夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちらかんざしよ鳴れ陽春の巫女百人 夏井いつき
- 季語
- 陽春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 明るく色鮮やかな光景が目に浮かぶ。落慶、あるいは五穀豊穣を祈る神事だろうか。厳かな管弦の調べに巫女舞が始まる。白絹の千早と緋袴の巫女装束が春の陽光に眩しい。百人の神楽鈴の歯切れのよい音が境内に響く。静かに右へ左へ円を描く平舞に花簪が揺れる。
ゆるやかな動きは徐々に激しさを増す。袂を裾を翻し、振り鳴らされる鈴音。作者は「かんざしよ鳴れ」と目を輝かせる。花簪の銀ビラが触れ合い、跳躍の度かそけき音は一体に。
いや、違う。現代では神がかりの跳躍の舞はしない。「かんざしよ鳴れ」は、童謡「靴が鳴る」の鳴ると同じように、喜びに弾む心を詠っているのだ。
陽春の耀きに溢れる一句。
(鑑賞:柝の音)
(出典:『俳句新聞いつき組6号』)
からつぽの春の古墳の二人かな 夏井いつき
- 季語
- 春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 何がからっぽなのだろう。きっと全てがからっぽなのだろう。
何も生まれない明るいだけの「からつぽの春」。
権力の象徴、死への畏怖と生への執着の体現、あるいは祈りの場としての「墓」が形骸化した「からつぽの古墳」。
そんな所にいる「二人」。いや「古墳に二人」ではなく「~の二人」なので、主観的・内省的に古墳を二人に重ねて見てもよいかもしれない。この二人には愛憎絡む激動の人生があったのだろう。しかしそれは過去の話。二人からもう何も生まれない。
草木の生える山と化した古墳のように、二人はただそこにいるだけ。それ以上でもそれ以下でもない。からっぽの二人をからっぽの春がただただ静かに明るく包む。
(鑑賞:黒子)
(出典:句集『伊月集 龍』)
てふてふを殺す薬を買ひにゆく 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- この国にはとかく変わりものを愛でるというタチがある。
折り紙の蓑を作らせる子が平安の御世にいたように。
「黒いダイヤ」一匹に生活費分をつぎ込む大学教授がいるように。
彼らに興味を持つ好奇心の怪物がい続けるように。
暇人、いや粋人と称す連中は買うだけでは飽き足らず、自らが創造神たらんとするのは当然の帰結である。
思い描いた柄を書き起こさんと交配を重ね、食む葉、花の蜜に至るまで厳選する。
その欲はかつてあった高級遊女、吉原の太夫を育て上げる快楽に似るだろうか。
娘の姿をより完璧に仕立てる為に粛々と針から薬液を注ぐ。
彼女の名前はマダム・バタフライ。
かつて虫愛づる姫君と呼ばれた娘の末である。
(鑑賞:遊呟)
(出典:句集『伊月集 龍』)
たんぽぽをさんざんぶってやりました 夏井いつき
- 季語
- たんぽぽ
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- むしゃくしゃする! 乱暴にドアを開け、咲いていたたんぽぽをぶった。目を上げれば絮は空へ。私の心はいつの間にか晴れ。
これ程ほのぼのとした句はないだろう。それは「ギャップ萌え」と「カタルシス」による。
「ぶった」は暴力的な行為だが、その相手がたんぽぽなら印象は変わってくる。読んでから少し時差があり、絮が脳の中で舞い始めたその瞬間、大きな青空が広がりどこまでも飛んでいく絮が見えた。
また「さんざん」とあるのだが、これも「さんざんぶった」のであれば、酷い! となるのだが、たんぽぽであるので、多くの絮が飛び始めた。「たんぽぽ」と「ぶった」を繋ぐ位置にあるので、脳内映像が鮮明になった。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 梟』)
春はあけぼの孫とはこんな皺くちゃ玉 夏井いつき
- 季語
- 春暁
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 玉とは、まるいもの、美しいもの、大切なもの。上五字余り下五字余りの孫俳句。愛があふれちゃっているのです。兼好は「春はあけぼの」といい、組長は「孫とは玉」と詠まずにはいられないのです。
ただ、べたな孫俳句に終わらせないのが「皺くちゃ」の四音。これにより赤ん坊が生まれた瞬間とわかります。ともすればマイナスのイメージを持つ皺ですが、「こんな」により皺くちゃへの愛おしさが伝わるのです。赤ん坊がかわいいのも、皺くちゃなのも知っていた。だけど、自分が生んだ時は必死過ぎてわからなかったこんな美しい、尊い皺くちゃなのです。
春はあけぼの。一日の始まり。季節の始まり。そして、人生の始まりなのです。
(鑑賞:板柿せっか)
(出典:句集シングル『皺くちゃ玉』)
遺失物係の窓のヒヤシンス 夏井いつき
- 季語
- ヒヤシンス
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- これは水耕栽培のヒヤシンスであり、遺失物係に行ったのは無くした側だろう。
水耕栽培は球根の、お取り込み中のあれこれを満天下にさらされる。
上半身を着飾って気取って見せても下半身を丸出しにされては残酷である。
落とし物はどんなもの? 中身は? 特徴は? どこで? いつ頃?
身ぐるみ剥がされているのは今ではないかと思えてくる時間である。
(鑑賞:花屋英利)
(出典:句集『伊月集 龍』)
遺失物係の窓のヒヤシンス 夏井いつき
- 季語
- ヒヤシンス
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 失くしものをしてしまうと、それがどんなものであっても気持ちが沈んでしまうものだ。自分の注意力の欠如を突き付けられるようで、失くしたものを惜しむより、自身を情けなく思う気持ちが勝ってしまう。
心弾まないまま遺失物係の窓口へ赴く。そこで目に入ったのは、窓辺に置かれたヒヤシンス。持ち主を失ったたくさんのモノたちの発する倦んだ空気の中で、ヒヤシンスは生き生きと生を放っている。
「遺失物係の」閉ざされた空間から「窓の」と世界は外に広がる可能性を帯び、「ヒヤシンス」で、そこに生が宿る。生気のないモノクロの世界から、色味を帯びた生ある世界への鮮やかな展開に、読者はハッとさせられる。
(鑑賞:平本魚水)
(出典:句集 『伊月集 龍』)
くそ婆と呼ばれて春を着ぶくれて 夏井いつき
- 季語
- 春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「くそ婆」と呼ばれるためには幾つか条件がある、
その一、女性に見えること。生まれたときの性別にはしばられないかもしれない。
その二、年齢を重ねていること。そしてその年齢が身に付いていること。
その三、「くそ婆」と呼ばれても屁とも思わない強靭な精神を持っていること。
これらの条件をクリアすれば、世間のしがらみから解放されて、晴れて立派な「くそ婆」になれるのだ。
そして、春なのに、なんて気にせず好きなだけ着ぶくれることが出来るのだ。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集シングル『悪態句集「柿食うて」』)
精神のごとくに氷柱透きとほる 夏井いつき
- 季語
- 氷柱
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 誰もが透きとおる精神を持っているわけではない。仮に「氷柱のごとき精神」とすると、ストイックに何かを日々突き詰めている人、例えばアスリート、職人、芸術家、俳人などを想わせる。
だから「精神のごとく~透きとおる」とは、そのような非凡な人が氷柱に自分の精神と同じ透明さを認めて感動しているということか。
とすると、これはただの氷柱ではない。雪山の崖の壮大な氷柱か。いや、凡人が見過ごす日常の、例えば民家の軒のそれに、普遍的な「氷柱の透明さ」を見出だしているのか。
非凡な人の目前で氷柱の表面は日に照らされ、うっすら溶けて濡れ濡れとし、いよいよ透きとおってゆく。
(鑑賞:黒子)
(出典:句集『伊月集 龍』)
冬の夜を帰る嗚呼さばさばと帰る 夏井いつき
- 季語
- 冬の夜
- 季節
- 三冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 夏井いつき得意のリフレイン。「冬の夜を帰る/さばさばと帰る」という至って簡素な叙述。「さばさば」は、気分が爽快、こだわりがない、という副詞。しかしながら「嗚呼」という感動詞が入った途端、一句に強い感情が匂い立つ。
ええ、ええ、帰りますとも。さばさばとね。あんたに残して差し上げる未練はこれっぽっちもありませんとも。精一杯の矜恃。怒り。居直り。軽蔑。寂しさや落胆。悲しみ。読み手はどんな「嗚呼」を受け取るのか。
(鑑賞:こま)
(出典:句集シングル「悪態句集」『柿食うて』より)
雪になりさうな匂ひの男かな 夏井いつき
- 季語
- 雪
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 雪になりそうな匂いとはどのような匂いだろうか。エッセイストの山本兼太郎氏が雪の匂いというコラムの中で、香りの研究家の諸江辰男氏の著書からの引用として、「透明で鼻の奥をツーンと刺激するような匂い」という言葉を披露している。山本氏も「やっぱりそうだったのか、と納得した」と書いているので、同感なのであろう。
鼻の奥をツーンと刺激するような匂いでありながら、透明である、そのような匂いの男性であれば、真っすぐで魅力的な強さを備えているのかもしれない。作者はこの男性にしみじみそう感じているように思える。
それは、志のようなものかもしれない。作者の俳句への思いに同士のように共鳴する理念を感じ取ったのではないか。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 龍』)
雪になりさうな匂ひの男かな 夏井いつき
- 季語
- 雪
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- どんな様子の、どんな性格の男だろうか。
そもそも「雪になりそうな匂い」ってなに?と思ったところで、ある記憶がよみがえってきた。目覚ましが鳴った訳でもないのに、雪の気配で目が覚めることがある。ツンとした、湿ったような嗅覚……どんな男よ?
いや違う。「雪の気配」ではなく「雪になりそうな」でした。まだ雪は降ってはいないのです。「なりそう」というのだから、きっと物質的な匂いではなく、感覚の問題でしょう。「寂しい」といったような。
もしかしたら亡くなってしまった人が思い出される、そんな瞬間なのかもしれない。そんな大切な男を想っての、大切な時間がゆっくりと流れていく。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 龍』)
離乳食の人参つぶす木のスプン 夏井いつき
- 季語
- 人参
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 離乳食にもだいぶ慣れてきた。とはいえ、日によって食べたり食べなかったり。一進一退というところ。今日は人参。カロチンが豊富で栄養満点の冬野菜は、離乳食の定番だ。
輪切りにして柔らかく煮た夕日のようなそれを、一つ一つ、丁寧に、木匙でつぶしてゆく。よく煮てあるので多少の粒は残っても大丈夫。赤ん坊の細い喉に詰まらないように、茹で汁を少し足して緩めのペーストを作る。
きれいなオレンジ色に仕上がったそれは、ほんのり甘い匂いがする。浅い窪みに掬うのは、最初はほんの少し。今日は食べてくれるだろうか。木匙は今、赤ん坊の柔らかな下唇を押し開く。
(鑑賞:板柿せっか)
(出典:句集シングル「皺くちゃ玉」より)
いま年を越したと云はれさう思ふ 夏井いつき
- 季語
- 年越
- 季節
- 仲冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 新年になりましたよと言われて、そうなんだと思う。
つまり、作者は新年になる時を今か今かとテレビなどを見ながら待っていられる状態ではなかったのである。家事をしていたかもしれないし、居眠りをしていたかもしれないが、わざわざ年が変わったことを伝えられるというのは、年越しを待っていられない何かをしていたのであろう。泣く赤ん坊の世話をしていたのかもしれない。
年越しの瞬間を知って、伝えてくれる人は、おそらく家族だろう。上五中七は情景だが、下五は内心を詠んでいる。
自分が何をしていたかなどは一切詠んでいない。だが、句を通して作者の忙しさとか、周囲の情景が浮かんでくる。その場にいる人との関係も見えてくる。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 龍』)
湯冷してぞつとするほど父に似る 夏井いつき
- 季語
- 湯ざめ
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 心を塞ぐような嫌なことが続いて、疲れ切って風呂に入る。
頭を洗うでもなく洗って、体もちゃんと流せたかもわからない。湯船に浸かっていても何もいい解決案も浮かばない。
ぼうっとしたまま長湯して、湯も冷えてしまい、そのまま脱衣所に出てくる。
長い髪をバスタオルで乾かしながら、いつもは見ないのにふっと鏡を見てしまい、自分と目が合う。
これが、私なのか。父にそっくりな、その顔に驚く。似ていると言われたことも思ったことも一度もなかったのに。
だからか。だからこんなトラブルを引き起こしてしまったんだな。
父とは違う、あんな風にはなりたくない、なるまい。私は全然別の人間だと言い聞かせてきたのに。
足を掬われたような思いだ。
(鑑賞:愛知ぷるうと)
(出典:句集『伊月集 龍』より)