百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
六月の狂ったように咲く密度 藤紫ゆふ
- 季語
- 六月
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「六月」というとすぐに思い出すのが正岡子規の句「六月を綺麗な風の吹くことよ」ですが、その一方でジメジメした鬱々たる季節のイメージもあり、一筋縄ではいかないのが季語「六月」です。
「六月の狂ったように」までは抽象的なイメージしか伝えてないのですが、下五「咲く」によって前半の措辞が花の形容であることが分かり、最後の一語「密度」によって怖ろしいほどびっしりと咲き集う花の映像が噴き出てきます。「狂う」「密度」などの言葉で映像を描いてみせるという一種の荒技に驚かされた作品でもあります。「六月」に咲く花には白が多いという事実を思えば、狂気という言葉には「白」が似合うのだなあと、改めて感じ入る次第です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年6月19日掲載分)
デコトラに七つのミラー夏の空 ハラミータ
- 季語
- 夏の空
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- この「デコトラ」は、電飾ギラギラ、装飾過多、音楽大音量垂れ流し的なそれではなく、ちゃんと日々の仕事に使われているトラックだと思います。磨き上げられた車体、角度と大きさにこだわりが見える「七つのミラー」。ミラーを一つずつ磨き上げるたびに「夏の空」はますます広がり、トラック野郎の心も晴れ晴れと躍ります。
誇らしげに光る「七つのミラー」の角度を再度確認し、「デコトラ」は走り出します。車体全体が太陽を弾き、「七つのミラー」一つ一つに「夏の空」が映り込み、ヴォン!と鳴らしたクラクションは空へと響きわたります。青くて大きくて広くてエネルギーに満ちた季語「夏の空」を、実にストレートに表現した爽快な一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年6月12日掲載分)
心臓へ鳥影降つてくる薄暑 野風
- 季語
- 薄暑
- 季節
- 初夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- まず飛び込んでくる「心臓へ」という措辞に、目を奪われます。「へ」は方向を示す助詞ですから、心臓に向かって何かが突き刺さるかのような印象が、一瞬脳裏をかすめるのです。
が、そこから一句の世界を瑞々しい臨場感へと切り替えるのが、「鳥影降つてくる」という措辞です。心臓へ向かって飛び込む「鳥影」は、読み手の心に激しい羽ばたきを再生します。いきなり起こる羽ばたきの音は、読み手の「心臓へ」まさに届くのです。
さらなる巧みは「降つてくる」という措辞。飛び立つ「鳥影」のひかりは、日に日に眩しさを増す「薄暑」のひかりです。季語「薄暑」を肉体感覚として追体験させる鮮やかな手法に脱帽の一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句マガジン『100年俳句計画』6月号「百年の旗手」より)
高菜畑月こわごわとなめてゆく 花屋
- 季語
- 高菜
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 放っておくと手の施しようがないほどの大きさとなる「高菜」。それがひしめき合うように育っている畑の横を通る時、雲のあいだから急に「月」が顔を出したのでしょうか。雲を動かした風は「高菜畑」をぐらりと揺らします。「高菜」の大きな葉の一つ一つに、月光がざわりと揺れます。帰途を急ぐ足が思わず速まる一瞬です。
「こわごわと」は「月」への感情移入であり、一句の世界の手触りでもあるのでしょう。ピリリと苦い「高菜」だから「月」も「こわごわと」舐めていったに違いないよという発想には、怖ろしさとユーモアが入り混じります。季重なりではありますが、主役の季語たる「高菜」が、夏の夜の少し腥い風も感じさせてくれます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年6月12日掲載分)
星々は麦の隣人幾久しく こま
- 季語
- 麦
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「麦」はメソポタミアの時代から、人類と共に生きてきた命の作物です。我々人類が一万年以上も前から天体を見て農耕の時期を図ってきた事実を、「星々は麦の隣人」という詩語に言い換えることによって、上五中七の12音は詩的真実を獲得しました。
読めば読むほど佳い言葉だと思い始めたのが、下五「幾久しく」という和語。いつまでも変わらないさまを表現するこの美しい言葉が一万年前から現代へ、そして一万年後へと詩的真実を繋ぎます。乙女座の女神が持つ麦の穂の先に位置するのが「スピカ(穂先)」という名の星。季語「麦」の向こうに「スピカ」という美しい星の名前を思い浮かべてみるのも素敵な感興でありましょう。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年5月23日掲載分)
ショーパブのワイングラスの闘魚かな 杉本とらを
- 季語
- 闘魚
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「闘魚」とは【キノボリウオ科の淡水魚。全長6センチくらい。体は長楕円形で側扁し、青緑色。雄は闘争性が強い】と大辞泉には解説してあります。路上で瓶に入れて売られているのを見たことがありますが、【野生下では、干上がりそうな水溜りに生息している事もある】ほどの生き抜く力を持っている魚なのだそうです。
華やかな「ショーパブ」、卓上に飾られた「ワイングラス」、そのグラスの水に泳ぐ「闘魚」。見慣れない魚の退廃的な美しさは、グラスの触れあう音の中で夜を生きる人々のようでもあります。ましてや「闘魚」と名づけられた猛々しい季語の本性を思えば、一句の奥に息づく暗がりが静かに牙を剥いているかのような感触。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:パイオニア『音俳句』2013年4月30日掲載分より)
夫いつか踊子草へ跪く 都築まとむ
- 季語
- 踊子草
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「踊子草」とは美しい名前ですね。【葉の付け根に淡紅色または白の唇形をした花が輪生する】様子が、笠をつけて踊る人に似ていることからこの名が生まれた、と歳時記には解説してあります。
「夫」と野山を散歩した折の点描でしょうか。この花はなんだろう? それは踊子草よ、この花によくその名をつけたものだなあと語り合ううちに、夫が「踊子草」の傍らに跪いていることに気づきます。「踊子草」に近づき触れるための「跪く」という行為に、妻の心はハッと動きます。この人はこんな優しい表情でものを見つめる人だったんだという思いが、「いつか」というささやかな時間の表現によって静かに広がってきます。長く愛唱したい作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:句集シングル『塩辛色』)
田に浮かぶわが家鯉幟の躍る 初蒸気
- 季語
- 鯉幟
- 季節
- 初夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「田」に水を張る頃、稲作の国日本は一挙に湖の国になります。一夜明けると「わが家」が水上に浮かんでいるかのような光景にハッとするのが、毎年この時期の小さな感動です。私の暮らす松山市も、少し郊外に出ればこんな光景が広がります。
この句の「わが家」は、郊外に建てたマイホームでしょうか。その「わが家」に、今年生まれたのは待望の長男。喜びの「鯉幟」は、今朝も五月の風にはためいています。「鯉幟」の尾が風にくねる度に、田水に映る「鯉幟」の尾も光り、映り込んだ五月の青空も光ります。愛すべき「わが家」と愛すべき家族の象徴の如き「鯉幟」は、この季節のど真ん中で、ゆうゆうと躍っているのです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年5月掲載分)
うりずんの水滴真珠になりたがる とうへい
- 季語
- うりずん
- 季節
- 晩春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「うりずん」とは【陰暦二月から三月、麦の穂の出る頃】だとものの本には書かれております。沖縄地方独特の季語ですから、晩春とはいえ若夏の明るさに満ちた季節が想像されます。
ものみな緑に潤いはじめる季節「うりずん」の「水滴」とは、朝の露でしょうか、雨上がりの雫でしょうか、渚の飛沫でしょうか。「うりずん」という季節の光を弾きつつ結球する「水滴」の一つ一つは、海の「真珠」になりたがっているのだよ、という発想のなんと美しいことでしょう。
折しも、夏かと見まがう沖縄の底抜けに明るい海は、天然の真珠を育む海でもあります。「真珠になりたがる」とつぶやく言葉もまた、詩として美しく結球する一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2013年5月3日放送分より)
花びらは確かにおちる石の上 ありあ (小一 ※発表当時)
- 季語
- 花びら
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「花びら」は桜の花びらです。作者ありあさんは、花びらが散るようすをきれいだなあと飽きることなくながめているのでしょう。
落ちてくる「花びら」の一枚一枚の行方をじっと見ていると、それらが「石の上」に落ちていくことに気付きます。庭石のような大きな石かもしれませんし、庭園の敷石かもしれません。くらりくらりとゆれながら落ちていく「花びら」もあれば、すとんと落ちてしまう「花びら」もありますが、どの花びらもどの花びらもみな「確かにおちる」と見てとったところに写生という名の詩が生まれます。
また「花びら」と「石」の色や質感の違いも一句の味わい。「花びら」の行方を目で追うかのような語順も効果的な作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年3月11日放送分)
松山の息吹きと思ふ椿かな 酔う太
- 季語
- 椿
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「椿」を市花とする「松山」への、この大らかなご挨拶句を、(俳句ポスト365の)記念すべき第一回「天」の一句に推させていただきましょう。
久しぶりに訪れた「松山」を言祝いでの一句、遠い地に咲く「椿」を眺めての郷愁、春を迎える松山人としての感慨など、鑑賞はいかようにも膨らみます。「松山の息吹きと思ふ」までは作者の思いしか語られていないのですが、下五「椿かな」の詠嘆が目に入ったとたん、読者の脳裏にはつぎつぎに開いていく「椿」が早送りの画面のごとく鮮やかに広がります。
その映像を想起させる力となるのが中七「息吹き」の一語。何万何千という「椿」が明るい「息吹き」を咲かせる頃、子規の愛した「松山」は最も美しい時期を迎えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年3月掲載分)
万愚節の雲獅子になり熊になり 甘えび
- 季語
- 万愚節
- 季節
- 晩春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「万愚節=エイプリルフール」で、誰をだましても良い日という意味だけが一人歩きしがちな季語ですが、考えてみれば四月一日は春という季節のど真ん中。本来この季語が種別として持つ春の明るさに思いを馳せれば、こんな一句に心がそよぎました。
今日は、どんな嘘をついても叱られない日。どんな嘘をつけば皆がビックリするだろう、面白がってくれるだろう、そんなことを考えながら見上げる空。水色の春空に浮かぶ「雲」は、ときに「獅子」となり、ときに「熊」となり、ぐんぐんと流れていきます。
流れる雲を描く句は沢山ありますが、「万愚節」がこんなにも豊かで爽快な季語であることを教えてくれた作品に、心からの感謝。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年4月掲載分)
酒ほどの薬有ろうか蛍烏賊 鞠月
- 季語
- 蛍烏賊
- 季節
- 晩春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 酒飲みの一人として、「酒ほどの薬有ろうか」という台詞にまずはやられます(笑)。酒は百薬の長とも言いますから、酒飲みの言い訳と決めつけるわけにもいきませんよね。
下五の季語は動くか?と一瞬思ったのですが、いやいや「蛍烏賊」といえば富山、富山といえば薬売り……と連想をなぞっていけば、なるほどこれは富山という土地へのご挨拶でもあるのかと合点がいきます。富山の薬売りは有名だけれど、それにも勝る美味しい酒がある。そしてその酒を引き立ててくれるのが、ご当地の春の味「蛍烏賊」であるよ、という賛歌!
「蛍烏賊」を食べるたびに「酒ほどの薬有ろうか」とつぶやいてしまいそうな一句であります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年4月25日掲載分)
千仞に吊橋田楽の匂ふ 桜井教人
- 季語
- 田楽
- 季節
- 仲春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「千仞」は「千尋」とも書いて「せんじん」と読みます。「尋」も「仞」も長さの単位であり、【山などが非常に高いこと。また、谷や海などが非常に深いこと】を意味する言葉でもあります。
「千仞に吊橋」は遠目の光景とも読めますが、「田楽の匂ふ」と続けば、吊り橋のど真ん中にいると読んだほうが楽しい。眩暈のするような「吊橋」の上で足もすくんでいるのに、鼻だけは「田楽」の香ばしい匂いをキャッチしている姿も滑稽。「吊橋」のど真ん中の臨場感を楽しんでこその一句ですね。
吊り橋を渡りきって、ああ怖かった!揺れたね!なんて話しながら、橋のたもとの田楽屋さんへとワイワイ向かう、そんな光景までもが見えてくる作品でした。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年3月21日掲載分)
捨頭巾たちまち返す鳥木霊 ターナー島
- 季語
- 捨頭巾
- 季節
- 晩春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「捨頭巾」とは、脱ぎ捨てた頭巾そのものを指すのではなく、頭巾を脱ぐ、仕舞うという行為を意味します。暖かくなってもう頭巾は要らないねというのが、まさにこの季語の春の気分なのです。
掲出句の巧さは、中七「たちまち返す」という描写にあります。頭巾を脱いだとたんたちまち鳥の囀りが木霊してくるよ、私の耳に返ってくるかのように聞こえてくるよという感動が、「たちまち返す」という措辞によって生き生きと伝わってきます。
「鳥木霊」のように言葉と言葉をくっつける表現は、下手をすると寸詰まりな印象になるのですが、この句ではむしろ臨場感のあふれる言葉となっているのも、見事なバランス感覚だと思います。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年3月25日放送分)