夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちら日焼けの子手負ひの猫を抱いてくる 美杉しげり
- 季語
- 日焼
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 燦々と照った日差しがやっと西の山に収まりかける晩夏の午後。ひと夏を経験すればどの子も逞しくなるものですが、誰よりも黒く「日焼け」したその「子」は何の気負いもなく、あるものを胸元に「抱いて」こちらに向かって「くる」のです。見れば「手負ひの猫」ではありませんか。
けんかに負けたのか、仕打ちを受けたのか、弱々しい猫を慈悲深く抱いています。私を見上げる日焼けした顔。その眼のくっきりとした白目が助けて欲しいと訴えかけてくるようです。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『愛撫』)
折鶴の街夕蝉のさわぐ街 夏井いつき
- 季語
- 夕蝉
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 広島の原爆の日の、平和記念式典を思いました。たくさんの折鶴が掛けられている光景を目に致します。秋に極めて近い晩夏の夕方の蝉を「さわぐ」と表現しました。
「この地上に生を受け、数日しか生きられないとするならば、このような馬鹿げた事を考える暇があるものか」と、夕蝉が百年を自分勝手に生きようとする人間へ淋しく非難しているような感じを受けました。そして、悲劇を二度と起こすまいと、この地に形としてあらわれた折鶴が、千年を平和であることを祈らんとしています。
(鑑賞:北藤詩旦)
(出典:句集『伊月集 梟』)
噴き出すはカツ丼一杯分の汗 夏井いつき
- 季語
- 汗
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 食欲も失せるような暑い日にカツ丼をたいらげたのは、若者か、あるいは身体を酷使する仕事に従事する人か。
外に出れば夏の真昼の太陽が肌を灼き、たちまち汗が噴き出す。
さっき食べたばかりのカツ丼が、そのまま汗となって流れ落ちるかのように……。
「汗」の単位を「カツ丼一杯分」と捉えた視点がユニーク。かつ、なるほどそうかと思わせる実感と迫力に参りました。
(鑑賞:なおや)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
日傘巻き締むれば凶器めける黒 夏井いつき
- 季語
- 日傘
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- さきほどまで差していた黒い日傘には、まだ太陽の熱が残っている。
それをきりきりと固くきつく巻いてゆく。たとえば何かけじめをつけるかのように。
細く巻き締めた日傘は、まるで剣のようだ。紫外線を防ぐための黒い色が凶器めいて見え、ふっと怖くなる。
この凶器を誰かに向けたいわけではないのに……。
(鑑賞:つどひ)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
きのうの夕虹だつたこんぺいとういかが 夏井いつき
- 季語
- 夕虹
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「きのう夕虹だつた」ではなく「きのうの夕虹だつた」だから、この句にいる人物たちは昨日一緒の夕虹を見ていたに違いない。虹は確かに珍しいが、普通は翌日にわざわざ話題にあげるほどのものではない。彼らにとって、よほど昨日の夕虹が特別だったのだろう。
この句を読んだとき、ふと杉みき子の『にじの見える橋』を思い出した。中1の国語の教科書に載っていた短編小説で、最近何もかも上手くいっていない主人公が、最後に仲違いをしていた友達と一緒に虹を見るシーンで終わる。
掲句がその話のエピローグではないにしても、少年時代のちょっと特別な一日が淡く鮮やかに描かれている。
(鑑賞:ぞんぬ)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
みんなあの虹を見てゐる僕でなく 家藤正人
- 季語
- 虹
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 一見自己顕示欲が満たされない若者の嘆きの一句のように思わせます。しかし、この句を読んで思い出す一句がありました。飯島晴子の「春の蛇座敷のなかはわらひあふ」です。自分以外の人たちはひとつにまとまっているのに自分はその中にいない。誰にも相手にされていないのではないかという孤独と不安が表現されています。
「みんな」が「見てゐる」「あの虹」は、本当は自分こそが見ていたいのに、それができない「僕」はいったい何をしているのでしょうか。自分と他者との関係を突き詰めた哲学的な一句といえますが、心なしか精神の危うさを感じます。とはいえ、時が経てば「虹」のあとの晴れ間のように無かったことになるはずです。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『磁針』)
夕立来る海色の眼の猫が膝 美杉しげり
- 季語
- 夕立
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- にわかに掻き曇ったかと思えば、あっという間に窓を叩き始める夕立。作者はどこかの部屋で外を眺めているのかもしれない。
するりと膝に飛び乗ってきた飼い猫が作者を見上げた。
いつもならその眼は薄い青だけれど、今は、辺りを満たす水の匂いに反応したかのように深い青に見える。そう、まるで海の色だ。一瞬深みへと攫われそうな感覚になる存在感が、助詞「が」に託されている気がする。
みゃおん、と鳴く声で作者は我に返るのだ。
そして猫を撫でながら、また窓の外へ視線を戻す。
夕立は、世界からこの部屋を、一人と一匹を隔絶するかのように降っている。
(鑑賞:このはる紗耶)
(出典:句集『愛撫』)
焼鳥の火がばうばうとさみだるる 朗善千津
- 季語
- さみだる
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 夕暮れの飲み屋街、焼鳥屋の店先では串に刺した鶏肉を隙間なく並べて焼いている。
肉の焼ける匂い、音、もうもうと立つ煙があたりに広がり、肉の脂が落ちるたびに、ボッと赤い火が大きく上がる。
五月雨の中を歩いてきた私には、その火が何故か懐かしく感じられて、しばし立ち止まって見入ってしまった。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『JIGAZO』)
昔愛人今は友人かき氷 朗善千津
- 季語
- かき氷
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 上五中七の措辞にドキッとする。そんな関係になれるのか。
真っ赤に着色された苺シロップのかき氷が思い浮かんだ。そういえば、あれは色を変えただけで、苺もメロンもブルーハワイも同じ味だって聞いたことがある。でもあの頃は本当に苺の甘酸っぱい味がするって信じてたんだ。今はそんな見た目には惑わされない。ただ甘いだけ。あの味が恋しくなるときもあるが、もうあんなに赤くなくって結構。
最近すっかり暑さに弱くなってしまった。この熱った体を冷やしてくれよ、かき氷。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『JIGAZO』)
タバコ吸ひてえな薄暑の膜へ今 家藤正人
- 季語
- 薄暑
- 季節
- 初夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 一読して「薄暑」の頃の空気感を感じた。
「タバコ吸ひてえな」という投げやりな言い方が作者の状況を想像させる。
面倒な仕事でも終えて外へ出たところか、湿り気を帯びた初夏の暑さにやり切れなさが増す。
タバコを吸う場所もないのだろう。今吸いたいのに。
「薄暑」の空気感、皮膚感覚を「膜」と捉えたことがこの句の凄さ、読み手を一気に薄暑の中に閉じ込める。
吸っていないのにタバコを吐く息で「薄暑の膜」が撓む映像が見える、匂いがする。
細く長く吐くタバコの息で「薄暑の膜」をやり切れなさを「今」突き破りたい。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『磁針』)
嫌さうに猫抱かれをる薔薇の門 美杉しげり
- 季語
- 薔薇
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 薔薇のアーチにも、その周りにも薔薇が咲き乱れている。色彩と香りに満たされたその場所に立っているのは、きっと美しく装った奥様かお嬢様というところだろう。抱かれている猫はシャム猫あたりが似合いそうだ。
が、上五に「嫌さうに」とある。せっかくの薔薇の門、せっかく飼い主が抱いているのに、嫌そうにとは何事! と、犬派の私は考える。そのあたりが猫という生き物の本質のような気もする。雰囲気を読まずに自由気ままにふるまうお猫様に、身も心も捧げて僕となるのが、猫派の方々の本望らしい。知らんけど。
(鑑賞:越智空子)
(出典:句集『愛撫』)
風つかみそこねし蝶の吹っ飛びぬ 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 私の住む町は後ろ三方山に囲まれ扇状地の海町です。面前の湾は凪が多いのですが海風、山風でバドミントンも外で楽しめないほど年中強風に晒されています。
浜辺には防風林が江戸時代から作られているのですが、風の強いある日蝶が風に巻き上げられてもみくちゃになりながら防風林を越えていく光景を見ました。まるで、「風つかみそこね」「吹っ飛ぶ」ように。
この句を見たとたん、その光景をありありと思い出しました。そうか、あの蝶は風を「つかみそこね」たのか、そして吹っ飛んでいったのか。
私は、蝶がそんななかにもたくましくまた飛んでいったと思えてなりません。自然のたくましさを感じた一句です。
(鑑賞:風早杏)
(出典:句集『伊月集 梟』)
列島のここが花時酌み交わす 加根兼光
- 季語
- 花時
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 狭い日本列島とはいえ花時には数ヶ月の地域差がある。人々はそれぞれの土地で開花を待ちわびる。
だが、日本人は本当に桜の花そのものを待っているのか?もしかすると花の下での酒宴を心待ちにしているだけでは?と思う。
「四月は花見で酒が飲めるぞ~(8分音符)」と謳われた事も「花より団子(実は酒?)」などとも言う。満開を喜ぶのは「これで今年も大手を振って酒盛りが出来る!」と免罪符を手にした喜びではないのか?
いやここは、一年間丹精込めた北の花守達が「今年もようやく美しく咲かせる事ができた」と言う感慨と共に、彼等のみ知る穴場で静かに一献傾け合っている景と読もう。
(鑑賞:東京堕天使)
(出典:句集『あの年、四月の花』)
花房のことばにあふれさす水分 加根兼光
- 季語
- 花房
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 桜が満開だ。毎年同じ桜を見ているのに、毎年心を動かされる。梢に近づくと、「花」という大きな季語はこの一輪一輪の花によって構成されているのだと実感する。
掲句を読んだとき、ひらがなに開かれた中七の一音一音に「水分」が満たされてゆくのを感じた。同じ「ことば」でも瑞々しく心を揺さぶるものもあれば、無機質で乾いたものもある。
私は私の「ことば」にしっかりと水分を与えられているだろうか。来年もまたこの桜を見に来よう。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『あの年、四月の花』)
散ることのたとえば花の昼夜朝 加根兼光
- 季語
- 花散る
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 花の盛りは短い。満開の頃にももう散り始めている。春を感じる昼の陽気にも、静かな夜にも、そして輝く朝にも一旦散りだすと常に散っている。
この句は「~たとえば~」で繋がっている。「散る」は「命」を表している。
全ての命はやがて散る。人間もいつ何が起きいつ散るか天寿を全うする人、突然の病、事故、災害、戦争で散る人・・。
時間の流れの中で絶えず誰かが、人でなくてもあらゆる生き物が散り続けているのだ。
花を観て感じる無常。
「昼夜朝」の順番にも意味を感じる。朝が未来が万人に訪れるとは限らないのだ。
今ここに生きている奇跡を感じる句でした。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『あの年、四月の花』)