夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちらあの枝は大鷲の枝ゆきの枝 夏井いつき
- 季語
- 大鷲/雪
- 季節
- 三冬/晩冬
- 分類
- 動物/天文
- 鑑賞
- まず、雄大な景色を思い浮かべた。大鷲が雪の積もった木のてっぺんに止まっている。てっぺんとは言っていないが、てっぺんであろう。しかも木ではなく、枝である。
大鷲と枝のみを漢字表記することによって、しかも枝・枝・枝と連呼することにより、あの枝は大鷲のものなのだ、と主張している。
大鷲と細い枝との大小の対比に、また大鷲の黒と雪の白との対比となっており、静寂の中、寒さが増してくる。
(鑑賞:小笹いのり)
(出典:句集シングル『ワカサギ』)
裸木に太陽ひっかかっているよ 夏井いつき
- 季語
- 裸木
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 黒々と枝の剥き出しになった枯木。
その木の枝に引っかかり、地平線から昇ったばかりの太陽が、なかなか天上へと昇れないままになっていることの発見。
冬の冷え切った朝を暖める太陽の、あかあかとした光を浴びて、木はいよいよ黒々とし、温まり、「裸木」としての強い生命力を宿す。
そしてその強い生命力に、冬の弱々しい太陽は、天へ昇る勢いを奪われているかのようだ。
句またがりにされた「ひっかかっている」とその中で2回繰り返される促音「っ」、更に下五「よ」の字余りのリズムによって、あちこちの枝に引っかかる太陽と、太陽も阻んでしまう裸木の強かな生命力が浮かび上がる。
(鑑賞:黒子)
(出典:句集『伊月集 梟』)
インク壺には木枯を閉じ込めよ 夏井いつき
- 季語
- 木枯
- 季節
- 初冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 木枯しの句と言えば、山口誓子の「海に出て木枯し帰るところなし」に極まります。特攻隊を題材にした反戦句の一面を知らずとも、どうしようもない虚しさを感じさせる見事な一物仕立てです。
対照的に「木枯を閉じ込めよ」と意志を示すこの句の真骨頂は「インク壺」にあります。
ちっぽけな「インク壺に」「木枯を閉じ込め」るという不合理かつユニークな表現の裏に、「木枯」が象徴する苦しみや悲しみを忘れず、いつかペンで言葉にするという決意が隠されているのではないでしょうか。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『伊月集 梟』)
冬の夜を帰る嗚呼さばさばと帰る 夏井いつき
- 季語
- 冬の夜
- 季節
- 三冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 冬の夜とさばさばが句を引き締めてゐる。春・夏・秋ではこの緊張感は出ない。
貰ふもの(賞与)は貰つた。たうたう辞表を叩きつけてやつた。先の心配より、今の爽快感が勝る気分だ。満天の星空、冷え冷えと澄んだ空気、頭の中も肺の中も全身がリフレツシユする感覚が心地よい。
タクシーの中で、さて妻には何と云ふか、ある程度は話してあるが一抹の不安が過る。とにかくこの正月はゆつくりして、明けから職探しをするさ。
何度さうしたいと思つたことか。人生守りに入ると現実ではなかなかさうはできないが、ドラマのワンシーンを見ているやうな、爽快な気分にさせて貰つた。ありがたう。
(鑑賞:いなだはまち)
(出典:句集シングル『悪態句集』)
ものがたる化石さえずる骨も秋 夏井いつき
- 季語
- 秋
- 季節
- 三秋
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- これは作者が2019年に番組収録で訪れた国立科学博物館での吟行句であるが、そのことは前提としなくてもよい。
発掘された化石は、恐竜に羽毛があったという驚愕の事実や、噛み跡は食った食われたの関係性、抱卵の仕方、さらにはその肌の色までも雄弁に物語るのだ。まるで全身骨格を再現された恐竜がその口で語っているかに思える。
季語「秋」からは虫の声を想起するが、恐竜は鳥となって生き残っていることから、かつて恐竜を構成していた300個以上の骨の一つ一つもまた、その末裔の鳥のごとく、「さえずる」ように太古の生き物たちの生を私達に語りかけててくるのだ。
(鑑賞:ひでやん)
(出典:575でカガク!「恐竜」2019年8月29日NHK Eテレより)
インク壺には木枯を閉じ込めよ 夏井いつき
- 季語
- 木枯
- 季節
- 初冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 子供の頃祖父の机の定位置にあったインク壺を思い出した。そっと開けてみると独特の匂い。じっと覗き込んでいると見えない風景へ引き込まれそうになる。祖父はここに木枯をたくさん閉じ込めていたのだろう。山々を街を吹き抜けた木枯を濃縮した匂いだったのだ。もしかすると帰るところのない木枯もそれぞれのインク壺に納まったのかも。
掲句の時空を歪ませるような行為は一読無茶振りにも思えるが、木枯の大きさは? どこから入れるの? と自然に季語を考えるうちに様々な想いに至る。
それにしても思いもよらない発想が楽しい。取り合わせの妙とはこういうことなのか。
(鑑賞:池内ときこ)
(出典:句集『伊月集 梟』)
龍の玉こつんとほんとのことを知る 夏井いつき
- 季語
- 龍の玉
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 龍の玉の実は、色が少しずつ変わって最終的には碧色になり、いくつか隣り合わせたように成っている。色には時の移り変わりとその経過が感じられる。深い碧に何を見たか。
風に揺れればこつんと頭を付き合わせているよう。その少しの触れ合いで、肩を寄せ合い寒さを共に乗り越えてきた仲間を守っているようにも見える。ほんとのことに形はないが、確信する信頼関係があったのだ。
作者はこつんの瞬間にそれに気づいたのだ。言葉で知ったのではない。これは何だろう? と振り返ってしまうほどのちょっとした衝撃もこの句に感じる。
(鑑賞:月萩つなぎ)
(出典:句集『伊月集 梟』)
てのひらに龍のうろこと菱紅葉 夏井いつき
- 季語
- 菱紅葉
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 菱は水草。葉は水面に放射状に広がる。晩秋ともなれば、外側の葉から次第に色づいてくる。
てのひらの菱紅葉は水から拾い上げたものだろうか。その紅く濡れ濡れとした菱の葉とともに、龍の鱗があるというのだ。
この鱗は、もしかすると赤龍のものかもしれない。菱紅葉に紛れるように水面を漂うていたものを、それと知らずに拾ったのかもしれない。
次第に乾いてゆく龍の鱗と菱紅葉。ひらがな表記のなかで「龍」「菱紅葉」だけが漢字というのも効果的で、不思議なリアリティを湛えた一句だ。
(鑑賞:RUSTY)
(出典:句集『龍尾』)
秋夕焼の芯はまっくろかもしれぬ 夏井いつき
- 季語
- 秋夕焼
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 温度によって人の目に見える色が決まる。
太陽に見られる黒点は、自身が明るく輝いているのにもかかわらず、周りの太陽が明るすぎるため黒く見えてしまうらしい。黒点だけを取り出せば満月よりも明るいのだとか。
とすれば、この作者が見た夕焼は、さぞかし光り輝いていおり、芯がまっくろに見えたように思ったのでしょう。また逆をかえせば、その黒い部分があることによって、夕焼は美しく存在できるのでしょう。
色々な人が共存する世界で、だれもがそれぞれの個性を持って光っているのだということ、またお互いに支えあっていることを忘れてはならない。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 梟』)
蒙古のごと日蓮の忌の野の鴉 夏井いつき
- 季語
- 日蓮忌
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 数えきれない「野の鴉」の群れが大スクリーンから大音響とともに迫ってくるような一句です。
数万人の「蒙古」襲来が映像として浮かんだ後に、「日蓮の忌」と凄まじい宗教家を供養するお題目が響き渡ります。鎌倉時代の強烈な歴史的記憶を晩秋の日暮れの「野の鴉」が蘇らせたのです。
「野の鴉」は「蒙古のごと」く数的脅威を感じさせる群れに違いありません。しかし「日蓮の忌」と結びつくことで、その群れの鳴き声は「蒙古」と対決しなければいけない恐れや嘆きを訴えているようでもあります。
この秋、「野の鴉」のけたたましい鳴き声はどのように聴こえてくるのでしょう。
(鑑賞:吉野川)
(出典:『伊月庵通信2020年冬号 野の鴉』)
そこ切るか我が校長の松手入れ 夏井いつき
- 季語
- 松手入れ
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 中学生だった息子が、学校の玄関で用務員さんが木を切ってると思ったら校長だった。という話を思い出した。
暇なのか、マメなのか校長自らの剪定。そこを切ってはだめとわかっているので、見ているのは生徒ではなく部下である教師であろう。
自慢の、憎めない、頼りない、おらが校長。学校の責任者。窓から心配そうに見守りながら、あちゃーそこきっちゃったよと苦笑いする教務主任。
良い関係であることが感じられ、こんな学校通いたかったなと、読み手それぞれの学生時代を思い起こす力を持っている。
冬に向かって、学校の品格を表す松を自己流に手入れする校長と、我が校長と胸を張る教師。きっと笑顔一杯の学校であろう。
(鑑賞:山羊座の千賀子)
(出典:月刊俳句界256号より)
怒鳴る人の口ばかり見て鰯雲 夏井いつき
- 季語
- 鰯雲
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- すっごい怒ってはるんやなあ。いやあ、かなわんわ。はあ、そないに怒らんかてよろしいやろに。
その方にとってはどうにも見過ごせない問題であるらしく、全身全霊、それこそ全集中でお怒りなことだけはわかるんだけど、ターゲットになっているらしいわたくしにとっては、なんのことだかさっぱりわからなくて。だから口をぱくぱく、目をいからせ、腕を振り上げ地団駄を踏んでいるお姿は見えていても、まるで無声映画のようにリアルでなく、遠くの景色みたいに感じられるだけで。
それにしても良いお天気、ふと見上げた青い空、あの鰯雲たちと一緒に、心は遠くまで飛んでいく。ああ、そろそろ終わりにしてくれはらへんやろか。
(鑑賞:佐藤香珠)
(出典:句集『悪態句集』)
神鏡を研ぐごと竜胆へ飛沫 夏井いつき
- 季語
- 竜胆
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 前置きの「羽黒山」と「飛沫」という言葉から、滝があるんだなと分かる。その滝自身が神鏡であり、研がれているのか。太陽の光がその滝に向かって注がれているのではないか。
時間は朝がいい。朝日が滝をきらめかせる。そのしぶきで滝が研がれている神鏡の様に見える。
激しい滝ではなく、むしろ柔らかい女性的な滝が思われた。飛沫は滝の端にささやかに咲いている竜胆へと降りかかる。
この竜胆は絶対白がいい。この一句から羽黒山の神々しさ、秋滝の爽やかさ、優しさ、音、匂い、日の光や色彩の明るさ、草木の匂い、人々の信仰の深さが押し寄せてくる。
神に寄り添うような白い竜胆の可憐なことこの上ない。羽黒山への素晴らしい挨拶句。
(鑑賞:播磨陽子)
(出典:伊月庵通信 2019年冬号『放歌高吟』掲載句)
蟋蟀や夜は産卵管の匂ひ 夏井いつき
- 季語
- 蟋蟀
- 季節
- 三秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 夜、目を閉じると、聴覚と嗅覚、一部の触覚が頼り。中でも嗅覚は、現在と過去を繋ぎ記憶を呼び覚ますための触媒となる。デジャブという言葉があるが、匂いの「デジャブ」にはいつも過去がもれなくついてくる。
本句から匂ってきたのは、母の匂いであった。末っ子の私は母にとって湯湯婆。私にとっての母は、最初は冷たいが暫くするとふかふかの蒲団。
嗚呼作者は蟋蟀に「産卵管の匂い」を感じたのか。作者は女性に違いない。
恐らくは出産を経験された女性の作品ではないかと感じた。実は、男の私にとっての蟋蟀の匂いの記憶は、胡瓜の饐えた匂いしかなかったのである。
(鑑賞:いなだはまち)
(出典:伊月庵通信 2020年冬号『放歌高吟』掲載句)
孫の名は太一と申す宮相撲 夏井いつき
- 季語
- 宮相撲
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 赤子を力士に抱いて貰う風習がある。大きくて強いものに対する憧れからだろうが、力士の力と四股で赤子に近付こうとする邪気を払って貰うのかも知れない。
赤子は泣いたり笑ったり寝ていたりだが、力士に抱いて貰うとき赤子の名を告げる。
「太一」、きっぱりとしたいい名だ。「太一」は万物の根元を意味する。
「宮相撲」の例句は少ない。季題にふさわしい力強い句だ。
(鑑賞:蓼蟲)
(出典:句集『皺くちゃ玉』)