株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 聖堂は光の船やクリスマス  樫の木

    季語
    クリスマス
    季節
    仲冬
    分類
    人事
    鑑賞
     季語「クリスマス」に対して、俗にして卑近なモノや動作、出来事を取り合わせた句、傍題で攻めてきた句など多く寄せられました。それらの発想の作品たちにも大いに心惹かれたのですが、兼題「クリスマス」に率直に向かい合ったこの句を天に推します。
    「クリスマス」と「聖堂」はベタ付きの素材ですが、中七「光の船」という比喩が神々しく美しいですし、夜の光景であることがはっきりと読み取れます。その光の船からはパイプオルガンの音や聖歌隊の歌声も響いてくるのでしょう。「船」の一語はノアの箱舟を思わせ、夜という海の中に在る一艘の大きな船のように「聖堂」は光を放っています。そんな敬虔な「クリスマス」の夜なのです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2019年12月発表分)
  • 雲中から来て亀の尻打つ霙かな  蓼虫

    季語
    季節
    三冬
    分類
    天文
    鑑賞
     「雲中から来て」何が来るのか?「亀の尻打つ」え?っと思ったとたんに出てくる「霙かな」の詠嘆。上五「雲中から来て」と字余りで読み、中七下五で七五を取り戻す調べも飄々とした味わいです。
     一読した時は、「霙」ではなく「霰」のほうが佳いのではないか?と迷いもしたのですが、「亀の尻」に当たったとたんビチュと崩れる「霙」のほうが生々しくて面白いなと思い直しました。
     「雲中から落ち」ではなく「雲中から来て」という動詞の選択により、あくまでも作者の視線は「亀の尻」の側にあって、まさに「雲中」から落ちてきた「霙」が「亀の尻」に当たる瞬間を眺めていることが分かります。実に微妙な玄人好みの一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年1月13日放送分)
  • 霜柱立ちてすがやか地鎮祭  うに子

    季語
    霜柱
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     「霜柱立ちて」の後の「すがやか」という言葉が実に美しい一句。「霜柱」のさまや、頭上の冬晴の空や、凜とした朝の冷たさを「すがやか」と言っているのだろうと思った瞬間に、下五「地鎮祭」という言葉が出現します。
     紅白の幕、準備を始める人たちの動きや声、そんな場面が一気に立ち上がり、このハレの日の行事もまた「すがやかに」執り行われるに違いないと、気持ちのよい想像が広がる作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年11月14日週発表分)
  • 生姜湯の微妙に溶けぬ物も飲む  空見屋

    季語
    生姜湯
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     「生姜湯」の一物仕立です。熱い「生姜湯」が次第にぬるくなってくると、何やら舌にザラザラするものを感じるような気がします。
     その「微妙に溶けぬもの」は「生姜湯」の何かの成分なんだろうけど、自分の心の中にある溶けきらないわだかまりかもしれない……と読ませるのが、助詞「も」の効果になります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年12月12日放送分)
  • 蝦蟇の膏売り生姜湯売りと隣り合う  篠原そも

    季語
    生姜湯
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     「蝦蟇の膏売り」と「生姜湯売り」が「隣り合う」という状況って? と想像するのが楽しい一句。
     大道芸大集合のイベントかもしれないし、時代劇の役者さんたちのささやかな休憩時間かもしれません。
     この二つの職業の取り合わせの妙が一句の味わい。ここでは、どんな会話がかわされているのでしょうか。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年12月12日放送分)
  • 返り花鶴はもともと真つ四角  椋本望生

    季語
    返り花
    季節
    初冬
    分類
    植物
    鑑賞
     「返り花」とも「帰り花」とも書くこの季語。
     「返り花」の「返る」は、もとの状態に戻ることを意味します。作者がこちらの字を選んでいるのは、中七下五「鶴はもともと真つ四角」のイメージからの判断。佳い選択です。
     「返り花」とは、基本的には桜の二度咲きのこと。躑躅や山吹などの返り咲きを指す場合もありますが、この句は桜と読みたいですね。日本の美意識を代表する桜と折り鶴を、少しずらして取り合わせてくるのが玄人のセンス。桜はもともと春に咲くものですよ。
     そして、この複雑に折られた「鶴」はもともと「真つ四角」な一枚の紙なのですよと語りかけます。初冬にひらく「返り花」と一枚の紙に戻ることもできる「鶴」、なんと美しい二つのひかりでしょう。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2018年11月発表分)
  • 鳥立てば枯野の色のしぶきたる  樫の木

    季語
    枯野
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     もしかすると、作者は未明の光の中に鳥を見つけたのかしれません。
     鳥が今、「枯野の色」をしぶくかのようにパーッと飛び立つわけです。
     飛び立つ動き、飛び立ったときの音、空気の波動、そういうものが「しぶきたる」という連体形止めの詠嘆になります。鳥肌が立つような作品。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年11月11日放送分)


  • 新絹を緋に染め上げて清の妃へ  中原久遠

    季語
    新絹
    季節
    三秋
    分類
    人事
    鑑賞
     中国の「清」の時代の宮廷へワープした一句。
     「新絹」を緋色に染め上げて「清の妃」に献上するという発想が鮮やか。
     中国の歴史上の「妃」には、虞美人草のように美しい妃もいれば、西太后のように絶対的権力を欲しい儘にした妃もいました。
     この「緋」の似合う「清の妃」は、美しくて残酷な「妃」ではないかと妄想します。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年11月4日放送分)
  • 新絹の回し初日の上手投げ  石川焦点

    季語
    新絹
    季節
    三秋
    分類
    人事
    鑑賞
     日本の相撲に句材を求めた「新絹」の句。
     関取以上の「回し」は絹を使うのだそうです。一本百万円もするという「新絹」のそれは、御贔屓筋からのものでしょうか。
     いつも以上に力の入る今日「初日」。相手の回しを持って豪快な「上手投げ」が決まります!
     「新絹」「初日」の言葉の目出度さも佳いですね。
     
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2017年11月4日放送分)
  • 新米や川端の鯉の豊かなり  歌鈴

    季語
    新米
    季節
    晩秋
    分類
    人事
    鑑賞
     我が愛媛県にも、西条の名水「うちぬき」という自噴水があり飲料・野菜等を洗う等に利用されていますが、琵琶湖畔辺りでは「川端(かばた)」と呼びます。家庭で使うために湧き水を引いてある場所です。
     「新米」を「川端」の水で炊きます。自噴水を溜めているのが壺池。やっぱりこの水で炊かないと美味しくない、自慢の水です。壺池の水は、端池(はたいけ)へと流れていきます。端池には鯉や鮒が飼われています。美味しい新米をいただいた後、茶碗や皿を洗った時に落ちるご飯粒や野菜屑などを、彼らがきれいに食べてくれる。自然と共存する仕組みは、そこに生きる「鯉」たちを豊かに育てます。
     水の美しさ、「新米」の美味しさが豊かな一句となりました。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2018年10月兼題分)
  • 鵙鳴いて神宿りたる巨石かな  桜井教人

    季語
    季節
    三秋
    分類
    動物
    鑑賞
     「鵙」の特徴の一つは傍題「鵙高音」に象徴される鳴き声。朝日新聞社刊『鳥獣虫魚歳時記・秋冬』ではこう解説してあります。【枯れ木の先などに止まって「キィー・キィー」「チキチキチキチキ」と鳴く、いわゆる秋の高鳴き(高音)は、自分のなわばりへ接近してきた侵入者に対する威嚇の声であり、この鳴き声が秋に聞かれることから季語は秋に属している。】
     さて、「天」に推したこの一句、肝となるのは中七「宿りたる」=「動詞・宿る+完了の助動詞・たり」という表現です。「鵙鳴いて=鵙が鳴いたことによって」「神宿りたる巨石かな=今、神が宿った(神が宿るという行為が完了した)巨石であるよ」という意味になります。
     普通、○○することによって○○した、という構文を俳句に取り込むと、一句に因果関係が発生するということで、嫌われるのですが、この句の場合は逆にそこがミソとなります。
     「鵙」の甲高い声がキィーキィーと響く神の杜の巨石でしょうか、神の山の小高い頂きに祀られた巨石でしょうか。秋の澄み通った空気の中、激しく鳴き渡る「鵙」の声によって、眼前の「巨石」に今、「神」が宿ったかのような心気を感受した作者がここにいます。
     「鵙」が「早贄」を作る行為の意味は、まだ科学的に解明されていないようですが、この句を読んだとたん、「鵙」は「神」のために贄を捧げているのかもしれないと思いました。「鵙」とはこの世に宿る森羅万象の神に贄をささげる、アニミズムの巫女なのかもしれないと、そんな感興をかき立ててくれた一句でありました。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年10月10日掲載分)
  • いにしへのいのちの甕や栗集む  クズウジュンイチ

    季語
    季節
    晩秋
    分類
    植物
    鑑賞
     「栗」について、あれこれ調べていて「栗」が縄文時代からの食べ物であったという事実を知り、へえ~!と思った人も多かったのではないでしょうか。
     掲出句の一番の工夫は、「縄文」という言葉を使わずしてその時代を匂わせた点です。「いにしへ」「いのち」とイ音を響かせて調べを構成しました。
     「いにしへのいのちの甕」という詩語は豊かなイメージを持ってはいますが、抽象的な意味合いに読まれる可能性もあります。が、さすがはクズウジュンイチですね、下五が実に巧い!
     下五に「栗」という季語が出現したとたん、「甕」に貯められているのが「栗」であることが分かると同時に、この「栗」が「いのち」を繋ぐための食物であることが分かります。季語の出現によって、一句は一気に映像化され、「いにしへのいのちの甕」という措辞は映像の中で生かされ、確たる意味を持ち始めます。
     さらにダメ押しの巧さを発揮しているのが、「集む」という動詞の選択。生きるための営みがこの一語によって、見える行為となります。「いにしへのいのちの甕」を満たした「栗」のひかりは、生きるという健気な美しさなのですね。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年9月17日週)
  • ぼばばばとさんま飲み込む黒い魚倉  播磨陽子

    季語
    秋刀魚
    季節
    晩秋
    分類
    動物
    鑑賞
    「さんま」で膨れあがる網、滝のように落ちる潮、強烈な飛沫、ウインチの轟音。それら全てが「ぼばばば」というオノマトペで表現されていることに驚きます。擬音語のようでありつつ擬態語でもある上五。網から「魚倉」へ落とされる「さんま」の群。
     秋刀魚漁の現場にいたのではなく、網を引き上げる光景をニュース映像で見ただけかもしれませんが、だとすれば尚更「ぼばばば」という表現のリアリティに感服します。
     中七「飲み込む」という擬人化は評価の分かれるところですが、最後の「魚倉」がぽっかりと口を開けているさまが強く印象づけられますので、この擬人化は邪魔にならない措辞ではないかと考えます。潮臭く魚臭い「黒い魚倉」です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2018年9月兼題分)
  • 栗落す竿青空を滅多打ち  村尾芦月

    季語
    季節
    晩秋
    分類
    植物
    鑑賞
     「栗」の実を「落す」ための「竿」が描かれているだけなのですが、愉快にして痛快なのが「青空を滅多打ち」という措辞です。
     相手は、トゲトゲの毬をもった「栗」ですから、優しく打ったところで簡単に落ちてくれるわけではありません。握りしめた「竿」を振り回し「栗」を落とす動作が、まるで「青空」を「滅多打ち」してるみたいだという作者の感知そのものがユーモアですね。
     「栗落とす竿」という措辞で、季語「栗」の映像から「竿」へ、さらに「青空」へと映像が広がり、下五で「滅多打ち」の動きが見えてくる、この語順が巧いですね。秋の抜けるような「青空」と「栗」の茶色のコントラストも鮮やかな楽しい一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:徳島県俳句連盟第五一回大会大会選句集)
  • 稲妻や人は獣のごとく産む  テツコ

    季語
    稲妻
    季節
    三秋
    分類
    天文
    鑑賞
     なぜ、稲光を「稲妻」というのか。「稲妻」は「稲の夫(つま)」の意で、古代、稲は稲妻と交尾することで結実すると信じられていました。傍題「稲つるび」は、稲が雷光と交わる=交尾む(つるむ)の意でもあります。「雷」が雷鳴を主体とする夏の季語であるのに対して、秋の季語「稲妻」はその雷光を指します。
     上五「稲妻や」の強調の後に続く「人は獣のごとく産む」という詩語に圧倒されます。確かに、人間が哺乳類=「獣」であることを生々しく実感するのが出産の現場かもしれません。稲が雷光とつるみ結実するように、「人」も「獣のごとく」交わり産むのです。「稲妻」との取り合わせが生と性を腥く匂わせる、迫力ある作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活~よ句もわる句も~ 2018年7月兼題)