季語
- 遅日
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「遅日」は時候の季語です。意味としては「日永」に似ていますが、お日さまが傾いていくのが遅くなってきたという点に本意の軸足があります。
「風景になつて~居る」という叙述は、自分あるいは自分を含む人々と解釈しました。家族や友人と楽しむ春の磯遊びでしょうか。潮の引いた磯の潮だまりを覗きこんだり、貝を採ったり、磯巾着を突いてみたり、一緒にお弁当を食べたり。ひょっとすると、春の愁いを心に「遅日の磯」に一人佇んでいるのかもしれません。
まるで自分自身が「風景になつて」いるかのようにという把握が、映像を持たない時候の季語「遅日」を映像として表現しています。第三者の目になって捉えた視点を大いに誉めたい作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年3月兼題分)
菜の花やとおくのまちのちさきみせ さな(5才)
- 季語
- 菜の花
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「菜の花や」でカットが切れるのですが、眼前にあるのはやはり「菜の花」だけです。「とおくのまち」にある「ちさきみせ」のことを思い出している、その心にあるのは懐かしさでしょうか、淋しさでしょうか。平仮名ばかりで書かれた中七下五が、しみじみと思いを広げます。
以下は、さなちゃんの祖母誉茂子さんのコメントです。
――「ちさき」なんて言葉をどこで覚えたのでしょうか? 「ちいさい」でもいいのよ。と言うと「ちさき」なんだそうです。――
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年3月9日週分)
菜の花に緑の蕾百七こ むらさき(4さい)
- 季語
- 菜の花
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 一物仕立てで作る時、季語に対する取材方法として、数えてみるのも一つの手です。
「菜の花」の一茎に「緑の蕾」は一体何個あるかしら? と作者は数えてみたのです。
「百七こ」という数詞は、想像では言い切りにくい数字です。実際に数えてみた強みが、一句のリアリティを支えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年3月9日週分)
蒸鰈五枚で女仏くれまいか 月の道馨子
- 季語
- 蒸鰈
- 季節
- 仲春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「若狭には佛多くて蒸鰈 森澄雄」を本歌取りしているのでしょうが、アプローチが全く違う。その発想が実に面白い作品です。
皇室にも献上する「蒸鰈」だぞ。これを「五枚」やるから、その「女仏」をくれないだろうかと持ちかけているのです。惚れ込んだ骨董品なのか、宿を借りた貧乏寺での会話か。はたまた「女仏」は実際の女を意味するか。読めば読むほど、面白くなってきます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2020年2月6日週分)
うらうらと巣よりあふるるかやねずみ あまぶー
- 季語
- うらうら
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「かやねずみ」調べてみました。【頭胴長54~79mm、尾長 47~91mm、体重 7~14gの日本では一番小さなネズミである】との解説。写真をみると絵本に出てくるようなネズミなので吃驚しました。さらにイネ科の葉を利用して作るという10㎝ほどの球形の巣ってのが、これまた可愛い。
なるほど、この「巣」で眠り、出産や育児をするのだと思うと、「巣よりあふるる」という措辞が脳内で明確な映像を描き始めました。勿論、上五を「うららかや」としても成立しますが、「うらうら」は副詞ですから動詞「あふるる」を修飾。オノマトペのような効果を発揮しつつ、小さな「かやねずみ」の様子が臨場感をもって描かれています。「巣」のみを漢字にした表記も優しくて楽しげです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2018年12月18日週分)
うらうらぽかろんぽかろん羊追う 蟻馬次朗
- 季語
- うらうら
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「うららかや」ではなく、敢えて「うらうら」なのかという必然性を考える時、オノマトペ的な使い方もあるのではないか、と考える。そんな発想の句は他にもありましたが、この句は抜きん出ております。
季語「うらうら」は副詞ながら、まるでオノマトペのような力を発揮。さらに「ぽかろんぽかろん」は季語を表現したオノマトペでありつつ、「羊」を追う人物の動作や心の表現にもなり得ている。
見事な佳句でした。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2018年12月23日週分)
空也像おそらく赤き椿吐く 水鏡新
- 季語
- 椿
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 日本史の教科書の写真が記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。一読、六波羅蜜寺の「空也上人立像」を思いました。少し前屈みに、顔は上げて立つ空也上人。その口からは六体の小さな仏が飛び出しています。これは「南無阿弥陀仏」と唱えた声が阿弥陀仏となったという伝承によるものです。
それに対して掲出句は、空也像はおそらく赤い椿を吐く、と断じました。「おそらく」と言いつつ「吐く」と断言し、実際に吐いてはいない「椿」を読者の目にありありと見せる。見事な力技です。
念仏を唱えれば極楽往生できると説く空也上人。その口が吐く「赤き椿」は血のようでもあり、人の心を動かす鮮烈な言葉のようでもあります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2023年2月兼題分)
空箱の猫の子傷林檎の重さ GONZA
- 季語
- 猫の子
- 季節
- 晩春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「空箱の猫の子」は、空箱の中に捨てられていた子猫に違いありません。こんなところに捨てられている……と思わず、手に取ったのでしょう。手のひらにある重さは、何かの重さに似ていると感じ、ああ、これは「傷林檎」と同じ重さだと気づくのです。
ということは、子猫を手のひらに置いている人物は、リンゴ農家の人ではないか。傷林檎を選別する手のひらには、その重さが刻まれているのではないか、と、読みが広がっていきます。
手間ひまかけて育てた林檎にも傷がつき、捨てざるを得ないという現実があります。生れでた小さな命である「猫の子」を捨ててしまうのも、何らかの事情があったのだろうが……と、春の思いは揺れていきます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2022年2月兼題分)
春の底を紅下黒の深海魚 うからうから
- 季語
- 春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 春という季節の底には、春愁や春恨が暗く沈殿しているのだろうか。
その底に潜む深海魚たちは、静かに紅下黒の鰓を閉じるのだ。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句季刊誌 伊月庵通信 2022年秋号 「色の歳時記」)
そばに寄るみづかき臭ふ春浅し 高橋なつ
- 季語
- 春浅し
- 季節
- 初春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「そばに寄る」って何? と思えば「みづかき」だといい、それが「臭ふ」という。この語順が実に巧い作品です。
私は、池に残っている馴れ馴れしい春の鴨を想像しました。
こんな風に嗅覚で表現する「春浅し」もあるのですね。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年2月兼題分)
行くあてのなき犬海は春めかん 理酔
- 季語
- 春めく
- 季節
- 初春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 風も空も波もすべてがひかりの粒を弾きはじめるのが春という季節です。「行くあてのなき犬」までを一気に読ませた後に出現する「海」には、冷たくも明るい光の波がひしめきあっています。
そんな春めく埠頭には野犬が一匹。首を垂れ餌を漁る「犬」を「行くあてのなき」ものとして見つめる作者のまなざしにあるのは、憐れみか、いたわりか、自身の境遇を投影した自嘲でしょうか。
「行くあてのなき」は、痩せて汚れた「犬」を連想させるだけではなく、作者の心を暗示する言葉として働くことに気づくと、一句の心理的奥行きが広がります。
「海の」ではなく「海は春めかん」と呟く心、春を希求する作者の心情に寄り添いたくなった一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年1月31日週分)