夏井&カンパニー読本
■募集終了のお知らせ
「夏井&カンパニー読本」は2024年12月31日(火)をもちまして募集を終了する運びとなりました。夏井&カンパニーのHPに掲載中の鑑賞文については引き続きご覧いただけるよう、アーカイブとして保存していますので、ご投稿いただいた様々な鑑賞文を、ぜひご覧ください。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちら怒鳴る人の口ばかり見て鰯雲 夏井いつき
- 季語
- 鰯雲
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- すっごい怒ってはるんやなあ。いやあ、かなわんわ。はあ、そないに怒らんかてよろしいやろに。
その方にとってはどうにも見過ごせない問題であるらしく、全身全霊、それこそ全集中でお怒りなことだけはわかるんだけど、ターゲットになっているらしいわたくしにとっては、なんのことだかさっぱりわからなくて。だから口をぱくぱく、目をいからせ、腕を振り上げ地団駄を踏んでいるお姿は見えていても、まるで無声映画のようにリアルでなく、遠くの景色みたいに感じられるだけで。
それにしても良いお天気、ふと見上げた青い空、あの鰯雲たちと一緒に、心は遠くまで飛んでいく。ああ、そろそろ終わりにしてくれはらへんやろか。
(鑑賞:佐藤香珠)
(出典:句集『悪態句集』)
神鏡を研ぐごと竜胆へ飛沫 夏井いつき
- 季語
- 竜胆
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 前置きの「羽黒山」と「飛沫」という言葉から、滝があるんだなと分かる。その滝自身が神鏡であり、研がれているのか。太陽の光がその滝に向かって注がれているのではないか。
時間は朝がいい。朝日が滝をきらめかせる。そのしぶきで滝が研がれている神鏡の様に見える。
激しい滝ではなく、むしろ柔らかい女性的な滝が思われた。飛沫は滝の端にささやかに咲いている竜胆へと降りかかる。
この竜胆は絶対白がいい。この一句から羽黒山の神々しさ、秋滝の爽やかさ、優しさ、音、匂い、日の光や色彩の明るさ、草木の匂い、人々の信仰の深さが押し寄せてくる。
神に寄り添うような白い竜胆の可憐なことこの上ない。羽黒山への素晴らしい挨拶句。
(鑑賞:播磨陽子)
(出典:伊月庵通信 2019年冬号『放歌高吟』掲載句)
蟋蟀や夜は産卵管の匂ひ 夏井いつき
- 季語
- 蟋蟀
- 季節
- 三秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 夜、目を閉じると、聴覚と嗅覚、一部の触覚が頼り。中でも嗅覚は、現在と過去を繋ぎ記憶を呼び覚ますための触媒となる。デジャブという言葉があるが、匂いの「デジャブ」にはいつも過去がもれなくついてくる。
本句から匂ってきたのは、母の匂いであった。末っ子の私は母にとって湯湯婆。私にとっての母は、最初は冷たいが暫くするとふかふかの蒲団。
嗚呼作者は蟋蟀に「産卵管の匂い」を感じたのか。作者は女性に違いない。
恐らくは出産を経験された女性の作品ではないかと感じた。実は、男の私にとっての蟋蟀の匂いの記憶は、胡瓜の饐えた匂いしかなかったのである。
(鑑賞:いなだはまち)
(出典:伊月庵通信 2020年冬号『放歌高吟』掲載句)
孫の名は太一と申す宮相撲 夏井いつき
- 季語
- 宮相撲
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 赤子を力士に抱いて貰う風習がある。大きくて強いものに対する憧れからだろうが、力士の力と四股で赤子に近付こうとする邪気を払って貰うのかも知れない。
赤子は泣いたり笑ったり寝ていたりだが、力士に抱いて貰うとき赤子の名を告げる。
「太一」、きっぱりとしたいい名だ。「太一」は万物の根元を意味する。
「宮相撲」の例句は少ない。季題にふさわしい力強い句だ。
(鑑賞:蓼蟲)
(出典:句集『皺くちゃ玉』)
貝くだく仕事月読む仕事かな 夏井いつき
- 季語
- 月
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 貝を砕いて肥料にする。鶏の餌に混ぜる。砕いた貝の使い道はなんだろう。どんな形にせよ、貝は砕かれて形を変え、役に立つ。
月を読むのは、漁の時期を決めるのか。農事か、もしかしたら神事かも。
現代の仕事が「何をどうする」という形で表現しにくいことに今更ながら気がつく。この句の「仕事」は現実の「もの」に対して働きかけをする仕事の確かな手触りを感じる。
暦を見るのではなく、月を読むのだ。月の形は日々変わり、それを毎日眺める。貝は毎日砕かれ確かな存在感を持ってそこにある。
私の仕事もそうだろうか。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:『俳句新聞 いつき組』4号)
乳吐いて野分の夜のがうがうと 夏井いつき
- 季語
- 野分
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 赤ん坊は乳を飲んで大きくなっていく。そのくせ乳を飲むのが下手くそで空気も一緒に飲み込んでしまう。そして上手にゲップができずに、せっかく飲んだ乳を吐いてしまうこともたびたびだ。
それにしても、いまの吐き方はいつもよりひどかったのではないか。どこか体調が悪いのではないだろうか。赤ん坊はぐっすり眠っているようにも、ぐったりしているようにも見える。
未熟な母親の不安をあおるように夜の野分の雨風が、がうがうと音を立てて小さな家を襲うのだ。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集シングル『皺くちゃ玉』より)
わたくしの流燈もまたその中へ 夏井いつき
- 季語
- 流燈
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 盆の十六日の夕方。水面に置くと、故人の名を書いて私が点した燈籠も、先を行く一団へと向かい、共に彼岸へと遠ざかってゆく。
いつの日か、子どもたちの手によって私自身の名の書かれた燈籠も、祖父母、曾祖父母らと同じように、あの魂を送る光の中へ加わるのだ。
祖先より連綿と受け継いできたこの燈籠流しが、この地で、これからも続いていくという確信。
「もまた」と「その中へ」という措辞により、流燈の美しくも寂寥とした、幻想的な光の中で、現在と過去・未来とが、渾然一体となっている。
(鑑賞:黒子)
(出典:句集『伊月集 龍』)
折鶴の街夕蝉のさわぐ街 夏井いつき
- 季語
- 蝉
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「折鶴の街」と言われて思いつくのが、広島。何度か行ったことがあるのだが、原爆の投下から75年以上経つのに、未だ折鶴が吊るされている。
「折鶴の街」は、静かな様子、「夕蝉のさわぐ街」は文字通り騒がしい様子と、対照的な二つの景を取り合わせているのだが、騒いでいるのが人ではなく蝉であるという。
前半に「折鶴の街」(=広島)とあることで、原爆投下直後の、全ての生活音(=生活する人)を奪った一瞬ののち、蝉だけが鳴き始めたのではないか、蝉だけが生き残った街なのではないかと想像してしまう。
今日も蝉が騒がしく鳴いているなあと思えるのは、そこに生活する人がいるからだと、改めて思った。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 梟』)
冷房ぬるし銃めく新型体温計 夏井いつき
- 季語
- 冷房
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 体温を測られているのは、どこかの施設か病院か。
担当者がかざす非接触型の新型体温計。その形を、ふと(銃のようだ)と思う。
ピッ……体温計が小さく鳴る。
銃めく体温計が撃ったのは、作者の額か。それとも、先の見えない鬱々とした日常か。
ぬるく物足りない冷房。汗はまだ引かない。
(鑑賞:RUSTY)
(出典:『伊月庵通信』2020年秋号)
破れ蝉へ蟻おしよせてゆくところ 夏井いつき
- 季語
- 蟻
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 小さな光景だ。
死んで、かさかさになった蝉が、転がっている。破れ蝉という描写から、その骸がぼろぼろであることを思う。小さな傷ついた骸に、もっと小さい蟻がおしよせてくるのである。
大群がひたひたとおしよせてくるのは、恐ろしいものである。小さいものでも、いや小さいものだからこそ、恐ろしい。無機質で無表情な蟻に、忠誠心と無慈悲さと、若干の食欲が潜んでいるようにさえ感じられる。
後半が全てひらがなであるのが、おしよせてくるイメージをより強くする。カメラのシャッターを切るように情景が切り取られ、眼前に突きつけられている。
そんな小さな光景だ。
(鑑賞:星埜黴円)
(出典:『俳句と写真で綴る内海村 うみいづ』)
蟻ふみそうな蟻ふみそうな奥の院 夏井いつき
- 季語
- 蟻
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 夏の季語「蟻」と「奥の院」をとりあわせた7・7・5の破調の句となっていますが、上五の字余りなので違和感は無さそうです。しかし「蟻ふみそうな」のリフレインは何か危うさを感じます。
蟻の群れが気になるのは殺生が許されないお寺の境内にいるせいでしょうか。それとも本堂のお参りでは足りず、奥の院にまで足を伸ばすほど神経質になっているせいかもしれません。
小さな命に心を奪われ、踏んでやろうかという罪悪感とやってはいけないという理性の葛藤の中、歩き続けた先に奥の院が現れて読者も救われるのでした。
蛇足ですが、「蟻」の「あ」で始まり「奥の院」の「ん」で終わるこの一句に「阿吽」の意味も見出せます。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『伊月集 梟』)
無線機の向こうに汗の声聞こゆ 夏井いつき
- 季語
- 汗
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「汗」は通常「触覚」「視覚」「嗅覚」で、感じるものである。
汗が皮膚にじっとりとにじんでくることや、汗で衣服が濡れていくことを「触覚」で感る。浮き出て玉になった汗や、汗で濡れた衣服の色が変わったことを「視覚」で感じる。汗で濡れた衣服がやがて放ち始める臭気を「嗅覚」が感じる。
この句は「汗」を「聴覚」で感じている。無線機の雑音まじりに聞こえてくる現場の声。暑さからくる疲れや焦りがにじみ出ている、そのやり取りの声の調子に「汗」を感じているのだ。無線機を握って、現場からの指示を待っている作者の額にも、汗がしたたっているのだろう。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:「うみいづ―俳句と写真で綴る内海村」)
ゆらゆらと日傘ふえくる神事かな 夏井いつき
- 季語
- 日傘
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「ゆらゆらと日」に、夏の茹だるような日射しが、「ゆらゆらと日傘」に、暑さの中呼吸に合わせて揺らぐ一本の日傘と、それに反射する日射しの揺らぎが、「ゆらゆらと日傘ふえくる」に、静かに集まり来るひとびとの歩調と、多数の煌めく日傘がイメージされる。
そして、それらとは一線を画し、流れるような所作で、暑さをものともせず、厳かに執り行われる「神事」。
「かな」の詠嘆により、祝詞の響む神聖な時空の広がりと、多数の参列者たちの浄化されゆく心が、日傘の作り出している陰と相まって、涼やかに感じられる。
(鑑賞:黒子)
(出典:句集『伊月集 梟』)
さくらんぼ売る籠魚腐る籠 夏井いつき
- 季語
- さくらんぼ
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 同じ籠であるのに、一方では華やか、もう一方では朽ちていくものがあるのです。まるで人間社会そのものです。
さくらんぼは一見華やかそうに見えていても、自身もまた朽ちやすいものであり、いずれ朽ちていく運命である。腐る魚も籠に乗る前は生き生きと泳いでいた。実は両方とも同じものではないかと問いかけているようにも思えます。
腐りやすく見た目の華やかなさくらんぼを季語に据えたところに彼女の伝えたい真意が見えてくる句だと感じます。
(鑑賞:よしざね弓)
(出典:句集『伊月集 龍』)
涼しさを語りてをればねてしまふ 夏井いつき
- 季語
- 涼し
- 季節
- 三夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 誰にでもわかるやさしい言葉だけでできていて、泣けてくるような懐かしさがある。
帰省した実家の座敷かもしれない。仲良しの友だちとの温泉旅行かもしれない。夕食を食べてお風呂に入って、畳に寝転んで、今日も暑くて疲れたね、でも夜風が涼しくなったから秋も近いかな、なんて言ってるうちに、寝てしまった。まだいっぱい話したいことがあったのに。
疲れているのになかなか寝付けない夜は、こんなゆったりとした時間を思い出しながら眠りにつきたい。
(鑑賞:中村阿昼)
(出典:句集『伊月集 龍』)