夏井&カンパニー読本
■募集終了のお知らせ
「夏井&カンパニー読本」は2024年12月31日(火)をもちまして募集を終了する運びとなりました。夏井&カンパニーのHPに掲載中の鑑賞文については引き続きご覧いただけるよう、アーカイブとして保存していますので、ご投稿いただいた様々な鑑賞文を、ぜひご覧ください。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちらここでもないわここでもないわとつぶやく蝶 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 三日前に弟が突然亡くなった。
血栓が心臓の血管に詰まったらしい。
職場を定年退職して十日目だった。
友引を挟んでお通夜は今日、葬式は明日。
顔を見ると眠っているようにしか見えないのに
棺の中の弟の足はとても冷たかった。命を失った人の体というものは
あんなにもひんやりとしているのか。
足に触れて、組んだ手に触れて最後に額に触れた。
夕方になってお通夜の席で親族席の二列目に座りながら
私はちっとも涙が出てこない自分に少なからず驚いていた。
これはリアルな夢なんじゃないかなとぼんやり遺影の弟を見ながら。
ここでもないここでもないととまる所を探している蝶は
間違って体を抜け出した魂なのかもしれない。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
パスカルと名付けし蜷の愁いかな 夏井いつき
- 季語
- 蜷
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 宇宙の中ではちっほけで弱い人間もその真実を認め愛を識れば偉大だと説いた「パスカル」。この国の水の在るあちこちで春に活発化、這った跡を道としてくっきり残していく「蜷」。棲む水が宇宙かもしれぬ「蜷」に「パスカルと名付け」た。聡明で細やかな「パスカル」が活躍し始めると、その心を痛める事も増える。
作者のこの感性に仰天し、読み返すうちなるほどと合点。この「蜷」は俳句の種まき行脚に精を出す作者自身なのだ。その道が長く残るほど様々な「愁い」も増えていく。殻の先がよく欠ける「蜷」は、身を削りつつ俳句普及活動を続けておられる作者だ。切ない。頭が下がる。名もなき「蜷」を目指す私の春の愛唱句のひとつ。
(鑑賞:明惟久里)
(出典:句集『伊月集 梟』)
薬箱の中に椿が入れてある 夏井いつき
- 季語
- 椿
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 救急箱でなく薬箱と書かれると、プラスチック製のものではなくくすんだ色の木箱を思わせる。中七の「中に」まで読むと、薬箱は否応なく開かれる。木箱の質感、ピンの銀色の光、真っ白な綿といった色彩の対比、消毒液のツンとした匂い、あらゆる五感が刺激されるなか、下五まで読むと唐突に大きな一つの椿が現れる。
この句は「入れてある」としか述べていないので、いつ誰が何のために入れたのかは全く分からない。椿は恐ろしい赤色のまま静かにそこにある。恐らく実際は、誰かの悪戯程度のささやかな事なのだろう。
しかし、薬箱を開けた時に感じた、一瞬の美しい不可解さはこの句の中に永久に閉じ込められている。
(鑑賞:市川一夜)
(出典:句集『伊月集 梟』)
蝶の舌ふれたる水のびりびりす 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 蝶の口吻を舌と言ったところから既に詩が始まっている。
「蝶の舌」で切れて読むと水にふれたのは作者だけとも読めるが、蝶の舌がふれた水に作者もふれたのだろう。その水が「びりびりす」と言う。
まるで蝶の舌で通電されたようなオノマトペ。蝶の動きは確かに電気仕掛けのようにも見えるし、その羽の動きで微量に発電、帯電してるのかとも想像できる。
「水」を介して蝶を触感に捉え詩を完成した句だと思う。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
ミサイルをたんぽぽ弾で撃ち落とす 夏井いつき
- 季語
- たんぽぽ
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 子供の頃の私は夢想していた。世界中の武器が草花に覆われ使い物にならなくなることを。生まれてからずっと戦争は悪いことだと信じていた。そして世界中の人達が戦争が無くなる未来を目指していると思っていた。
しかし、それは間違いだったのかもしれない。だって今大きな戦争がテレビ画面を通してではあるが目の前に繰り広げられているではないか。朝食を食べながらウクライナの子供達が死んでいくニュースを見ているこの現状はいったいなんなんだと思う。
戦争反対という私の声は小さく、飛んでいるミサイルを止めることはできそうにない。それでも言い続けなければいけないと思う。地上に咲いている蒲公英を摘んで空に向かって投げるように。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集 『伊月集 鶴』)
たんぽぽをさんざんぶってやりました 夏井いつき
- 季語
- たんぽぽ
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 言葉だけを音で聞いてしまうとちょっと乱暴にも聞こえるものが、ひらがなで記されている。こどもの日記のような可愛らしさ。
ぶってやる!と軽く叩いたのだろうか。見つける度にモグラたたきでもしているように戯れていたのだろうか。
それとも。
なにか嫌な出来事があって初めはたんぽぽに向かってあたっていたのかもしれない。
小さなたんぽぽを次々はたいていたら、心が少し痛みふっと我に返る瞬間がくる。健気な花の姿にはっとする。段々嬉しい気分にもなってきて、愛しさも心に戻ってくる。
ごめんねと思いつつ日記のように、心を取り戻してくれた感謝も込めて綴ったのかもしれない。
(鑑賞:月萩つなぎ
(出典:句集 『伊月集 梟』)
いましがた消えたる朝の月も春 夏井いつき
- 季語
- 春の月
- 季節
- 三春
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 早朝、満月を少し過ぎたくらいの大きな月が山の端に沈んでいく。
霞が掛かった少しぼんやりとした春の月の姿である。ただその月はもう沈んでもう見えない。
早朝の出発時の慌ただしさを一時、忘れさせる景色に出会うことが出来た。
広大で途切れることのない自然の表情が表現されている。
(鑑賞:長谷川ひろし)
(出典:伊月庵通信 2020年夏号)
台本を丸める春愁も丸める 夏井いつき
- 季語
- 春愁
- 季節
- 三春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 彼女は女優だ。
端正な顔だちに人気があり沢山のドラマで主演を演じ、今も撮影が始まるのをパイプ椅子で待っている。
だが、彼女の人気はあくまでその美貌にであり演技力としては低い評価を受けている事を彼女は知っている。演じる事はとても好きだ、自分なりに演技とは何か考え勉強もしている。でもそれは思っている程上手くいってないらしい。気にしていない訳ではない。だがそれ以上に嬉しいのだ。自分に主演女優をお願いしたいと来た事は確か、今はそれで充分。
それ以外の事は考えたくなくても考えなければならない日が近い未来に来るのだろう。
気づけば台本を掴む手に力が入っていた。
(鑑賞:24516)
(出典:句集『伊月集 梟』)
鼻濁音みたいな春の愁ひかな 夏井いつき
- 季語
- 春愁
- 季節
- 三春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 小学校の音楽の時間に先生が言った。「歌詞に『が』が出てきたら『が』の前に小さな『ん』をつけて『んが』と歌いましょう。その方がきれいな響きに聞こえます」
それから私は、歌詞に「が」が出てくるたびに「んが」と歌っている。「すーみーだーんがーわー」と。
それが鼻濁音と呼ばれることを知ったのはずいぶん大人になってからのことだ。強く明確に発音する通常の「ガ行の濁音」とは違って、優しく柔らかい響きを持つ音だという。
うららかで心が浮き立つはずの春に、ふとやってくる「春の愁ひ」は、そんな鼻濁音のような「愁ひ」だ。優しく柔らかい「愁ひ」はいつの間にかやって来て、いつの間にか消えていく。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集・鶴』より)
すみれは風に仏陀は哀しい人だつた 夏井いつき
- 季語
- すみれ
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 花の形が大工道具の「墨入れ」に似ているから「すみれ」とは、親父ギャグほど無責任だ。
少々字余りのこの句は「すみれは風に」で一旦切れる。健気に咲く「すみれ」が「風」に吹かれている何でもない風景が思い浮かぶ。
対して「仏陀は哀しい人だった」は問題だ。「四門出遊」か。何の不自由もない王子様が当たり前の「苦」の現実に取り憑かれ、「苦」の現場に一生を捧げたことを「哀しい人」と言っているに違いない。
大工の親父のように楽しく生きられない仏陀は、風に吹かれる「すみれ」を見ても「苦」を感じずにはおれなかった「哀しい人」なのだろう。テクニックとして助詞の使い方の妙があることを添えておく。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
青空や蝶百頭を贄として 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 雲一つない、なんと美しい青空なのだろう。そして私は、こんなことを想うのである。この青空を守るためなら、たとえ可憐であっても、百頭もの数であっても、蝶を贄とすることは厭わないと。
なぜそれほどの想いにさせるのか。それは戦争のせいだ。
もう二度と、原爆で黒い雨が降るような空には戻ってほしくない。この春の青空のように、のどかで平和な日々が続いてほしい。その強い想いが、「や」、「百頭」、「贄」という言葉に表れている。
また、この句においては、静かで平和な空の青と激しい戦争の血の赤、軽やかに舞う蝶の白と重苦しく降る雨の黒、といったように色彩による情景の対比も浮かんでくる。
(鑑賞:西村のぞむ)
(出典:句集『蝶語』)
しゃぼん玉吹く陳さんのフィアンセと 夏井いつき
- 季語
- しゃぼん玉
- 季節
- 三春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- ゆっくりと読み進めることで、愉快な意外性に出会える句。
「しゃぼん玉」で視線が広い空に向き、「吹く」で口元のクローズアップに。
しゃぼん玉を吹く子どもだと思うと、「陳さん」登場。大人の男かつ外国人? そして海外詠の可能性も出てきた。
「のフィアンセ」で、若く健やかな女性が立ち現れてくる。
さらに「と」という助詞によって、しゃぼん玉を共に吹く作者が最後に登場するという仕掛け。
しゃぼん玉のように美しく楽しくそして儚い、そんな旅先での束の間の出会いを私は想像しました。
それにしても陳さんカップルは今頃どこでどうしているでしょう。そうだ、しゃぼん玉に聞いてみよう。
(鑑賞:梅うめ子)
(出典:句集『伊月集 梟』)
つながれぬ手は垂れ末黒野の太陽 夏井いつき
- 季語
- 末黒野
- 季節
- 初春
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 繋がりたいと願った手は繋がれぬまま垂れ、野焼きの跡に一人立つ人物は、太陽を見ている。
末黒野の黒と太陽の赤の対比、末黒野や太陽という圧倒的な大きさと人物の小ささの対比が効いている。野焼きの匂い、燻る音、手の冷たさ、太陽の熱等が、五感に迫ってくる大きな作品だ。
最初、小さな子どもを思い浮かべた。家族を失った子どもが、ぎりぎりと太陽を睨み付けている光景。或いは作者自身の心象風景か。
差し出した手は繋がれず、強い悲しみと孤独を感じているが、作者の目は希望である太陽を見ている。そして、野焼きの跡に草花が青々と繁る未来を。
(鑑賞:とまや)
(出典:句集『伊月集 梟』)
朽野へショールは赤き帆のごとく 夏井いつき
- 季語
- 朽野
- 季節
- 三冬
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 「朽野へ」の「へ」にまず強い意志を感じました。
朽野とは草木の枯れつくした冬の野。そんな荒涼とした所と知りながら踏み出して行く。
続いてショールの「赤」が色の無かった映像に鮮やかに現れる。この「赤」も決意の強さだと読み手が捉えたところに「赤き帆のごとく」と展開してゆく。
「帆」の一語で風が強いことを、舟のように前へ進むことを見せてくれる。
寒々とした朽野でありながら前へ進んで行くという意志と決意の熱を感じる勇気のいただける句でした。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『伊月集 梟』)
まぶしさがかたまり裸木となった 夏井いつき
- 季語
- 裸木
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 冬の光は冷気の中でひと際輝いている。葉っぱの全部落ちた木は、枝という枝を全部、光のように幹から上にも左右にも伸びていた。裸木はまぶしいほど太陽の光を受けて、逆光では細い枝なんかは線になって見えている。それは光の形なのではなかったかと大げさではなく受け取れてしまう。
「まぶしさ」の元までは確認できないほどの輝きと「裸木」には境目などなく、一体となったのだと思える。
(鑑賞:月萩つなぎ)
(出典:句集 『伊月集 梟』)