夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちら腰折婆きて鳥威ぶつ放す 夏井いつき
- 季語
- 鳥威
- 季節
- 三秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 一読して浮かんだのはウチの母の顔。鳥威は撃たないが、庭木の枝打ちと称してかなり太い枝を手にした鉈でガンガン剪落としていく姿を見た時のことを思い出して思わず笑ってしまった。
母も普段は90度に腰を曲げ、買い物に行くにもシルバーカーにたよって歩いている85才過ぎの老婆なのだが、その時ばかりはまるで別人のように怪力を発揮する。
ウチの母の場合は所詮庭木の剪定だが、この婆にとっては生業とする大切な田畑の実りを護るためなのだから、そりゃ「ぶっ放す!」よなぁ。と大きく納得するのである。
この婆なら、きっと春にはその腕で畑の土竜も一匹二匹は撲殺することだろう。
(鑑賞:東京堕天使)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
あなたがたもセイタカアワダチサウでしたか 夏井いつき
- 季語
- セイタカアワダチソウ
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- この句が作られた頃は、空き地という空き地は背高泡立草に侵入され、その猛々しさは悪役の代名詞のように使われていた。あなたがたもやさしい隣人ではなく、いつの間にか侵略してきていたのですねという嘆きの俳句であったと思う。
しかし、近年、背高泡立草は、 年数が経てば自然に繁殖力が落ちるようになっている事がわかってきた。新天地を侵略した当初、他の植物を牽制するために根から出した毒性物質が、数年後自分を攻撃するのだ。今、背高泡立草はあまり見かけなくなっている。自然界は人智を越えた中で整えられていく。
年数を経て本当の意味で、「あなたがたもセイタカアワダチサウでしたか」が理解されるのではないか。
(鑑賞:石塚彩楓)
(出典:句集『悪態句集』)
怒鳴る人の口ばかり見て鰯雲 夏井いつき
- 季語
- 鰯雲
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 中学の頃だった。私は怒っている人の顔を見ると笑ってしまうのだ。真剣であればあるほど笑えてしまう。
一度、美術の先生に呼び出されて数人で怒られた事があるが、笑いをこらえるのに必死だった。なるべく顔全体は見ずに口だけ見るようにしていた。
そんな時、ふと窓から鰯雲が見える。今日の夕飯なんだろう? 魚かな? そんな事を考えながら早く話が終わらないかと思う。
神妙な顔をしておかなければ。そう思えば思うほど笑ってしまいそうで怖い。
(鑑賞:赤尾双葉)
(出典:句集『悪態句集』)
秋声やこれはしづかな黒い穴 夏井いつき
- 季語
- 秋声
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 遠くの物音でもよく聞こえる秋。外に出て歩いてみると道端に穴を見つけました。しゃがんで覗きみます。入り口を囲む草はほとんどが枯草色となり、風に細かに震えています。虫一匹やってきません。
何の音も聞こえてこない穴の奥の黒さを見続けながら、ここには私の声も届きそうにないと遣る瀬無く思えてくるのです。
(鑑賞:三緒破小)
(出典:伊月庵通信2023冬号 放歌高吟)
二つ目の月産み落としそうな月 夏井いつき
- 季語
- 月
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- とある公園の東の空から静かにゆっくり昇るスーパームーン。とてつもなく大きくて、本当にいつもの月かしら? と真剣に疑ってしまう。もう一つ産まれそうだと言われると二つ返事で納得、クスッとおかしみが湧いてくる。このスーパームーンに巡り会えた時は暫し立ち止まり、擦り切れた心を癒した。
「二つ目の月産み落としそうな」という表現は、早産しそうになった子の重みと子宮のしくしくした痛みを蘇えらせ、月の下部の圧力まで感じさせる。擬人化により月の質感が生々しく迫ってきて、届かないと分かっていても、月へ手を差し出したくなる。
(鑑賞:素々 なゆな)
(出典:『夏井いつきの「月」の歳時記』)
薫風や吾が猫は黒真珠色 美杉しげり
- 季語
- 薫風
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 少し湿気を含んだ青葉の香りの風の中、ミルクのような猫の匂い、艷やかな毛並み、「うちの猫、最高!」と抱きしめている溺愛ぶりがシンプルに伝わる。
竹久夢二の黒船屋の絵画を彷彿させる。夢二の黒猫が絵画からスルっと抜け出して、作者宅へやってきたかもしれない。
(鑑賞:織部なつめ)
(出典:句集『愛撫』)
フィリピン語少し話せる生身魂 夏井いつき
- 季語
- 生身魂
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- おじいちゃんは戦時中フィリピンに行っていたらしい。戦争の辛い話はあまり話したがらない。それでもお盆にみんなが集まって昔の話をするときには、言葉少なにぽつりぽつりとその頃の話も出て来ることがある。
思い出話の中に混じるフィリピン語。辛い戦争の記憶の中でほんの少しだけ人としての触れ合いがあったときの記憶だ。
青年だったおじいちゃんが体験した戦争。今も覚えているフィリピン語、そして口にしないけれど忘れられない戦場の記憶。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
刃を吸うて水蜜桃の輝くよ 家藤正人
- 季語
- 水蜜桃
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 本来は逆。水蜜桃を切ると溢れ出す果汁が包丁の刃へ輝きを加える。凡人ならば、「滴る果汁に刃まで喜んでいる様だ」などと言うところ。しかし作者はその主従を逆転させて表現することにより見事に詩を生み出している。
桃、特にその中でも高級とされる水蜜桃は「刃で切られ、ヒトに美味しく食べられてナンボ!」なのだ。切られる刹那の水蜜桃の恍惚感。そして自らを切る刃さえも己の輝きの一部へと取り込もうとする貪欲な姿に、どこかこの季語・水蜜桃の放つ妖艶さが正に重なり合う。
なんとエロチックな句であろうか。
(鑑賞:東京堕天使)
(出典:句集『磁針』)
日焼けの子手負ひの猫を抱いてくる 美杉しげり
- 季語
- 日焼
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 燦々と照った日差しがやっと西の山に収まりかける晩夏の午後。ひと夏を経験すればどの子も逞しくなるものですが、誰よりも黒く「日焼け」したその「子」は何の気負いもなく、あるものを胸元に「抱いて」こちらに向かって「くる」のです。見れば「手負ひの猫」ではありませんか。
けんかに負けたのか、仕打ちを受けたのか、弱々しい猫を慈悲深く抱いています。私を見上げる日焼けした顔。その眼のくっきりとした白目が助けて欲しいと訴えかけてくるようです。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『愛撫』)
折鶴の街夕蝉のさわぐ街 夏井いつき
- 季語
- 夕蝉
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 広島の原爆の日の、平和記念式典を思いました。たくさんの折鶴が掛けられている光景を目に致します。秋に極めて近い晩夏の夕方の蝉を「さわぐ」と表現しました。
「この地上に生を受け、数日しか生きられないとするならば、このような馬鹿げた事を考える暇があるものか」と、夕蝉が百年を自分勝手に生きようとする人間へ淋しく非難しているような感じを受けました。そして、悲劇を二度と起こすまいと、この地に形としてあらわれた折鶴が、千年を平和であることを祈らんとしています。
(鑑賞:北藤詩旦)
(出典:句集『伊月集 梟』)
噴き出すはカツ丼一杯分の汗 夏井いつき
- 季語
- 汗
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 食欲も失せるような暑い日にカツ丼をたいらげたのは、若者か、あるいは身体を酷使する仕事に従事する人か。
外に出れば夏の真昼の太陽が肌を灼き、たちまち汗が噴き出す。
さっき食べたばかりのカツ丼が、そのまま汗となって流れ落ちるかのように……。
「汗」の単位を「カツ丼一杯分」と捉えた視点がユニーク。かつ、なるほどそうかと思わせる実感と迫力に参りました。
(鑑賞:なおや)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
日傘巻き締むれば凶器めける黒 夏井いつき
- 季語
- 日傘
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- さきほどまで差していた黒い日傘には、まだ太陽の熱が残っている。
それをきりきりと固くきつく巻いてゆく。たとえば何かけじめをつけるかのように。
細く巻き締めた日傘は、まるで剣のようだ。紫外線を防ぐための黒い色が凶器めいて見え、ふっと怖くなる。
この凶器を誰かに向けたいわけではないのに……。
(鑑賞:つどひ)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
きのうの夕虹だつたこんぺいとういかが 夏井いつき
- 季語
- 夕虹
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「きのう夕虹だつた」ではなく「きのうの夕虹だつた」だから、この句にいる人物たちは昨日一緒の夕虹を見ていたに違いない。虹は確かに珍しいが、普通は翌日にわざわざ話題にあげるほどのものではない。彼らにとって、よほど昨日の夕虹が特別だったのだろう。
この句を読んだとき、ふと杉みき子の『にじの見える橋』を思い出した。中1の国語の教科書に載っていた短編小説で、最近何もかも上手くいっていない主人公が、最後に仲違いをしていた友達と一緒に虹を見るシーンで終わる。
掲句がその話のエピローグではないにしても、少年時代のちょっと特別な一日が淡く鮮やかに描かれている。
(鑑賞:ぞんぬ)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
みんなあの虹を見てゐる僕でなく 家藤正人
- 季語
- 虹
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 一見自己顕示欲が満たされない若者の嘆きの一句のように思わせます。しかし、この句を読んで思い出す一句がありました。飯島晴子の「春の蛇座敷のなかはわらひあふ」です。自分以外の人たちはひとつにまとまっているのに自分はその中にいない。誰にも相手にされていないのではないかという孤独と不安が表現されています。
「みんな」が「見てゐる」「あの虹」は、本当は自分こそが見ていたいのに、それができない「僕」はいったい何をしているのでしょうか。自分と他者との関係を突き詰めた哲学的な一句といえますが、心なしか精神の危うさを感じます。とはいえ、時が経てば「虹」のあとの晴れ間のように無かったことになるはずです。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『磁針』)
夕立来る海色の眼の猫が膝 美杉しげり
- 季語
- 夕立
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- にわかに掻き曇ったかと思えば、あっという間に窓を叩き始める夕立。作者はどこかの部屋で外を眺めているのかもしれない。
するりと膝に飛び乗ってきた飼い猫が作者を見上げた。
いつもならその眼は薄い青だけれど、今は、辺りを満たす水の匂いに反応したかのように深い青に見える。そう、まるで海の色だ。一瞬深みへと攫われそうな感覚になる存在感が、助詞「が」に託されている気がする。
みゃおん、と鳴く声で作者は我に返るのだ。
そして猫を撫でながら、また窓の外へ視線を戻す。
夕立は、世界からこの部屋を、一人と一匹を隔絶するかのように降っている。
(鑑賞:このはる紗耶)
(出典:句集『愛撫』)