株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 龍目覚むるごと料峭の走者発つ  野風

    季語
    料峭
    季節
    初春
    分類
    時候
    鑑賞
    「料峭」は春の肌寒い頃を意味する季語。「龍目覚むるごと」という比喩は「料峭」という映像を持たない季語に係る?と思った瞬間、「走者発つ」という情景が立ち上がります。何万人ものマラソンランナーが、スタートの号砲で一斉に動き出すさまを龍が目覚めるかのようだと比喩した表現はダイナミック。作者の視線は高い位置にあり、例えばドローンからの映像のような効果も持っています。
     時候の季語「料峭」は肌に感じる冷たさが本意ですから、取り合わせる句材としてマラソンは持ってこいの現場。肌寒い風の中を走る走者の群れ、「料峭」の風の中で振られる応援の旗、応援する人たちの歓声等、現場の実感が季語「料峭」をありありと表現します。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年2月26日放送分)
  • 雉低くよぎって空港まで5キロ  カリメロ

    季語
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞
     いきなり出現した「雉」に驚くシーンから始まります。「雉」は飛ぶよりも歩くことが得意な鳥ですが、「雉低くよぎって」という措辞でその特徴がよく描写されています。
     さらに、後半「空港まで5キロ」によって、「雉低くよぎって」が車内からの視界であることが分かるのも巧い展開。作者はハンドルを握っているのかもしれない、市街から離れた山中を切り開いた「空港」にちがいないと、一句の世界がどんどん明確になっていくのもこの作品の持つ力です。俳句ではあまり好まれない「5キロ」という表記も臨場感を生み出します。よぎった「雉」の行方に心を残しつつ、作者は「空港」をめざして車を走らせます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年1月発表)
  • 綾取りの川から琴へ花椿  神楽坂リンダ

    季語
    椿
    季節
    三春
    分類
    植物
    鑑賞
    「綾取りの」一本の紐が「川」となり「琴」となっていく変化をクローズアップの画面で見せておいて、下五「花椿」の鮮やかな赤へ切り替える映像的作品。
    「綾取り」を冬の季語として採録する歳時記もありますが、この場合は「綾取り」の紐の動きを活写することで「花椿」の豪奢な赤を印象的に描こうとしているわけですから、季重なりを指摘されたとしても全く気になりません。
    「綾取り」の赤い紐の動きとともに、「綾取り」をする人物の艶やかな着物の袖口までもが見えてきたかのようで、大変惹かれた作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年1月分)
  • 寒卵割り惑星を増やしけり  矢野リンド

    季語
    寒卵
    季節
    晩冬
    分類
    人事
    鑑賞
     「寒卵」を割ると出てくる黄身を「惑星」に見立てた、と読むだけでは面白くありません。「寒卵」を一つ割るという現実の行為と、「惑星」を増やすという詩的行為が一瞬のうちにスパークし、言葉の火花を散らせるところにこの句の魅力があります。
     「寒卵」を一つ割る。その瞬間、宇宙のどこかで新しい太陽が生まれ、太陽の周りを廻る「惑星」が生まれ、一つの太陽系が形成される時間が動き始める。宇宙という名の生命が生まれる壮大なサイクルを想起させる力。その力を生み出しているのが、季語「寒卵」なのだと気付きます。「寒卵」は滋養に溢れる卵であり、その濃い黄身の色は生まれくる生命の象徴でもあります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『松山俳句ポスト365』2015年1月12日オフ会句会ライブ入賞句)
  • 避難所のマスクの箱のまた空つぽ  板柿せっか

    季語
    マスク
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     ここ数年日本を襲っている災害を思うと、この「マスクの箱」がありありと見えてきます。「避難所」は体育館でしょうか。段ボールで作られた壁が多少のプライバシーを確保してくれているのかもしれませんし、敷かれた毛布の面積が自分の居場所となっているような環境かもしれません。
     風邪が流行り始める季節。咳をしている人もポツポツと増えているのでしょう。「また」の一語は、すぐに無くなっていく「マスク」を表すと同時に、それを補充する側の人物をも想像させます。
    「空つぽ」の一語は「箱」の空っぽであると同時に、避難所にいる人たちの心のありようにも通じます。「マスク」が無いのに、その存在をありありと見せる。これも俳句の力です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:通販生活サイト内 俳句生活2019年1月発表分)
  • 晴天へ湯気の飛びつく蒸饅頭  ドクトルバンブー

    季語
    蒸饅頭
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     まずは「晴天」の青を描き、「へ」という方向を示す助詞がポンと入ってからの展開が実に巧いですね。「湯気の飛びつく」という描写のなんと新鮮なことか。
     蒸し器の蓋を取った瞬間の映像がそのまま言葉になって飛び出してきたような鮮やかさです。
     最後に「蒸饅頭」という季語をもってくる語順も効果的な一句でした。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年11月22日放送分)
  • 橙あまねく清貧に甘んず  もね

    季語
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
    「橙」は秋の季語として載っている歳時記もありますが、本サイトの底本としている講談社版『新日本大歳時記』では冬の季語として採録されています。そして、大きな落とし穴となったのが、「橙飾る」が新年の季語であるという事実。「橙=代々」という駄洒落のような目出度さが、この果実を正月のお飾りとして定着させたため、「橙飾る」という季語も生まれたのでしょう。
    「あまねく」とは、形容詞「あまねし」の連用形から派生した副詞。【もれなくすべてに及んでいるさま。広く。一般に。】というのが辞書的意味です。さらに「清貧」とは【私欲をすてて行いが正しいために、貧しく生活が質素であること】ですから、おおよその意味は理解できますね。
     直訳をすれば、「橙」というものはどれもこれも「清貧」に甘んじている(ような果実であるよ)となるでしょうか。が、この句の魅力は、単に「橙」のことを「清貧」であると言ってのけるだけではなく、作者自身の生きざまをも匂わせている点でしょう。食用には適さず橙酢として使われることが多かった「橙」の清々しい酸味や地味なんだけれども地に足を付けて生きているような印象は、そのまま作者の佇まいとして想像されます。
     五七五を裏切った独特のリズムは、数えてみればちゃんと17音。美しい漢詩の一節のような調べも一句の味わいを引き立てます。「橙」という季語の本質をこんな形で表現し得た発想を、心から讃えたい作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年12月発表)
  • 注連縄に泡の飛びつく磯祠  宇多津花菜

    季語
    注連縄
    季節
    新年
    分類
    人事
    鑑賞
     季語「注連縄」から始まる一句。上五の助詞「に」が巧く機能していて、読み手は「注連縄に」何がどうしているのだろうと、「注連縄」をしげしげ眺めるような心持ちになります。助詞「に」が伏線となって出てくる中七の「泡」というモノ、「飛びつく」という複合動詞の勢い。これらの措辞が生き生きと映像を再生します。
     さらに巧いなあと唸ったのが「磯祠」の一語。仮に下五に「祠かな」と置いた場合と比較してみると、「磯」の一字の効果は歴然。「磯祠」によって中七の「泡」は、波の花の泡であることが分かり、その泡が飛ばされるほど風の強い日であることもわかります。新年を迎える「磯」の匂いも一気に立ち上がってくる見事な作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年12月18日放送分)
  • にきたつの月の凝りたる蜜柑かな  とおと

    季語
    蜜柑
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     万葉集の額田王の歌「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」で有名な「熟田津=にきたつ」は、伊予の国の三津浜あたりといわれております。地名を詠み込むことで、挨拶の心を表現。「にきたつ」に上ってくる「月」が凝ったかのような「蜜柑」であるよ、という措辞に美しい詩的断定があります。
     「凝る」には幾つかの意味がありますが、この場合は一カ所に寄り集まるの意。さらに「氷結する」の意味もあると知り、その詩的幻想も馨しく思いました。甘いだけの「蜜柑」ではなく、レモンイエローめいた程よい酸味を含んでいるのが「にきたつの月の凝りたる蜜柑」の味ではないかと、味覚的想像もふくらんできます。
      
    (鑑賞:夏井いつき9
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年12月11日掲載分)
  • 迎ふるに送るに父は葉牡丹まで  三重丸

    季語
    葉牡丹
    季節
    晩冬
    分類
    植物
    鑑賞
     「葉牡丹」は、どうしても好きになれない面妖なものだと感じる人もいれば、よく見ると目出度さや華やかさがあると言う人もおり、なかなか掴みきれない季語でしたが、この句に出会って、おおーまさにこの場面に似合う季語だ!と膝を打った次第です。
     前半の「迎ふるに送るに」という叙述が巧いですねえ。「迎えるにつけても送るにつけても」という意味がまず述べられるだけですが、後半の言葉によって具体的な映像が一気に引き出される、この構造に工夫があります。「迎えるにつけても送るにつけても」うちの「父」は「葉牡丹」の植わっている門のあたり「まで」なのです、という意味が脳に伝わったとたん、「父」の様子、ありありと立ち上がってきますね。
     迎えられ送られているのは大学生の娘でしょうか、はたまた孫たちの声と共に到着する息子一家でしょうか。戻ってくることを心待ちにしているのに、それを表情に出さない「父」。その「父」とは対象的にはしゃいで迎える「母」の姿も浮かんできます。
     水曜日のお便りコーナーに軌一さんが【葉牡丹は、ちょっと高齢の方の家の玄関によくあるものという気がします。ちょっと渋めの、お上品な、もっと言えばリッチな方の好みの植物ではないでしょうか】と書いてらっしゃいましたが、掲出句の「父」の住む家はまさにこういう感じなのでしょう。
     「迎ふる」日の父の表情、「送る」日の父の気持ち、それらを想像すればするほど、この複雑な思いを受け止め表現してくれる季語は「葉牡丹」以外に無いなあ!と感心します。切れの無い型で終わる構造もまた絶妙。「葉牡丹」というとこの句を思い出しそうです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年12月分)
  • 産まれたての子馬のやうな竹馬よ  神戸鳥取

    季語
    竹馬
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     季語「竹馬」とくれば、子どもが遊ぶ様子を描くか、郷愁の遊びとしてオトナの感慨にふけるか。そういう発想は想定内でしたが、こんな新鮮な比喩の句がでてくるとは思っていませんでした!しかもこの句、春の季語「子馬」を比喩として軽やかに使いこなしているのですから、大したものです。
     表現の可能性として「産まれたての子馬のやうに竹馬は」とすることも考えられますが、こうなると「竹馬」は飛び跳ねるようにカッカッと走っている感じですね。なぜそのような印象を与えるかというと、「やうに」は助動詞「やうだ」の連用形ですから、下五「竹馬は」の後に「跳ねる」「走る」などの動詞が隠れていると考えられるからです。
     それに対して掲出句「産まれたての子馬のやうな竹馬よ」の「やうな」は連体形ですから「竹馬」にそのままかかってきます。ですから句意のニュアンスとしては、匂い立つような青竹で出来た「竹馬」が今、出来上がったところで、これからこの「竹馬」で走り出すであろう子どもの様子などを想像している、という感じでしょう。父が我が子のために作ってやった「竹馬」を想像しました。
     さあ、「竹馬」が完成したぞ!「産まれたての子馬」みたいな「竹馬」だぞ!「生まれたての子馬」がすぐには立てないように、我が子もすぐに「竹馬」には乗れないだろうけれど、この「竹馬」を自在に乗り回し、走り回る日もすぐにやって来るに違いないよ!
     「父」という言葉を使って、「竹馬」を表現した句は沢山ありましたが、「父」という言葉を使わずして若い父の思いを伝えることができるのだなあと、一読清々しい気持ちになりました。
     念のための注釈ですが、「やうだ」は比況の意味を表す口語の助動詞です。(文語で比況の意味を表すのは「ごとし」「ごとくなり」という助動詞です。)つまり掲出句は、歴史的仮名遣いで表記した口語の句であることは、押さえておきましょう。口語の生き生きとした味わいが、一句の内容を引き立てていますね。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年12月分)
  • かれのさんスープをどうぞさむいでしょ  ひろしげ6さい

    季語
    枯野
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     なんとも温かくて優しくて、ああ、実は「枯野」ってこんな存在だったのかもしれない、と心が癒やされます。読者である私自身が「スープをどうぞさむいでしょ」と労ってもらっているかのような、この手にスープカップを持たせてもらったような、ほんわりとした嬉しさ。
     こんな句を前に「かれの」と「さむい」は季重なりだ、なんて指摘に耳を貸す必要はないでしょう。小さな作家の小さな言葉に癒やされる十二月です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年12月分)
  • 寒林に入り爪痕が目の高さ  樫の木

    季語
    寒林
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     これも先週の兼題「冬眠」と一緒に考えてたから手に入れられた素材かもしれないなとは思うんですけれども、爪の痕が目の高さにあるというこの生々しい爪痕が、寒林というものを匂い立たせてくれるっていうんでしょうかね、そういう効果を持っていたと思います。
     遠目で見ている寒林の中に自分が入り込んで行くと、目の高さに生々しい爪痕があるという。まるで作者と一緒に寒林の中に入っていったかのような現場証明のある一句でしたね。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年12月13日放送分)
  • 枯むぐら我等は笑ひつつ亡ぶ  くろやぎ

    季語
    枯葎
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     「枯」という一字があるのにどこか温かみを感じさせる季語「枯葎」の不思議は、やはり「あたゝかな雨がふるなり枯葎」の力かもしれないなあと再確認した今週でしたが、いつまでも正岡子規のこの一句に引きずられているだけでは、私たち不甲斐ないですよね(笑)。子規の句の世界を裏切りつつ、さらに季語「枯葎」を掘り下げてゆく作品を私たちは産みだして行かねばなりません。そのヒントとなりそうな一句を、今週の「天」に推すことにします。
     「枯むぐら」と季語を提示したあとの「我等は笑ひつつ亡ぶ」というフレーズのなんと怖ろしい事実でしょう。「むぐら」がやがて枯れてゆくように、私たちも皆やがて死んでいきます。個体として「笑ひつつ亡ぶ」のは抗えない事実ですが、ひょっとすると「我等」という人類がいつか「笑ひつつ亡ぶ」日が来るかもしれません。
     一句を読み下したときの不穏な心持ちは、「枯むぐら」の蔓に引っかかっている幾万の顔を想像させます。「枯むぐら」の奥にある「我等」の顔の一つ一つが笑っている。なんと怖ろしい一句であることかと鳥肌が立ちます。
     子規句の「枯むぐら」に降る「あたゝかな雨」は、次なる再生を促し約束する雨です。「我等は笑ひつつ亡ぶ」を個体の死と読めば、子へと繋いでいく命のイメージを掬いとることもできます。が、平均寿命を八十年と仮定すれば、私たちは八十年をかけてゆっくりと死んでいく者たちです。「我等は笑ひつつ亡ぶ」という詩語が宣言する真実を、季語「枯むぐら」が優しく怖ろしく突きつけているようでもあります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年11月分)
  • 磯鋼色なれば木枯の産道  海田

    季語
    木枯
    季節
    初冬
    分類
    天文
    鑑賞
     「鋼色(はがねいろ)なれば」の「なれば」という表現は、三つの解釈が可能です。確定条件(原因理由)で読むと「磯が鋼色なので」という意味になり、恒常条件なら「磯が鋼色のときはいつも」、偶然条件は「磯がたまたま鋼色で」という意味になります。
     どの意味で読むかを考えるのは、読み手の愉しみ。私は三つ目の偶然条件で読みました。今日の磯は何と寒々とした「鋼色」の光景なんだろう、まるで木枯が生まれてくる産道のような鋼色だよ、と偶然目にした光景に感嘆する作者がそこにいます。
     五七五の調べを外した破調のリズムですが、句の内容に似合った力強い響き。「木枯の産道」という詩語に強く惹かれた作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年12月19日放送分)