株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • あじさいへ孔雀は威嚇するかたち  もね

    季語
    あじさい
    季節
    仲夏
    分類
    植物
    鑑賞
    「孔雀」が羽を広げるのは求愛の行為であって「威嚇」ではありません。事実を尊重し、「あじさいへ孔雀は求愛のかたち」と変えてみると、「孔雀」が「あじさい」をメスだと勘違いしたという句意になり、作品の底が浅くなってしまいます。
     「孔雀」が求愛として羽を広げている行為が「あじさい」への「威嚇」のように見えたと読むことで、作品は新しい詩的真実を手に入れます。「孔雀は威嚇するかたち」という措辞は、「あじさい」の美しさに対する嫉妬や警戒という意味を持ち始めます。作者から手渡される詩的真実は、「孔雀」の羽を活写しつつも、季語「あじさい」の美しさを表現する力となっているのです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年6月27日掲載分)
  • 麦秋の炎の玉を馬の眸に  岡部信幸

    季語
    麦秋
    季節
    初夏
    分類
    時候
    鑑賞
     「麦秋」は、時候の季語としては珍しく、金色の麦畑の光景や麦の熟れた匂い、風に揺れる麦穂の音などを内包しています。「麦秋の炎の玉」とは一体なんでしょう。麦秋という季節の持つ熱でしょうか。一面の麦畑に沈む夕日のイメージでしょうか。
     さらに驚くのが後半の叙述。「麦秋の炎の玉」というエネルギー球が「馬の眸に」ぐりぐりと嵌め込まれるかのような迫力に圧倒されます。「馬の眸は麦秋の炎の玉みたいだ」というベタな叙述にしてしまうと一句の迫力は殺がれます。下五を「馬の眸に」とすることで、大きく濡れた「馬の眸に」「麦秋の炎の玉」が嵌め込まれるさまを想像させるのです。助詞「に」の使い方の巧さに唸ります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:NHK教育テレビ『NHK俳句』2016年5月第3週放送分)
  • 峠より順に植田の澄んでいく  不知火

    季語
    植田
    季節
    仲夏
    分類
    地理
    鑑賞
     「峠より順に」ですから、棚田の光景でしょう。「峠」から見下ろす千枚田は、光の鏡のように水を蓄え、夏の太陽を弾いています。
     前半の措辞によって、田植えの作業は「峠」に近いところから始まったことも分かります。千枚田全てに苗を植え終わった光景の中、一句の視点は「峠」から「順に」下っていきます。「峠」の一番上の一番小さな田の水はすっかり「澄んで」いますが、下の方の「田」は田植えの泥が沈殿しておらずまだ濁ったままです。毎年見るその光景もまた、「植田」を眺める充実感。農夫の視点と一緒に、読者である私たちも、その充実感を味わいつつ「峠」を下っているかのような追体験をさせてくれる作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年6月13日掲載分)
  • 街灯のぽつと湾曲して蛍  渡邉一輝

    季語
    季節
    仲夏
    分類
    動物
    鑑賞
    「街灯」が闇の中に暗く「ぽつ」と灯っています。その灯りは真っ暗な道に沿って「湾曲して」います。ぼんやりとした灯りが、道のありかを示していると言い換えてもよいでしょう。「街灯のぽつと湾曲して」とのみ描写しているにもかかわらず、作者が見た光景は、読者の脳内にそのままの映像として再生されます。
     なんといっても巧いのは季語の出現の仕方。最後に「蛍」がぽつんと現れると、この湾曲した道が川のカタチに添ったものであることに気づきます。川音も聞こえてきます。湿った夜の匂いもしてきます。「湾曲」して並ぶ「街灯」の鈍い灯りと、我が身の近くに光る「蛍」。生き物としての「蛍」も川音も腥く立ち上がってきます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2018年5月発表分) 
  • 樫の木は無口な木です風薫る  凡鑽

    季語
    風薫る
    季節
    三夏
    分類
    天文
    鑑賞
     一読ハッとしました。「樫の木」の実はどんぐり。身近な木なのに「樫の木は無口な木」だと感じることがなかったので、ハッとしたのだと思います。「樫の木」について改めて調べてみると、堅くて耐湿性があるので船や農具の柄などに使われ、樹皮は染料になり、果実からはデンプンもとれるのだそうです。「樫の木」は地味な木だけど静かに私たちの生活を支えてきたのだなと思うと、「樫の木は無口な木です」という詩語がしみじみと心に広がってきます。
     「風薫る」は天文の季語ですが、そこには若葉や青葉の光景も感じられます。常緑樹で一年中表情を変えない印象のある「樫の木」も、いま薫りはじめた風を喜んでいるに違いない、という一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2018年4月)
  • 芹濡るる石鎚の神宿る水  てんきゅう

    季語
    季節
    三春
    分類
    植物
    鑑賞
     「石鎚」という地名を入れての一句。石鎚山は四国の真ん中にある山で、近畿以西の西日本最高峰です。古くから山岳信仰の山とされ、腰に法螺貝を下げた修験者に出会うこともある山です。
     上五「芹濡るる」は連体形。最後の「水」にかかっていくと判断すればよいでしょうか。「芹濡るる(水とは)石鎚の神(が)宿る水(であるよ)」と読ませて頂きました。
     「神宿る水」に育まれた美しい水が育てる、野生の「芹」。その香気を一際鮮やかに感じさせるのが「石鎚」という地名の響きかもしれません。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年3月掲載分)
  • 洗はれて暴れ出したる春キャベツ  武井禎子

    季語
    春キャベツ
    季節
    仲春
    分類
    植物
    鑑賞
     いきなり出現する「洗はれて」という措辞。何が「洗はれて」いるんだろう? そんな疑問を持つところから読み手はこの句の世界へ入っていきます。これが、この作品の導入の巧さです。
     中七はさらに謎を深めます。何がどう「暴れ出し」てるんだろう?という思いに答えるように「春キャベツ」という季語が飛び出してくる楽しさ。瑞々しい季語との出会いに、心がハッと動きます。
     勢いよく捻られた蛇口から迸る水、ボウルの中を暴れるように踊るキャベツの鮮やかな緑。まだ柔らかい「春キャベツ」の肌は隆々と溢れる水を喜んでいるかのよう。水で洗うとキュキュと鳴る、いかにも新鮮そうな音まで聞こえてくる作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:2016年 伊香保俳句大会 夏井いつき特選句)
  • 一面の焦土女は馬鈴薯植う  中原久遠

    季語
    馬鈴薯植う
    季節
    仲春
    分類
    人事
    鑑賞
     世界は戦いに満ちています。時代を越えて、さまざまな理由で紛争が起こり戦争が繰り広げられています。「一面の焦土」となった故国にて、最初に行動を起こすのは「女」たちかもしれないとハッとします。戦争を起こす男たち、戦争に興奮する男たち、戦争で死ぬ男たちを横目に、「女」たちは、我が子を産み育てることを考えます。「一面の焦土」に打ちひしがれている暇はない。今はまず「馬鈴薯」を植えねばならぬと立ち上がる「女」たち。
     「貧者のパン」と呼ばれていた「馬鈴薯」を「植う」作業は、まさに命を繋ぐための仕事。台所の食材を超えた季語「馬鈴薯」本来の存在感を、読者の胸に打ち込んでくれる力強い作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年3月18日掲載分)
  • 花びらを映して石もまた鏡  天玲

    季語
    花びら
    季節
    晩春
    分類
    植物
    鑑賞
     この「石」はゴツゴツした石ではなくて、綺麗に磨き上げられこれから何かを彫り込むという段階の石でしょうか。そんな石屋の光景を思ってもいいし、新しい句碑や墓石を想像しても良いですね。
     「花びら」は桜の花片です。美しく磨き上げられた「石」はまるで「鏡」のように、散りしきる「花びら」の影を映します。ここで作者の思いに寄り添いたいのは「石もまた鏡」という措辞です。
     「鏡のような石」と述べるのではなく、「花びら」が散っていく光と影を映しながら「石」というものもまた「鏡」と成り得るのだな、という作者の感慨そのものが詩。
     「花びら」という季語と「石」という無機物が、「鏡」の一語で美しい出会いを果たした作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年4月10日放送分)
  • しわくちゃな朝を延ばして燕くる   宙のふう

    季語
    季節
    晩春
    分類
    動物
    鑑賞
     「燕」と「朝」は、気持ちのよさという意味で相性がよいのでしょう。朝の燕を描いた句は沢山あります。一種の類想といってもよいでしょう。
     類想とは、逆の考え方をすれば大いなる共通理解。この句は類想を土台としつつ、「しわくちゃな朝」という比喩でオリジナリティとリアリティを獲得しています。
     「燕」がしきりに行ったり来たりしているのは、「しわくちゃな朝」をアイロンのように延ばしているのだよという発想の明るさ。「しわくちゃな朝」とは慌ただしい朝のことでしょうか。しわくちゃな気持ちで目覚めた朝かもしれません。
     比喩の解釈が縦横に広がっていくのもこの作品の魅力。「燕」の動きを映像として見せる比喩の使い方も見事です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2019年3月発表分)
  • 母いまも内地と呼べりライラック  雪うさぎ

    季語
    ライラック
    季節
    晩春
    分類
    植物
    鑑賞
     北海道が持つ歴史の中において、この手の類想があるのかもしれないと思いつつも、「母いまも内地と呼べり」というたった12音の措辞が内蔵する物語の深さに、やはり肯くしかない一句です。
     この「母」を開拓時代を生き抜いてきた老齢の母だと読むか、祖父祖母の体験談として聞いてきた中年の母だと読むか。「内地」という言葉に対する認識は、時代と共に移ろっていくのだろうと思います。
     「内地」という言葉への郷愁と反骨の入り混じる世代にとって「ライラック」が美しく咲けば咲くほど、「内地」への複雑な思いが募るのかもしれません。「いまも」に籠もる感慨、「呼べり」の完了の意味の効果、それぞれが適切に機能している作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年5月2日掲載分)
  • 一山は花の篁春の月  水

    季語
    春の月
    季節
    三春
    分類
    天文
    鑑賞
     「篁」は「たかむら」と読みます。【竹が群がって生えている所。たけやぶ】の意です。いやあー、それにしても佳い光景をごらんになりましたね!
     「ここに住んで二度目の竹の花です。一度目は二十数年前の女竹の花。二度目は今の真竹の花です。あまりにも美しい満月に照らされた篁でした。」と語る水さん。羨ましいなあ。
     「竹の花」は何十年に一度咲いて、その後一気に枯れてしまうのだと聞いております。「一山」を覆い尽くした「篁」の「花」の光景は、やがて愕然と枯れる「篁」のさまをオーバーラップさせます。下五に現れる「春の月」は、山の背後に現れる美しい月。「一山とまではないのですが少しオーバーに詠みました」とも書いてらっしゃいましたが、いえいえ、これは表現上の誇張。「一山」という言葉の持つ格調が、一句の世界を凜と広げます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年2月発表)
  • 海胆にまだ流星だった頃の色   酒井おかわり

    季語
    海胆
    季節
    晩春
    分類
    動物
    鑑賞
     ムラサキウニの暗紫色、バフンウニの暗緑色、ガンガゼの黒紫色。どこが流星?と思った瞬間、我が脳内に宇宙が出現しました。惑星のような形をした海胆たち、暗い蒼い海底、闇にそよぐ海藻。
     「流星」とは、宇宙塵が地球の大気中に高速で突入し発光する現象なのだそうです。となれば、「流星」のうちの幾ばくかが海に墜ち、「海胆」となったのかもしれないではないか。海底という過酷な環境で生きるために、「海胆」には小さな五つの歯が生えてきて、ガジガジと昆布をかじり始めたのかもしれないよ。その証拠に、「海胆」の殻を割って中を見てごらん。燃える「流星」の色をした卵巣が、五弁の花のように並んでいるだろ。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年4月15日掲載分)
  • 常節にひらかなほどの穴七つ  甘泉

    季語
    常節
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞
     「常節」とはミミガイ科の巻き貝。「万年鮑」という傍題もあるように、形は鮑に似ていますが、鮑よりは小さく、七センチ程度の貝です。春季が美味しいということで春の季語になっています。
     「常節」の殻にチョンチョンチョンと空いてる穴は本当に愛らしい穴ですが、あれをまるで「ひらかな」みたいな穴だと受け止める感覚が楽しい一句です。「ひらがな」ではなく「ひらかな」と濁らない書き方をしている点も優しく柔らかな印象。この心遣いも一句の雰囲気をよく把握してこその配慮ですね。
     「常節にひらかなほどの」何?と思った瞬間にでてくる「穴七つ」という映像も効果的。いかにも「常節」らしい愛すべき一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年4月1日放送分)

  • 春の月もぐらの罠の濡れてゐる  松本だりあ

    季語
    春の月
    季節
    三春
    分類
    天文
    鑑賞
    「朧月」という季語もあるように、「春の月」は湿度を帯びて滲んでいる印象があります。
     それを思うと「濡れてゐる」はいかにもありそうな下五ですが、「もぐらの罠の」という中七の措辞により、一句の光景は薄闇の中から確かな手応えで浮かび上がります。
     この「もぐらの罠」はどんなものでしょう。「もぐら」の進路に仕掛けられ、挟んだり突き刺したりする金属製の「罠」を想像しました。
    「春の月」の朧なる湿度は冷たい鉄の「罠」を濡らし、その「罠」の存在を感じつつ「もぐら」は息を潜めます。「春の月」の湿りが、やがて土中の「もぐら」たちへと及んでいくかのような夜の静けさ。優しい微笑みのような「春の月」の悪意。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年2月発表)