株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 日日草点字タイプのベルちさし  てん点

    季語
    日日草
    季節
    晩夏
    分類
    植物
    鑑賞
     1行32マスの「点字タイプ」には「後6字打てますよ、と知らせるベルが付いている」のだそうです。作者は、日々「点字」に接している方なのでしょう。行の最後を知らせる「ベル」が小さく鳴ると、次の行に移るための操作をし、新しい行に移ると、再び点字を打つ速度をあげてゆく。一連の操作のアクセントのように「点字タイプのベル」は小さな音をつないでいきます。
     「日々草」は、初夏から晩秋まで次々に花をつけるということでこの名がありますが、「点字」を打っていく作業も一つ一つ積み重ねてゆく行為。「点字」に打ち直されていく言葉は、「日々草」の一花一花のようにさまざまな色合いで紡がれていくのでしょう。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年7月19日掲載分)
  • 予後の眼に夏野の匂ひ飽くるまで  妙

    季語
    夏野
    季節
    三夏
    分類
    地理
    鑑賞
     「予後」とは、病気治癒後の経過。この一語で作者の置かれた状況を語り「眼に」で眼病を推測させる、このあたりのテクニックも実に巧いのですが、この句の真の魅力は、「予後の眼」でもって「夏野の匂ひ」を感知する肉体的感受性の豊かさにあります。
     作者の「眼」に飛び込むのは、爆発的な「夏野」。その緑は「予後の眼」を満たし、草いきれは圧倒的勢いで「予後の眼」に押し寄せます。「匂ひ」を眼球で感知する感覚は、眼病の術後という状況におけるリアリティーとして、読み手の心に鮮やかに飛び込み、下五「飽くるまで」という余韻が、「夏野の匂い」にいつまでも浸っていたい作者の静かな喜びを、やわらかく受け止めます。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年6月26日掲載分)
  • 蓮眩し輪廻を外れると決めた  鞠月

    季語
    季節
    晩夏
    分類
    植物
    鑑賞
     それにしても「輪廻を外れると決めた」とは、なんたる決意でしょう。自分はもう生き死にを繰り返す「輪廻」からは外れよう。生まれたり死んだりを繰り返す「生」に飽き飽きしたよ。こんなに「蓮」の眩しい朝に、「輪廻を外れると決めた」と宣言する作者の心にあるのは、それなりによく生きてきたよという充足感でしょうか、それとも清々しい諦めでしょうか。
     辞書によると、「輪廻」は【執着の深いこと】も意味するらしく、そうなると、この執着深き性を捨てよう!という決意と読むことも可能です。いずれの読みを取るにしても、上五「蓮眩し」の光景は、鮮烈な印象をもって読み手の脳裏にゆらりゆらりと光を弾きます。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年7月25日掲載分)
  • 竹取の翁の憂い泉殿  あおい

    季語
    泉殿
    季節
    三夏
    分類
    人事
    鑑賞
     「泉殿」は、拙著『絶滅寸前季語辞典』にも取り上げた季語で、【寝殿造りの南庭の泉水に突き出した、納涼・観月のための小建物】を意味します。『竹取物語』の世界にこの季語を見いだし、季語の本意をこのような形で表現し得るとは思ってもいませんでした。
     毎夜毎夜、月から迎えが来ると嘆き悲しむかぐや姫をかき抱き、「竹取の翁」の心にも深い憂いが渦巻きます。一体どうすればかぐや姫を守れるのか、尽きぬ悩みに苛まれます。「竹取の翁の憂い」と述べているだけなのに、眠れぬまま「泉殿」に涼を求める「翁」の姿がありありと想像され、さらに季語「泉殿」の本意が物語の後ろにリアリティをもって立ち上がってくる、見事な発想の一句です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年7月11日放送分)
  • 水神に火の粉浴びせよ川開  中原久遠

    季語
    川開
    季節
    晩夏
    分類
    人事
    鑑賞
     「川開」は元々「水難にあった人の鎮魂の行事」「水辺の安全を祈願する行事」でしたが、現在では「花火大会」を意味するようになってきたというなかなか曲者の季語です。
     季語「川開」の現場にあるのは真っ暗な水。そこには人間の傲慢を罰しようとする「水神」もいるに違い有りません。そんな「水神」へむかって浴びせる「火の粉」は贖罪であり、鎮魂であり、祈りであり、また生きてある喜びでもあります。さらに中七「浴びせよ」は、様々な思いを凝縮した一語。暗い水面を迸る「火の粉」の映像だけでなく、季語「川開」の持つ複雑な思いも表現し、「水神」「火の粉」「川開」の三語を?ぐ働きもしています。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』 2014年7月11日掲載分)
  • 九龍の錆吐き出せるシャワーかな  奈津

    季語
    シャワー
    季節
    三夏
    分類
    人事
    鑑賞
     「九龍=クーロン」は香港の地名。この固有名詞が持つ連想力(イメージ喚起力)は、充分に詩語と成り得ます。
     「九龍の錆」とは何?「錆」を「吐き出せる」とはどういう状況?と、脳が目まぐるしく意味を探ろうとしたとたん、下五に「シャワーかな」と季語が出現する語順がなんとも絶妙。香港の「九龍」のホテルの「シャワー」から出てきたのは「錆」の混じった水だった、と意味が分かったとたん、「錆」の臭いが我が鼻腔に生々しく再生されます。香港を歩き回った一日の埃と汗を流す水に混じる「錆」は、エネルギッシュな香港の街の臭いのようでもあります。季語「シャワー」が引き出す鮮やかな肉体的記憶の再生です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』5月30日掲載分)
  • 毛虫焼く昨日は護符を焼きし畑  篠原そも

    季語
    毛虫
    季節
    三夏
    分類
    動物
    鑑賞
     季語「毛虫焼く」という行為は、害虫を駆除するという正当な必然性を持っているにもかかわらず、残酷で後ろめたい気分もあるのですが、その季語の本意をこう表現するとは見事な展開です。
     集めた毛虫を火の中に放り込む時、そういえば昨日もここで火を燃やしたなあと思い出す。昨日焼いていたのは「護符」であったという事実が、作者の胸に奇妙な感慨をもたらします。
     作物を荒らす「毛虫」も、一年の効用期限が過ぎた「護符」も、同じ畑の隅で焼き払ってしまうという行為は、人間の側の都合の良い解釈であったり理屈であったり。バチバチと火を弾いて燃える毛虫は、地獄の業火に焼かれる我と我が身のようでもあります。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年5月16日放送分)
  • 籐椅子や追伸に山青きこと  ハラミータ

    季語
    籐椅子
    季節
    三夏
    分類
    人事
    鑑賞
     「追伸に山青きこと」としか書かれてないのに、この人物が自分宛の葉書なり手紙なりを手にしていること、その内容が十分に涼やかであること、座っている「籐椅子」の感触が「追伸」の内容を実感させるかのような内容であることが、ありありと想像できます。
     さらにもう一つの読みもできます。「追伸」を書いている人物が「籐椅子」に座っている人物であるという読みです。避暑に訪れた山々の「青」の清々しさに心が洗われんばかり。旅の思いを家族へ友へ恋人へ伝えたくなるのは、当然の心持ちでしょう。「追伸」を書き終えて、座り直すと「籐椅子」は静かに軋みます。その軋みもまた心安らぐ旅の実感でありましょう。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年5月9日掲載分)
  • 蛍火やキトラ古墳に獣の絵  桜井教人

    季語
    蛍火
    季節
    仲夏
    分類
    動物
    鑑賞
     「キトラ古墳」は奈良県明日香村の古墳。亀虎古墳とも書くのだそうです。現在私たちが入っていくことは出来ない「キトラ古墳」ですが、かつて「キトラ古墳」が封印される前、この古墳に絵を描いた人物がいたはずです。古墳の中に灯された松明に、描きかけの「獣の絵」がゆらりゆらりと揺れていたはずです。一日の作業が終わり、静けさを取り戻した古墳内の闇に、「蛍火」が一つ二つと点滅する光景が、作者の脳内でありありと再生されていてこそ、生まれた一句。生きて在る「蛍」の「火」と、壁画に描かれた「獣」たち。黴臭い古墳の匂いと、生臭い蛍の匂い。虚の「蛍」と実の「蛍」。そんな断片がコラージュのように浮かんでは消える作品です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (松山市公式サイト『俳句ポスト365』 2014年6月20日掲載分)
  • 学僧の煮梅差し出す高野山  タ―ナー島

    季語
    煮梅
    季節
    三夏
    分類
    人事
    鑑賞
     「高野山」にあるこの僧坊では、自給自足も修行の一つに違いありません。寺に実った「梅」の形の良いものを選んで「煮梅」にし、その他の「梅」は干して漬けて梅干にしているのでしょう。そしてそれらの梅は日々の質素な膳に饗せられるのでしょう。
     「学僧」が手作りの「煮梅」を差し出したのは、僧坊を訪れた客でしょうか。それとも、学問に励む仲間たちとのささやかな息抜きでしょうか。よくよく考えると「高野山」は「梅」の産地でもありますから、取り合わせの句材としては有りがちなのかもしれませんが、「学僧」が差し出す「煮梅」とは、なんとも清貧な味わいの一句。この「煮梅」もまた甘すぎない清々しい味でありましょう。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年6月6日放送分)
  • 伽藍炎上守宮は何を見ていたか  塔山音絵

    季語
    守宮
    季節
    三夏
    分類
    動物
    鑑賞
     七塔伽藍の並ぶ大きな寺院。その「伽藍」の一つが「炎上」する凄惨な場面を「伽藍炎上」の7音で一気に言い放つ迫力。上五の字余りは凄みをもって読み手の脳裏に流れ込みます。
     火の手と煙の匂いにいち早く気づいた「守宮」たちは、ザワザワと逃げ始めます。「伽藍」に住む数知れない「守宮」たちは小さな声で鳴き交わしながら、危険を知らせ合っているに違いありません。「守宮」の群れの中には、出火の顛末を覗き見た一匹もいるのかもしれません。闇の中を走り出す「守宮」たちの背後には「炎上」の火が迫ってきます。三島由紀夫著『金閣寺』炎上の場面が、一句の背後に立ち上がってくるような魅力に満ちた作品でした。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年5月16日掲載分)
  • 田を植える農夫砂鉄のような鬚  ひでやん

    季語
    田植
    季節
    仲夏
    分類
    人事
    鑑賞
     「田を植える」のが「農夫」であるという措辞はいかにも当たり前ですし、その男の「鬚」に着目する発想もありそうですが、そんな一句に個性を吹き込んだのは後半の比喩です。
     「ひげ」は「髭」「鬚」髯」と三種類ありますが、それぞれ「髭=口ひげ」「鬚=あごひげ」「髯=ほおひげ」を意味します。田植えを前にした忙しさで、この数日は剃る暇もなかった「鬚」でしょう。「砂鉄のような」という措辞がツンツン伸びた剛毛を活写。「田を植える農夫」の土臭さや汗臭さは、「砂鉄」の一語が持つ鉄色のイメージ、鉄の匂いと響き合います。「田植える農夫」の光景から「砂鉄のような鬚」にカットが切り替わる構成も巧い作品です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年5月30日放送分)
  • 安達太良へ筍飯を握りけり  竹春

    季語
    筍飯
    季節
    初夏
    分類
    人事
    鑑賞
     「安達太良」という地名の持つ悠々たる響き。「あだぁたぁらぁ」のア音が大空へ広がるかのような韻律であることは言うまでもありませんが、この大らかな句の姿を支えているのは、方向を示す助詞「へ」の効果ではないか、ということにはたと思い至りました。
     山へ向かって?山へ行く? 一体、どういう意味の「へ」かと思いきや、後半「筍飯を握りけり」とくる展開が実に巧い一句。山開きの日の握り飯か、はたまた初物への感謝を捧げる握り飯か。「へ」という助詞は、さまざまな方向に読み手の思いを広げます。筍を育ててくれる山は、毎日拝む美しい故郷の山。下五「握りけり」の詠嘆もまた、いかにも美味そうな「筍飯」の実感です。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年5月13日掲載分より)
  • エコーには男子のしるし粽食う  さち

    季語
    季節
    初夏
    分類
    人事
    鑑賞
     一瞬「エコー」って何?と思うのですが、「男子のしるし」という言葉が目に入ったとたん、それが超音波診断の画像であることが分かります。黒い画像の中にぼんやりと浮かぶ白い胎児。指さされている部位には、言われてみればなるほどと識別できる「男子のしるし」が見えているというわけです。
     「男子」は「おのこ」と読んでもよいのですが、「だんし」と読ませてもらいました。母としての愛情、婚家の嫁としての思いも込められているかのような「男子のしるし」という措辞の、なんとも誇らしくなんとも可愛い中七!
     来年の端午の節句を思いつつ食べる「粽」の香りの、なんとも爽快な今日であります。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年5月10日放送分より)
  • 被災地のぎしぎし千と百日目  西条・針屋さん

    季語
    羊蹄(ぎしぎし)
    季節
    仲春
    分類
    植物
    鑑賞
     どれが季語かというと中七の「ぎしぎし」ですね。「羊蹄」と書いて「ぎしぎし」と読むこの季語は植物名。タデ科の多年草で全国の畦道や野原、やや湿った道ばたや水辺などに生えています。
     一読「被災地」の一語は、東日本大震災を想起させます。瓦礫の山が撤去されただだっ広い空き地は、まだまだ復興にはほど遠く、がらんと空疎な風が吹いているばかり。そこにいち早く芽吹き、はびこり始めたのが「ぎしぎし」です。震災から三年、人々が「千と百日目」の祈りを捧げている傍らで、「ぎしぎし」は旺盛な生命力を見せつけます。食用とも薬草ともなる雑草「ぎしぎし」の強さが、一句のバックボーンとなっていることは言うまでもありません。
    (鑑賞:夏井いつき)
    (ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年3月28日放送分)