株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 水槽の河豚が供養を覗きけり  もね

    季語
    河豚供養
    季節
    晩春
    分類
    人事
    鑑賞
     この句の季語は「河豚」ではなく「河豚供養」です。冬の季語「河豚」の美味しい時期が終わる4月末頃、【河豚を取り扱う業者らが河豚に感謝して行う追善供養】を意味します。
     僧の読経、お香の匂い、毎年読まれる似たような文言の弔辞、そして祭壇の「水槽」の中には堂々たる「河豚」が泳いでいるのでしょう。硝子越しの「河豚」の目がギョロリと大写しになっているような映像も見えてきます。ワシが供養されてる?なんて訝しい表情の「河豚」は、供養のあと、無事海に放生されるのでしょう。
     「河豚供養」という季語を分解しての語り口、生きた「河豚」がありありと見えてくる描写、いやはや楽しませて頂きました。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年4月18日放送分)
  • 凶暴なるぶらんこの王者は二歳  カリメロ

    季語
    ぶらんこ
    季節
    三春
    分類
    人事
    鑑賞
     子どもたちにとって「ぶらんこ」は人気ベスト3に入る遊具。順番を待ったり、割り込んだり、割り込まれたり、泣いたり、そんな子どもたちの「ぶらんこ」シーンに「凶暴なる」という言葉が使われる意外性と愉快に満ちた作品です。
     大好きな「ぶらんこ」を手に入れるために、ちょっと意地悪したのか、一番に突進して鎖を握り、他の子たちを断固排除したのか。仁王立ちしている二歳児は、「ぶらんこ」を制圧した喜びに満ちあふれているのでしょう。他の子たちを見下した視線で、ゴンゴンこぎ始める「ぶらんこ」。獰猛な青空をも従えんばかりに、「凶暴なる」二歳の「王者」は、このシーンに君臨します。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年3月7日掲載分)
  • 蒔き切つてまず花種の袋咲く   不知火

    季語
    花種
    季節
    仲春
    分類
    人事
    鑑賞
     「蒔」の一字で何かの種を蒔いていることが分かり、複合動詞「蒔き切つて」で作業の動作が映像化され、さらに「まず」の一語によって展開されていく短い時間が示唆されます。これらの伏線によって「花種の袋咲く」という後半の映像が鮮やかに広がってくるのです。ともすれば機知としておわりがちな言葉「花種の袋咲く」を、映像としてしっかり機能させている点が実に巧い作品です。
     「花種」を蒔き終えた静かな土には、花種が入っていた袋が色とりどりの写真の花を咲かせています。ここにはこれが、あそこにはこの色がと全ての花が咲いた様子を思い浮かべる楽しさ、満足感。如雨露でたっぷりと水をやると、土は黒々と豊かな色となります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年掲載分)
  • 打ち上げられて海松はるかはるかに平壌府  ねこ端石

    季語
    海松
    季節
    三春
    分類
    植物
    鑑賞
     「海松」は「みる」と読みます。海藻の一種です。「平壌(ピョンヤン)」は朝鮮民主主義人民共和国の首都ですが、「平壌府」とは日本統治時代の行政区分で「へいじょうふ」と読むようです。となれば、この句の「はるかはるかに」は地理的距離だけでなく、歴史を遡る時間的イメージも内包しているということになります。
     「打ち上げられて海松」を声に出してみると、「海松(みる)」という音が残って「みるはるかはるかに」と調べが続きます。時間と空間を「はるかはるかに」辿れば、日本統治時代の「平壌府」もそこにあるという感慨。ぬめぬめと冷たい「海松」の感触が、北朝鮮という国への複雑な思いとなって読み手の心に押し寄せます。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年4月17日放送分)
  • 卒業や砂場の山の褪せている  凛太郎

    季語
    卒業
    季節
    仲春
    分類
    人事
    鑑賞
     「卒業」という季語を表現する時、誰もが涙や希望や歌や成長への感慨を述べようとしますが、このような淡々たる視線でもって自己の変容が語られている事実に軽い驚きと感動を覚えました。
     ピカピカの一年生で入学した時、「砂場」は幼稚園時代の園長としてのお砂場遊びの舞台。色とりどりのスコップやバケツが活躍する楽しい遊び場でした。ところがその「砂場」も、六年間を終えた「卒業」の頃には、走り幅跳びを計測する場、高鉄棒の着地の場として変容しています。「砂場」に対する認識の変化は、成長という名の変容。小学校卒業の感慨を、「砂場の山の褪せている」という少し冷めた措辞で表現する客観的な視点に脱帽の一句です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年3月20日放送分)
  • あはすためひらく法悦蛤に  破障子

    季語
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞
     「法悦」とは【?仏法を聞き信仰することにより心に喜びを感ずること。?うっとりするような深い喜び。陶酔。】と辞書的意味が二つありますが、?と解すればよいでしょう。二枚貝である「蛤」に対して「あはすためひらく法悦」という詩的把握に驚きます。
     「蛤」は「貝合わせ」の貝でもあり、夫婦和合の象徴でもありますので、「あはすためひらく法悦」はエロティックな匂いも色濃く立ちのぼる表現。「蛤」の貝肉の色や大きさが艶めかしくもありシュールでもあり、「蜆」「浅蜊」ではないまさに「蛤」ならではの恍惚感です。これから「蛤」を食べる度に「あはすためひらく法悦」という詩語を思い出すに違いない、愛唱の一句です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年2月20日掲載分)
  • 富士山の全容見えて入試へと  更紗

    季語
    入学試験
    季節
    仲春
    分類
    人事
    鑑賞
     一言で「入試」といっても、最近は小学校中学校高校大学と色々あります。そんな時代の季語「入学試験」ですから、どの年代なのかがはっきり分かる作り方をしたいわけですが、これはもう大学入試に違いないと読める点を、まずは評価したい一句です。
     「富士山の全容見えて」という措辞から、飛行機で上京しての入試かなと想像しました。日本に山はたくさんあるけれど、「富士山」は日本人にとって晴れなる山にして吉兆の山。下五「入試へと」という措辞が、日本一の山の全容が見事にみえる今日の明るい春空を吉として、これから東京の受験に乗り込むぞという意気込みを表現しています。合格祈願を込めての実感の一句です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊2014年2月21日放送分)
  • 母という魔女春菊も食えと言う  ミル

    季語
    春菊
    季節
    三春
    分類
    植物
    鑑賞
     好き嫌いを「母」に諭される句は数えきれぬほど読んできましたが、「母という魔女」という比喩一つで鮮やかなオリジナリティを手に入れた快哉!見事な発想です。この句の眼目である「魔女」という言葉に対して「春菊」は絶妙な野菜。独特の匂いは、「魔女」が調合する薬のようでもあり、ぞわぞわと脇芽を増殖させるさまや、意外に可愛い花を咲かせるさまは魔法のようでもあります。
     「母という魔女」は大きな鍋に薬草を放り込む手つきで「春菊」を入れ、さあ体に良いのだからお食べなさいと迫ってきます。「魔女」の微笑みに気圧されて、「春菊」の怖ろしい匂いと味を飲み下す、そんな子どもの様子も見えてくる楽しい作品です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年3月14日掲載分)
  • 河原辺の野焼きに爆ずるボールはも  くらげを

    季語
    野焼
    季節
    初春
    分類
    人事
    鑑賞
     最後の「はも」は「…はなあ」という意味で、詠嘆を表します。「河原辺」で行われている「野焼」の最中に、ボン!と爆ぜるものがある。それが「ボール」であることに気付いた時の軽い驚きを、「ボールはも」と表現したわけです。「爆ずる」の一語が、爆ぜる音、火の匂い、「ボール」の焦げた臭いなどをありありと想像させ、ある時代の「野焼」という季語の現場の手触りを伝えます。
     さらに、「はも」という悠長な語り口が、「野焼」が行われてきた縄文の頃からの時代の印象や、春の長閑やかな気分をも感じさせます。おまえも絶滅寸前季語に数えられるようになったか、「野焼」よ、という感慨に寄り添ってくれた一句でもありました。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年2月19日掲載分)
  • 堅雪の野越ゆイエスの如く越ゆ  樫の木

    季語
    堅雪
    季節
    初春
    分類
    天文
    鑑賞
     「堅雪」とは、解けかかった雪が夜の冷え込みによって固く凍り付く状態を指します。「堅雪の野」とは、雪に足をめり込ませることなく、ぬかるみに足を取られることもなく歩ける野。そのさまを「イエスの如く」と比喩した点がこの句の魅力です。
     「堅雪の野行く」「堅雪の野歩く」ではなく「越ゆ」という動詞を選択したことで、「野」の広さや移動していく距離を想像させるとともに、ささやかな困難のイメージを添えます。「~越ゆ~越ゆ」と畳みかける一句の調べも、内容に見合っていますね。
     「堅雪の野」を越えて歩く私自身が、数々の奇跡を成し遂げた「イエス」のようであるよ、という感興に心動かされた作品でした。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年2月14日放送分)
  • 海鼠噛む千にひとりの歯と言われ  竹本俊夫

    季語
    海鼠
    季節
    三冬
    分類
    動物
    鑑賞
     「海鼠」ってやつが美味いと思えるようになったのは、お酒を飲むようになってから。子どもの頃は、あんな怖ろしげな色したゴムみたいな食べ物を大人たちはよく食べるもんだと訝しく思うばかりでした。「海鼠噛む」から始まるこの一句は、いかにも大人の食べ物として大人が噛んでいるに違いないと思うのですが、中七下五の展開が痛快です。「千にひとりの歯と言われ」という十二音の措辞のみで、この人物の人並みならぬ「歯」の丈夫さを述べ、歯科医との会話までをもありありと想像させてしまうのですから、大したものです。「歯だけは誉められます」と笑う作者は90歳。天晴れな一句は、天晴れな歯から生まれてきたのですね。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:第12回「はぴかちゃん歯いく大賞」一般の部入賞作)
  • 隼にブロッケンの環二度裂かる  瀑

    季語
    季節
    三冬
    分類
    動物
    鑑賞
     「ブロッケンの環」とは、ブロッケン現象に現れる虹色の環。ネット辞書には[ブロッケン現象は、霧の中に伸びた影と、周りにできる虹色の輪(ブロッケンの虹)の二現象をまとめて指している]と解説されています。同じ現象を日本では御来迎とも呼びます。
     冬の季語「隼」の特徴は飛翔の速さ。時速300~400キロの速さで飛ぶというのですから驚きです。ブロッケン現象という短い時間の光景のなか、「隼」が獲物を狙って急降下してくる。そのさまを見てとる観察眼、「二度裂かる」という描写力。上五の助詞「に」の是非については意見が分かれるかもしれませんが、「隼」との一期一会の瞬間をよくも見事に切り取ったものだと感心致しました。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年11月27日放送分)
  • 子どもらの空へと予鈴霜柱  七七子

    季語
    霜柱
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     「子どもらの空」と語ることで、その「空」に下にいる「子どもら」が動き出します。「へ」という助詞の効果で「予鈴」は空に向かって響きわたります。勿論「予鈴」の一語が、学校という場面やこれから授業が始まる状況をさりげなく伝えていることは言うまでもなく、言葉の経済効率も抜群です。最後に「霜柱」という季語が目に飛び込んできた瞬間、冬の朝の冷たい空気、痛いような青空、その空に響く予鈴の澄んだ音、「あ、あと五分だ!」と走り出す子どもたちの声が、一気に立ち上がってきます。
     やがて国語の本を読む声や音楽室の歌声が聞こえてくる頃には、「霜柱」の小さな光は冷たい青空に吸われるように溶け始めます。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年12月6日掲載分)
  • ザビエルの髭湿らせて阿茶羅漬  ほろよい

    季語
    阿茶羅漬
    季節
    新年
    分類
    人事
    鑑賞
     「ザビエル」とはフランシスコ・ザビエル司祭。1549年に日本に初めてキリスト教を伝えた方ですね。世界史の教科書の挿絵にあった肖像画が記憶に残っています。
     かたや「阿茶羅漬」とは、とうがらしを加えた甘酢に大根やかぶなどの野菜を漬け込んだもので、【京阪地方の独自の正月料理】ということで新年の季語とされています。
     「あちゃら」という響きが、あちゃら=よその国?っぽいイメージを添えるせいか「ザビエル」という名と妙に似合いますね。かの「ザビエル」さんも「髭」を湿らせながら異国の新年を言祝ぎつつ「阿茶羅漬」を食べたのではないかと、そんな想像も膨らみます。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』』2014年1月10日放送分)
  • ほとけのざ口伝遠野につまびらか  野風

    季語
    仏の座
    季節
    新年
    分類
    植物
    鑑賞
     「口伝」とは、語り伝えること。「遠野」とは、柳田國男著『遠野物語』のもととなった町。「つまびらか」とは、詳しいさま。天狗や河童や座敷童子たちの数々の「口伝」が「つまびらか」に語られる「遠野」という地の「ほとけのざ」がしきりに思われる新年だよ、と意訳を込めて読んでみると、雪の下でやがて来る春を待つ「ほとけのざ」がことさら愛おしく思われます。雪の匂いと土の匂いと草の匂いが、一句からこぼれ落ちてくるかのような感覚を愛します。
     新年の七草を祝うために探す「ほとけのざ」は、妖怪や死者や神が生き生きと存在する「遠野」の地の特別な植物として、集められます。七草を刻むためのこの地独特の唄もあるにちがいありません。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』』2014年1月10日掲載分)