百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
ゴミ箱にビニール垂れる垂れる梅雨 いかちゃん
- 季語
- 梅雨
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「ゴミ箱」にいい加減に突っ込んだ「ビニール」が、「梅雨」の風に煽られながら増々垂れ下がってくるのです。
「垂れる垂れる」のリフレインが、「梅雨」の一語を引っ張り出してくるという構造も巧みな一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年5月兼題分)
予後の眼に夏野の匂ひ飽くるまで 妙
- 季語
- 夏野
- 季節
- 三夏
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 「予後」とは、病気治癒後の経過を意味する言葉。この一語で作者の置かれた状況を語り、「眼に」で眼病を患っていたに違いないと推測させる、このあたりのテクニック巧いですね。
とはいえ、上五にこのような情報量をさりげなく入れることは、俳句を少し勉強すれば出来なくはない技術。一句の真の魅力は、「予後の眼」でもって「夏野の匂ひ」を感知する肉体的感受性の豊かさにあります。
作者の「眼」に飛び込んできたのは、爆発的な「夏野」。その緑は「予後の眼」を満たし、その草いきれは圧倒的な勢いで「予後の眼」に押し寄せます。
嗅覚で感じ取るべき「匂ひ」を、眼球で感じ取る感受は、眼病の術後という状況におけるリアリティーとして、読み手の心に鮮やかに飛び込み、下五「飽くるまで」という余韻が、「夏野の匂い」にいつまでも浸っていたい作者の思いを優しくやわらかく受け止めます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年6月27日週分)
いけにへは先にいもうと朱夏の歯科 能瀬京子
- 季語
- 朱夏
- 季節
- 三夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 親に連れられてきた「歯科」。どっちが先に?と優しい看護師さんが声をかけてくれます。絶対に「いもうと」から!と主張するお兄ちゃん。「いけにへ」は「いもうと」からに決まってる。
やがて診療室からは妹の大きな泣き声。あんなふうに泣かないようにと心を奮い立たせつつ、自分の順番を待つお兄ちゃんが見えてきます。
「朱夏」とは夏の異称。その鋭い音の響きと朱色のイメージ、そして「シュカ」「シカ」という音の響きも愉快な一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第14回はぴかちゃん歯いく大賞 はぴか大賞)
待たされても薫風が話しかけてくる 登るひと
- 季語
- 薫風
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 俳句を始めると人生に退屈という言葉がなくなります。「待たされても」腹が立たなくなります。
なぜって「薫風が話しかけてくる」のですもの。俳句が生活の一部となってきた人の実感の言葉が、素敵な一句となりました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2018年4月発表分)
蜘蛛の死に触れた塵紙のしわくちゃ 紗蘭
- 季語
- 蜘蛛
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「蜘蛛」の死体ではなく、「蜘蛛の死」に「触れた」という表現に詩が発生します。「触れた」という一語は、「蜘蛛の死」を体験したという意味かと思えば、「塵紙のしわくちゃ」とくるから、「塵紙」は実際に死体に触れているわけで、このあたりの叙述が実に巧い。「しわくちゃ」の一語に、作者自身の動揺も読み取れます。
「今日、蜘蛛の句を考えていた時にふと床を見ると、緑のカーペットに茶色い塊が落ちてあったので何かなと思ってみて見ると、人差し指くらいの長さのある蜘蛛が死んでました(汗)しかも知らないうちに殺してしまっていたようで、かなり気持ちの悪い格好で死んでました。ティッシュはのせれたものの、つかんで包むのが怖かったです。追悼句というには多すぎるほどたくさん詠まさせてもらいました」と語る紗蘭ちゃんは、オーストラリアに留学中の中学生です。(※投句時)
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年5月9日週分)
初夏のひよこに小さき肉の冠 ジャンク堂
- 季語
- 初夏
- 季節
- 初夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 生き物の様子を述べることで「初夏」らしさを表現した句もたくさんありますが、この句の生々しさに惹かれます。
「肉の冠」という措辞にハッとしました。「ひよこ」の頭にでき初めている鶏冠をこう表現したとたん、それは紛れもない「肉」であるという事実を突き付けられます。
こんな形で生命というものを、「初夏」という生命が動き始める季節を表現できるとは思ってもいませんでした。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年4月23日週分)
消灯は九時病棟のこどもの日 イキイキ生活
- 季語
- こどもの日
- 季節
- 初夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「消灯は九時病棟の」まではどこの病院にもありそうな光景というか、規則を書いただけではないか、と思うのです。ところが季語「こどもの日」が出現したとたん、一句の世界が立ち上がってきます。
この「病棟」は小児病棟。難病と闘う子どもたちの特別病棟かもしれません。「こどもの日」は朝から病棟全体がウキウキしています。病棟のスタッフが計画したこの日ならではのイベント、家族と過ごす楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。「消灯九時」の規則はいつも通りですが、この日の「病棟」には楽しかった興奮が残っているのです。
季語の力を信じて置いた下五。こんな「こどもの日」もあるに違いないと、しみじみ読ませていただいた作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年4月発表分)
黄金週間の朝日射し来る救急部 スズキチ
- 季語
- 黄金週間
- 季節
- 晩春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 働く人たちの「黄金週間」を描くという発想は当然ありますが、一句一読、そうなのだ! こんな朝を迎える現場もあるのだ! と、(佳い意味で)ねじ伏せられた気持ちになりました。
「黄金週間」は8音の季語ですから、上五中七下五どこに置いても字余りになります。ならばいっそ「黄金週間の」と上五の音を大きく余らせ、中七下五で調べを取り戻すのは、字余りを成功させる正攻法のテクニックです。
勿論、上五の「の」を外せば1音減るのですが、この句の場合は「黄金週間の朝日」として「朝日」を限定する必要があります。色んな朝はあるのだけれど、「黄金週間の朝日」なのだという意味の押さえがあってこそ、下五「救急部」という言葉に、読み手の心はハッと動くのです。
次々に運び込まれた救急患者、救急車の音、手術室のランプ、緊張の夜を終えて迎えた「救急部」の「朝日」に目を細めているのは、医師でしょうか看護師でしょうか。なんとか乗り切った充実感の中、嗚呼そういえば世間では「黄金週間」が始まってたんだ、という思いがふくふくとわき上がってきます。
家庭を持っている人物ならば、我が家の「黄金週間」の予定が心を過ぎっているのかもしれませんし、夜勤明けとなる「黄金週間」の一日をさあ、寝るぞ!と欠伸をしているのかもしれません。いずれにしても、下五「救急部」の一語で一句の世界をありありと立ち上がらせつつ、「黄金週間」という季語を主役として立てる作者の力量に感服した次第です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年4月16日週分)
蛙鳴く駅のベンチに引出物 トポル
- 季語
- 蛙
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 良い意味でのアルアル感、思わず笑ってしまいました。「蛙鳴く」夜の「駅のベンチ」です。
下五「引出物」の一語で、忘れていった人物の礼服姿、ほろ酔いの足取り等がありありと見えてきます。
「蛙」の声もゲラゲラ笑っているかのようです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2020年4月発表分)
永き日の鳩小屋に満つ鳩の息 神楽坂リンダ
- 季語
- 永き日
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 一読、餌の乾いた臭いと糞の臭いと鳩の羽ばたきの温い風が、一気に押し寄せ、想像力の豊かなワタクシと致しましては (笑) 少々たじろいでしまいました。
この生々しい感じを与えるのが下五「~息」という最後の押さえ。
逆の言い方をすれば,「永き日」という季語の持つ心地と日射しが、下五「鳩の息」をありありと追体験させてくれるということでしょう。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年2月14日週分)
壁紙に天使の眠る花の冷え 紆夜曲雪
- 季語
- 花冷
- 季節
- 晩春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 古い洋館には、こんな「壁紙」が貼られた部屋もあるのかもしれません。「壁紙に天使の眠る」絵柄を想像したとき、「天使」たちの薔薇色の肌がやわらかに浮かんできました。
「花の冷え」を感じさせる「壁」の一字と、そこに描かれた「天使」たち。「眠る」の一語も優しい印象の美しい一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年3月26日週分)
頬白鳴く縄紋地層に男の歯 和田新太郎
- 季語
- 頬白
- 季節
- 晩春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「縄文」ではなく「縄紋」という標記が、縄の紋様まで見えるような印象を与えます。
「縄紋地層」から出土したのは、見事に健康な「男の歯」であったのでしょうか。
生き生きとした頬白の囀りと出土した歯の取合せが印象的な一句。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第7回はぴかちゃん歯いく大賞 一般の部・優秀賞)
金次郎巣箱の番を頼まれる 八木ふみ
- 季語
- 巣箱
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 人名がでてきました。実在の「金次郎」さんと読むよりは、校庭のどこかに設置されている二宮金次郎像だと読むほうが楽しいですね。イマドキの学校には置かれてないのかもしれませんが、一昔前は薪を背負いながら本を読んでいる「金次郎」さんの像は、どこの学校にもありました。
働きつつ本も読んでる彼なのに、「巣箱の蕃」まで頼まれたらこりゃ大変だね~という俳諧味。ユニークな発想の一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年3月27日週分)
削りたての鉛筆眩し朝つばめ ほろろ。
- 季語
- 燕
- 季節
- 晩春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 取り合わせの技を成功させるためには、季語と季語以外の部分を繋ぐ接点が必要です。この句では「眩し」の一語がその働きをしています。
小学校一年生の最初の朝でしょうか。「つばめ」の生き生きした動きも眩しい朝です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2020年1月発表分)
わがはいはネコでこのくさはていれぎ 高橋無垢
- 季語
- ていれぎ
- 季節
- 仲春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「ていれぎ」はアブラナ科の多年草。大葉種付花(オオバタネツケバナ)が正式な名前ですが、松山ではもっぱら「ていれぎ」と呼ばれています。松山の天然記念物でもあります。俳人宮坂静生さんが提唱する「地貌季語(ちぼうきご)」の一つ。
松山らしさをどう出すかの一手として、夏目漱石著『我が輩は猫である』の一節を拝借。「わがはいはネコで」となりきっているのが面白い。小説の中の「ネコ」も英語教師として松山に赴任した漱石も「ていれぎ」は知らなかったに違いないという正直な思い。
そんな困惑と共感を「わがはいはネコで」あって「このくさはていれぎ」であるという詩的定義で表現した発想が愉快な作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2019年1月24日週分)