百囀集
夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞
にんげんがみんなにびいろ日射病 いかちゃん
- 季語
- 日射病
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「にびいろ」の喪の印象が、平仮名書きを怖ろしくさせるのか。
原爆を一瞬思う。「日射病」に一瞬ほっとし、その後で再び怖さがじわじわと押し寄せる。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句季刊誌 伊月庵通信 2020年秋号 「色の歳時記」)
虫籠に動かぬ蛍の匂ひ満つ あまぐり
- 季語
- 蛍
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「虫籠に動かぬ蛍」を詠んだ句は山のようにありますが、その「虫籠」に死んだ「蛍の匂ひ」が満ちているという詩的嗅覚。
昨夜の乱舞する蛍の光景を思いつつ、「虫籠」に残る黒い虫を捨てる朝です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2018年5月兼題分)
冷やし瓜信じられるは夫と吾 登美子
- 季語
- 冷し瓜
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- オレオレ詐欺だか、お母さん助けて詐欺だか知らないが、作者は昨今の社会情勢が生み出す人間不信ってやつにうんざりしているのかもしれません。
「信じられるは夫と吾」と言い放ち、二人で食べるのは我が畑でとれた瓜でしょうか。
余所の野菜も瓜も農薬だらけですものと、二人で耕し二人で食べる「冷し瓜」の味は、いかがでありましょうや。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年5月23日週分)
ぶよぶよにまだ濡れている虹の足 あずお玲子
- 季語
- 虹
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 雨あがりの空に、うっすらと虹らしきひかりを見つけることがあります。あれはひょっとして、虹かなあ?……と、暫し目を凝らしていると、次第に虹らしき色が浮かびあがってくる。空という立方体に、さっきやんだばかりの雨の粒子がきらきらと浮遊している、まさにあの感じ。そうか、あれは虹がまだ濡れているからなんだ! という気づきのなんと瑞々しいことでしょう。
「ぶよぶよ」は、普通あまり気持ちのよいオノマトペとしては使われないのですが、この新鮮な感覚に愉快な驚きを感じます。「まだ濡れている」のは「虹の足」だという詩的リアリティに共感します。
季語「虹」の一物仕立てへの鮮やかな挑戦に、大きな拍手を贈りたい作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年6月兼題分)
蟇家族は母のモノでした おんちゃん。
- 季語
- 蟇
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- なんと切ない句でしょう。「母」は精一杯みなのことを考え、ふるまっていたのでしょうが、専制的かつ感情的な母親に振り回される「家族」の憤りと諦めと切なさが静かに噴き出してくるような作品です。
一見、疣のある醜い「蟇」に「母」という存在を重ねているだけにも読めますが、実は切なく美しい声で鳴くのが「蟇」という生き物。母親には母親なりの信念と偏愛があるからこそ一筋縄ではいかないのです。
「家族は母のモノでした」呟きのような詩語が示唆する悲しみの質量が読者の胸にひたひたと押し寄せます。俳句という文芸が持つ眩暈のするような奥行を突きつけられた心持がします。
「蟇」は動かし難く、季語としての存在感を放っています。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2019年4月4日週分)
縦走の三日目は晴れ瀧しぶき 望月ゆう
- 季語
- 滝
- 季節
- 三夏
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 「縦走」とは、尾根歩き。幾つかの頂上をたどって歩く登山形式です。事典には「最も一般的かつ基礎的な方法」とありましたが、尾根伝いにずっと整備された登山道があるわけではないでしょうから、それなりにハードな登山に違いありません。
この句は「縦走の三日目」、そして「三日目は晴れ」なのです。ということは、ここまでは雨。体力的にも厳しい二日間だったのでしょう。雨の野営から一夜が明けます。晴れ上がった空を見上げ、歩き出せば、少しずつ力が蘇ってくるようです。やがて見えてくる瀧。近づけば、涼やかな「瀧しぶき」。こんな瀧との出会いもまた、縦走の魅力。
たった十七音で、広い景を描きつつ人物や時間経過までをも描く、鮮やかな作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2022年5月兼題分)
麦の穂の光すずめの白き腹 雨月
- 季語
- 麦
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- たとえば季語が「稲の穂」でも成立はしますが、そこに「すずめ」とくると、かなりのベタつき。「麦の穂」だからそのベタ付き感が薄れるということは間違いのない事実です。
「麦の穂の光」の中に、ちらちらと見え隠れする「すずめ」の「白き腹」を描くことで、映像がより鮮明になります。
「麦の穂の光のなかの雀たち」という表現と比較してもらうと分かり易いかと思いますが、「白き腹」を映像として切り取ることによって、季語「麦の穂の光」がさらに鮮やかになるという仕組みの一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年5月1日週分)
ごん狐筍飯をねだりけり ときめき人
- 季語
- 筍飯
- 季節
- 初夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「ごん狐」がでてくるとは思いませんでしたが、友だちが欲しかったゴンですから、人間が食べている「筍飯」もきっと食べたがったに違いありません。
「筍飯をねだりけり」という措辞が、ある日のゴンを想像させます。あったはずのない場面を生き生きと思い起こさせてくれるのが、この一句の詩的力なのだと思います。
「ごん狐」のお話は、教科書にも載ってましたよね。読む度にマジで泣けてくるので、子ども心に、要注意のお話でした(笑)。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年4月25日週分)
チンアナゴ伸びて光のごとき初夏 抹茶金魚
- 季語
- 初夏
- 季節
- 初夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 一読、水族館の水槽の「チンアナゴ」を思ったので、「初夏」がどこまで感じとれるかと迷いました。ダイビングかもしれないと調べてみると、チンアナゴは体験ダイビングでも観ることができるぐらいの砂底に生息していることを知りました。そのとたん海底に届く「初夏」の明るい光が見えてきました。「チンアナゴ」の群は同じ方向へ「伸び」上がり、ゆらゆらと揺れています。
それはあたかも「光」を求めているかのようです。求める光の先には「初夏」という颯爽たる季節が動きはじめていることを、「チンアナゴ」たちは知っているのでしょう。せめて水族館の「チンアナゴ」に会いたくなってきました。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2020年5月兼題分)
葉桜のかげゆらゆらと歯科のいす 原田泰輔(愛媛大学教育学部付属小学校)
- 季語
- 葉桜
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 歯科医院のいすに仰向けになって待っていると、ふと窓に映る葉桜のかげが揺れているのを見つけたのでしょう。
治療を待つ不安な心の動揺が、そのかげの揺れに重ねられて表現されています。
かげのように、「ゆらゆらと」ゆれる心でいすの上で待っています。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第20回はぴかちゃん歯いく大賞 小学生の部優秀賞)
怒り来て縦に割れたる蜂の口 クズウジュンイチ
- 季語
- 蜂
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「蜂」の一物仕立てに挑んだこの句、圧倒されました。
「蜂の口」なんぞというものをしげしげ見たことはないのに、「怒り」の感情に支配された「蜂の口」が、カッと「縦」に「割れ」襲い掛かってくるCG映像が、我が脳内で生々しく再生されることに驚きました。一匹の「蜂の口」が大写しとなるその背後には、同じように「縦」に割れた「口」を開けて、怒る蜂たちが押し寄せてくるのです。怖い、実に怖い!
この生々しさを作り出しているのは、語順の巧さ。「怒り来て」で巨大にして禍々しい感情が、こちらに向かって押し寄せてくる緊迫感を作り、さらに中七「縦に割れたる」という謎の言葉を畳みかけられると、読み手の心は不穏に揺れます。最後に「蜂の口」がいきなり出てくる。クローズアップの画面が眼前に押し寄せる。これが、恐怖を作り出す仕掛けとなっているのです。
書いてるそばから、また怖くなってくる迫力の一物仕立て。この手法は、とにかく観察するしかないのですが、「蜂」をここまで接近して眺め続けることができることそのものが、才能に違いないと確信します。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年1月12日週分)
桃の花はつかに見えし親知らず 小谷亜美(聖カタリナ女子高等学校一年)
- 季語
- 桃の花
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- この句の「はつか」とは「わずか」という意味です。
生え始めた「親知らず」の感触は、折りしも咲き始めた「桃の花」にも似た「はつか」なる風情でありましょうか。
繊細な感覚の一句です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:第8回はぴかちゃん歯いく大賞 中・高校生の部優秀賞)
※ 学年は応募当時のもの
風景になつて遅日の磯に居る 小川天鵲
- 季語
- 遅日
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「遅日」は時候の季語です。意味としては「日永」に似ていますが、お日さまが傾いていくのが遅くなってきたという点に本意の軸足があります。
「風景になつて~居る」という叙述は、自分あるいは自分を含む人々と解釈しました。家族や友人と楽しむ春の磯遊びでしょうか。潮の引いた磯の潮だまりを覗きこんだり、貝を採ったり、磯巾着を突いてみたり、一緒にお弁当を食べたり。ひょっとすると、春の愁いを心に「遅日の磯」に一人佇んでいるのかもしれません。
まるで自分自身が「風景になつて」いるかのようにという把握が、映像を持たない時候の季語「遅日」を映像として表現しています。第三者の目になって捉えた視点を大いに誉めたい作品です。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年3月兼題分)
菜の花やとおくのまちのちさきみせ さな(5才)
- 季語
- 菜の花
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「菜の花や」でカットが切れるのですが、眼前にあるのはやはり「菜の花」だけです。「とおくのまち」にある「ちさきみせ」のことを思い出している、その心にあるのは懐かしさでしょうか、淋しさでしょうか。平仮名ばかりで書かれた中七下五が、しみじみと思いを広げます。
以下は、さなちゃんの祖母誉茂子さんのコメントです。
――「ちさき」なんて言葉をどこで覚えたのでしょうか? 「ちいさい」でもいいのよ。と言うと「ちさき」なんだそうです。――
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年3月9日週分)
菜の花に緑の蕾百七こ むらさき(4さい)
- 季語
- 菜の花
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 一物仕立てで作る時、季語に対する取材方法として、数えてみるのも一つの手です。
「菜の花」の一茎に「緑の蕾」は一体何個あるかしら? と作者は数えてみたのです。
「百七こ」という数詞は、想像では言い切りにくい数字です。実際に数えてみた強みが、一句のリアリティを支えます。
(鑑賞:夏井いつき)
(出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2017年3月9日週分)