夏井いつき読本
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井いつき読本 投稿フォームはこちら暖炉ある家の猫に見下されてゐる 夏井いつき
- 季語
- 暖炉
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 小洒落た洋風の家、屋根には煙突があり、日当たりの出窓には、白いペルシャ猫がこちらを見ている。いかにも裕福で幸せそうな家。
見下すなんて、猫はそんなこと多分思ってない。いろいろあって卑屈になってる私の心が、そう思わせるのだ。この世は間違いなく不平等だ。でもそれを恨んでも詮無い話。
だいたい家の外観と高そうな猫だけで、全てを判断してはいけない。もしかして嫁と姑がバトルしている家かも知れないし、などと悔し紛れの勝手な想像をして、ひとまず心のザワザワを収めた。
(鑑賞:陽光)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
鶴食うてよりことのはのおぼつかな 夏井いつき
- 季語
- 鶴
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- ごちそうさま。お汁美味しかったわ。特にお肉が上品なお味で。あれは鶴でしょう。私も食べたことはなかったけどすぐ分かったわ。これは普通のお肉じゃないなって。大丈夫よ、誰にも言わないわ。今は食べちゃいけない決まりだものね。
それにしてもなんだか不思議な心地だわ。身体がふわふわと軽くなっていくようなの。飛べそうだわ。頭もふわふわして、ああ、ごめんなさい。何をおっしゃっているかわからないわ。声は聞こえるんだけど意味がおぼつかなくて。
言葉を手放すから身体が軽くなるのかしら。言の葉って重いものなのね。そんな心配そうな顔をしないで。私はとてもいい気分よ。でも、もうお話はできそうにないわ。ではごきげんよう。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
鶴食うてよりことのはのおぼつかな 夏井いつき
- 季語
- 鶴
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 鶴は平安時代以降、中国から伝播した神仙思想の影響もあり、長寿の象徴として縁起物になった。江戸時代には民間の狩猟が禁じられ、将軍が自ら仕留めた鶴の肉を献上し、式包丁により天皇に供されてきたという。
もしも鶴の肉を食べて千年の長寿を得てしまったとしたら、どんな風に過ごせば良いのだろう。千年若いわけではないかもしれない。百才なら想像できるが、五百才や八百才になったら目は見えるのだろうか。歩けるのだろうか。仙人よろしく、霞を食べれば生きていけるようになっているかもしれない。言葉はどうか。そもそも一般人が口にしていいものなのか。おや、この人はどうやら……
(鑑賞:彼方ひらく)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
鶴食うてよりことのはのおぼつかな 夏井いつき
- 季語
- 鶴
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- それはそれは覚悟のいったことであったろう。なにしろ鶴を食ってしまったのだから。
「鶴」とは作者の選び取った俳句の道であり、選び取った人生の道であるか。すでに食ってしまったが、モデルとする人もない、これでよいのかもわからない。食ってしまったが、ことばの道に深く分け入れば入るほど、ことばは頼りなく掴み切れない…。
冒頭2文字が漢字で残りすべてが平仮名であることにより、覚悟を決めて鶴食ったのちにおぼつかなくなる感じが視覚でも効果的に表現されている。
(鑑賞:松井檸檬)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
ふくろうに聞け快楽のことならば 夏井いつき
- 季語
- 梟
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 精一杯の自分に要望等を押しつけようとする者。家族? 仕事上? それなりに寄せられる不満の声? 句は一喝します「そんなに欲を満たしたいのなら、ふくろうに聞いてもらえ」と。「ふくろう」ならば君たちの欲を満たしてくれるだろうよ、と。
現代仮名遣いの平仮名「ふくろう」に、福朗だの不苦労だのという言葉の置きかえのイメージを残したか。
しかしながら、この句の肝はここからだと思います。梟は近づいた人家に、凶をもたらす不吉な鳥とされています。欲をあまりにも貪ろうとする者への、精一杯の戒めの気持ちを込めた句であると思います。
(鑑賞:北藤詩旦)
(出典:句集『伊月集 梟』)
ていねいにおじぎして菊日和かな 夏井いつき
- 季語
- 菊日和
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 秋晴れの清々しい心地よさは担保した上で、読み手の想像に任せる、そんな余白がたっぷりとある句だ。
作者が寺の住職に挨拶しているのかも。街角でモヒカンの兄ちゃんの親切に、おばあさんがお礼をしているのかも。菊花展での授賞式の一場面も考えられる。
いやでも、季語以外は平仮名という表記のやわらかさを思うと、ささやかな日常、それも子どもが似合う。たとえば、六、七歳の子が親戚のおじさんに小遣いを貰ってのおじぎなんて似合いそうだ。
改めてこの句の「菊日和」の効果と、菊のバリエーションの豊かさに気付かされた。
ていねいなおじぎはいつも素敵だ!
(鑑賞:梅うめ子)
(出典:句集『伊月集 龍』)
紳士たる夫よ熱き焼栗剥いてくれ 夏井いつき
- 季語
- 焼栗
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- まず一読して、「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」(与謝野晶子)を想起しました。
とはいえ、晶子の歌が緊張感すら漂うような性愛であるのに対し、「紳士たる夫」といった措辞や「焼栗」という季語からは余裕とか諧謔味が感じられて、風格ある性愛の句、といった趣きです。
(鑑賞:大 広秋)
(出典:『夏井いつきの日々是「肯」日』)
赤子泣き出す鳥威猛りだす 夏井いつき
- 季語
- 鳥威
- 季節
- 三秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 実った穀物を荒らす鳥を脅す仕掛けである「鳥威」。赤子が泣くぐらいなので、鳴子よりも大きな音の出る空砲のようなものだろう。そう、普通は大きな音に驚いて赤子が泣き出す。
ところが句は赤子が泣き出し、そして鳥威が猛りだしている。原因結果を逆に書くことでこんなに俳諧味が出るものとは。まるで「赤子」が「鳥威」を脅しているかのような錯覚を覚える。
「鳥威猛りだす」という擬人も可笑しみと同時にすんなりと受け入れられる。
「~出す~だす」という表記は対句表現であるとともに、句またがりでこの二つの音が繰り返されることも表現していて効果的。二つの音の狭間で困り顔をしている母親の顔が思われる。
(鑑賞:高橋寅次)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
雨ぽつんぽつんままこのしりぬぐひ 夏井いつき
- 季語
- ままこのしりぬぐい
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 句集『鶴』を片手に秋の道後を訪れた。目的地の一つは宝厳寺。句集には本堂が全焼したときのことと思われる句群があり、最後に置かれているのがこの句である。
季語は「ままこのしりぬぐひ」。棘の多いこの草で継子の尻を拭くというなんとも酷い名だ。そこへ「雨」。心痛いかばかりであったかと慮る。
秋蝉の声満つ山門をくぐる。落蝉、潰れた銀杏、文士らの石碑、少し進んで振り返ると二本の大銀杏。これらが山門から火の神がでていくのを抑えたのだとわかる。そして本堂は美しかった。再建に至るまでの記述を読みつつ、しばしベンチで休んだ。
駅に向かうと雨が降ってきた。「ぽつんぽつん」優しい雨だった。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
雨ぽつんぽつんままこのしりぬぐひ 夏井いつき
- 季語
- ままこのしりぬぐい
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「ままこのしりぬぐひ」とはタデ科の一年草で「トゲソバ」とも呼ばれるように茎にびっしりと刺がある。
それにしても凄まじい名前である。
しかしその花は小さなピンクでとても愛らしい。
可憐な花とびっしりな刺とのギャップ。この花は何を守ろうとこのような身体になったのか。
前半の「雨ぽつんぽつん」が涙を連想させる。
「ぽつんぽつん」からの「ままこのしりぬぐひ」への平仮名の表記がぽつんぽつんと咲いている雨に濡れてゆく花の映像へとつながり哀切である。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
かなかなや彫刻刀は菊印 夏井いつき
- 季語
- かなかな
- 季節
- 初秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 季語プラス12音の基本形である。全てはここから始まり、どこまでも奥深い。
彫刻刀の柄に菊の印の焼印。「彫刻刀は」とあるので、他にもいろいあるらしいと推測される。「菊印」がいかにも由緒ありそうだ。一つ一つの物に物語があって、片付けはなかなか進まない。
外でかなかなが鳴き始めた。心の奥底に届くような声だ。今日のところはここまでにしよう。
かなかなの声は時空を超えて届き、この彫刻刀を使っていた頃を想起させる。一心に彫り進めていたあの日もかなかなは鳴いていたのだと。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:伊月庵通信 2021 冬号)
二つ目の月産み落としさうな月 夏井いつき
- 季語
- 月
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 月の満ち足りた豊かな姿は母性の象徴と言えるだろう。何もかもを包み込むような母性の象徴。誰もが心から求めている母性の象徴。
そんな月なんだから、二つ目の月を産み落としても不思議はないかもしれない。
その産み落とされた月を、真ん丸で内側から輝く白っぽい黄色の月を、両手の平にのせていつまでも眺めていたい。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
哺乳ビン煮るも秋夜の一仕事 夏井いつき
- 季語
- 秋夜
- 季節
- 三秋
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 煮るとあるので哺乳ビンはガラス製。今日も赤子の世話でクタクタ。母親は無言で哺乳ビンを煮る。煮沸消毒された哺乳ビンを所定の置き場に置く。熱々の哺乳ビンに対して、夏も終わった秋の夜は冷えている。秋の夜気に触れて、哺乳ビンは静かに冷えていく。
ガラス製の哺乳ビンを煮沸消毒する。たったこれだけの光景から子を思う母の愛情も見えてくる。母は赤子の世話で疲れているが、明日のために哺乳ビンを煮る。ミルクを求める子を思いながら。
熱々の哺乳ビンと秋夜の空気の冷たさの対比、疲れた母の静かな夜と明日また起きれば騒がしい赤子の対比が良い。夜の哺乳ビンの向こうに明日の我が子が見えてくる。
(鑑賞:よつ葉)
(出典:句集『日よ花よ』)
翅のあるものらも露にひかりあふ 夏井いつき
- 季語
- 露
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- ひかり方が変わったのだ。だから「翅のあるものら」の存在に気づいた。助詞「も」によって類推されるものたちは、それまで静かにひかりあっていたのだろう。
「露にひかりあふ」ものたちの僅かな静と動が巧みに表現されている。
露を結んだ翅たちが、それぞれにひかりを奏で始める。私はその音に耳を澄ました。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
折鶴の街夕蝉のさわぐ街 夏井いつき
- 季語
- 夕蝉
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 広島の原爆の日の、平和記念式典を思いました。たくさんの折鶴が掛けられている光景を目に致します。
秋に極めて近い晩夏の夕方の蝉を「さわぐ」と表現しました。「この地上に生を受け、数日しか生きられないとするならば、このような馬鹿げた事を考える暇があるものか」と、夕蝉が百年を自分勝手に生きようとする人間へ淋しく非難しているような感じを受けました。
そして、悲劇を二度と起こすまいと、この地に形としてあらわれた折鶴が、千年を平和であることを祈らんとしています。
(鑑賞:北藤詩旦)
(出典:句集『伊月集 梟』)