株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 遺骨拾い戻る車列に波の花  波恋治男

    季語
    波の花
    季節
    晩冬
    分類
    地理
    鑑賞
     「遺骨拾い」とあれば、読み手は皆、今まさに骨あげのための長い箸を手にしているのだと想像します。焼き上がったばかりの骨の熱を生々しく感じとる人もいるでしょう。が、続く一語ごとに一句の映像はどんどん変化していきます。
     「遺骨拾い」に続く「戻る」という動作、「戻る」ものが何台も何台も続く黒い「車列」であるという事実、そして「車列」に吹き千切れる「波の花」。
     季語が出現したとたん、熱を帯びた「遺骨」から寒風に飛ぶ「波の花」へと、めまぐるしい臨場感をもって一句の光景が完成します。
     黒い車列へ吹きつける「波の花」は、その色の印象を「遺骨」の色に重ねつつ、忘れ難い光景として作者の心に刻まれているのでしょう。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年2月5日放送分)
  • どうかしてゐる歌留多にひらがなは群れて  Y音絵

    季語
    歌留多
    季節
    新年
    分類
    人事
    鑑賞
     いきなり畳みかけられる「どうかしてゐる」という呟きに惹きつけられます。困惑か、憤りか。「歌留多」の一語で、おやおや理不尽に負けましたかと一句の展開を見抜いた気になった瞬間、目に飛び込んでくる「ひらがなは群れて」の措辞に、心がハッと動きます。
     「どうかしてゐる」は、目の前にある百人一首の取り札に向けられた呟き。長方形の札いっぱいに「ひらがな」ばかりが「群れ」ていることへの美しい困惑。
     初めて百人一首の取り札を見たときに、確かに私自身も感じそのまま忘れ去っていた違和感が、上五の独白によってありありと蘇ってきたことに驚きました。改めて取り札の一枚一枚を眺めながら、この句の詩語の鮮度に感じ入りました。
       
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年1月8日掲載分)
  • 九年母や亀甲墓につづく道  笑松

    季語
    九年母
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     最初読んだときにですね、「亀甲墓に」ってなってるいるので、これ亀甲墓が奥にあるんなら「亀甲墓へ続く道」ではないかと思ったんですが。
     ひょっとすると「亀甲墓に」でそこの場所を言っといて、さらに奥に続く道があるという――奥へ奥へ続く道があるというそういうことなのかもしれないなと納得をいたしました。
     光景の描き方としても非常に的確ですし、沖縄らしさというのも正に「亀甲墓」で出ておりますね。
       
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年1月23日放送分)
  • しみじみとお世話になろう寒蜆  春爺

    季語
    寒蜆
    季節
    晩冬
    分類
    動物
    鑑賞
     「寒蜆」の難しさは、「浅蜊」でもただの「蜆」でもいいんじゃないの?といわれる句になりがち……ということでしょう。
     春の季語「蛤」「浅蜊」「蜆」を詠み分けるのも難しいのですが、冬の季語「寒蜆」の場合は「薬効があるとされている」という特徴が一つのポイントになりますね。そのイメージが一句にうまく入ってくると良いのだろうなあと思います。
     「しみじみとお世話になろう」は、まるで小津安二郎の映画のお父さんが呟くような台詞です。この言葉に「寒蜆」という季語が取り合わせられるだけで、まさに映画のワンシーンのような光景が立ち上がってきます。
     厨の桶の中で砂抜きをしている「寒蜆」を眺めているのでしょうか、一椀の蜆汁の温かみを両手に感じているのかもしれません。滋養に満ちた「寒蜆」の汁を一口啜ると、身体中にしみ渡る心地良い熱さ。一人暮らしを続けると強情に言い張ってきたけれど、もうそろそろ考え直してもよい頃かもしれない。「しみじみとお世話になろう」という気持ちがゆっくりと広がってくる、そんな場面。
     この季節の「寒蜆」は身体によいから「お世話になろう」という浅い意味から始まり、人生のささやかな決断の場面まで、一句はしみじみと深まっていきます。心して正座していただく「寒蜆」の味は、作者の心に忘れ難く広がっていきます。
       
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年1月16日掲載分)
  • 牡丹鍋これは銀次の十頭目  理酔

    季語
    牡丹鍋
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     なんと言っても巧いのは、「これは銀次の十頭目」という表現。この措辞だけで、「銀次」が猪撃ちであり、猟の世界に少しずつ慣れてきている男であることが読み取れます。さらに「これが」ではなく「これは」ですから、他にも撃った猪の肉はあるんだけれども「これは」銀次の撃ったヤツだよ、というニュアンスになります。このあたりの助詞の選び方がベテランらしい巧さです。
     「牡丹鍋」とは、猪と牡丹の絵柄が取り合わせられている花札の一枚から生まれた隠語です。花札の世界に、隠語としての「牡丹鍋」や「銀次」という名が似合いますし、季語の持つ色のイメージ「牡丹」の赤、「銀次」の「銀」の取り合わせもニクイ作品です。
       
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年12月19日掲載分)
  • 災の字は火の氷るごと冬至粥  花屋

    季語
    冬至粥
    季節
    仲冬
    分類
    人事
    鑑賞
     「冬至粥」は厄災や邪気を祓う風習。「災」という字はいかにも厄災っぽいよ、だってこの一字は「火」が氷ってるみたいじゃないかという思いが「冬至粥」を煮る行為を意味あるものにします。
     厄災をやっつけるように、「災の字」を溶かすように、「冬至粥」を煮る「火」はあたたかい色に揺れています。熱々の「冬至粥」をふうふう食べれば、人々の心にある氷った「災」をことごとく溶かしてくれるに違いありません。喉から腹におちてくる粥の熱さが、「災」が溶ける実感となって季語「冬至粥」を表現します。冷たいイメージを持つ「冬至」の一語が「氷る」に、熱いイメージの「粥」が「火」の一字に印象を重ね合う点もよく工夫されています。

    (鑑賞:夏井いつき)  
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年12月26日掲載分)
  • 誰もゐない楽しき家や冬の鵙   杉山葵

    季語
    冬の鵙
    季節
    三冬
    分類
    動物
    鑑賞
     「誰もゐない」という負の言葉と「楽しき家」という正の言葉。詩は意味を捻るところにも発生しますが、この句はもっと率直です。さみしさと折り合うのが上手というか、さみしさを嘗めることに安らぎを求められるというか、そのような心の襞がそのままこの詩語になったのでしょう。「誰もゐない楽しき部屋」ではなく「誰もゐない楽しき家」であることが、一句のニュアンスを深めます。
     「誰もゐない楽しき家」で過ごす日常にささやかな変化をもたらすものが、庭に来る「冬の鵙」だと読んでもいいですね。時折「冬の鵙」がキキと鳴くほかは、静かで冷ややかで安らかで少しさみしい、そんな美しい日常が冬の水のようにながれていく暮らしです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年12月5日掲載分)
  • ジャケットの腕の淫靡に折れ曲がる  クズウジュンイチ

    季語
    ジャケット
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
    「ジャケット」の一物仕立てとして「淫靡」という言葉が機能するとは思いもしませんでした。比喩のリアリティに戦きます。
     今、脱いだ「ジャケット」がそこに置かれているのでしょうか。ハンガーに掛けられているのかもしれませんね。「腕」の当たりが生身の人間の痕跡そのままに「折れ曲がる」という描写はできるかもしれませんが、「淫靡」と表現したとたん、この「ジャケット」は生々しい存在として、臭い始めます。
    生ぬるい体温を持ち、生臭い息を吐き、生温かい「淫靡」な臭いを発し始めるのです。
     脱ぎ捨てられた「ジャケット」をここまで生々しく表現できる感覚は、まさにクズウジュンイチという作家の持つ奇才でありましょう。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年11月28日掲載分)
  • 花街の乾風休みの三味多忙  しんじゆ

    季語
    乾風
    季節
    三冬
    分類
    天文
    鑑賞
     「乾風」と書いて「あなじ」。主に、西日本で冬の北西の季節風をこう呼びます。「あなじの八日吹き」という言葉もあり、吹き出したらなかなか止まない風として怖れられています。
     今日も「乾風」が吹き荒れている港には、たくさんの船がぎしぎしと舫われています。風が止まなければ船を出すことはできない漁師たちは、これも骨休めだと港の「花街」に繰り出します。「乾風休み」とは実に巧い言い方ですね。「乾風休み」で賑わう「花街」はかき入れ時。三味線の音、手拍子、歌。三味線を小脇にかかえた芸者さんたちは、小走りに次の店に走ります。「三味」の音の向こうに、吹き止まぬ「乾風」の音も聞こえてくる花街の夜であります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年11月13日放送分)
  • 鉄筆で描く枯野のすさまじき   麦太朗

    季語
    枯野
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞
     「鉄筆で描く」とは銅版画でしょうか。蕭条たる「枯野」の草の一本一本、風にゆれる枯草の表情、雲の裂け目から射す光の明暗を、ニードルと呼ばれる「鉄筆」は彫りだしていきます。銅板に刻まれる微細な傷がやがて銅版画の線描となっていくそのさまを、作者は「すさまじき」と表現しました。と、同時にその傷によって表現される「枯野」という存在もまた「すさまじき」ものであるよと詠嘆しているのでしょう。銅版画として刷り出される黒白の世界もまた、「枯野」という存在を表現する色彩であります。
     「すさまじ」も季語ですから、季重なりを指摘する向きはあるかと思いますが、この句の場合は「枯野」という主たる季語の修飾語として機能しつつ、補助的な季語として効果を発揮していると考えてよいでしょう。
     また、銅版画で描かれた「枯野」は季語として機能していないと断ずる考え方もあるかとは思いますが、この「すさまじき」銅版画を描いている人物の眼の奥には、「枯野」という季語が生々しく息づいているに違い有りません。その手応えこそが、季語そのものを感知させてくれるのではないかと考える次第です。
     
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年12月20日掲載分)
  • その昔旅は死に似て初時雨  やのたかこ

    季語
    初時雨
    季節
    初冬
    分類
    天文
    鑑賞
     昔の人にとって、旅立つってのは死ぬかもしれないということとイコールだったわけですね。
     芭蕉は奥の細道の冒頭のところで『月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也』と言って、自分も旅=おくの細道に旅立っていくわけですれども、芭蕉の亡くなった忌日は時雨忌という風に呼ばれております。
     時雨忌に捧げる今年の初めての時雨が降る今日であるよ、という一句でございます。
         
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年11月15日放送分)
  • ひよどりのあれは青き実食みし声  とおと

    季語
    ひよどり
    季節
    初冬
    分類
    動物
    鑑賞
     うっかり「青い実」を啄んでしまう「ひよどり」も、そりゃいるに違いないよという愉快。さらに「ひよどり」のヒーヨヒーヨと騒ぐ煩い声も、あ、こりゃ青い実だったよ、オレ青い実食っちゃった、みんなこれ苦いぜ! なんて、大袈裟に騒いでいるのかもしれないという空想的実感。
     発想勝負の一句ではありますが、語順がよく工夫されています。「ひよどりの」と始まる上五の後に「あれは」と置きました。代名詞をこの位置に入れることで、何が「あれ」なんだろう? と読み手の好奇心はかすかに動き出します。そして何よりもここから後の展開が鮮やか。「青き実」を食べてしまった……で終わらせず、最後に「声」を提示することで、読後の余白に「ひよどり」のヒーヨヒーヨという煩い声が響きわたらせます。言われてみると、あの声はなんだか苦いものを食べて騒いでいるようも聞こえてきます。作者の思うツボにまんまと嵌る愉快を味わわせてくれた一句でありました。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年11月8日掲載分)
  • パエリアのエビは有頭黄落す  天宮風牙

    季語
    黄落
    季節
    晩秋
    分類
    植物
    鑑賞
     「パエリアのエビは有頭」これだけの措辞で、「パエリア」が映像としてありありと再現されている点がなんとも見事。(米を着色する材料として使われる)サフランの黄色、有頭エビの赤を描いているだけなのですが、熱々のパエリア鍋が運ばれてきた時の印象はまさにこの通り。鮮やかな切り取り方です。「有頭」の一語もいかにも豊かな印象です。
     この句で最も誉めたいのは下五。上五中七で「パエリア」のことだけを描写し、カットが切り替わり、卓上の「パエリア」からこのレストランを包む「黄落」への展開、実に巧いですね。「黄落」の窓、秋のひかり、硝子のひかり、店内のざわめき、ワイングラスの音、香ばしい香り、有頭エビの赤、サフランの黄色。「黄落」という季語が、全てを包み込む空間が立ち上がってきます。「黄落」の黄色とサフランの黄色が、豊かに調和した作品。ああ、「パエリア」が食べたくなってきました!

    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年10月31日放送分)
  • 夜寒なりじきにこの子は雪も知る  茨城翔子 

    季語
    夜寒
    季節
    晩秋
    分類
    時候
    鑑賞
     例えば「じきにこの子も雪を知る」と比較してみます。これだと他の子と同じに「この子も」「雪」というモノを「知る」の意になり、どの子も「雪を知る」のが当たり前のこととして描かれます。
     対する掲出句「この子は」の「は」は、他と区別する助詞。目の前で眠る「この子」は、と取り立てて指さす表現です。「は」の一語に愛があります。さらに「雪も」の「も」は、他にもあることを示す助詞。「この子」はすぐに「雪」も「知る」よ、沢山のことを体験しながら育っていくに違いないよ、というこれも愛の一語の「も」なのです。やがて「雪も知る」「この子」は今、生まれて初めての「夜寒」の中で、健やかな寝息を立てているのでしょう。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年11月7日掲載分)
  • 鯔掛ける針にたぢからをのみこと  有櫛水母男

    季語
    季節
    三秋
    分類
    動物
    鑑賞
     「鯔掛ける針」とは、太い釣り針三本が放射線状に束ねられたシロモノ。これで「鰡」を引っ掛けるのが一般的な釣り方です。赤い疑似餌に近づいてきた「鰡」をこの太い針で引っ掛ける場面を想像すると、「たぢからをのみこと」という比喩に肯かざるをえません。
     「たぢからをのみこと」とは【天照大神の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神】です。かの強力の神の力が宿っているかのような「鯔掛ける針」であるよという一句は、ボラ掛け針にかかった「鰡」の暴れるさまも想像させます。釣り上げる側は、まさに「たぢからをのみこと」に成りきって「鰡」を引っ掛け、引き揚げるのです。いやはや、大胆にして見事な比喩の一句でありました。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年10月24日掲載分)