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青空を傷つけたくて芽吹きたる 夏井いつき
- 季語
- 芽吹く
- 季節
- 仲春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 葉をひとつもつけていない枝が広がっている。なめらかな幾何学図形のような影が、空に黒ぐろと見える。
木の芽が膨らむ。すると、まるでフラクタル図形のような、ざらついた影に一変する。
もとより、木の枝は空に手を届かせることなどできない。だが、芽吹きの影は、明らかに空へと突き刺さっている。
空は、様々な権威の象徴なのだろうか? 芽吹く影に、若い屈折と野心を感じるのは、読手(私)の過去を重ねてしまっているからなのか。
いや、誰にでも、このような若い時代の思いがあるのではないだろうか。若き日の思いを、芽吹きに託しているように思えてならない。
(鑑賞:星埜黴円)
(出典:『俳句と写真で綴る内海村 うみいづ』)
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こんな日のこんなさよなら春の川 夏井いつき
- 季語
- 春の川
- 季節
- 三春
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- どんな日の、どんなさよならなのか分からないまま、「春の川」で一気に光景が拡がる。
植物は成長エネルギーを満々と放出し、動物は恋を謳歌する季節、「春」を流れる、たっぷりとした「川」。
命の気配に満ち溢れた、キラキラと明るい春の日の「こんなさよなら」。
大切な人との、突然の、永遠の別れを思った。
こんなにも美しい春の日に、大好きなあの人だけが、いない……
時間も、「川」の流れも、戻すことも、押し留めることも出来ない。
この喪失を抱えたまま、生きていくのだ。
眼前の、最高に美しいこの世界を。
(鑑賞:佐藤儒艮)
(出典:句集『伊月集 龍』)
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冬鴫の脚きんいろに折れそうな 夏井いつき
- 季語
- 冬の鴫
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「鴫」だけだと三秋の季語なので、冬鴫としている。
冬の冷たい空気に輝く光は金色。「きんいろ」とひらがな表記にしているので、眩しいけれどやわらかな光だろう。折れそうなほど細く見えるのは、逆光のためだ。金色の光を背にした鴫は水辺で脚を浸して餌を探している。水もきらきらと輝いている。浅瀬に映る姿を見ているような立ち姿。やわらかな羽毛の輪郭には陰影がある。華奢な脚と背後の輝かしい光の対比が素晴らしい。冬を生き延びる生命の強さが一層強調される。
(鑑賞:月萩つなぎ)
(出典:句集『伊月集 梟』)
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龍の耳ぴくりとうごく四温かな 夏井いつき
- 季語
- 四温
- 季節
- 三冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 龍は分類上は爬虫類だろうか。それならば変温動物となる。すると冬眠するかもしれない。そこに思い至ったところからの発想か。
春が近づいてきたのを感じさせる日が数日続く。冬眠中の龍はどうしているだろう。まずは耳が季節のかすかな足跫にぴくりと反応する。しかしそこまで。本格的な春までには、まだまだ三寒四温を繰り返す。それまではもうひと眠り。
上五中七の十二音に季語四温を取り合わせたことで、そんな空想が生まれた。そして「かな」と詠嘆することで、春の訪れを待つ作者の思いが重なるのである。
(鑑賞:豆闌)
(出典:句集『伊月集 龍』)
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冬のどんぐり投げても誰も出て来ぬよ 夏井いつき
- 季語
- 冬
- 季節
- 三冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 乾いて皮が裂けてそうで冬のどんぐり、というだけで何だか侘しい。投げる、も手放すことだし誰も出て来ぬ、とは念押しのペーソスに包まれてしまう。
しかし、最後の「よ」の詠嘆によって諦めというより納得と潔ささえ感じられる。
そもそも目先の結果はわかっている行為。どんぐりを投げるのは子供かもしれないが、この句は大人と読んだ方が面白い。この人は何かを、今は虚しいとわかっていて納得し淡々と努力していそうだ。
それを何気なく例えた行為の、虚無感から出てくるユーモアが味わい深い。
(鑑賞:池内ときこ)
(出典:句集『伊月集 梟』)
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冬草や会えばはげしきことをいう 夏井いつき
- 季語
- 冬草
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- この句の構造は「文体は文語、表記は新かな」で「季語や+ひとつながりの無関係な十二音」という典型的な俳句のスタイルです。
そして内容を読み解けば「会えばはげしきことをいう」人の「はげしき」は「激しき」でなく、平仮名表記であることから女性のようです。
ばったり会ったのか、約束の場所なのか、「会えば」、口やかましいことを言ってしまうのです。親しい間柄が想像できます。
では、上五の季語「冬草や」の選択はどうでしょうか。会っていきなりキツい言葉を投げかける理由が分かります。冬なのに青々としている相手への違和感と嫉妬が見え隠れしていませんか。
もちろん「冬草」のような知人への愛情の裏返しです。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『伊月集 梟』)
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音といふおと雪となるしづかな音 夏井いつき
- 季語
- 雪
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- ちらちらだった雪が、少しずつ雪片が大きくなって、本格的に降り出した。ざわめきも生活音も聞こえなくなってきて、音という音が、まるで雪になっていくかのよう。さっきまで、ざわついていた私の心の雑音も、雪となったのか、静かな心地になっていく。
…………………
この句、漢字は最初と最後の「音」二文字と「雪」のみ、その間をやわらかに、平仮名でつながれている。
「と」が5回、「o」と「to」の音は合わせて8回繰り返される。
雪の降る様子が、表記にも韻律にも、そのゆらぎも含めて、静かに表現されている。
(鑑賞:一斤染乃)
(出典:『夏井いつきの日々是「肯」日』)
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龍の玉こつんほんとのことを知る 夏井いつき
- 季語
- 龍の玉
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 龍の玉とは龍の目玉のことである。龍の髭の実であり、はずみ玉の異名を持つ。龍の淵に潜む姿と捉えられたのだろうか。
『こつん』は、ぶつかる音。弾んで見失った音かもしれない。『こつん』は擬音であり、心に響く小さな波紋を持ち、吸い込まれるように消える。
「ほんとのこと」とは何だろう。知らなかったこと、間違って解釈していたこと、か。
人は本当のことを知った時、己の小ささに気づく。俯瞰を手に入れるのに似ている。
全体像が見えた時、とんでもない思い違いに気づくこともある。本当のことを知った衝撃・己の無力さ・果敢なさへの羞恥や憐憫。
崇高で尊大な名を持つ、このちっぽけな球体に込めた告白か。
(鑑賞:岬ぷるうと)
(出典:句集『伊月集 梟』)
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革ジャンの背に龍をどる初詣 夏井いつき
- 季語
- 初詣
- 季節
- 新年
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 初詣というものは、手持ち無沙汰なものである。特に混雑する神社では、所在なく列の前の人の背中を眺めていたりする。列は短くても、参拝している人の横に立って、自分も祈るということはなかなかしづらい。特に、それほど混雑していないとか、自分の後ろに誰も並んでいない時ほど、祈っている人の背中を見詰めて待つ時間が長い。
この句で、前に立っている人の服装は、いわゆるヤンキーにありがちな服装である。年齢や性別は匂わせていないし、一人なのか家族なのかはわからない。神社に龍はつきものだが、革ジャンの龍は、神社には意外である。
前に立つ人の多少、意外な服装に少し戸惑いながらも、微笑ましく感じている作者の思いが感じられる。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 龍』)
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雪になりさうな匂ひの男かな 夏井いつき
- 季語
- 雪
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 男との逢瀬の句と読んだ。匂いは、時に予感を映す。雪になりそうな匂いとは、すなわち二人の関係が長くは続かないことの予感であろう。おそらく一夜限りの逢瀬であろう。
しかし、男は雪のように消えてしまうのであるから、恨んだり泣いたり憎んだり、心に傷を残すほどではない。儚い美しい記憶として時折は思い出す、そのような関係になるのであろう。
もしかしたら騙され都合よく利用されているのかもしれないが、それすら分かる前に終わってしまうような関係、肌に残った男の匂いさえ、ほどなく消えてしまうのであろう。
(鑑賞:レニア吟社 あすなろ子)
(出典:句集 『伊月集 龍』)
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鹿肉を削ぐや雪また猛り出す 夏井いつき
- 季語
- 雪
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 雪深い土地のマタギの日常である。
厳しい生活での重要な仕事だ。
最近はジビエ料理が人気とかで国内でとれたものは新鮮で需要があるのだ。
今日はオーダーのあった鹿を仕留めた。朝早くから出てようやくだ。もうすぐ日も暮れてくる。日が暮れたら仕事にならない。
仕留めた鹿はあたたかく、命の重みがある。トラックの荷台から下ろし、小屋でいち早く血抜きをする。この手際が商品の質に影響するのだ。さっさと皮を剥ぐ。外はいよいよ雪が本降りとなり、この生活や鹿の命を悲しくも強く物語っているようだ。
(鑑賞:檀凛凪)
(出典:『2019年版 365日季語手帖』)
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恩知らぬ君らに雪うさぎを贈る 夏井いつき
- 季語
- 雪うさぎ
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 道は今、私の後にどれ程か。振返るタイプの人間でもないが、ふと思う。
忘恩の徒への言葉は数多ある。破り捨てたい誓いも。
苛立ち、義憤、ぶつけた筈のそれらが滑り落ちていく音を聞いたことがあるだろうか。
私の手にあるのは皆この雪兎の様なもの。
それと知っているならば皆くれてやろう。
届かぬ言葉の虚しさに飽きるより、お別れの今君らに雪兎を贈ろう。
心は今世で君らに届くだろうか。
永劫続く宇宙の流れに魂は何にも侵されず流れてゆく。
雪兎の様な存在にいつか是非ともおなりなさいな。
とどのつまり貴方方は私でもあるのだから。
慎ましく美しく、愛される存在になってくれぬと困るのだよ。
(鑑賞:蜂里ななつ)
(出典:句集シングル「悪態句集」『柿食うて』)
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寒木や五言絶句のような雲 夏井いつき
- 季語
- 寒木
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 葉を落とした寒々とした木。空には雲が、規則正しくぽつぽつと並んで……そう、漢字ばかりの五言絶句みたいにも見える。
漢字五字を四行に並べた、二十字の最少字数の漢詩。律詩と比べると、語る分量を半分にまで削って、言い尽くさないで、余韻を響かせるのが大切らしい。(なんだか俳句と似ているなぁ。)
この厳しい季節を越すために極限まで、わが身を削ぎ落とした寒木と、多くを語らない五言絶句のような雲。「絶」というイメージが、この、きりりと立つ寒木の風景に似合っている。
(鑑賞:一斤染乃)
(出典:句集『伊月集 梟』)
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白鳥の眠りも星として数う 夏井いつき
- 季語
- 白鳥
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 暗い水辺は、夜空との境もなく、丸々ひとつの大きな宇宙空間のように感じられる。星を数えている夜、輝きはひと際強い夜だったのではないだろうか。
凍てつく空間に輝いているのは、頭上の明るい星。大きな星をいくつも一つ一つ数えていたら、前方にも浮かぶ白い星があることに気づく。星のような白鳥という例えではない。白鳥は無意識にただそこに浮いている。星と同じ在り方に見えるほど宇宙に自然に漂っている。
そこにずっと生きてきた歴史があって、存在そのもので輝いている。
(鑑賞:月萩つなぎ)
(出典:句集『伊月集 梟』)
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離乳食の人参つぶす木のスプン 夏井いつき
- 季語
- 人参
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 人参を洗って、皮を剥いて、切って、やわらかく茹でて、更に離乳食用の木のスプーンで丁寧に潰していく。
赤ちゃんはこの人参を素直に食べてくれるかもしれないし、ニコニコ笑いながら払いのけて一瞬で宙に舞うかもしれない。ひたすら大泣きするだけかもしれないし、口に入れたと思ったら吹き出すかもしれない。
ようやくここまでたどり着いた人参の運命やいかに。
ぷくぷくとした頬の人間一年生が全てを握る理不尽な空間ではあるが、それでも、温かみのある木のスプーン・冬野菜である人参から、冬の寒さを感じない温かな部屋で、大切に育てられている赤ちゃんが連想され微笑ましい光景が浮かぶ。
(鑑賞:藤花)
(出典:句集シングル『皺くちゃ玉』)