株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 枯むぐら我等は笑ひつつ亡ぶ  くろやぎ

    季語
    枯葎
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     「枯」という一字があるのにどこか温かみを感じさせる季語「枯葎」の不思議は、やはり「あたゝかな雨がふるなり枯葎」の力かもしれないなあと再確認した今週でしたが、いつまでも正岡子規のこの一句に引きずられているだけでは、私たち不甲斐ないですよね(笑)。子規の句の世界を裏切りつつ、さらに季語「枯葎」を掘り下げてゆく作品を私たちは産みだして行かねばなりません。そのヒントとなりそうな一句を、今週の「天」に推すことにします。
     「枯むぐら」と季語を提示したあとの「我等は笑ひつつ亡ぶ」というフレーズのなんと怖ろしい事実でしょう。「むぐら」がやがて枯れてゆくように、私たちも皆やがて死んでいきます。個体として「笑ひつつ亡ぶ」のは抗えない事実ですが、ひょっとすると「我等」という人類がいつか「笑ひつつ亡ぶ」日が来るかもしれません。
     一句を読み下したときの不穏な心持ちは、「枯むぐら」の蔓に引っかかっている幾万の顔を想像させます。「枯むぐら」の奥にある「我等」の顔の一つ一つが笑っている。なんと怖ろしい一句であることかと鳥肌が立ちます。
     子規句の「枯むぐら」に降る「あたゝかな雨」は、次なる再生を促し約束する雨です。「我等は笑ひつつ亡ぶ」を個体の死と読めば、子へと繋いでいく命のイメージを掬いとることもできます。が、平均寿命を八十年と仮定すれば、私たちは八十年をかけてゆっくりと死んでいく者たちです。「我等は笑ひつつ亡ぶ」という詩語が宣言する真実を、季語「枯むぐら」が優しく怖ろしく突きつけているようでもあります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年11月分)
  • 磯鋼色なれば木枯の産道  海田

    季語
    木枯
    季節
    初冬
    分類
    天文
    鑑賞
     「鋼色(はがねいろ)なれば」の「なれば」という表現は、三つの解釈が可能です。確定条件(原因理由)で読むと「磯が鋼色なので」という意味になり、恒常条件なら「磯が鋼色のときはいつも」、偶然条件は「磯がたまたま鋼色で」という意味になります。
     どの意味で読むかを考えるのは、読み手の愉しみ。私は三つ目の偶然条件で読みました。今日の磯は何と寒々とした「鋼色」の光景なんだろう、まるで木枯が生まれてくる産道のような鋼色だよ、と偶然目にした光景に感嘆する作者がそこにいます。
     五七五の調べを外した破調のリズムですが、句の内容に似合った力強い響き。「木枯の産道」という詩語に強く惹かれた作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年12月19日放送分)
  • たらちねの月を砕いたやうな骨  あねご

    季語
    季節
    三秋
    分類
    天文
    鑑賞
     「たらちね」とは「母」の枕詞ですから、本来ならば「月」には掛かってこない言葉です。が、この句は、「たらちねの」の後に当然「母」がくるに違いないと読者が連想すると仮定し、「母」の一語を省略しているのです。大胆にもというか、掟破りであると断じるべきか、うっかりと真似はできない逸品であります。
     「たらたねの=母=月」という連想によって月が持つ母性めいたものを表現し、さらに「月を砕いたやうな」という比喩が「骨」に掛かってくるとわかった瞬間、これは「たらちねの」骨ではないか……という解釈を成立させます。読み終わった瞬間、深い溜息と共に、静かな哀しみがしくしくと喉元へと押し寄せてくる佳句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年11月21日放送分)

  • 冬近し輪ゴムのやうな匂ひして  きとうじん

    季語
    冬近し
    季節
    晩秋
    分類
    時候
    鑑賞
     「冬近し」はこれといった映像を持たない時候の季語です。定石ならば、中七下五には何らかの映像を取り合わせるべきなんですが、この句に出現するのは「輪ゴム」のみ。しかも「輪ゴム」の「匂ひ」に「冬近し」という季節感を嗅ぎ取っているのですから、この作家の詩的嗅覚は大したものです。
     「輪ゴム」の「匂ひ」って?と思っている人はいませんか。近くに「輪ゴム」があれば、是非嗅いでみて下さい。ちょっと安っぽい化学の臭いだな(笑)と思う人もいるかもしれませんし、輪ゴムをつないで遊ぶゴム跳びを思い出す人もいるかもしれません。冬近い日の太陽もまた「輪ゴムの匂ひ」がしているような気もしてきます。
     
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年10月21日放送分)
  • 栗落す竿青空を滅多打ち  村尾芦月

    季語
    季節
    晩秋
    分類
    植物
    鑑賞
     「栗」の実を「落す」ための「竿」が描かれているだけなのですが、愉快にして痛快なのが「青空を滅多打ち」という措辞です。
     相手は、トゲトゲの毬をもった「栗」ですから、優しく打ったところで簡単に落ちてくれるわけではありません。握りしめた「竿」を振り回し「栗」を落とす動作が、まるで「青空」を「滅多打ち」してるみたいだという作者の感知そのものがユーモアですね。
     「栗落とす竿」という措辞で、季語「栗」の映像から「竿」へ、さらに「青空」へと映像が広がり、下五で「滅多打ち」の動きが見えてくる、この語順が巧いですね。秋の抜けるような「青空」と「栗」の茶色のコントラストも鮮やかな楽しい一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:徳島県俳句連盟第五一回大会大会選句集)

  • 猿酒の羽衣ほどに濁りけり  手銭誠

    季語
    猿酒
    季節
    三秋
    分類
    人事
    鑑賞
     「猿酒」とは、樹木の洞や岩の窪みなどに猿が溜めた果実が自然発酵し酒になったものを指しますが、現実にそのような酒に出会うことは無いだろうと思います。もし出会ったとしても、飲んでみるのはちょっと勇気がいりますね。
     「猿酒」を見たことはないけれど、きっとそれは濁り酒のごとく「濁りけり」と詠嘆されるべきものに違いないという空想を「羽衣ほどに」と比喩した妙なる味わい。「羽衣」という語の持つ上品さ、透明感、浮遊感、美しい天女のイメージに対して、「猿酒」の持つ俳諧味たっぷりの愉快な野卑。
     あり得なくはないが、ありそうもない虚実のあわいにある季語「猿酒」を、「羽衣ほど」と比喩できる発想に、心底惚れ惚れした作品です。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:第21回出雲総合文化祭・たいしゃ芸術文化祭 夏井いつき特選)

  • 晴れわたる百年後にも蘆刈つて  優空

    季語
    蘆刈
    季節
    晩秋
    分類
    人事
    鑑賞
    上五「晴れわたる」は現在の空の状況。上五で切れていると読むのが気持ちいいのですが、意味上「晴れわたる百年後」と読むことも可能。頭上の青空が「百年後」の青空へつながっていくかのような印象を醸し出します。さらに「百年後にも」というやや散文臭い助詞でつなぎつつも、下五「蘆刈つて」と蘆刈の光景が出現したとたん、読み手の意識は「百年後」の未来を思いつつ、神話の時代から「蘆」を刈り続けてきた人類の歴史へと思いが広がります。
     時空を往復するかのような発想は、人類の普遍的文化を匂わせつつも、今、「蘆」を「刈る」人々の頭上にある青空の美しさを描きます。壮大なイメージを内包した見事な「蘆刈」の作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年10月28日掲載分)
  • 湖に龍の鱗や菊の酒  雨月

    季語
    菊の酒
    季節
    晩秋
    分類
    人事
    鑑賞
     (旧暦)9月9日は菊の節句。この日に高い山に登って「菊の酒」を飲めば、厄災から逃れられ長寿を得られるという言い伝えから生まれた季語です。9月9日に菊の花片を浮かべた酒を飲めばいいというものではないのが、この季語の扱いの難しいところです。
     山中に入っていくと忽然と「湖」が現われます。近づいてみると、渚にきらりと光るものがある。おおーこれは「龍の鱗」ではないか!菊の節句のなんたる瑞兆であるか、という空想的な作品です。「龍淵に潜む」という秋の季語のイメージをも醸し出しつつ一句を構成している点も巧い企みですね。
     清らな「湖」を見下ろして「菊の酒」を飲めば「龍」ほども長生きできそうな美しい秋であります。
     
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年10月2日放送分)
  • 山薊鬼でおりたい日ばかりで  どんぐりばば

    季語
    山薊
    季節
    仲秋
    分類
    植物
    鑑賞
     「山薊」とは、山地に咲くアザミを意味する一方、ヤマアザミという種もあります。「薊」は春の季語ですが、「山薊」は秋に咲く「秋薊」の一つ。高さは一~二メートル。棒のように突っ立った茎に、紫色の頭状花を多数つけます。
     中七「鬼でおりたい日」とはどういう意味でしょうか。なんだか心が寂しくてもやもやして、つい他人に当たったり、わざと偏屈になったり、自分の中にある「鬼」のような心が抑えられない日なのでしょう。トゲトゲした気持ちを持て余しながらも、「山薊」の美しさにふっと目が行く。
     「鬼でおりたい日ばかりで」という呟きが、「山薊」をつつむ寂し気な秋のひかりを微かに揺すります。
     
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年8月26日放送分)
  • 長きもの垂れて月下の鵙の贄   比々き

    季語
    鵙の贄
    季節
    三秋
    分類
    動物
    鑑賞
     実に印象的な光景です。「長きもの垂れて」は具象と抽象のはざまにある言葉ですが、後半「月下の鵙の贄」によって、みるみるうちに具象へと焦点を合わせてくる。実に巧い展開です。
     「長きもの」が「垂れ」という下方への構図。「月下」の一語はその構図をさらに奥行のあるものにします。「月下」に出現するのは「鵙の贄」。「月下の鵙の贄」は暗いシルエットとして読み手の眼前にあり、月に冷えているかのような虚の感触です。
     最後にたどり着く季語「鵙の贄」は、「長きもの垂れ」という前半の描写を再度引き寄せ、その黒い影は不気味なリアリティを醸し出しつつも、「月下」の美しい造形のようにも見えてきます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年8月19日掲載分)
  • 体液に枝濡れてゐる鵙の贄  ポメロ親父

    季語
    鵙の贄
    季節
    三秋
    分類
    動物
    鑑賞
     この「鵙の贄」は、ついさっき刺されたばかりのもの。「枝」を濡らしているのが「鵙の贄」の「体液」だと分かった瞬間の、作者の心に走る俳人的衝動に共鳴します。秋暑の太陽が照りつける「枝」、時折ぴくりと動く脚、静かにゆっくりと滲み出てくる「体液」、その「体液」が濡らす「枝」、樹皮のテラテラとした光を、作者はひるむことなく観察し続けます。
     やがて「鵙の贄」の表皮が少し乾き始め、脚はぴくりとも動かなくなる頃、数十句が書き付けられた句帳を手に、作者は季語の現場をゆっくりと離れるのでしょう。「鵙の贄」という季語の力に対する真摯な態度が滲み出る作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年8月19日掲載分)
  • 蟋蟀に寄れば沃土が匂ひけり  有櫛水母男

    季語
    蟋蟀
    季節
    三秋
    分類
    動物
    鑑賞
    「沃土」とは、地味が豊かで作物のよくできる土地を意味します。
    「寄れば」という措辞には三つの解釈が可能ですが、「蟋蟀」の声に誘われるように近寄るときはいつも豊かな土が匂うのだよ、と鑑賞したい一句です。「蟋蟀」はほとんどが夜行性ですから、この季語には夜の感触があります。鳴き始めた「蟋蟀」、夜のささやかな涼気、暗く湿った土の感触、そこに匂ってくる「沃土」。この土の豊かさがたくさんの「蟋蟀」が育っていく基となっているに違いないと思うのと同時に、この地における膨大な数の「蟋蟀」の死もまた、「沃土」の一部として循環しているに違いありません。じっくりと読めば読むほど、深みの増してきた作品でした。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年8月14日掲載分)
  • マチボウケと名づけますこの秋草に  るびい

    季語
    秋草
    季節
    三秋
    分類
    植物
    鑑賞
     いきなり「マチボウケと名づけます」というフレーズがでてくると読者はキョトンとします。何にそんな名前をつけたんだろうと。
     中七の切れはこの台詞を語る人物から離れ、下五「この秋草に」という光景に切り替える効果があります。そうか、「秋草」の小さな花々が咲く野にこの人はいるのだと腑に落ちるのです。しかも人を待っているのだと。
     いつもの場所のいつもの待ち合わせでしょうか。いつもいつも待たされるのは私。いつだって待つのは私。風の「秋草」は待つ人の心のようにゆらゆら揺れます。「この秋草」に「マチボウケ」と名をつける女心もまた、ゆらゆらと揺れつづけているのです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年9月5日掲載分)
  • 帰る群れに夜食の袋ぶんと当たる  ミル

    季語
    夜食
    季節
    三秋
    分類
    人事
    鑑賞
     「帰る群れ」とは仕事を終えて家路をたどる人々の「群れ」。広い交差点を、人々は駅へ向かって大きな波のように動いていきます。その波の真ん中に一人「夜食の袋」をさげたワタシは、家路につく人たちを横目で眺めながら逆行しています。
     この句の眼目は、下五「ぶんと当たる」ですね。コンビニで買った「夜食の袋」を振り回していたわけではないでしょうが、心は振り回したい気分。「ぶん」というオノマトペは、コンビニのビニール袋の感触であり、腹立たしい心の表現でもあり、さらに6音の字余りに恨みがましい気持ちが籠もっているかのようでもあり、現代の「夜食」の一コマを、実にリアルに切り取った一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年10月18日掲載分)
  • 破られる平和はじまりはカンナ  マイマイ

    季語
    カンナ
    季節
    初秋
    分類
    植物
    鑑賞
    「カンナ」は好き嫌いの分かれる花のようです。美しい花だという人がいれば、不穏な気持ちになるという人もいて、各々の印象には隔たりがありますが、好きにしても嫌いにしても、見た者の心に強い印象を残す花であることは間違いのない事実です。
     昨今のきな臭い状況を心配する人も多いかと思いますが、「破られる平和」の最初の火種は「カンナ」であるよ、という詩的直感が一句の発想の核。カンナのような小さなひとつの火種が、世界の平和をあっという間にひっくり返すのではないかという、不安が渦巻きます。国家を思う心は美しくもあるが、同時に不穏でもあるという作者の危惧が、季語「カンナ」に象徴された作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年7月25日放送分)