株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 霜のトラクターへ拳骨のごとく火を入れる  初蒸気

    季語
    季節
    三冬
    分類
    天文
    鑑賞
     一面「霜」の降りた畑を横目で睨みながら、シートの「霜」をごしごし払いレバーを引きキーを回しますが、余熱ランプは点灯せず「トラクター」は凍りきったままです。何度も何度も、よし!もう一度!とキーを回す、この気合いを「拳骨のごとく火を入れる」と表現したことが、この句の眼目。いやはや見事な比喩であります。
     下五「火を入れる」は、セルが回り出す瞬間であり、「拳骨」が入った瞬間。畑やトラクターを真っ白に凍らせている鉄壁の「霜」への反撃は、この「火」から始まります。全身に「霜」を纏ったまま唸り始める「トラクター」のなんと逞しいことか。そして、こんな方法で描き出される「霜」という季語の、なんと新鮮なことか!
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年1月24日掲載分)
  • 大鷲に引きちぎられたように月  マイマイ

    季語
    季節
    三冬
    分類
    動物
    鑑賞
     頭上にはちょっと歪な形をした「月」があるだけです。それを見上げている作者は、昼間見た「大鷲」の姿を重ね合わせます。「大鷲に引きちぎられた」は一種の比喩ですが、どちらが主たる季語であるかというと、「大鷲」だと考えたいですね。「大鷲」の猛々しさを「月」の姿を借りて表現した一句だと読ませて頂きました。
     試みに「~ような月」と変えてみましょう。「ような」は、口語の助動詞「ようだ」の連体形ですから、そのまま「月」に掛かりますが、掲出句「ように」は連用形ですから下五「~月」の下に隠された「在る」等の用言を示唆します。この1音の差が「大鷲」という存在を明確に見せるかどうかの重要な鍵。実に的確な選択です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』12月20日放送分)
  • 枯むぐら我等は笑ひつつ亡ぶ  くろやぎ

    季語
    枯葎
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     一読後の不穏な心持ちは、「枯むぐら」の蔓に引っかかっている幾万の顔を想像させます。その顔の一つ一つが笑っているとは、なんと怖ろしい光景か……と鳥肌が立ちます。
     子規句の「枯むぐら」に降る「あたゝかな雨」は、次なる再生を促し約束する雨です。「我等は笑ひつつ亡ぶ」を個体の死と読めば、子へと?いでいく命のイメージを掬いとることもできますが、掲出句が想起させるのはもっと暗い未来、つまり「我等」という人類がいつか「笑ひつつ亡ぶ」日が来るかもしれないという啓示とも読めます。「我等は笑ひつつ亡ぶ」という詩語が宣言する真実を、季語「枯むぐら」が優しく怖ろしく突きつけているようでもあります。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』11月22日掲載分)
  • 冬眠の獣空には狩の星  笑松

    季語
    冬眠
    季節
    三冬
    分類
    動物
    鑑賞
     「冬眠の獣」と表現するだけでは、あまりにも様々な獣がイメージされますから、一瞬曖昧な言葉だなあと思うのですが、一句の魅力は後半の語りによって引き出されてきます。
     「冬眠の獣」で意味が切れた後に出現する「空には狩の星」という措辞は雄大です。こう畳みかけることによって、狩猟の対象となる獣たちは今すやすやと眠っているよと一句は語りかけます。冬眠の獣たちが眠っている間は狩も行われず、地球上は美しい静けさに満ちているというわけです。「狩の星」は射手座でしょうか。季語「冬眠」によって頭上の星座の清浄を表現し、それによって「冬眠」の静けさと安らぎを表現する、見事な発想の作品でありました。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』12月6日放送分)
  • 蓮根掘る水蒼穹へ試し撃つ  田中憂馬

    季語
    蓮根掘る
    季節
    初冬
    分類
    人事
    鑑賞
     「蓮根掘る」作業の大きな特色となっているのが、ホースの水圧で泥を動かす「水」の存在です。ゴム長、ゴム手袋で全身を鎧い、蓮田に降り立ち、作業用のホースを手にした男が、まずはその「水」を頭上の「蒼穹=青空」へ放った、という場面。「蓮根掘る」という作業を俳句にしようとすると、どうしても視線が下に行きがちなのですが、そこを裏切ってくれているのも小気味よいですね。
     動詞「掘る」、複合動詞「試し撃つ」で7音を占めていますが、「水」「蒼穹へ」という二つの要素が良い位置に配置され、鮮やかな効果を発揮しています。冷たい青空の下、「蓮根掘」の人物の何気ない動作を、見事に活写した作品です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』11月29日掲載分)
  • 冬北斗アフガン荒野に水が来た  松ぼっくり

    季語
    冬北斗
    季節
    三冬
    分類
    天文
    鑑賞
     「国境でボランティア活動をする中村哲医師に送る一句」という前書きのついた作品です。中村哲さんとは、パキスタンやアフガニスタンで三十年にわたって、病人貧しい人弱い人のために医療や開拓、民生支援などの活動をしている方で、福岡アジア文化賞を受賞されているのだそうです。「アフガン荒野に水が来た」はまさに、その活動の中の一場面なのでしょうね。
     「アフガン荒野に水が来た」という口語の語りが、諸手を挙げて喜ぶ現地の人たちの心を代弁した率直さ。柄杓の形をした北斗七星=「冬北斗」がついに「アフガン荒野」に「水」を運んできてくれたよ!という雄大な発想から生まれた賛辞に拍手を贈りましょう。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』11月29日放送分)
  • 縫ひて絞り縫ひて絞りて初時雨  七草

    季語
    初時雨
    季節
    初冬
    分類
    天文
    鑑賞
     「縫ひて絞り」とは絞り染めの作業工程でしょう。縫い具合によって絞り具合によって変化していく紋様を脳内に描き出しつつ、一針一針根気強い作業が続きます。「縫ひて絞」る白布の色、進み行く針の動き、「縫ひて絞」る工程が終わった後の藍染めの色、藍の匂い、時雨の匂い、降っては止む銀色の時雨。それらの光景が「初時雨」という季語によって鮮やかにモンタージュされていく手法に感嘆します。季語というものがここまで豊かな力をもって、季語とは関係のないフレーズを際立せるのだという事実に唸ります。
     染め上がった紺色の地に、花咲く白い紋様。「初時雨」の匂いは、藍の匂いかもしれないと、そんなことも感じた作品でした。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』11月15日掲載分)
  • 椎茸をしづかにあぶつてゐる門出  稲穂

    季語
    椎茸
    季節
    三秋
    分類
    植物
    鑑賞
     「椎茸をしづかにあぶつてゐる」のは自分自身でしょうか、誰かの「門出」を祝っているのでしょうか。私は後者の読みを取りました。父が子の、学問の師が弟子の、長年の好敵手の……さまざまな「門出」が浮かびますが、いずれも決して派手な「門出」ではなく、苦難の道、茨の道を選び取った「門出」でありましょう。
     そんな想像を伝えるのが、形容動詞「しづかに」であり、「鰯」でも「秋刀魚」でも「餅」でもない「椎茸」を炙るという行為です。「椎茸」を炙り一献傾けることを餞とする「門出」は、まさに大人の決意を尊重し、声なき声援を送る座。地味だけれども滋味に富んだ「椎茸」ならではの味わいに満ちた「門出」の一句です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』9月13日掲載分)
  • 水神の石を上座に秋祭  青萄

    季語
    秋祭
    季節
    三秋
    分類
    人事
    鑑賞
     「水神の石を上座に」に据えるとは「秋祭」のどんな場面でしょう。私が想像したのは御旅所です。祭礼の日、神輿は何カ所かで休憩しますが、そこが御旅所です。
     御旅所の一つは、村の辻に祀られた「水神の石」の前だったのでしょうか。汗にまみれた担ぎ手たちは、暫しの休憩がてら「水神の石」を「上座」として座り込みます。ある者はそこに湧き出す水で顔を洗い、ある者は振る舞い酒を飲み、冷えた缶ビールを手にし、ここまでの無事な巡幸を喜び合います。氾濫することもなく今年の豊かな実りを支えてくれた「水神」に感謝する心が、「上座に」という表現にさりげなく読み取れる滋味のある作品です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』10月11日掲載分)
  • 松虫や一遍像の炎上す  村重蕃

    季語
    松虫
    季節
    初秋
    分類
    動物
    鑑賞
     8月10日に全焼した宝厳寺は一遍上人の生誕寺。国指定重要文化財「木造一遍上人立像」を収蔵していました。今回の火事による木像の焼失は大変な衝撃でしたが、9月23日の725回忌を前に、捨聖と呼ばれた一遍上人の遺志が真の意味で成就したのだと考え直すことにしました。何もかも捨てるという教義を唱えた一遍上人にとって「像」というカタチもまた捨てるべきものだったのだと。
     焔に立つ木像、合わせた両の手、踏みしめる徒跣、床下から這い上がる炎、逃げ惑う「松虫」。それらの断片が「炎上す」の一語によって一気に昇華するかの如き静かな迫力。「松虫」の音色は、七百年の果てに成就した志へ手向ける美しき葬送でありましょうか。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』8月30日放送分)
  • ここからがオクラの尻尾けなげなり 神楽坂リンダ

    季語
    オクラ
    季節
    三秋
    分類
    植物
    鑑賞
     「ここからがオクラの尻尾」だという「ここから」とは一体どこから?という思いを誰もが持つのが、この句の楽しさ。
     「オクラ」を切っていくと、可愛い星形の断面が幾つも幾つも現れます。次第に細くなる莢の先端に向かって切り続けていくと、星形も次第に小さく小さくなっていきます。星形の断面がついになくなるところを、作者は「ここからがオクラの尻尾」と決めたのでしょう。まな板にある極小の星の形を眺め、なんと「けなげ」であることかと感嘆する作者のまなざしの、なんと優しいことでしょう。
     「オクラ=星」の類想句は多々ありますが、「星」の一語を使わずして無数の星形の断面を見せてくれた、健気な一句であります。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』8月16 日掲載分)