株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 武州某町水菜と言へど猛々し  雪うさぎ

    季語
    水菜
    季節
    初春
    分類
    植物
    鑑賞
     「武州」とは武蔵国。大消費地東京に近い茨城県産の「水菜」が広く出回っている昨今の現状も踏まえ、「水菜と言へど猛々し」と述べることで、「水菜=京菜」の持つ嫋やかなイメージと対比。逆説的に「水菜」の特徴を表現するとは、実に痛快な発想です。
     「武州某町」という上五の置き方も巧いですね。仮に「武州産」と言い換えてみると、スーパーに並んでいる商品っぽくなりますが、「武州某町」は行きずりの視点。「武州」のある町で栽培されている「水菜」をたまたま目にしての、これ水菜? ずいぶん勢いのいい水菜ねえ! なんて会話が聞こえてくるかのような一句。
     京の壬生菜ではない、まさにイマドキの「水菜」がありありと見えてきます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年3月20日掲載分)
  • 山茱萸の花や写経に金の墨  もも

    季語
    山茱萸
    季節
    初春
    分類
    植物
    鑑賞
     「写経」の一語で墨の匂いや漆黒の墨の色などが想起され、下五「金の墨」という美しい色の出現にハッとします。
     ミズキ科の落葉高木「山茱萸の花」は「春黄金花(はるこがねばな)」という別名もあります。
     「金の墨」の格調高い美しさを提示することで、「山茱萸の花」の素朴で新鮮な黄色が際立つのだなと感嘆させられた一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年2月19日放送分)
  • 山茱萸の花パンソリの響く谷  江口小春

    季語
    山茱萸
    季節
    初春
    分類
    植物
    鑑賞
     「パンソリ」は朝鮮の民俗芸能。歌い手と太鼓の伴奏者が身振りを添えて演じる語り物です。
     中国から韓国を経て日本に入ってきた「山茱萸の花」の原風景かと味わうこともできます。
     「響く」の一語が深い「谷」の残響を思わせ、「パンソリ」の歌の響きに春を告げる「山茱萸の花」の黄色が揺れはじめるかのような作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年2月19日放送分)
  • 野焼の火とも纏足の少女とも  Y音絵

    季語
    野焼
    季節
    初春
    分類
    人事
    鑑賞
    「野焼」の句としてこのような発想が生まれていることに驚きました。「野焼の火」と「纏足の少女」をイコールで結びつつも、それが別の何かの比喩になっている構造にも目を見張ります。
     チョロチョロと燃え始める「野焼の火」とチョコチョコと歩く「纏足の少女」、自然の変移を断ち切って人工的に野を変移させる「野焼」と人為的に足の成長を阻害する「纏足」。思いがけないさまざまな類似点を想起しつつ、「~とも~とも」という措辞によって隠されている、別の何かを想像する詩的興奮。
     作者からの謎かけを受け止めた読者一人一が、果たしてどんな解答を一句の奥に見いだすのか。Y音絵ワールドというべき作品に、鼓動が高鳴ります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年2月19日掲載分)
  • 雉鳴けりこれより雪の無き林   井上じろ

    季語
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞
    「雉」が春、「雪」が冬の季語。上五「雉鳴けり」は麗かな春の野山を連想させつつ、中七からの展開が実に鮮やかな季重なりの逸品です。
    「これより雪の無き林」という措辞によって、ここまでは残雪の道を歩いてきたことが分かります。雪の残る山道を歩く途中、繁みから出てきた「雉」に会ったのか、繁みに消える「雉」の尾を見たのか。背後の山から聞こえる「雉」の声は、さっき出会ったあの雉かもしれないと思いなつつ山を下りてきたのでしょう。
     今、眼前に広がっているのは早春の林。「これより雪の無き林」という措辞は、越えてきた山道の残雪を想起するとともに、まだ冷たい空気の中で鳴く「雉」の声をありありと再生させます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『松山俳句ポスト365』2016年2月18日掲載分)
  • 節分や護符貼り換へて山晴るる  江戸人

    季語
    節分
    季節
    晩冬
    分類
    時候
    鑑賞
    「節分」は豆撒の行事を指すと思われがちですが、実は時候の季語です。立春から始まる二十四節気は、大寒の最終日「節分」で終わります。この季語の核には「永い冬に思いを寄せつつ、いよいよ明日から始まる春を喜ぶ心」があるのだと考えるべきですね。
    「護符」は「節分」の行事で賑わう神社で戴いてきたものでしょうか。神棚を清め、古い御札を剥がし、新しい「護符」を貼り、春を迎える準備を整えると、向かいの遠山辺りからみるみる晴れてくるのが目に入ります。
     小さな青空が広がってくるさまは、あたかも春の訪れを眼前にする思い。清々しくも冷たい「節分」の青空を見上げる作者の心に、明日からの春を喜ぶ気持ちが満ち満ちてきます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年2月7日掲載分)
  • ぽけっとに兎とさばいばるないふ  葦信夫

    季語
    季節
    三冬
    分類
    動物
    鑑賞
     カタカナで書かれるべき「ぽけっと」「さばいばるないふ」が平仮名で書かれることで、一句に優しい表情が生まれるかといえば、逆にひたひたと怖ろしさを匂わせているのがこの句の凄さ。たった一字、季語「兎」が漢字表記されている視覚的効果も際立ちます。
     「ぽけっと」に入る小さな「兎」を想像しても良いし、「ぽけっと」に手を突っ込んで、その耳を引っ張り上げれば巨大な「兎」が出てくる虚構の映像を想像してもよいでしょう。「兎」を比喩的象徴として鑑賞することも可能です。
     ただのナイフではない「さばいばるないふ」という存在が、生き物としての「兎」の生臭さを読者の鼻先に突き付けます。怖ろしいけれど非常に好きな作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『松山俳句ポスト365』2015年1月12日オフ会句会ライブ入賞句)
  • タイワンリス冬芽を蹴つて翔ぶや翔ぶ  小泉ルリ 

    季語
    冬芽
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     「タイワンリス」は台湾原産、伊豆大島をはじめ日本各地で野生化しています。漢字で書くと「台湾栗鼠」、この表記は重いですね。掲出句の持ち味は軽やかな躍動感。「タイワンリス」は「冬芽」の存在を描くための脇役ですから、カタカナ表記が正解でしょう。
     視界の端に動きだしたリス! 尻尾を揺らし、幹を駆け上り枝から枝へ走り出します。頭上の「冬芽」を「蹴つて」走る姿は、まさに「翔ぶや翔ぶ」の速さ。あっという間に見えなくなった後には、蹴られた「冬芽」のみが小さく揺れ、そのしなやかな芽はほんのりと赤みを増しています。
     春待つ心は、まさに秘めたる躍動感。強靱な「冬芽」と春を待つ楽しさがあふれる一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年1月23日掲載分)
  • 可惜夜(あたらよ)の枯野の色の中に鳥  恋衣

    季語
    枯野
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     「枯野の色」という難しい季語を使った句。
     「可惜夜」とは、明けるのが惜しい素晴らしい美しい夜だよ、という意味です。明けるのが惜しい美しい未明の陰影。
     「枯野の色」の光景の中に、作者は「鳥」を見つけます。
     鳥が動いたその瞬間に、アッ鳥だ と思ったのかもしれません。その瞬間に「可惜夜」が明け始めたのかもしれません。
     はっと鳥肌がたつような一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年11月11日放送分)
  • 福引の玉に目玉がついてゆく  牛後

    季語
    福引き
    季節
    新年
    分類
    人事
    鑑賞
    「福引」は、あまり離れたものを取り合わせるのが難しい季語であると同時に、一物仕立てで描くには怖ろしいほどの類想類句が想定されます。そんな中、この一句の率直なリアリティにノックアウトされました。
    「福引の玉」で7音ですから、ここからどんなオリジナリティのある詩句を展開していくか、あるいは「福引の玉」のリアリティを描き切るか、方向性は二択になりますが、掲出句は迷わず後者の路線をとりました。
     福引器の玉の出口にじっと目をこらしていると、勢いよく「玉」が飛び出しコロコロ転がります。その「玉」が何色であるのかを追う視線。それを「目玉がついてゆく」とは、よくもまあ言えたものだ!と爆笑しました。
    「玉」を視線が追う、コンマ何秒の「目玉」の動きを、こんなふうに描写できるのが作者の実力。「目玉」というモノを自分の肉体の部位として明確に意識できているのが、さすがです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年12月11日掲載分) 
  • 名残の空春日神社の火の当番  長緒連

    季語
    名残の空
    季節
    仲冬
    分類
    天文
    鑑賞
    (同時投句)名残の空徳利の数の榊摘む   長緒連

     季語「名残の空」とは、ゆく年を惜しむ名残つきない空の意。元々は和歌で使われていた言葉で、恋や別れの思いを抱いて眺める空を表しましたが、転じて俳句では大晦日の空の意となりました。
     大晦日の「春日神社」、境内では「火の当番」をする人がおり、その傍らでは竹箒をもった若い祢冝たちが参道を掃き清めています。
     社の中では「榊」を挿してお供えする「徳利」の準備が始まり、その「徳利の数」だけの「榊」を「摘む」人もいる。祢冝の水色の袴、巫女の赤い袴がひらりひらりと勤しむさまも見えてきます。
     この難しい季語を表現するために、神社の光景を丁寧に切り取り、誠実に描写していく俳人としての姿勢にも感銘を受けた二句です。
       
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年12月30日放送分)
  • 風邪喰うて我百貫の無用者  93kgのプッコラ

    季語
    風邪
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     上五「風邪」を「食う」という表現、大袈裟だなあと思ったとたん「我百貫」という数詞と共に、巨体が出現します。「百貫」の体ならば「食う」という動詞も腑に落ちるよと思ったとたん、下五の「無用者」という自嘲。なるほど、そうきたかと笑えました。
     「好き嫌いのないのはいいが、なんでもかんでもバクバクバクバク食いやがって、とうとう流行の風邪まで食いやがった!」なんて家族に憎まれ口を叩かれているのでしょうか。
     風邪の身でありながら、食欲だけは落ちない「我百貫の無用者」。意味としては自嘲ですが、ユーモアの漂う語り口がこの句の味わい。
     その俳諧味を演出しているのが「喰う」という動詞の効果。飄々たる作品です。
       
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年12月9日掲載分)
  • 磁針揺れやまず原発に狐火  小市

    季語
    狐火
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     「磁針揺れやまず」は、磁石をズームアップした映像。いつまでも揺れ止まない「磁針」の映像が得体の知れない不安を掻き立てます。句またがりの型によってカットが替わった後半に現れる「原発」の二文字は、心に生まれた不安を明確なものにし増幅させ、「原発の狐火」という虚の世界にはひたひたと恐怖が満ちていきます。
     「磁針」は「地震」と同音異義語。目で見るよりも声に出してみると、さらなる不穏に心が支配されていくようでもあります。なぜこの磁石の「磁針」は止まらないのか。これでは北がどちらなのか、どちらに向かって進めばよいのかわからないじゃないか……。
     そんな困惑の向こうに「狐火」はゆらゆらと青白く揺れ始めるのです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年1月15日放送分)


  • 山眠る熊胆闇色に干され  鈴木牛後

    季語
    山眠る
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     「熊胆」は「ゆうたん」と読みます。クマ類の胆汁を乾燥したもので、苦味健胃、鎮痛、消炎、解熱等に効能がある漢方薬です。
     「山眠る」頃は、猟の季節でもあります。食べ物を求めて里に下りてくる「熊」を撃つ。これもまた里山に生きる人たちの切実な仕事です。
     昨日撃った「熊」は丁寧に解体され、肉は肉として、皮は皮として仕分けられています。取り出された「熊胆」は貴重な漢方薬。値の見込める大事な部位です。冬の乾いた風の中、昼と夜を繰り返しながら「熊胆」はゆっくりと乾いていきます。
     眠ったかのような冬の山に生きる熊と人間の関わり、生きるための営みが、曼荼羅図のように組み込まれている一句に深い感銘を覚えます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年12月25日掲載分)
  • ねんねこより初めて見しは荒るる海  雪うさぎ

    季語
    ねんねこ
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     「ねんねこ」という言葉に出会うと、必ず想い出すあの日の「荒るる海」。母におぶわれた「ねんねこ」の中の記憶の「海」は両親の生まれ故郷か。はたまた夜逃げ同然にたどりついた未知の町か。
     「ねんねこ」という季語の成分には、そのあったかさ、幸福感に満ちた匂いなどが内包されていますが、この句はそれらの要素を逆手にとりつつ、「ねんねこ」の本意を表現します。「荒るる海」から吹く風の凶暴な冷たさ、不安を募らせる潮の匂い、「ねんねこ」から出ている顔の凍るような冷たさ、「ねんねこ」に包まれた体の暖かさ、母の酸っぱく甘い匂い。
     たった十七音から、読み手に果てしない物語を感知させる言葉の力を堪能させてもらった作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年11月27日掲載分)