百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
母曰く風花が誕生花らし さとけん
- 季語
- 風花
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「風花」とは、晴れている空に降ってくる雪片です。逆の言い方をすると、風花という季語には、真っ青な空が内包されているのです。風花が舞う日はかなり冷えます。生の祝福として、風花は冷たく美しく降ってくる。なんと素敵な日に生まれたのでしょう。
「風花」を「誕生花」として生まれたきたのは、母自身でしょうか。母が、成長した我が子に語っているのでしょうか。あなたが生まれた日は風花が舞っていてね、空が痛いほど青かったわ、と。風花を見ると「母曰く」と思い出す。小さなドラマがそこにあります。
「風花」という美しい言葉を、誕生花として愛でる。その心持ちそのものが詩であるよ、と感じ入った作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年1月兼題分)
神鏡に映り込みたる橙よ 吾平
- 季語
- 橙
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「神鏡」の一語の効果、巧いですね。 神社の本殿の奥の奥。拝殿に並べられた供物の中にある「橙」が、奉納してある「神鏡」に映り込んでいるというのです。
「神鏡」は現代の鏡とは違い、鏡面がぼんやりしてますが、そこに映り込んでいる「橙」の黄色がありありと想像できます。「橙=代々」の目出度さが、拝殿の供物棚を彩ります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年12月5日週分)
ろんろんとうたいたる福引の旗 緑の手
- 季語
- 福引
- 季節
- 新年
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「福引」はここですよ、とたなびいている「旗」に目を付けた一句。
なんといっても「ろんろん」というオノマトペが秀逸です。誰にでも特賞が当たりそうな気分にさせる「旗」は、いかにも「ろんろん」という気分。
「うたいたる」という擬人化も楽しい一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年12月11日週分)
重ね着て父恍惚の幹となる 次郎の飼い主
- 季語
- 重ね着
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「重ね着」の「父」という発想の句はいくらでもありますが、後半の「恍惚の幹となる」という措辞に胸を衝かれました。「父」とはまさに「幹」のような存在ですが、今「恍惚」の人となっている。
この「恍惚」という言葉には幾つかの意味があります。何かに心を寄せうっとりする恍惚。美しい冬夕焼けに見惚れているのかもしれません。意識がはっきりしていない恍惚。人生に疲れ切っているのかもしれません。老人特有の病的恍惚。もはや作者である娘を認識できない父となっているのかもしれません。
どの意味に読んでも、この句はそれぞれの味わいとなります。年輪のように「重ね着て」静かに佇む「父」。その「幹」のような姿に静かな感動を覚えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2018年10月18日週分)
室の花この憂鬱は錆朱色 むめも
- 季語
- 室の花
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 我が心の憂鬱を「錆朱」と感じたのは、眼前の「室の花」にその色が雑じっていたからか。
豪奢な「室の花」の鬱鬱たる薫り。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句季刊誌『伊月庵通信』2023年春号)
熊胆のごとき太陽冬眠す まこちふる
- 季語
- 冬眠
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「熊胆」とは「ゆうたん」と読みます。文字通り熊の胆嚢。漢方薬です。
中屋彦十郎薬局HPには、以下のような解説がありました。【第三類医薬品、熊胆は「薬性論」に「小児の五疳を主治し、虫を殺し、悪瘡を治す」とあり、唐本注、神農本草経にも収載されている。冬期間にとれた熊の胆は匂いがしない。射殺したクマから血液や脂肪の夾雑物が入らないように胆嚢を取り出し、これを冬期間陰干しにするとカチカチに固まる。これが生薬の熊胆で、不透明黒色の固い塊である。多くは卵球形である。一種の香気があり、味はきわめて苦い。】
この文章を読めば「熊胆のごとき太陽」がどのような太陽か、想像がつきます。不透明で黒色の塊、卵球形の太陽です。生き物たちが「冬眠」する小さな穴から見える太陽はこんな印象なのでしょうか。あるいは、厳寒の暗い雲の向こうにある太陽を作者の心がこのように感じ取ったのかもしれません。
「熊」の一字と「冬眠」が良い意味で響き合いますし、「熊胆のごとき太陽」の比喩は冬という季節の感覚にも合致します。一種の香気があって、味はきわめて苦い。「冬眠」する生き物たちにとって、「太陽」とはまさにそういうものではないかと、この比喩の力に脱帽します。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2019年11月28日週分)
煙草吸う人にしなだれ牡丹鍋 清永ゆうこ
- 季語
- 牡丹鍋
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- なるほど、こういう場面を想像しても「牡丹鍋」には似合うんだなあ。「煙草吸う」人物と「しなだれる」人物、男と女のやや下卑た光景が「牡丹鍋」という季語の世界に展開されます。
「しなだれ」ている女の着物の裾の肌襦袢が「牡丹」の赤なのだろうと、そんな妄想もうまれてきました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年11月27日週分)
狐火を撃ち紅下黒の悪寒 綾竹あんどれ
- 季語
- 狐火
- 季節
- 地理
- 分類
- 三冬
- 鑑賞
- 青白い狐火を撃ってしまった。あの日からずっと悪寒に襲われている。
体内に狐火を飼っているかのような紅下黒の悪寒だ。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句季刊誌 伊月庵通信2022年秋号)
パッカー車行ってすっぱい小春かな 夏風かをる
- 季語
- 小春
- 季節
- 初冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「パッカー車」とは、ゴミ収集車です。冬とはいえ、春のように暖かい今朝、ゴミ収集車が周りの空気をかき混ぜるように遠ざかっていきます。そこには、排気ガスに混じって、生ゴミの腐ったような「すっぱい」匂いも混じっていたのでしょう。
嗅覚でもって、「小春」という時候の季語を表現しようというチャレンジ。「パッカー」「すっぱい」という韻の踏み方にも工夫があって、楽しませてもらった作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2021年10月20日週分)
山頂を天狗の走る時雨かな じゃすみん
- 季語
- 時雨
- 季節
- 初冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「山頂を天狗の走る」という虚の世界が、山肌を走る「時雨」の映像に重なります。
今日はやけに天狗さまがお山を走る日じゃな――と、囲炉裏端で爺さんが語っているかのような味わいが、この一句の魅力です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2019年10月兼題分)
半過去で語るセーヌの初時雨 野純
- 季語
- 初時雨
- 季節
- 初冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「半過去」とは、フランス語の文法用語。【過去のある時点で継続している状態】を指します。「初時雨って、半過去に似合ってませんか」と語る野純さんですが、まさにおっしゃる通りです。
「半過去で語る」過去とは、作者にとって過去に成り得ていない過去ではないかと思います。
しかも場所が巴里の「セーヌ」だというドラマチックな世界に「初時雨」は美しいひかりを添えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年10月24日週分)
紅下黒の列菊持ちてずんずん クラウド坂の上
- 季語
- 菊
- 季節
- 三秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 紅下黒は喪服の色。菊を持ち、紅下黒の列につく。列はずんずんと進む。
五七五を裏切った韻律は、乾いた弔意を思わせて。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句季刊誌 伊月庵通信 2022年秋号)
秋の雷水に交じらぬ強き酒 可不可
- 季語
- 秋の雷
- 季節
- 初秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 「秋の雷」そのものを何かに喩えるとすれば、「水に交じらぬ強き酒」かもしれないなあと、感覚的に納得させられた一句。
濃いウヰスキーを連想したのは「秋の雷」という季語が内容している、かすかな色彩感覚なのかもしれません。喉を焼く「強き酒」の香りもまた「秋の雷」に似合います。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年8月29日週分)
赤い羽根挿す場所本当に胸か 綱長井ハツオ
- 季語
- 赤い羽根
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- こんな問いを突きつけられるとは思いもしませんでした。「赤い羽根」へ募金をすれば、胸に「赤い羽根」を付けてくれる。なんの疑いもなくそう思っています。が、このように問いかけられると、「赤い羽根」を付けてもらう時の不思議な緊張感が蘇ります。それは、他者の顔が我が胸のここまで近づくことの違和感でもあるでしょう。思わず息を止めるという句が毎年量産されるのも、この共通体験が生み出す結果に違いありません。
「赤い羽根挿す」という表記は、金色のピンを「刺す」という印象を引き出します。他者が自分の「胸」に(細いとはいえ)金属を刺す不安感。「本当に胸か」という呟きは、募金という行為の裏にあるささやかな自嘲も匂わせるかのようです。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2020年10月兼題分)
木犀と子象が同じ空の下 ゆきる
- 季語
- 木犀
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 今年生まれた「子象」でしょうか。「子象」がこの世に生まれて初めて嗅いでいる「木犀」の香り。小さいけれど長い鼻を空に伸ばして、「子象」は存分に香りを味わっているのでしょうか。
「同じ空の下」には、「木犀と子象」と、それを見ている私もいます。小さな三点の三角形がほのぼのとした詩的空間を創ります。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年10月03日週分)