夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちら心通じず秋風にでもなるか 夏井いつき
- 季語
- 秋風
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「秋風」は涼しい季節の風であると同時に、恋人への情愛が冷めるという意味を含む、和歌の伝統を受け継いだ重層性のある季語である。
ただし作者はその歴史性を翻し、「秋風にでも」と敢えて軽くふり捨ててみせる。深刻ぶらないふりをすることで、逆に物思いの深さを際立たせる。その「秋風」に自らが「なる」ことで、思いを断ち切ってしまおうというのだろうか。
「心通じず」の「心」は、必ずしも恋愛の情を表すものと限る必要はない。親子であったり、仕事仲間であったり、隣人であったり、様々な関係の中を生きる人間にとって「秋風にでもなるか」と腹をくくらざるを得ない瞬間は少なくないのだ。
(鑑賞:佐藤香珠)
(出典: 句集『伊月集「梟」』)
怒鳴る人の口ばかり見て鰯雲 夏井いつき
- 季語
- 鰯雲
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 心底から怒っている。
これまで我慢に我慢を重ねてやってきたが、余りの情けなさに、堪忍袋の緒が切れたようだ。
思いのたけを込めて怒鳴る。
私の辛さを少しはわかってくれよ、と、怒鳴り声の後ろでは、泣きたい気持ちなんだろうな。
怒鳴り終わったら、気が済むだろうと、元の気のいい親父に戻るだろうと、
皆は、怒鳴る親父の口を眺めて、終わるのを待っている。聴いてなぞいない。
親父の頭の上には、鰯雲が、広がっている。
もう、爽やかな秋だ。
実際に、心底から怒鳴ったことのある人が、怒鳴るひとに、共感のメッセージを送っている一句だと思います。
(鑑賞:中嶋敏子)
(出典:句集『悪態句集』)
山彦や案山子に耳はありますか 夏井いつき
- 季語
- 案山子
- 季節
- 三秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 無表情で突っ立っていて、何を言っても受け入れてもらえない。ほとほと疲れ果てた。こんなに根を詰めて、これほど情を込めて、語っても語っても伝わらないなんて。
山沿いの田んぼ道を帰ります。案山子がぽつんと立っていました。目鼻はあるけれど耳はあるのかしら、ふと思いました。耳を付けてもらえなかった案山子は何を言って聴こえてないのか。私が言葉を尽くして語っていたあの人にも耳はなかったのかも。
そういえば確かめて来なかったわね。そう思うとなんだか滑稽です。でも、虚しい。
山彦に聞いても答えはないことは知っているけれど、言わずにいられない。秋の風に私の声だけがこだまして聞こえます。
(鑑賞:とやまのつゆだま)
(出典:句集シングル『柿食うて』)
怒りしづかにしづかに熟しゆく石榴 夏井いつき
- 季語
- 石榴
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 日常には様々な怒りが生じる。取るに足らぬものから、しばらく口も利けなくなるような強い怒りまで。全ての怒りに決着がつくわけではない。大抵の怒りは吐き出さぬままに溜まっていく。
この句のように、溜まった怒りが熟していったとしたら、どうだろう。恐ろしくはないか?
怒りを核に果肉がつく。音もなく声もなく育ち、夥しい怒りの粒がぎっしりと詰まっていく。
手榴弾にも似たその形。怒りに染まる赤。石榴の底力である。
果肉は美しく甘い汁を湛えるが、噛めば直ぐに種である。噛み砕く強者もいるかもしれないが、凡人は吐き捨てるのみ。
種無し石榴など、千年先も存在すまい。
(鑑賞:愛知ぷるうと)
(出典:句集『伊月集 龍』)
野分来る吾は一本の旗である 夏井いつき
- 季語
- 野分
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 大舟の大鬼と小鬼たちがまた吠える。そして多くの命が消えた。鬼どもはそれを繰り返す。
小舟で、変わることなく「戦わぬ」と声を出し続け、大海に漕ぎ出す人たちがいる。
その変わらない意志を軽やかに鮮やかに印すものに『旗』ほど相応しいものはない。
たとえ、ムシロの旗であっても、ひるがえるその『旗』は誇らしげに大波にも抗う。
「吾は一本の旗である」と詠むひとや好し。その元に人は集まる。
(鑑賞:くあ)
(出典:句集シングル『旗』)
野分来る吾は一本の旗である 夏井いつき
- 季語
- 野分
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 旗というものは穏やかな、風がそよとも吹かぬ日は項垂れ、自らの存在をたたむものである。
野分が来る。不穏な風が吹く。地を這い、枝を鳴らし、意思持つもののごと人の世に咆哮する。
旗は立つ。自らの意匠を明かに空に曝す。風強ければ強い程、バサリ高らかに鳴る音は風ではない、旗の声である。
旗でありたい。常には群にまじり、たたまれた点であろうと、事あらば翼を広げ姿をあらわす。
戦うべき時は戦う、その旗印が「自分」である。
(鑑賞:花屋英利)
(出典:『旗三十句』)
紙垂揺るや真葛ヶ原は風の道 夏井いつき
- 季語
- 真葛ヶ原
- 季節
- 三秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 鳥居の紙垂が朝の清澄な風に揺れる。今が盛りの葛の甘い香りが漂う。この近くに一面に生い茂った原でもあるのだろうか。原からこの神域目指して、風が通う道があるのだ。
中七、作者の記憶のなかの真葛ヶ原が広がったのだと解釈した。目の前に実際の真葛ヶ原があっては、風の「道」というよりは、風の原だろうから。どこから葛の香りが運ばれてきたかわからないけれど、風は葛の生い茂る原とこの鳥居までの道をちゃんと知っている。
「道」が上五の「紙垂」=参道のイメージへと循環する仕掛けにより、葛の香り(嗅覚)、風の感触(触覚)、音(聴覚)、揺れる紙垂(視覚)、実際には目の前にない真葛ヶ原の思い出(連想)を拡張し続ける一句。
(鑑賞:播磨陽子)
(出典:俳句季刊誌『伊月庵通信 2019冬号』)
あなたがたもセイタカアワダチサウでしたか 夏井いつき
- 季語
- セイタカアワダチソウ
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- セイタカアワダチソウの黄色が好きだ。群生して風になびく様子も魅力的だ。旺盛な生命力を感じさせる植物だと思う。
しかし、その生命力には秘密があった。セイタカアワダチソウは根からアレロパシー作用を持つ物質を出しているのだ。周囲の植物の成長や種子の発芽を阻害する物質だ。だからあんなに群生することができるのだ。
そんなセイタカアワダチソウみたいな人間は、案外その辺にいるのかもしれない。その事に気がついたら、とりあえず逃げるが勝ちだ。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集シングル『悪態句集』「柿食うて」)
あなたがたもセイタカアワダチサウでしたか 夏井いつき
- 季語
- セイタカアワダチソウ
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 秋の野にひときわ目立つセイタカアワダチソウ。すすきやえのころぐさと違って群生していても一本一本が自己主張して生えています。
つつましく群生していた「あなたがたもセイタカアワダチサウでしたか」の呟きに作者の驚きと、「あなたがたも」の『も』に落胆の色が見えます。
(鑑賞:熊縫まゆベア)
(出典:句集シングル『悪態句集』「柿食うて」)
あなたがたもセイタカアワダチサウでしたか 夏井いつき
- 季語
- セイタカアワダチソウ
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- セイタカアワダチサウは耕作放棄地でよく見かけます。少しずつ増えていつの間にか群生し高々と揺れています。
この句の「あなたがた」はわたしの「あなたがた」です。「あなたがた」の顔が浮かんでくると心臓がバクバクして苦しくなります。
でも、この句を知って「あなたがた」の顔は「セイタカアワダチサウ」に変わりました。なんて胸のすく思いでしょう。そして時折つぶやくのです。あなたがたもセイタカアワダチサウでしたかと。
(鑑賞:卯年のふみ)
(出典:句集シングル『悪態句集「柿食うて」』)
水澄むというあかるさへ帰郷せり 夏井いつき
- 季語
- 水澄む
- 季節
- 三秋
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 清冽な印象の句である。
涼しい秋風が吹く頃、久しぶりの故郷を歩く。目に入る風景はどれも懐かしい。川が流れ、水が澄んでいる。すれ違う人の表情も、素朴で、どこか懐かしい。
これまで暮らしてきた世界が、あたかも、固まったものであったかのように、気持ちがほどけ、これからの人生があかるく広がっていく。
(鑑賞:中嶋敏子)
(出典:夏井いつきの限定版デジタル句集 『日よ花よ三十句 上』)
アウシュビッツへ蝶はひかりをぬぐ速度 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- アインシュタインの哀哭を想う。アメリカへの亡命後、アウシュビッツでは同胞が凄惨たる迫害を受け、科学は核兵器を生み出した。
彼が提唱した相対性理論によれば、相対速度が光速に近づくほど時間の進み方はゼロに近づくという。では、光を超える速度であれば。光を脱ぐほどの速度であれば。時間を巻き戻すこともできるのではないだろうか...?
否、時は戻らない。過去を無かったことにすることもできない。でも、今を生きるわたしたちが、人類の罪禍を忘れさえしなければ。同じ過ちを繰り返しさえしなければ。
蝶は春の光を纏って飛び続ける。それを美しいと感じるわたしたち人間は、美しいだろうか。
(鑑賞:ぐでたまご)
(出典:句集シングル『蝶語』)
きらきらと鳥を聴く日の泉かな 夏井いつき
- 季語
- 泉
- 季節
- 三夏
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 修飾語は被修飾語の直前にあるほうが読み間違いを起こしにくい。一般的にはそうです。次に来る言葉を修飾していると考えるのが普通ですから。
この句で「きらきらと」しているのは何? 「鳥?」と思ったらもっと続きます。「鳥を聴く日」、ああそれなら樹々の緑も太陽の光も風も、そしてそんな時間もきらきらしていそう。でもまだ続きます。「の泉」泉の水のきらきらが加わり、その清らかな音もきらきらかしらと思います。読み進むうちに「きらきらと」するものが次々増えていく不思議。
こんな泉に手を差し入れて清らかな水に触れる。なんて素敵な一日でしょう。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:『いつき組新聞 15号』)
八卦見のをぢさんと見る大花火 夏井いつき
- 季語
- 花火
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「をぢさん」の表記に軽侮をみる。
そもそも先の運命がみえるなら香具師にまじって店を出す八卦見なんぞではいまい。
うらぶれた、当たりそうもない、悲しい匂いのする「をぢさん」である。
そのをぢさんにすがろうとする自分はもっと寂しい。
皆々花火に気をとられ背を向けている今だからこそ「お願いします」と小声を出せるのだ。
「これから尺玉だよ、観てからにしようよ」椅子ごと振り返って見上げれば最後の連発、さすがに見事、無心になってオオーと二人声を合わせる。
をぢさんの見立ては思った通り「大器晩成、これからだよ」
うん、当たってる気がしてきた。
でも背を押してくれたのは占いよりも、まだ身に残る大花火の震動だとおもうよ。
(鑑賞:花屋英利)
(出典:句集『伊月集 龍』)
鷺草を摘んでちぎってお弔い 夏井いつき
- 季語
- 鷺草
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 幼い子供は無邪気に容赦なく残酷な事をする。この一句でもそうだ。可憐で美白の鷺草を摘みとったかと思うと、平気で白鷺をちぎりとってポイ捨。何食わぬ顔でそんなことをする。一番弱いくせに。でも母親に諭され、手を合わす仕草が可愛いから堪らない。
ところが、子供を読んだ一句として鑑賞した後、句集の前書きを読んで作者のこの句に託す思いが激しく伝わってきた。「平和を希求する小さな旗を一本、ここに掲げる。」
誰もが「鷺草」に寄り添う心を持ち続けることができれば「平和」などという言葉は必要なくなるのに、現実はこの一句が象徴している通り。だから、「鷺草」を思い続ける心。さりげない白と黒の対比が感動的だ。
(鑑賞:吉野川)
(出典:『旗三十句 上』)