百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
鳥の影耳にぶつかる梅の園 シュリ
- 季語
- 梅
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「梅の園」に集まる「鳥」を詠んだ句は数多ありますが、「鳥の影耳にぶつかる」という措辞のリアリティに、我が耳がハッと反応しました。
「鳥の影」は「ぶつかる」ものではありませんが、一瞬の影と羽ばたきが連動して「耳にぶつかる」と感じられた。そこに詩があります。
兼題「梅」に対し「梅の園」としたのにも確たる理由が読み取れます。「鳥の影」の動きや羽ばたきの音を、読者に感知させるための広い空間が必要だからです。
いきなり頭上をよぎる「鳥の影」と羽音は、硬質な光と響き。「耳」は音だけでなく波動もキャッチする器官だという更なる認識。
春の寒さの中に咲く白梅の空を想像したのは、その生々しい追体験のせいかもしれません。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2020年2月発表分)
紅梅を飾りて暗きクラブかな じろ
- 季語
- 紅梅
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- うわっ、ちょっと吃驚な一句。「紅梅」とは春の初々しい華やぎをもった季語だと認識し続けてきたので、この妖艶な暗さにドキッとします。
「白梅」の特徴を「気品」だとすれば、「紅梅」は「華やぎ」ですね。その華やぎにも、濃淡明暗あって然るべしなのですが、ついつい一定方向のベクトルで「紅梅」を捉えがちだったなあと猛反省しております。
場としての「クラブ」には【1政治・社交・文芸・スポーツ・娯楽などで、共通の目的を持つ人々によって組織された会。また、その集会所。2会員制を建て前とする酒場】と二つの意味がありますが、すぐ上の措辞「暗き」の効果によって、会員制の高級な店が想像されます。
会員制高級クラブの扉を開くと、しずかなさざめきとともに微かな芳香が広がっていることに気づきます。ん?これは……と踏み出すと、店の奥の大きな壺に、「紅梅」が見事に投げ込まれているのに気づきます。ああ、香りはこれだったかと腑に落ち、そうか、もう「紅梅」の咲く頃かと、心がふっと華やぎます。
「○○を飾りて」という植物系の句に対しては、他のモノを飾ってもエエんちゃうか?……と反問してみることが必須ですが、この句の「クラブ」という場所、「暗き」という描写によって、「紅梅」の豪華にして妖艶な姿はありありと立ち上ってきます。
青空の下で見る紅梅とは違う妖しげな美しさと馥郁たる香りを愛でつつ、グラスを傾けるその席には、裾に白梅をあしらった着物のママさんが凜と背筋を伸ばして座っているのかもしれない、と、そんな想像まで膨らんできた作品でした。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年1月30日週掲載分)
鶯笛しーつ静かに人さらひ じゃすみん
- 季語
- 鶯笛
- 季節
- 初春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- これは独特な感性の一句ですね。
鶯笛を吹いている人がいる。「シーッ」って……「吹くのやめて、シーッ」と言われるわけです。
「シーッ 静かにして」……「どうしたの?」「今、人攫いが近くに来ている」「あぁ!」
ひとつの世界がちゃんと一句の中にパッキングされているんですね。俳句ってすごいなぁ、と改めて思いますね。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2019年3月22日放送分)
医薬酒のあまき草の香春めける 緑の手
- 季語
- 春めく
- 季節
- 初春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「医薬酒」というと養命酒を思い浮かべてしまうワタクシですが、勿論それに限定する必要はありません。
「医薬酒」の匂いを「あまき草の香」と表現することで、こくのあるとろんと香る薬酒がうかんできます。
下五「春めける」は連体形。倒置法で語順が入れ替えられていますので、意味としては「春めける医薬酒」「春めけるあまき草の香」と解釈することができます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年1月31日週発表分)
春浅し何も掴めぬ足の指 あいだほ
- 季語
- 春浅し
- 季節
- 初春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「春浅し」は映像を持たない時候の季語。その季語を表現するために取り合わせたのが「何も掴めぬ足の指」です。確かに、手と同じように足にも指があるのに、手の指のように自在に掴めないのが「足の指」。
長い冬を終え、春を迎えた我が足の指をしげしげ眺めているのでしょうか。それとも、足元に落ちた何かを無精にも足の指でつまみ上げようとしているのか。
何一つ巧く「掴めぬ」我が足の指のなんと不器用なことかと「足の指」の不自由を嘆く。いやいや、まだ春が浅いから足の指の動きも鈍いのかもしれぬ。これが春爛漫の頃ともなれば! なんて考え始めている作者なのかもしれないと思うと、ますます可笑しくなってくる、愛すべき作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年2月発表分
雪うさぎのなんとあたたかさうな白 ぐでたまご
- 季語
- 雪兎
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- なんとも単純にして、なんとも「雪うさぎ」らしさにあふれた一句。「雪うさぎ」と「あたたか」という言葉を取り合わせる発想の句はあるに違いありませんが、全ての言葉を受け止める「白」の一語が鮮やかです。
例えば、「雪うさぎ」と「雪だるま」の違いを確保したい時、大きさや場所の違いを書きたくなりがちですが、「あたたかさうな白」という心情を含んだ質感で表現する。その感覚が瑞々しいのです。
小さな「雪うさぎ」は、その小ささゆえに雪の日の太陽を透かせ、表面の雪の粒が光を弾きます。丸いかたち、赤い実の目、小さな葉っぱの耳。季語「雪うさぎ」の存在そのものが「あたたか」なものなのだなと、読み手の心まであたたかくなってくる作品でした。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2018年11月15日週発表分)
探梅や天智天武の恋幾たび めいおう星
- 季語
- 探梅
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「探梅」は、冬の人事の季語。「雪深い山に梅を尋ねること」と歳時記には解説してあります。春告草とも呼ばれる梅を探しに行くという風流が、季語の核となります。
天智天皇、天武天皇が生きていた時代には、花といえば「梅」を意味していました。額田王をめぐる三角関係説もある、兄の「天智」と弟の「天武」。
彼らの「恋」が「恋幾たび」も華やいだ時代には、かぐわしい梅の香りが似合います。雪深い山に梅を尋ねて分け入っていく「探梅」は、かの時代の相聞歌のイメージと重なります。
季語「探梅」の野生味と情趣を表現しようとする時、万葉集の時代の「恋」と取り合わせる手があったか!と、膝を打った次第です。上五の季語を強める「や」から、下五「幾たび」でおさめるあたりのバランス感覚もさすがの一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年11月26日週発表分)
求婚の試練其の一花かるた ほろよい
- 季語
- 歌留多
- 季節
- 新年
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 百人一首を優雅にやりながら、そこで手が触れて恋が・・みたいな俳句はよくよく見るんですけれども、これ花札ですよ。
「求婚の試練其の一」ですから、私が思い描いたのは、つきあっている女の子の家に行って、やっとプロポーズできて。
その試練の其の一が、いきなり向こうのお父さんが花札出してきて、お前やれんのかぁ……みたいな。オーッと思うようなそんな場面を思ってしまったものですから、そこから逃れられなくなってしまいました。
歌留多の中でもこんな場面あってもいいんでしょうね。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年1月6日放送分)
鬼の子に角生える頃ホトケノザ ちとせ
- 季語
- 仏の座
- 季節
- 新年
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 『遠野物語』の中にいそうな「鬼の子」です。春の七草である「ホトケノザ」は、小鬼田平子(コオニタビラコ)と呼ばれる植物ですから、この名前もうまく使いこなしていますね。
春がくれば「角」が生えて一人前になれる「鬼の子」なのかもしれません。
下五の季語を片仮名で書いた意図が少々掴みきれないところもあるのですが、楽しい発想に惹かれた作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年12月12日週発表分)
去年今年魚眼レンズに膨張す いさな歌鈴
- 季語
- 去年今年
- 季節
- 新年
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 兼題「去年今年」となれば、私たちの前には虚子の「去年今年貫く棒のごときもの」が立ちはだかります。この句が出現するまで、「去年今年」はもっと単純に、去年が終わったとたん今年になる、というぐらいの意味に捉えられていました。が、虚子の句は、季語「去年今年」が一瞬の向こうにある永遠という時間を内包したものであることを教えてくれたのだと、私は解釈しております。
その意味において「去年今年」が「魚眼レンズ」に膨張するという感覚に度肝を抜かれました。一瞬が膨張しながら、一瞬にして永遠と同化し、新年の闇が出現する。「今年」が静かに在ることに気づく。見えないものを見せる、作者の底力に敬服するばかりです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2019年12月兼題分)
聖堂は光の船やクリスマス 樫の木
- 季語
- クリスマス
- 季節
- 仲冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 季語「クリスマス」に対して、俗にして卑近なモノや動作、出来事を取り合わせた句、傍題で攻めてきた句など多く寄せられました。それらの発想の作品たちにも大いに心惹かれたのですが、兼題「クリスマス」に率直に向かい合ったこの句を天に推します。
「クリスマス」と「聖堂」はベタ付きの素材ですが、中七「光の船」という比喩が神々しく美しいですし、夜の光景であることがはっきりと読み取れます。その光の船からはパイプオルガンの音や聖歌隊の歌声も響いてくるのでしょう。「船」の一語はノアの箱舟を思わせ、夜という海の中に在る一艘の大きな船のように「聖堂」は光を放っています。そんな敬虔な「クリスマス」の夜なのです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2019年12月発表分)
雲中から来て亀の尻打つ霙かな 蓼虫
- 季語
- 霙
- 季節
- 三冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「雲中から来て」何が来るのか?「亀の尻打つ」え?っと思ったとたんに出てくる「霙かな」の詠嘆。上五「雲中から来て」と字余りで読み、中七下五で七五を取り戻す調べも飄々とした味わいです。
一読した時は、「霙」ではなく「霰」のほうが佳いのではないか?と迷いもしたのですが、「亀の尻」に当たったとたんビチュと崩れる「霙」のほうが生々しくて面白いなと思い直しました。
「雲中から落ち」ではなく「雲中から来て」という動詞の選択により、あくまでも作者の視線は「亀の尻」の側にあって、まさに「雲中」から落ちてきた「霙」が「亀の尻」に当たる瞬間を眺めていることが分かります。実に微妙な玄人好みの一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年1月13日放送分)
霜柱立ちてすがやか地鎮祭 うに子
- 季語
- 霜柱
- 季節
- 三冬
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 「霜柱立ちて」の後の「すがやか」という言葉が実に美しい一句。「霜柱」のさまや、頭上の冬晴の空や、凜とした朝の冷たさを「すがやか」と言っているのだろうと思った瞬間に、下五「地鎮祭」という言葉が出現します。
紅白の幕、準備を始める人たちの動きや声、そんな場面が一気に立ち上がり、このハレの日の行事もまた「すがやかに」執り行われるに違いないと、気持ちのよい想像が広がる作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年11月14日週発表分)
生姜湯の微妙に溶けぬ物も飲む 空見屋
- 季語
- 生姜湯
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「生姜湯」の一物仕立です。熱い「生姜湯」が次第にぬるくなってくると、何やら舌にザラザラするものを感じるような気がします。
その「微妙に溶けぬもの」は「生姜湯」の何かの成分なんだろうけど、自分の心の中にある溶けきらないわだかまりかもしれない……と読ませるのが、助詞「も」の効果になります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年12月12日放送分)
蝦蟇の膏売り生姜湯売りと隣り合う 篠原そも
- 季語
- 生姜湯
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「蝦蟇の膏売り」と「生姜湯売り」が「隣り合う」という状況って? と想像するのが楽しい一句。
大道芸大集合のイベントかもしれないし、時代劇の役者さんたちのささやかな休憩時間かもしれません。
この二つの職業の取り合わせの妙が一句の味わい。ここでは、どんな会話がかわされているのでしょうか。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年12月12日放送分)