株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 芹濡るる石鎚の神宿る水  てんきゅう

    季語
    季節
    三春
    分類
    植物
    鑑賞
     「石鎚」という地名を入れての一句。石鎚山は四国の真ん中にある山で、近畿以西の西日本最高峰です。古くから山岳信仰の山とされ、腰に法螺貝を下げた修験者に出会うこともある山です。
     上五「芹濡るる」は連体形。最後の「水」にかかっていくと判断すればよいでしょうか。「芹濡るる(水とは)石鎚の神(が)宿る水(であるよ)」と読ませて頂きました。
     「神宿る水」に育まれた美しい水が育てる、野生の「芹」。その香気を一際鮮やかに感じさせるのが「石鎚」という地名の響きかもしれません。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年3月掲載分)
  • 洗はれて暴れ出したる春キャベツ  武井禎子

    季語
    春キャベツ
    季節
    仲春
    分類
    植物
    鑑賞
     いきなり出現する「洗はれて」という措辞。何が「洗はれて」いるんだろう? そんな疑問を持つところから読み手はこの句の世界へ入っていきます。これが、この作品の導入の巧さです。
     中七はさらに謎を深めます。何がどう「暴れ出し」てるんだろう?という思いに答えるように「春キャベツ」という季語が飛び出してくる楽しさ。瑞々しい季語との出会いに、心がハッと動きます。
     勢いよく捻られた蛇口から迸る水、ボウルの中を暴れるように踊るキャベツの鮮やかな緑。まだ柔らかい「春キャベツ」の肌は隆々と溢れる水を喜んでいるかのよう。水で洗うとキュキュと鳴る、いかにも新鮮そうな音まで聞こえてくる作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:2016年 伊香保俳句大会 夏井いつき特選句)
  • 一面の焦土女は馬鈴薯植う  中原久遠

    季語
    馬鈴薯植う
    季節
    仲春
    分類
    人事
    鑑賞
     世界は戦いに満ちています。時代を越えて、さまざまな理由で紛争が起こり戦争が繰り広げられています。「一面の焦土」となった故国にて、最初に行動を起こすのは「女」たちかもしれないとハッとします。戦争を起こす男たち、戦争に興奮する男たち、戦争で死ぬ男たちを横目に、「女」たちは、我が子を産み育てることを考えます。「一面の焦土」に打ちひしがれている暇はない。今はまず「馬鈴薯」を植えねばならぬと立ち上がる「女」たち。
     「貧者のパン」と呼ばれていた「馬鈴薯」を「植う」作業は、まさに命を繋ぐための仕事。台所の食材を超えた季語「馬鈴薯」本来の存在感を、読者の胸に打ち込んでくれる力強い作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年3月18日掲載分)
  • 花びらを映して石もまた鏡  天玲

    季語
    花びら
    季節
    晩春
    分類
    植物
    鑑賞
     この「石」はゴツゴツした石ではなくて、綺麗に磨き上げられこれから何かを彫り込むという段階の石でしょうか。そんな石屋の光景を思ってもいいし、新しい句碑や墓石を想像しても良いですね。
     「花びら」は桜の花片です。美しく磨き上げられた「石」はまるで「鏡」のように、散りしきる「花びら」の影を映します。ここで作者の思いに寄り添いたいのは「石もまた鏡」という措辞です。
     「鏡のような石」と述べるのではなく、「花びら」が散っていく光と影を映しながら「石」というものもまた「鏡」と成り得るのだな、という作者の感慨そのものが詩。
     「花びら」という季語と「石」という無機物が、「鏡」の一語で美しい出会いを果たした作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年4月10日放送分)
  • しわくちゃな朝を延ばして燕くる   宙のふう

    季語
    季節
    晩春
    分類
    動物
    鑑賞
     「燕」と「朝」は、気持ちのよさという意味で相性がよいのでしょう。朝の燕を描いた句は沢山あります。一種の類想といってもよいでしょう。
     類想とは、逆の考え方をすれば大いなる共通理解。この句は類想を土台としつつ、「しわくちゃな朝」という比喩でオリジナリティとリアリティを獲得しています。
     「燕」がしきりに行ったり来たりしているのは、「しわくちゃな朝」をアイロンのように延ばしているのだよという発想の明るさ。「しわくちゃな朝」とは慌ただしい朝のことでしょうか。しわくちゃな気持ちで目覚めた朝かもしれません。
     比喩の解釈が縦横に広がっていくのもこの作品の魅力。「燕」の動きを映像として見せる比喩の使い方も見事です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2019年3月発表分)
  • 母いまも内地と呼べりライラック  雪うさぎ

    季語
    ライラック
    季節
    晩春
    分類
    植物
    鑑賞
     北海道が持つ歴史の中において、この手の類想があるのかもしれないと思いつつも、「母いまも内地と呼べり」というたった12音の措辞が内蔵する物語の深さに、やはり肯くしかない一句です。
     この「母」を開拓時代を生き抜いてきた老齢の母だと読むか、祖父祖母の体験談として聞いてきた中年の母だと読むか。「内地」という言葉に対する認識は、時代と共に移ろっていくのだろうと思います。
     「内地」という言葉への郷愁と反骨の入り混じる世代にとって「ライラック」が美しく咲けば咲くほど、「内地」への複雑な思いが募るのかもしれません。「いまも」に籠もる感慨、「呼べり」の完了の意味の効果、それぞれが適切に機能している作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年5月2日掲載分)
  • 一山は花の篁春の月  水

    季語
    春の月
    季節
    三春
    分類
    天文
    鑑賞
     「篁」は「たかむら」と読みます。【竹が群がって生えている所。たけやぶ】の意です。いやあー、それにしても佳い光景をごらんになりましたね!
     「ここに住んで二度目の竹の花です。一度目は二十数年前の女竹の花。二度目は今の真竹の花です。あまりにも美しい満月に照らされた篁でした。」と語る水さん。羨ましいなあ。
     「竹の花」は何十年に一度咲いて、その後一気に枯れてしまうのだと聞いております。「一山」を覆い尽くした「篁」の「花」の光景は、やがて愕然と枯れる「篁」のさまをオーバーラップさせます。下五に現れる「春の月」は、山の背後に現れる美しい月。「一山とまではないのですが少しオーバーに詠みました」とも書いてらっしゃいましたが、いえいえ、これは表現上の誇張。「一山」という言葉の持つ格調が、一句の世界を凜と広げます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年2月発表)
  • 海胆にまだ流星だった頃の色   酒井おかわり

    季語
    海胆
    季節
    晩春
    分類
    動物
    鑑賞
     ムラサキウニの暗紫色、バフンウニの暗緑色、ガンガゼの黒紫色。どこが流星?と思った瞬間、我が脳内に宇宙が出現しました。惑星のような形をした海胆たち、暗い蒼い海底、闇にそよぐ海藻。
     「流星」とは、宇宙塵が地球の大気中に高速で突入し発光する現象なのだそうです。となれば、「流星」のうちの幾ばくかが海に墜ち、「海胆」となったのかもしれないではないか。海底という過酷な環境で生きるために、「海胆」には小さな五つの歯が生えてきて、ガジガジと昆布をかじり始めたのかもしれないよ。その証拠に、「海胆」の殻を割って中を見てごらん。燃える「流星」の色をした卵巣が、五弁の花のように並んでいるだろ。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年4月15日掲載分)
  • 常節にひらかなほどの穴七つ  甘泉

    季語
    常節
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞
     「常節」とはミミガイ科の巻き貝。「万年鮑」という傍題もあるように、形は鮑に似ていますが、鮑よりは小さく、七センチ程度の貝です。春季が美味しいということで春の季語になっています。
     「常節」の殻にチョンチョンチョンと空いてる穴は本当に愛らしい穴ですが、あれをまるで「ひらかな」みたいな穴だと受け止める感覚が楽しい一句です。「ひらがな」ではなく「ひらかな」と濁らない書き方をしている点も優しく柔らかな印象。この心遣いも一句の雰囲気をよく把握してこその配慮ですね。
     「常節にひらかなほどの」何?と思った瞬間にでてくる「穴七つ」という映像も効果的。いかにも「常節」らしい愛すべき一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年4月1日放送分)

  • 春の月もぐらの罠の濡れてゐる  松本だりあ

    季語
    春の月
    季節
    三春
    分類
    天文
    鑑賞
    「朧月」という季語もあるように、「春の月」は湿度を帯びて滲んでいる印象があります。
     それを思うと「濡れてゐる」はいかにもありそうな下五ですが、「もぐらの罠の」という中七の措辞により、一句の光景は薄闇の中から確かな手応えで浮かび上がります。
     この「もぐらの罠」はどんなものでしょう。「もぐら」の進路に仕掛けられ、挟んだり突き刺したりする金属製の「罠」を想像しました。
    「春の月」の朧なる湿度は冷たい鉄の「罠」を濡らし、その「罠」の存在を感じつつ「もぐら」は息を潜めます。「春の月」の湿りが、やがて土中の「もぐら」たちへと及んでいくかのような夜の静けさ。優しい微笑みのような「春の月」の悪意。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年2月発表)
  • 龍目覚むるごと料峭の走者発つ  野風

    季語
    料峭
    季節
    初春
    分類
    時候
    鑑賞
    「料峭」は春の肌寒い頃を意味する季語。「龍目覚むるごと」という比喩は「料峭」という映像を持たない季語に係る?と思った瞬間、「走者発つ」という情景が立ち上がります。何万人ものマラソンランナーが、スタートの号砲で一斉に動き出すさまを龍が目覚めるかのようだと比喩した表現はダイナミック。作者の視線は高い位置にあり、例えばドローンからの映像のような効果も持っています。
     時候の季語「料峭」は肌に感じる冷たさが本意ですから、取り合わせる句材としてマラソンは持ってこいの現場。肌寒い風の中を走る走者の群れ、「料峭」の風の中で振られる応援の旗、応援する人たちの歓声等、現場の実感が季語「料峭」をありありと表現します。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年2月26日放送分)
  • 雉低くよぎって空港まで5キロ  カリメロ

    季語
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞
     いきなり出現した「雉」に驚くシーンから始まります。「雉」は飛ぶよりも歩くことが得意な鳥ですが、「雉低くよぎって」という措辞でその特徴がよく描写されています。
     さらに、後半「空港まで5キロ」によって、「雉低くよぎって」が車内からの視界であることが分かるのも巧い展開。作者はハンドルを握っているのかもしれない、市街から離れた山中を切り開いた「空港」にちがいないと、一句の世界がどんどん明確になっていくのもこの作品の持つ力です。俳句ではあまり好まれない「5キロ」という表記も臨場感を生み出します。よぎった「雉」の行方に心を残しつつ、作者は「空港」をめざして車を走らせます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年1月発表)
  • 綾取りの川から琴へ花椿  神楽坂リンダ

    季語
    椿
    季節
    三春
    分類
    植物
    鑑賞
    「綾取りの」一本の紐が「川」となり「琴」となっていく変化をクローズアップの画面で見せておいて、下五「花椿」の鮮やかな赤へ切り替える映像的作品。
    「綾取り」を冬の季語として採録する歳時記もありますが、この場合は「綾取り」の紐の動きを活写することで「花椿」の豪奢な赤を印象的に描こうとしているわけですから、季重なりを指摘されたとしても全く気になりません。
    「綾取り」の赤い紐の動きとともに、「綾取り」をする人物の艶やかな着物の袖口までもが見えてきたかのようで、大変惹かれた作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年1月分)
  • 寒卵割り惑星を増やしけり  矢野リンド

    季語
    寒卵
    季節
    晩冬
    分類
    人事
    鑑賞
     「寒卵」を割ると出てくる黄身を「惑星」に見立てた、と読むだけでは面白くありません。「寒卵」を一つ割るという現実の行為と、「惑星」を増やすという詩的行為が一瞬のうちにスパークし、言葉の火花を散らせるところにこの句の魅力があります。
     「寒卵」を一つ割る。その瞬間、宇宙のどこかで新しい太陽が生まれ、太陽の周りを廻る「惑星」が生まれ、一つの太陽系が形成される時間が動き始める。宇宙という名の生命が生まれる壮大なサイクルを想起させる力。その力を生み出しているのが、季語「寒卵」なのだと気付きます。「寒卵」は滋養に溢れる卵であり、その濃い黄身の色は生まれくる生命の象徴でもあります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『松山俳句ポスト365』2015年1月12日オフ会句会ライブ入賞句)
  • 避難所のマスクの箱のまた空つぽ  板柿せっか

    季語
    マスク
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     ここ数年日本を襲っている災害を思うと、この「マスクの箱」がありありと見えてきます。「避難所」は体育館でしょうか。段ボールで作られた壁が多少のプライバシーを確保してくれているのかもしれませんし、敷かれた毛布の面積が自分の居場所となっているような環境かもしれません。
     風邪が流行り始める季節。咳をしている人もポツポツと増えているのでしょう。「また」の一語は、すぐに無くなっていく「マスク」を表すと同時に、それを補充する側の人物をも想像させます。
    「空つぽ」の一語は「箱」の空っぽであると同時に、避難所にいる人たちの心のありようにも通じます。「マスク」が無いのに、その存在をありありと見せる。これも俳句の力です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:通販生活サイト内 俳句生活2019年1月発表分)