百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
胡麻爆ぜて晴天続く二十日間 木好
- 季語
- 胡麻
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「胡麻爆ぜて」は、炒って爆ぜるではなく、植物として実が熟して爆ぜる状態です。
いよいよ「胡麻」が爆ぜ始めたよ、ここのところ続いている「晴天」が今年の「胡麻」の生育をぐんとよくしてくれたに違いない。
「胡麻」という植物は、【旱魃に強く、生育後期の乾燥にはたいへん強い】のだそうです。刈り取りが近づいた頃に、雨が多いと生育は悪くなります。 「晴天二十日間」は「胡麻」にとっては最高のお天気。「胡麻」の花の美しさ、「胡麻」の実の存在感、それらを日々眺めている人だからこその「晴天続く二十日間」という措辞ではないかと思うわけです。この「晴天」に感謝をしつつ、今年の見事な「胡麻」の収穫を喜びましょう。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年9月16日掲載分)
めいげつやだいおういかのめはおおきい たくみ・三才
- 季語
- 名月
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- この投句には、たくみ君のお母ちゃん(あるきしちはる)のコメントが添えられていました。それが見事な鑑賞になっています。
「組長、たくみに名月の話を振ったら、何故かダイオウイカの話をはじめました。名月とダイオウイカの取り合わせなんてなかなかないですよね。しかも名月の丸くて大きい感じと、ダイオウイカの目。夜空のイメージと深海のイメージ、悪くないんじゃない?」
「名月」はただの月ではなく、一年に一度の中秋の名月を愛でる気持ちを含んだ難しい季語。「だいおういか」という名前との堂々たる取り合わせが天晴れです。三歳の息子のつぶやきに詩があることを気づくことのできる母ちゃん。それもまた天晴れです。
(※ 2019年の中秋の名月は9月13日。満月は翌14日)
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2016年9月16日放送分)
秋の蝶ほしはゆっくりうごくけど さな(3さい)
- 季語
- 秋の蝶
- 季節
- 三秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「今度は秋の蝶々さんよ。何かお話聞かせて、といってできた五七五です」というお便りとともに届いた一句。さなちゃんは、お祖母ちゃんから「今度は秋の蝶々さんよ」と言われて、蝶々が秋という季節に急かされるように、せわしなく飛んでいるさまを思い出したのかもしれません。
「ほしはゆっくりうごくけど」という言葉がどんな会話の流れででてきたのかはわかりませんが、悠久の動きである「ほし」と死を拒絶するように飛び回る「秋の蝶」の対比は、一句の世界に深い奥行きを作ります。
「秋の蝶」も「ほし」も、時間の長さは違いますが、いつかは滅びていくもの。静かな滅びの影をも感じ取ってしまうのは、オトナの側の深読みではありますが。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年9月11日掲載分)
初潮の光寄せ来る能舞台 八木ふみ
- 季語
- 初潮
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 「初潮」とは 陰暦8月15日の大潮のことで、「葉月潮」という傍題もあります。さらに「初潮」には【潮の満ちるときに最初にさしてくる潮】という辞書的意味もありますので、大潮の満潮のイメージが強い季語ではないかと(個人的には)受け止めています。
満潮の高さを「初潮の光寄せ来る」と表現した一句は、宮島の「能舞台」を思い出させます。ひたひたと水位をあげてくる潮、海臭い風、たっぷりと翻るひかりの反射。それらが「能舞台」の臨場感となって、作者が見たものと同じ光景を読み手の心に再生していきます。
「初潮」の「初」の一字のイメージが、一句の世界に瑞々しい「光」を満たしていく、静かな迫力が漲る作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2013年 9月27日放送分)
青磁なる壺中覗かば桔梗の野 山上 博
- 季語
- 桔梗
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 眼前にあるのは「青磁」の「壺」のみです。「壺」の中を覗き込むという発想の句もありますが、「青磁なる壺中」に「桔梗の野」が広がっているよという幻想に美しい眩暈を感じてしまいました。
「壺中」に吸い込まれるようにたどり着いた花野には、「桔梗」が点々と咲いているのでしょうか、それとも一面にひろがる群生でしょうか。風のあるはずのない「壺中」ですが、下五「桔梗の野」という詩語が目に入ったとたん、我が身も「桔梗の野」の風に吹かれていることに気付き、美しい「桔梗」がこの「壺」と同じ「青磁」の色であることにハッとする。仮想の「野」にありて、季語「桔梗」を堪能させる手法に、静かな感動を覚えた作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』8月21日掲載分)
俳句甲子園朱夏にとどめを刺しに行く 空見屋
- 季語
- 俳句甲子園
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 俳句甲子園という季語が悩ましいのは、地方予選あたりはまさに六月夏なんですけれども、本戦になると立秋を越えてからの大会(=初秋)になります。幅の広い夏なのか秋なのかはっきりせい! みたいな季語なんですが、「朱夏」、夏にとどめを刺しに行くのが俳句甲子園だと、しかも俳句甲子園が終わらないと夏は終わらないんだよとそういう熱気も込めての一句でございますね。
「朱夏に止めを刺しに行く」いやぁ、そういう熱い戦いが始まります。是非会場におこしください。
(※ 第22回俳句甲子園は、2019年8月17日(土)・18日(日)開催)
(鑑賞:夏井いつき)
(出典・ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年8月22日放送分)
すまん親父未だ門無しなる門火 まるにっちゃん
- 季語
- 門火
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- いきなり切り出される「すまん親父」という台詞に、のっけから引き込まれます。その興味に、ささやかな疑問符を投げかけるのが、中七「未だ門無しなる」という措辞。「門無し」って何?という思いに、答えを差し出すかのように出現する「門火」という季語に、成る程そういうことでしたかと肯かざるを得ません。
金稼いで立身出世して立派な跡継ぎになるつもりだったんだけどな、親父よ、俺はまだ門のあるような家を手に入れてないよ、許してくれよ、と灯す「門火」は、まさに亡くなった父の魂を迎える火であります。
「未だ門無しなる門火」という措辞が、最後の「門火」に焦点を絞っていく点も、作者の思いを率直に伝えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年8月14日放送分)
レースは黄ばみ妻を愛妻と呼びぬ 西条のユーホ吹き
- 季語
- レース
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 夏の季語「レース」といえば、金属製のかぎ針で細い糸を編み上げていくさまが思い浮びます。レースのテーブルクロスやピアノカバーは優雅な生活を思わせ、レースのカーディガンやワンピースを着た女性の優美もまた、この季語が内包する印象です。
そんな季語の本意を裏切り、「レースは黄ばみ」といきなり語り出す一句は、後半の措辞によって鮮やかに展開していきます。
「妻」が編み「妻」が纏った「レース」が黄ばんでゆく月日を共に過ごし、ワタクシは今、彼女を「愛妻」と呼んでいるよと語る夫のなんと優しい視線。真っ白なレースの似合う新妻を眩しげに見つめていた頃の若々しいまなざしも、ほのぼのと想像されます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2013年5月31日放送分より)
金魚水葬手折りて流す野の花も めいおう星
- 季語
- 金魚
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- かつて水中をたゆたうように泳いでいた「金魚」は今、ただの美しい色として水面に浮かんでいます。上五「金魚水葬」は、死んだ金魚を掌に載せそっと水に放つまでのささやかな時間を追体験させてくれる、冷たさ。泳がなくなった「金魚」がゆっくりと流れに乗る瞬間、水に煽られる鰭、美しく濡れた鱗、見開かれたままの目。そんな小さな映像の断片が、浮かんでは消えていきます。
「手折りて流す野の花」に表現される弔意は、「も」という助詞によって、「野の花」自身が生贄として捧げられたかのような印象を獲得し、オフィーリアの物語めく「水葬」という言葉の魅力は、「金魚」という美しい生き物に永遠のゆらめきを与えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年8月2日掲載分)
つきみそうリコーダーならラの音だ ひろしげ8さい
- 季語
- 月見草
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「つきみそう」は時間とともに色を変えていく儚げな花。「リコーダー」の柔らかい音だけだと「つきみそう」の美しい負性を表現しきれませんが、「ラの音」には微かな翳りがあります。聞くところによると、沖縄の音階にはレとラがないのだとか。沖縄の歌の懐かしさや温かみは、そんな音の成分にも要因があるのでしょうか。
「つきみそう」は「リコーダー」の音階に喩えると「ラの音だ」という詩的断定は、さざ波のような淋しさ、そして憂いとなって、読者の心に寄せては返します。「ラ」という音への感性、「つきみそう」の儚さへ寄り添う心、それらが八歳の少年の心を通して、こんな詩語となって結実していることに静かな感動を覚えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年7月22日掲載分)
パリ祭や欠損したる鳩の趾(あし) あねご
- 季語
- パリ祭
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「バリ」という華やかな都市名を冠したこの季語、一見ロマンチックにして美しい祝祭日を思いがちですが、「パリ祭」とは革命記念日。絶対王制や身分制度に立ち向かったフランス国民が、自ら流した血と引き替えにむしり取った市民革命の日なのです。
「パリ祭や」と掲げての取り合わせ。「欠損したる」ものが「鳩の趾」だと分かったとたんの生々しい衝撃。平和の象徴である「鳩」の欠けた「趾」に、フランス革命という凄惨な産みの歴史が重なります。季語「パリ祭」に肉薄した佳句。
(※ パリ祭=7月14日)
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2013年7月12日放送分)
ががんぼを扇ぎ夜へと戻しやり 小田寺登女
- 季語
- ががんぼ
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「ががんぼ」と「夜」、あるいは「ががんぼ」を「扇ぎ」て追い払うという発想の句はいくらでも目にするのですが、その手の類想から抜け出し得たのが、後半の「夜へと戻しやり」という措辞です。
「ががんぼ」を扇いでいる作者の動きや、吹かれる「ががんぼ」の様子が目に見えるように感じられるのも、「夜へ」向かって「戻しやる」という表現の巧さです。「夜」という塊が、まるで暗い幕のようにそこにあり、その「夜」へ向かって扇ぎながら戻しやっている描写が、そのまま詩語となりました。動詞「扇ぎ」の位置、微量の厭う気持ちを含んだ複合動詞「戻しやり」の的確な選択、そして映像化。過不足のない言葉の選択が実に見事な作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』7月15日放送分)
蜻蛉生るたちまち空は立体へ 矢野リンド
- 季語
- 蜻蛉生る
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- やごの背が割れて、羽化が始まります。頭、胸、やわらかい翅、そして脚が出て、踏ん張りながら腹の部分を引っ張り出します。「蜻蛉」がトンボとしての全き姿を手に入れたとたん、「蜻蛉」にとっての「空」もまた「たちまち」に「立体へ」と変容していきます。
二万個もあるという複眼で、「蜻蛉」は立体となっていく「空」を凝視します。「空」が完成し、我が翅がしっかり伸びきったのを確認して、「蜻蛉」は蜻蛉としてその空へ飛び立ちます。
「蜻蛉」が羽化することを「生る」と表現する季語の本意は、変容への感動。「蜻蛉生る」短い時間の感動を3Dの映像のような「空」で表現してしまうとは、なんとカッコいい発想でしょう。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2016年6月10日掲載分)
冷麦のなんと気楽や箸の国 みなと
- 季語
- 冷麦
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 索麺よりもちょっと太いから茹でるのも時間がかかるんじゃないかしらと思っていたけれど、実際に茹でてみれば、あっという間に茹だるし、喉ごしも気持ちいい! そんな実感が思わず「冷麦のなんと気楽や」という言葉になって転がり出たのでしょう。
季語「冷麦」を含む上五中下のフレーズで、言いたいことはほぼ言えているわけですから、残り五音をどうまとめるかが一句のポイント。「箸の国」という悠々たる下五の巧さに惚れ惚れします。「箸」の端正な形、機能、「箸」に挟まれた「冷麦」の美しさに改めて感じ入ります。私たちは「箸の国」の人として「箸」という食文化を使いこなし、器用に美しく、今年の「冷麦」をいただきましょう。
(鑑賞:夏井いつき)
(松山市公式サイト『俳句ポスト365』7月8日掲載分)
アイスコーヒーと眺む多肉植物の憂い 無窮花(むぐんふぁ)
- 季語
- アイスコーヒー
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「多肉植物」とは、サボテンのように肥厚した葉や茎などに多量の水分を含んでいる植物を指します。乾燥した土地や塩分の強い土地などに生育するのが特徴ですが、最近はインテリアとしてユニークな形の「多肉植物」を飾るのも流行っているようです。
エアコンのきいた涼しい部屋で「アイスコーヒー」を飲んでいるのか、お洒落なカフェか。片隅に置かれた大きな「多肉植物」か、卓上に飾られた小さなものか。「多肉植物」たちは「憂い」を抱えているから、妙な形に膨らんだり鋭い棘が生えだしたりしてくるんじゃないのか……。「多肉植物の憂い」をぼんやりと眺める作者の心を過る想念。都会の憂いが溶ける「アイスコーヒー」の苦さ。
(鑑賞:夏井いつき)
(ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』6月17日放送分)