株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 万愚節の雲獅子になり熊になり  甘えび

    季語
    万愚節
    季節
    晩春
    分類
    時候
    鑑賞
     「万愚節=エイプリルフール」で、誰をだましても良い日という意味だけが一人歩きしがちな季語ですが、考えてみれば四月一日は春という季節のど真ん中。本来この季語が種別として持つ春の明るさに思いを馳せれば、こんな一句に心がそよぎました。
     今日は、どんな嘘をついても叱られない日。どんな嘘をつけば皆がビックリするだろう、面白がってくれるだろう、そんなことを考えながら見上げる空。水色の春空に浮かぶ「雲」は、ときに「獅子」となり、ときに「熊」となり、ぐんぐんと流れていきます。
     流れる雲を描く句は沢山ありますが、「万愚節」がこんなにも豊かで爽快な季語であることを教えてくれた作品に、心からの感謝。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年4月掲載分)
  • 酒ほどの薬有ろうか蛍烏賊  鞠月

    季語
    蛍烏賊
    季節
    晩春
    分類
    動物
    鑑賞
     酒飲みの一人として、「酒ほどの薬有ろうか」という台詞にまずはやられます(笑)。酒は百薬の長とも言いますから、酒飲みの言い訳と決めつけるわけにもいきませんよね。
     下五の季語は動くか?と一瞬思ったのですが、いやいや「蛍烏賊」といえば富山、富山といえば薬売り……と連想をなぞっていけば、なるほどこれは富山という土地へのご挨拶でもあるのかと合点がいきます。富山の薬売りは有名だけれど、それにも勝る美味しい酒がある。そしてその酒を引き立ててくれるのが、ご当地の春の味「蛍烏賊」であるよ、という賛歌!
     「蛍烏賊」を食べるたびに「酒ほどの薬有ろうか」とつぶやいてしまいそうな一句であります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年4月25日掲載分)
  • 千仞に吊橋田楽の匂ふ  桜井教人 

    季語
    田楽
    季節
    仲春
    分類
    人事
    鑑賞
     「千仞」は「千尋」とも書いて「せんじん」と読みます。「尋」も「仞」も長さの単位であり、【山などが非常に高いこと。また、谷や海などが非常に深いこと】を意味する言葉でもあります。
     「千仞に吊橋」は遠目の光景とも読めますが、「田楽の匂ふ」と続けば、吊り橋のど真ん中にいると読んだほうが楽しい。眩暈のするような「吊橋」の上で足もすくんでいるのに、鼻だけは「田楽」の香ばしい匂いをキャッチしている姿も滑稽。「吊橋」のど真ん中の臨場感を楽しんでこその一句ですね。 
     吊り橋を渡りきって、ああ怖かった!揺れたね!なんて話しながら、橋のたもとの田楽屋さんへとワイワイ向かう、そんな光景までもが見えてくる作品でした。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年3月21日掲載分) 
  • 捨頭巾たちまち返す鳥木霊  ターナー島

    季語
    捨頭巾
    季節
    晩春
    分類
    人事
    鑑賞
     「捨頭巾」とは、脱ぎ捨てた頭巾そのものを指すのではなく、頭巾を脱ぐ、仕舞うという行為を意味します。暖かくなってもう頭巾は要らないねというのが、まさにこの季語の春の気分なのです。
     掲出句の巧さは、中七「たちまち返す」という描写にあります。頭巾を脱いだとたんたちまち鳥の囀りが木霊してくるよ、私の耳に返ってくるかのように聞こえてくるよという感動が、「たちまち返す」という措辞によって生き生きと伝わってきます。
     「鳥木霊」のように言葉と言葉をくっつける表現は、下手をすると寸詰まりな印象になるのですが、この句ではむしろ臨場感のあふれる言葉となっているのも、見事なバランス感覚だと思います。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年3月25日放送分)
  • 武州某町水菜と言へど猛々し  雪うさぎ

    季語
    水菜
    季節
    初春
    分類
    植物
    鑑賞
     「武州」とは武蔵国。大消費地東京に近い茨城県産の「水菜」が広く出回っている昨今の現状も踏まえ、「水菜と言へど猛々し」と述べることで、「水菜=京菜」の持つ嫋やかなイメージと対比。逆説的に「水菜」の特徴を表現するとは、実に痛快な発想です。
     「武州某町」という上五の置き方も巧いですね。仮に「武州産」と言い換えてみると、スーパーに並んでいる商品っぽくなりますが、「武州某町」は行きずりの視点。「武州」のある町で栽培されている「水菜」をたまたま目にしての、これ水菜? ずいぶん勢いのいい水菜ねえ! なんて会話が聞こえてくるかのような一句。
     京の壬生菜ではない、まさにイマドキの「水菜」がありありと見えてきます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年3月20日掲載分)
  • 山茱萸の花や写経に金の墨  もも

    季語
    山茱萸
    季節
    初春
    分類
    植物
    鑑賞
     「写経」の一語で墨の匂いや漆黒の墨の色などが想起され、下五「金の墨」という美しい色の出現にハッとします。
     ミズキ科の落葉高木「山茱萸の花」は「春黄金花(はるこがねばな)」という別名もあります。
     「金の墨」の格調高い美しさを提示することで、「山茱萸の花」の素朴で新鮮な黄色が際立つのだなと感嘆させられた一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年2月19日放送分)
  • 山茱萸の花パンソリの響く谷  江口小春

    季語
    山茱萸
    季節
    初春
    分類
    植物
    鑑賞
     「パンソリ」は朝鮮の民俗芸能。歌い手と太鼓の伴奏者が身振りを添えて演じる語り物です。
     中国から韓国を経て日本に入ってきた「山茱萸の花」の原風景かと味わうこともできます。
     「響く」の一語が深い「谷」の残響を思わせ、「パンソリ」の歌の響きに春を告げる「山茱萸の花」の黄色が揺れはじめるかのような作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年2月19日放送分)
  • 野焼の火とも纏足の少女とも  Y音絵

    季語
    野焼
    季節
    初春
    分類
    人事
    鑑賞
    「野焼」の句としてこのような発想が生まれていることに驚きました。「野焼の火」と「纏足の少女」をイコールで結びつつも、それが別の何かの比喩になっている構造にも目を見張ります。
     チョロチョロと燃え始める「野焼の火」とチョコチョコと歩く「纏足の少女」、自然の変移を断ち切って人工的に野を変移させる「野焼」と人為的に足の成長を阻害する「纏足」。思いがけないさまざまな類似点を想起しつつ、「~とも~とも」という措辞によって隠されている、別の何かを想像する詩的興奮。
     作者からの謎かけを受け止めた読者一人一が、果たしてどんな解答を一句の奥に見いだすのか。Y音絵ワールドというべき作品に、鼓動が高鳴ります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年2月19日掲載分)
  • 雉鳴けりこれより雪の無き林   井上じろ

    季語
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞
    「雉」が春、「雪」が冬の季語。上五「雉鳴けり」は麗かな春の野山を連想させつつ、中七からの展開が実に鮮やかな季重なりの逸品です。
    「これより雪の無き林」という措辞によって、ここまでは残雪の道を歩いてきたことが分かります。雪の残る山道を歩く途中、繁みから出てきた「雉」に会ったのか、繁みに消える「雉」の尾を見たのか。背後の山から聞こえる「雉」の声は、さっき出会ったあの雉かもしれないと思いなつつ山を下りてきたのでしょう。
     今、眼前に広がっているのは早春の林。「これより雪の無き林」という措辞は、越えてきた山道の残雪を想起するとともに、まだ冷たい空気の中で鳴く「雉」の声をありありと再生させます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『松山俳句ポスト365』2016年2月18日掲載分)
  • 節分や護符貼り換へて山晴るる  江戸人

    季語
    節分
    季節
    晩冬
    分類
    時候
    鑑賞
    「節分」は豆撒の行事を指すと思われがちですが、実は時候の季語です。立春から始まる二十四節気は、大寒の最終日「節分」で終わります。この季語の核には「永い冬に思いを寄せつつ、いよいよ明日から始まる春を喜ぶ心」があるのだと考えるべきですね。
    「護符」は「節分」の行事で賑わう神社で戴いてきたものでしょうか。神棚を清め、古い御札を剥がし、新しい「護符」を貼り、春を迎える準備を整えると、向かいの遠山辺りからみるみる晴れてくるのが目に入ります。
     小さな青空が広がってくるさまは、あたかも春の訪れを眼前にする思い。清々しくも冷たい「節分」の青空を見上げる作者の心に、明日からの春を喜ぶ気持ちが満ち満ちてきます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年2月7日掲載分)
  • ぽけっとに兎とさばいばるないふ  葦信夫

    季語
    季節
    三冬
    分類
    動物
    鑑賞
     カタカナで書かれるべき「ぽけっと」「さばいばるないふ」が平仮名で書かれることで、一句に優しい表情が生まれるかといえば、逆にひたひたと怖ろしさを匂わせているのがこの句の凄さ。たった一字、季語「兎」が漢字表記されている視覚的効果も際立ちます。
     「ぽけっと」に入る小さな「兎」を想像しても良いし、「ぽけっと」に手を突っ込んで、その耳を引っ張り上げれば巨大な「兎」が出てくる虚構の映像を想像してもよいでしょう。「兎」を比喩的象徴として鑑賞することも可能です。
     ただのナイフではない「さばいばるないふ」という存在が、生き物としての「兎」の生臭さを読者の鼻先に突き付けます。怖ろしいけれど非常に好きな作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『松山俳句ポスト365』2015年1月12日オフ会句会ライブ入賞句)
  • タイワンリス冬芽を蹴つて翔ぶや翔ぶ  小泉ルリ 

    季語
    冬芽
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     「タイワンリス」は台湾原産、伊豆大島をはじめ日本各地で野生化しています。漢字で書くと「台湾栗鼠」、この表記は重いですね。掲出句の持ち味は軽やかな躍動感。「タイワンリス」は「冬芽」の存在を描くための脇役ですから、カタカナ表記が正解でしょう。
     視界の端に動きだしたリス! 尻尾を揺らし、幹を駆け上り枝から枝へ走り出します。頭上の「冬芽」を「蹴つて」走る姿は、まさに「翔ぶや翔ぶ」の速さ。あっという間に見えなくなった後には、蹴られた「冬芽」のみが小さく揺れ、そのしなやかな芽はほんのりと赤みを増しています。
     春待つ心は、まさに秘めたる躍動感。強靱な「冬芽」と春を待つ楽しさがあふれる一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年1月23日掲載分)
  • 可惜夜(あたらよ)の枯野の色の中に鳥  恋衣

    季語
    枯野
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     「枯野の色」という難しい季語を使った句。
     「可惜夜」とは、明けるのが惜しい素晴らしい美しい夜だよ、という意味です。明けるのが惜しい美しい未明の陰影。
     「枯野の色」の光景の中に、作者は「鳥」を見つけます。
     鳥が動いたその瞬間に、アッ鳥だ と思ったのかもしれません。その瞬間に「可惜夜」が明け始めたのかもしれません。
     はっと鳥肌がたつような一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年11月11日放送分)
  • 福引の玉に目玉がついてゆく  牛後

    季語
    福引き
    季節
    新年
    分類
    人事
    鑑賞
    「福引」は、あまり離れたものを取り合わせるのが難しい季語であると同時に、一物仕立てで描くには怖ろしいほどの類想類句が想定されます。そんな中、この一句の率直なリアリティにノックアウトされました。
    「福引の玉」で7音ですから、ここからどんなオリジナリティのある詩句を展開していくか、あるいは「福引の玉」のリアリティを描き切るか、方向性は二択になりますが、掲出句は迷わず後者の路線をとりました。
     福引器の玉の出口にじっと目をこらしていると、勢いよく「玉」が飛び出しコロコロ転がります。その「玉」が何色であるのかを追う視線。それを「目玉がついてゆく」とは、よくもまあ言えたものだ!と爆笑しました。
    「玉」を視線が追う、コンマ何秒の「目玉」の動きを、こんなふうに描写できるのが作者の実力。「目玉」というモノを自分の肉体の部位として明確に意識できているのが、さすがです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年12月11日掲載分) 
  • 名残の空春日神社の火の当番  長緒連

    季語
    名残の空
    季節
    仲冬
    分類
    天文
    鑑賞
    (同時投句)名残の空徳利の数の榊摘む   長緒連

     季語「名残の空」とは、ゆく年を惜しむ名残つきない空の意。元々は和歌で使われていた言葉で、恋や別れの思いを抱いて眺める空を表しましたが、転じて俳句では大晦日の空の意となりました。
     大晦日の「春日神社」、境内では「火の当番」をする人がおり、その傍らでは竹箒をもった若い祢冝たちが参道を掃き清めています。
     社の中では「榊」を挿してお供えする「徳利」の準備が始まり、その「徳利の数」だけの「榊」を「摘む」人もいる。祢冝の水色の袴、巫女の赤い袴がひらりひらりと勤しむさまも見えてきます。
     この難しい季語を表現するために、神社の光景を丁寧に切り取り、誠実に描写していく俳人としての姿勢にも感銘を受けた二句です。
       
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年12月30日放送分)