株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 栗落す竿青空を滅多打ち  村尾芦月

    季語
    季節
    晩秋
    分類
    植物
    鑑賞
     「栗」の実を「落す」ための「竿」が描かれているだけなのですが、愉快にして痛快なのが「青空を滅多打ち」という措辞です。
     相手は、トゲトゲの毬をもった「栗」ですから、優しく打ったところで簡単に落ちてくれるわけではありません。握りしめた「竿」を振り回し「栗」を落とす動作が、まるで「青空」を「滅多打ち」してるみたいだという作者の感知そのものがユーモアですね。
     「栗落とす竿」という措辞で、季語「栗」の映像から「竿」へ、さらに「青空」へと映像が広がり、下五で「滅多打ち」の動きが見えてくる、この語順が巧いですね。秋の抜けるような「青空」と「栗」の茶色のコントラストも鮮やかな楽しい一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:徳島県俳句連盟第五一回大会大会選句集)
  • 稲妻や人は獣のごとく産む  テツコ

    季語
    稲妻
    季節
    三秋
    分類
    天文
    鑑賞
     なぜ、稲光を「稲妻」というのか。「稲妻」は「稲の夫(つま)」の意で、古代、稲は稲妻と交尾することで結実すると信じられていました。傍題「稲つるび」は、稲が雷光と交わる=交尾む(つるむ)の意でもあります。「雷」が雷鳴を主体とする夏の季語であるのに対して、秋の季語「稲妻」はその雷光を指します。
     上五「稲妻や」の強調の後に続く「人は獣のごとく産む」という詩語に圧倒されます。確かに、人間が哺乳類=「獣」であることを生々しく実感するのが出産の現場かもしれません。稲が雷光とつるみ結実するように、「人」も「獣のごとく」交わり産むのです。「稲妻」との取り合わせが生と性を腥く匂わせる、迫力ある作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2018年7月兼題)
  • 荒馬を諌める神事秋高し  すな恵

    季語
    秋高し
    季節
    三秋
    分類
    天文
    鑑賞
    「秋高し」は、傍題「天高し」との違いが焦点となっています。両者の違いは、その言葉どおり、方や「天」という場所が高いと指摘し、方や「秋」という季節そのものが高く、その空も「高し」と詠嘆している点にある、と考えます。仮に「荒馬を諌める神事天高し」と比較してみると、「秋高し」は空の高さだけでなく、季節への賛美も加わってくるのだと思います。
     我が愛媛県にも、菊間町の御供馬という神事があります。室町時代から続く家内安全、五穀豊穣祈願の神事です。「乗子(のりこ)」と呼ばれる子どもたちが、色鮮やかな装飾具をつけた馬に跨がり、鳥居から境内まで約300メートル(最後は急勾配の坂)を一気に駆け上がります。
     この一句を読んだとたん、御供馬の神事が鮮やかに蘇ってきました。作者のすな恵さんは関東在住の方ですから、別の神事を観て作られたのでしょうが、全国津々浦々で催される様々な「荒馬を諌める神事」は、まさにこのような「秋高し」という大きな時空の中で行われるのだなあ~と、爽快な気分になりました。
     ただの馬ではなく「荒馬」、乗る駆けるではなく「諫める」という言葉の選択がこの「神事」を活写。荒ぶる馬を見事に御する時、人々の豊穣への願いが「秋」を司る神の心へ届くのでありましょう。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年9月12日掲載分)
  • 桐一葉すと身を起こす夜の猫  理酔

    季語
    桐一葉
    季節
    初秋
    分類
    植物
    鑑賞
     上五「桐一葉」で、大きな葉が初秋の光を浴びながらゆっくり落ちていくさまを連想させ、中七で何が身を起こすのか?とささやかな疑問のさざ波を起こし、下五「夜の猫」と畳みかけます。昼間の光景だと思っていたのが、一気に「夜」の光景となり、「すと身を起こ」したのが「猫」だったと分かる、この展開が巧いですね。
     「桐一葉」は夜の真っ暗な静寂の中にあって、その姿は見えません。が、落ちる音でその存在はありありと感知されます。身を起こし、耳をそばだてる「猫」を宥めると、句中の世界には再び夜の静けさが戻ります。そして、深い夜の中へ落ちていく「桐一葉」の音だけが、いつまでもいつまでも響いていくのです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年8月23日掲載分)
  • 桃食べるこころはからだじゅうにある   ちま(5さい)

    季語
    季節
    初秋
    分類
    植物
    鑑賞
     軽く触れただけで指痕が残る柔らかさ、薄い膜のような果皮、甘い芳香、馨しい舌触り、たっぷりの果汁は腕や唇やナイフを濡らします。黄泉比良坂でイザナギが投じたのも桃であれば、桃太郎が生まれ出たのも桃。天女のようでありエロチックであり、豊かで繊細で美しくて淫靡。こんなにも多彩な要素をもつ果実は他にありません。
     そんな「桃」を食べ「こころはからだじゅうにある」と感じているのです。「桃」を通して「からだじゅう」から入ってくる微細な刺激。それによって「こころ」という見えないものの存在を感じ取っているのです。この世界には「桃」と「からだ」と「こころ」しかない。うっとりと味わう桃の、何とうっとりと香ることか。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年8月発表分)
  • 父母会は残暑の臭う体育館  葉るみ

    季語
    残暑
    季節
    初秋
    分類
    時候
    鑑賞
     秋の季語「残暑」と夏の季語「暑し」の違いは言うまでもなく「残」の一字。残念の残、残業の残、残尿感の残は、後に残り気分を損なう「残」です。それを色濃く感じたのがこの一句です。
     最近は保護者会というそうですが、通称「父母会」と解してよいでしょう。「残暑」の頃に「体育館」で開かれるPTAの会合。「残暑」は初秋の季語ですから八月初旬~九月初旬の頃。この会は定期のものではなく、夏休み中に起こった事故や事件についての臨時総会ではないかと読みました。
     「体育館」に集まった何百人の父母たち。人いきれは蒸し蒸しと「残暑」を臭わせます。紛糾必至の会は、今始まろうとしている。「臭う」の一語のリアリティにざわめく迫力があります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2018年8月発表分)
  • 盆休み熟した海の藻が絡む  ときこ

    季語
    盆休
    季節
    初秋
    分類
    人事
    鑑賞
     「盆が過ぎたら海で泳いではいけない」これは年寄りが子や孫に伝える戒めです。盆を過ぎると海の色が変わってきます。夏の明るい青さではなく、芯に昏さを宿し始めるような蒼に変わっていきます。「熟した海」はそれを表現した詩句。
     さらに「海の藻が絡む」は実に生々しい描写。「盆過ぎの海で泳ぐと海坊主に足を引っ張られる」これも古老たちの言葉です。潮の流れで海底の冷たい水が急に上がってくることがあります。足に触れる「藻」の感触、絡め取られるのではないかという恐怖を、何十年ぶりかに思い出しました。
     時空を越えて「盆休み」の海を蘇らせる。俳句にはそんな力があるのです。海近くに住む者にとって強いリアリティを感じさせる作品。
     
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年7月分)
  • ハンカチになったかもめを胸に挿す  ぼたんのむら

    季語
    ハンカチ
    季節
    三夏
    分類
    人事
    鑑賞
     手を拭いたり、お洒落として使ったり、「ハンカチ」には様々な用途がありますが、夏の季語となっていることを考えると、汗を拭くことが印象として大きな部分を占めているためかと考えられます。
     が、そこのみを強く押し出すと「ハンカチ」ではなく「汗拭い」でもいいんじゃない? ということになりかねません。「汗拭い・汗ふき・ハンカチ・ハンケチ・ハンカチーフ」など傍題のニュアンスを意識しつつ句作することが肝要な兼題でありました。
     掲出句を「天」に推したい一番の理由は、夏らしい爽快感を持っていることです。その爽快感を演出しているのは「ハンカチになったかもめ」という比喩表現。この比喩から読み取れるのは、白いハンカチであること。そして「かもめ」の羽のようにピンと「胸」ポケットに挿されていること。光景としては、お洒落のために「胸」に挿した「ハンカチ」があるだけですが、その涼やかな表情がいかにも夏らしい作品ですね。
     「ハンカチ」という季語が、こんなお洒落な比喩によって表現されることのカッコよさに脱帽した一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年7月16日掲載分)  
  • 左手は和音右手は揚羽蝶  藤本智恵子

    季語
    揚羽蝶
    季節
    三夏
    分類
    動物
    鑑賞
     「左手は和音/右手は揚羽蝶」と対句表現になっている一句です。最初は、ピアノにも「揚羽蝶」にも大いなる好奇心を持つ子どもの表情を詠んだ句かなと思っていたのですが、何度か読んでいるうちに、全く違った表情がみえてくるようになりました。
     この17音は、一つの詩的定義かもしれません。「左手は和音」を響かせるために存在し、「右手は揚羽蝶」を愛でるために存在するのだよ、という詩的真実。「左手」が奏でる厳かな「和音」とともに、美しい「揚羽蝶」が生まれでる瞬間を見せられたかのような静かな高揚感。「揚羽蝶」もまた、神の造化の「和音」によって生まれた類い希なデザインであるのかもしれません。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:平成26年度NHK全国俳句大会 夏井選および大会特選句)
  • 牛乳臭き寸胴鍋やみんみん蝉  綱長井ハツオ

    季語
    みんみん蝉
    季節
    晩夏
    分類
    動物
    鑑賞
     「寸胴鍋」とは、円筒形の厚手の両手深鍋。長い時間の過熱に適しているので、煮込み料理や出汁をとる時に使います。容量も大きい鍋です。私は学校の給食室の「寸胴鍋」を思い出しましたが、勿論、家の台所や店の厨房の「寸胴鍋」を想像してもよいでしょう。
     「牛乳」の臭いってほんとにしつこいのです。丁寧に洗って乾かしたのに、嗅いでみるとやっぱり臭う。きれいに洗えたかなと鼻を近づけたとたん、ムッと臭ってくるがっかり感。「や」の強調からカットが切り替わると、「みんみん蝉」の声が一句の世界に溢れ出します。暑さを引き摺るように鳴く独特の鳴き声。不快な嗅覚と暑苦しさを感じさせる聴覚の取り合わせが、実にリアルな作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2019年6月発表分)
  • 城の井の四十メートル瓜冷やす  輝女

    季語
    瓜冷す
    季節
    晩夏
    分類
    人事
    鑑賞
     「城の井」の深さが「四十メートル」あるという事実に驚きますが、よくよく考えると松山城の山頂広場にある井戸がまさにそうです。
     テレビ番組の取材で、お正月の若水を汲む様子を拝見したことがあるのですが、その深さたるや相当なものです。「城の井」は、いざ籠城ともなれば死活を握る大切な井戸。そんな存在であった井戸も、今は、立入禁止の柵が張り巡らされています。
     かつてそこに暮らした人々は、この井戸で「瓜」を冷やしていたに違いないという発想に納得。季語「冷し瓜」が「城」という場所における平和な日常の証となっている事実にもハッとします。冷えた瓜のほのかな甘さも、生きて暮らす嬉しさであるなと、しみじみ。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年5月23日掲載分)
  • すててこや日本の明日を信じなさい  笑松

    季語
    すててこ
    季節
    晩夏
    分類
    人事
    鑑賞
     戦後の荒廃から立ち上がった日本という国を支え、発展させてきたのは、「すててこ」を穿いた企業戦士のお父さんたちでした。そんなお父さんたちの時代の象徴でもあった白い木綿の「すててこ」は、オジン臭いカッコ悪いものとして一度は廃れ、さらに今はカラフルな男女兼用「すててこ」が流行する時代となりました。
     リストラ、倒産、ワーキングプア、懸命に働く人間が報われない時代に腹も立つけどさ、このまま終わる「日本」であっちゃならないよ。もう一度「日本の明日」を信じてさ、色物でも柄物でもいいよ、涼しい「すててこ」穿いて、俺たちもう一暴れできるんじゃねー?!って一句は、日本中のオジサンに捧げる応援歌ってヤツだな。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2013年8月2日放送分)
  • 水熟れて隈なき夜の水馬  内藤羊皐

    季語
    水馬
    季節
    三夏
    分類
    動物
    鑑賞
     上五「水熟れて」とはなんと魅力的な詩語でしょう。流れる水の清らとは違う、夏の淀むような爛熟の水を想像させます。
     中七「隈なき」は一瞬解釈を迷います。解釈どころか「隅(くま)なき」か「隅(すみ)なき」か、読みすら迷うのですが、最後まで読み通すと光景がリアルに立ち上がってきます。
     爛熟した臭いを発しているかのような「夜」の水。その真っ黒な夜の水に一匹の「水馬」がいることに気付きます。水面に目を凝らしてみると、実は「水馬」がびっしりと無数にいることに気付くのです。「隈なき」の一語がもたらす「夜」の水面の質感と「水馬」の夥しさ。群れなす「水馬」の静かな生物的迫力に圧倒されます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:2016年伊香保俳句大会 夏井いつき特選)
  • キヨスクの朝刊風に濡れて梅雨  古瀬まさあき

    季語
    梅雨
    季節
    仲夏
    分類
    天文
    鑑賞
     暦の上では六月十一日頃の入梅の日から三十日間の長雨、および雨期が「梅雨」です。「梅雨」は天文の季語ですが、時候の意味合いも含んでいるのが特徴。つまり「梅雨」とは、降ってくる雨粒だけを指すのではなく、長雨の続く時期も意味するのです。
     「キヨスク」は駅の売店です。「朝刊」はお客さんがすぐ手に取れるホルダーに並べられているのでしょう。当たった雨粒によってではなく、「梅雨」の時期の湿気を含んだ風によって「濡れて」いるという後半の措辞が秀逸。硬貨と引き換えに受け取った「朝刊」を広げると、ホームに降り込む雨粒が紙面を濡らします。難しい季語を、天文と時候の両面から描いた一句に拍手を贈りましょう。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2019年5月)
  • あんなにもみづ猛々し雲の峰  玉庭マサアキ

    季語
    雲の峰
    季節
    三夏
    分類
    天体
    鑑賞
     中七「みづ猛々し」が出てきた瞬間、日本各地を襲っている水害がまざまざと蘇りました。降り続く夜の豪雨、川の氾濫、流されていく岩や橋、水没した家々。本来美しいものである「みづ」が見せる自然の脅威。そして「あんなにも」猛々しく暴れた水は、今、静かに地面を覆いつくしています。豪雨の上がった空は痛々しいほど青く、「雲の峰」は無情にも眩しいのです。
     頭上に育つ「雲の峰」の成分も「みづ」。次の線状降水帯が襲ってくるかもという不安を一句の奥に感じ取ってしまうのは、「あんなにも」という何気ない上五に恐ろしさを感知するのは、私たち皆が、今まさにその現状の中にいるからに違いありません。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2020年6月)