百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
風じゃなくあれは熱砂の迫る音 大塚めろ
- 季語
- 熱砂
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 時候/地理
- 鑑賞
- 季語「熱砂」には、日本ではない炎熱の異国を思わせる響きがあります。「風じゃなくあれは」と言われ耳を欹てたとたん、後半「熱砂の迫る音」という措辞が読者を襲います。熱い砂嵐が次第に近づいてくるかのような緊迫感。
耳の奥にまで熱い砂粒が押し寄せるかのような想像的肉体感。炎熱の砂漠へと読者を否応なくワープさせる迫力に、一瞬眩暈がした一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2013年7月26日放送分)
山滴るわが身も杉の香を放つ ターナー島
- 季語
- 山滴る
- 季節
- 三夏
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- みっしりと繁る杉の林をぐんぐんと歩き続けてきた作者です。杉林を抜けると視界がぱっと拓けます。眼前にはまさに「山滴る」かのような夏の山が聳え、径は頂上へ向かって勾配を厳しくしています。目指す山頂を見上げれば、「わが身」から「杉の香」が放たれているかのような心地がする。この感知そのものが詩です。
何といっても「わが身も」の「も」が巧いですね。「わが身」以外に青々とした「杉の香」を放っているのは、杉そのものであると同時に、青葉繁れる夏の山をも思わせます。動詞「滴る」を「杉の香」という嗅覚につなげることで、「わが身」から「杉の香」が放たれ滴っていくかのような印象をも醸し出す、巧みな一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年7月17日放送分)
ほろびのちとはの晴天金魚玉 とおと
- 季語
- 金魚玉
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 平仮名表記の意味を読み取るのに少し時間がかかるのも、作者の企みのうち。「滅びの血」「滅びの地」などと読んでみた後に出現する「の」の一字に困惑し、再度読み直し、ハッとします。「滅びのち永遠の」という意味があぶり出された時の鮮やかな驚き。
波多野爽波の名句「金魚玉とり落しなば鋪道の花」のように、季語「金魚玉」には滅びの美しさという詩的要素も内包されています。「ほろびのちとはの晴天」という詩語が紡ぎ出す世界は、割りたくない「金魚玉」が割れるかもしれないという美しい緊張感に満ちています。さらにこの詩語は、人類の滅びの後の痛々しいまでに青い「晴天」をも示唆し、読み手の心を哀しく満たしていきます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年6月26日掲載分)
合歓咲くや皇后様にある愁眉 てんきゅう
- 季語
- 合歓の花
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 上五「合歓咲くや」に対して「皇后様」とくれば、昭和世代の人間は美智子皇后作詞『ねむの木の子守歌』を思い浮かべるでしょう。が、敢えてそこには触れず、「皇后様」の眉間に刻まれた憂いを「愁眉」と表現。作者のこの判断が実に見事です。
民間人初の皇太子妃として過ごした年月。二人の息子に妃を迎え、一人の娘を民間へと送り出した母としての年月。皇后として歩み出された年月。上五「合歓咲くや」は、癒やしの子守歌として「皇后様」ご自身を慰め、桃色の花の濃淡は美しい感情の襞となって読者の心を捉えます。
「皇后様」の「愁眉」が開かれる日が訪れることを願う国民の一人として、深く心に刻みたい作品でした。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年6月19日掲載分)
夕立に鳴る研修のヘルメット 大分・樫の木
- 季語
- 夕立
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 難しい言葉はどこにもないのですが、この句の一番の巧さは「鳴る」という動詞の選び方、そして語順です。当たり前のことですが、俳句は上五から順に読んでいきますので、一つの単語が出てくる度に脳は次々に反応していきます。「夕立に鳴る」って何が鳴るんだろう?と思ったとたん「研修の」という言葉がでてくる。何の研修?と思ったとたん「ヘルメット」というモノが出現する。その瞬間、読者の脳内には「研修」で「ヘルメット」を被る現場が幾つか立ち上がってきます。
厳しい研修現場を容赦なく襲う「夕立」。ここで騒ぐわけにもいかぬ研修の身。激しい雨粒が鳴り出す「ヘルメット」の生々しさによって、季語「夕立」がありありと再生されます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年7月3日放送分)
六月の狂ったように咲く密度 藤紫ゆふ
- 季語
- 六月
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「六月」というとすぐに思い出すのが正岡子規の句「六月を綺麗な風の吹くことよ」ですが、その一方でジメジメした鬱々たる季節のイメージもあり、一筋縄ではいかないのが季語「六月」です。
「六月の狂ったように」までは抽象的なイメージしか伝えてないのですが、下五「咲く」によって前半の措辞が花の形容であることが分かり、最後の一語「密度」によって怖ろしいほどびっしりと咲き集う花の映像が噴き出てきます。「狂う」「密度」などの言葉で映像を描いてみせるという一種の荒技に驚かされた作品でもあります。「六月」に咲く花には白が多いという事実を思えば、狂気という言葉には「白」が似合うのだなあと、改めて感じ入る次第です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年6月19日掲載分)
デコトラに七つのミラー夏の空 ハラミータ
- 季語
- 夏の空
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- この「デコトラ」は、電飾ギラギラ、装飾過多、音楽大音量垂れ流し的なそれではなく、ちゃんと日々の仕事に使われているトラックだと思います。磨き上げられた車体、角度と大きさにこだわりが見える「七つのミラー」。ミラーを一つずつ磨き上げるたびに「夏の空」はますます広がり、トラック野郎の心も晴れ晴れと躍ります。
誇らしげに光る「七つのミラー」の角度を再度確認し、「デコトラ」は走り出します。車体全体が太陽を弾き、「七つのミラー」一つ一つに「夏の空」が映り込み、ヴォン!と鳴らしたクラクションは空へと響きわたります。青くて大きくて広くてエネルギーに満ちた季語「夏の空」を、実にストレートに表現した爽快な一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年6月12日掲載分)
心臓へ鳥影降つてくる薄暑 野風
- 季語
- 薄暑
- 季節
- 初夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- まず飛び込んでくる「心臓へ」という措辞に、目を奪われます。「へ」は方向を示す助詞ですから、心臓に向かって何かが突き刺さるかのような印象が、一瞬脳裏をかすめるのです。
が、そこから一句の世界を瑞々しい臨場感へと切り替えるのが、「鳥影降つてくる」という措辞です。心臓へ向かって飛び込む「鳥影」は、読み手の心に激しい羽ばたきを再生します。いきなり起こる羽ばたきの音は、読み手の「心臓へ」まさに届くのです。
さらなる巧みは「降つてくる」という措辞。飛び立つ「鳥影」のひかりは、日に日に眩しさを増す「薄暑」のひかりです。季語「薄暑」を肉体感覚として追体験させる鮮やかな手法に脱帽の一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句マガジン『100年俳句計画』6月号「百年の旗手」より)
高菜畑月こわごわとなめてゆく 花屋
- 季語
- 高菜
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 放っておくと手の施しようがないほどの大きさとなる「高菜」。それがひしめき合うように育っている畑の横を通る時、雲のあいだから急に「月」が顔を出したのでしょうか。雲を動かした風は「高菜畑」をぐらりと揺らします。「高菜」の大きな葉の一つ一つに、月光がざわりと揺れます。帰途を急ぐ足が思わず速まる一瞬です。
「こわごわと」は「月」への感情移入であり、一句の世界の手触りでもあるのでしょう。ピリリと苦い「高菜」だから「月」も「こわごわと」舐めていったに違いないよという発想には、怖ろしさとユーモアが入り混じります。季重なりではありますが、主役の季語たる「高菜」が、夏の夜の少し腥い風も感じさせてくれます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年6月12日掲載分)
星々は麦の隣人幾久しく こま
- 季語
- 麦
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「麦」はメソポタミアの時代から、人類と共に生きてきた命の作物です。我々人類が一万年以上も前から天体を見て農耕の時期を図ってきた事実を、「星々は麦の隣人」という詩語に言い換えることによって、上五中七の12音は詩的真実を獲得しました。
読めば読むほど佳い言葉だと思い始めたのが、下五「幾久しく」という和語。いつまでも変わらないさまを表現するこの美しい言葉が一万年前から現代へ、そして一万年後へと詩的真実を繋ぎます。乙女座の女神が持つ麦の穂の先に位置するのが「スピカ(穂先)」という名の星。季語「麦」の向こうに「スピカ」という美しい星の名前を思い浮かべてみるのも素敵な感興でありましょう。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年5月23日掲載分)
ショーパブのワイングラスの闘魚かな 杉本とらを
- 季語
- 闘魚
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「闘魚」とは【キノボリウオ科の淡水魚。全長6センチくらい。体は長楕円形で側扁し、青緑色。雄は闘争性が強い】と大辞泉には解説してあります。路上で瓶に入れて売られているのを見たことがありますが、【野生下では、干上がりそうな水溜りに生息している事もある】ほどの生き抜く力を持っている魚なのだそうです。
華やかな「ショーパブ」、卓上に飾られた「ワイングラス」、そのグラスの水に泳ぐ「闘魚」。見慣れない魚の退廃的な美しさは、グラスの触れあう音の中で夜を生きる人々のようでもあります。ましてや「闘魚」と名づけられた猛々しい季語の本性を思えば、一句の奥に息づく暗がりが静かに牙を剥いているかのような感触。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:パイオニア『音俳句』2013年4月30日掲載分より)
夫いつか踊子草へ跪く 都築まとむ
- 季語
- 踊子草
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「踊子草」とは美しい名前ですね。【葉の付け根に淡紅色または白の唇形をした花が輪生する】様子が、笠をつけて踊る人に似ていることからこの名が生まれた、と歳時記には解説してあります。
「夫」と野山を散歩した折の点描でしょうか。この花はなんだろう? それは踊子草よ、この花によくその名をつけたものだなあと語り合ううちに、夫が「踊子草」の傍らに跪いていることに気づきます。「踊子草」に近づき触れるための「跪く」という行為に、妻の心はハッと動きます。この人はこんな優しい表情でものを見つめる人だったんだという思いが、「いつか」というささやかな時間の表現によって静かに広がってきます。長く愛唱したい作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:句集シングル『塩辛色』)
田に浮かぶわが家鯉幟の躍る 初蒸気
- 季語
- 鯉幟
- 季節
- 初夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「田」に水を張る頃、稲作の国日本は一挙に湖の国になります。一夜明けると「わが家」が水上に浮かんでいるかのような光景にハッとするのが、毎年この時期の小さな感動です。私の暮らす松山市も、少し郊外に出ればこんな光景が広がります。
この句の「わが家」は、郊外に建てたマイホームでしょうか。その「わが家」に、今年生まれたのは待望の長男。喜びの「鯉幟」は、今朝も五月の風にはためいています。「鯉幟」の尾が風にくねる度に、田水に映る「鯉幟」の尾も光り、映り込んだ五月の青空も光ります。愛すべき「わが家」と愛すべき家族の象徴の如き「鯉幟」は、この季節のど真ん中で、ゆうゆうと躍っているのです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年5月掲載分)
うりずんの水滴真珠になりたがる とうへい
- 季語
- うりずん
- 季節
- 晩春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「うりずん」とは【陰暦二月から三月、麦の穂の出る頃】だとものの本には書かれております。沖縄地方独特の季語ですから、晩春とはいえ若夏の明るさに満ちた季節が想像されます。
ものみな緑に潤いはじめる季節「うりずん」の「水滴」とは、朝の露でしょうか、雨上がりの雫でしょうか、渚の飛沫でしょうか。「うりずん」という季節の光を弾きつつ結球する「水滴」の一つ一つは、海の「真珠」になりたがっているのだよ、という発想のなんと美しいことでしょう。
折しも、夏かと見まがう沖縄の底抜けに明るい海は、天然の真珠を育む海でもあります。「真珠になりたがる」とつぶやく言葉もまた、詩として美しく結球する一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2013年5月3日放送分より)
花びらは確かにおちる石の上 ありあ (小一 ※発表当時)
- 季語
- 花びら
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「花びら」は桜の花びらです。作者ありあさんは、花びらが散るようすをきれいだなあと飽きることなくながめているのでしょう。
落ちてくる「花びら」の一枚一枚の行方をじっと見ていると、それらが「石の上」に落ちていくことに気付きます。庭石のような大きな石かもしれませんし、庭園の敷石かもしれません。くらりくらりとゆれながら落ちていく「花びら」もあれば、すとんと落ちてしまう「花びら」もありますが、どの花びらもどの花びらもみな「確かにおちる」と見てとったところに写生という名の詩が生まれます。
また「花びら」と「石」の色や質感の違いも一句の味わい。「花びら」の行方を目で追うかのような語順も効果的な作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年3月11日放送分)