夏井&カンパニー読本
■募集終了のお知らせ
「夏井&カンパニー読本」は2024年12月31日(火)をもちまして募集を終了する運びとなりました。夏井&カンパニーのHPに掲載中の鑑賞文については引き続きご覧いただけるよう、アーカイブとして保存していますので、ご投稿いただいた様々な鑑賞文を、ぜひご覧ください。
水は球体がくあじさいの揺れやまず 夏井いつき
- 季語
- 紫陽花
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 雨が降っている。激しい降りではない。
そんな雨に反して、がくあじさいは大きく揺れている。
がくあじさいの花びらには雨粒があり、その重みが、がくあじさいを揺らしているのだ。
まるで地球ができてからの進化と連想できる「水は球体」。そして、がくあじさいは、紫陽花の原種。「がくあじさい」と「水は球体」から、太古の昔より地球は揺れ続け、大陸を分断し、いまだ大陸は移動し、揺れは止まないのだと思える。
また、あじさいは、日本の自生種。
地震の多い日本ではあるのだが、水の球体の一部でもある、なんと美しい国であることよ。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:俳句新聞『いつき組』11号)
年月はひかりとなれり梅酒また 夏井いつき
- 季語
- 梅酒
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 幼い頃の一日は実は長い。いつまで経っても明日は来ないように思われる。成長するにつれ、一日はだんだん短くなっていく。風の流れのようだった一日は川のように、ついにはひかりの速さで過ぎてゆく。そして、思いもつかないほど遠くまで来てしまった自分と残された時間に気付く。
そんな時は梅酒をグラスに注ぎながら、ひかりの速さに抗ってみる。琥珀の色にひかりを閉じ込めてみる。明日はまたひかりの速さで一日が過ぎていくのだろう。そして、一日の終りにはまたあの琥珀色の梅酒が待っているのだ。
(鑑賞:すりいぴい)
(出典:俳句新聞いつき組15号「言祝ぎ」2018年7月)
はたた神には恋してはなるまいぞ 夏井いつき
- 季語
- はたた神
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 『絶滅危急季語辞典』に収録されている軽妙な一句。
高校1年生の少女は恋の予感に胸がときめく。憧れの先輩に「明日、待っているから来ないか」と誘われたのだ。翌日、3階の文芸部の部室で二人は好きな詩人の話題で盛り上がる。その時、雷鳴が轟く。少女は窓辺に駆け寄り稲光に歓声をあげ魅入る。先輩は雷の恐怖以上に、目を輝かせ雷見物をする少女に驚愕し青ざめていた。あえなく恋は終わる。
はたた神(雷)に心を奪われた少女は「はたた神には恋してはなるまいぞ」、きゃ~と叫ぶような可愛い女になろうと固く誓うのであった。しかし、生来の好奇心はますます旺盛に、特異な感性はますます磨かれ……。
(鑑賞:柝の音)
(出典:『絶滅危急季語辞典』)
蛍火のふいに二手に分かれけり 夏井いつき
- 季語
- 蛍火
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 子規の『若鮎の二手になりて上りけり』 へのオマージュがこの一句を生み出したと想像できます。どちらの句も夏の生物が二手に分かれた感慨を詠んでいます。
しかし、内容は対照的です。
大好物の餌場の記憶を頼りに川の合流点でも迷うことなく二手になって上流を目指すのは輝く若鮎の群れです。
一方、蛍火は二匹。ひとつとなった蛍火がことを終え、ふたつの蛍火となって飛び立った瞬間の驚きはたちまち闇に消え、二手の行方は分からなくなります。
よく似た二つの俳句は、水と火・集団と個・光と闇・直線と曲線・食い気と色気、かくも対照的な二手の俳句として完成しています。
生命賛歌が共通点ということは言うまでもありません。
(鑑賞:吉野川)
(出典:『伊月集 龍』)
蛇苺ほどのいぢわるしてをりぬ 夏井いつき
- 季語
- 蛇苺
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- そもそもこの苺に「蛇苺」という命名がちょっと意地悪。見た目にヘビと言われるような特徴は無いし、実際は無いのに毒があるというデマまで飛んでいる。他にも「この名は遺憾」と植物が言いそうなものにワルナスビ、ヘクソカヅラ、オニシバリ等々。もし「キツネノカミソリほどのいぢわる」とするとかなり怖い意地悪になりそうだし、「ワビスケほどのいぢわる」だと少し悲しくなる。
「蛇苺と名付けたほどのいぢわる」は嫉妬のなせる業で本当は好き、の裏返しかもしれない。もしかして作者はそんな意地悪を意識した句を詠んだのかも?
探してみたい。考えるほど蛇苺の華麗な赤と可愛らしさが際立つ。
(鑑賞:ときこ)
(出典:『伊月集 龍』)
蛇苺ほどのいぢわるしてをりぬ 夏井いつき
- 季語
- 蛇苺
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- バラ科キジムシロ属・多年草の「蛇苺」と、バラ科キイチゴ属・落葉小低木の「木苺」は、どちらも日当たりのいい道端によく生えている。そして初夏になると、同じくらいの大きさの、同じように赤い実をつける。
だから、遠くから赤い実を見つけて「美味しい木苺がなっている。」と思ってわくわく近づいたのに、「なんだ。食べられない蛇苺か。」と、がっかりすることがよくある。
つまり、そういう「いぢわる」なんだろうな。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:『伊月集 龍』)
蛇苺ほどのいぢわるしてをりぬ 夏井いつき
- 季語
- 蛇苺
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 毒があるという俗説があるヘビイチゴ。でも毒は無く、まずいだけ。
作者は誰かに意地悪をしているのです。ヘビイチゴ程度の意地悪ですので、それほどの悪意は感じられません。恋の相手でしょうか?
でも、甘えている様子は感じられません。子育てではないかと思うのです。
親として、子育てに疲れた時、我が子に他愛ない意地悪やいたずらをしたくなる時があります。もちろん、親子のコミュニケーションの範囲内でです。
あえて手を貸さないとか、そういったことですが、別に教育的意図が深くある訳でもなく、ちょっぴり世間の厳しさをほんのちょっと味あわせる程度、そんなことってないですか?
それを受けて子どもも強く育つのではないでしょうか。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 龍』)
趣味特になし籐椅子にある凹み 夏井いつき
- 季語
- 籐椅子
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 僕が遊びに行く度、おじいちゃんは、縁側にある籐椅子に座ってた。籐椅子が、おじいちゃんの指定席。おじいちゃんは、籐椅子に座って見える庭が好き。「そろそろ、紫陽花の花が咲き始めそうだなあ」とか、もごもご言ってる。
そんなおじいちゃんが突然いなくなった。縁側に置いたまんまの籐椅子は、おじいちゃんのお尻の形に凹んでる。ああ、おじいちゃん、もういないんだなあ。
籐椅子に座ってみたら、僕のお尻の形より大きい!座ってたから分からなかったけど、おじいちゃんって大きいんだ!
籐椅子に、おじいちゃんが座ってるように思うその凹みの向こうに、紫陽花が咲いていた。
(おじいちゃん子の作文より)
(鑑賞:天野姫城)
(出典:ウェブマガジン「週刊俳句第107号」2009年5月9日)
桐は天のあをさに冷ゆる花なりき 夏井いつき
- 季語
- 桐の花
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 羽衣伝説の天女を思った。
男によって羽衣を隠された天女は空へ帰る手立てを失い心ならずも人間として地上に住むことになる。男と暮らすうちに男に対する情のようなものが湧いたかもしれない。しかし彼女は羽衣を見つけてしまった。それを纏う時に迷いはほんの少しあったかもしれない。
が、やはり彼女は空を選んだ。空へ、空へ。その時に人間として過ごした日々の思い出、男への愛情も憎しみもすべてはらはらと舞い落ちて行ったような気がする。
天女が人であった時は黒かった瞳の色が桐の花の紫に変わり、その心は空の色のようにひんやりとしている。薄紫色の瞳で見下ろした地上には小さくなった男が立ち尽くしている。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 龍』)
すでに母のまなざし緑あふるる朝 夏井いつき
- 季語
- 緑
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 長い夜でした。陣痛に耐えようやく迎えた明け方、産声を聞きました。
「元気な男の子ですよ」と胸に抱かせてもらった赤ん坊を見下ろすまなざしは、もう娘ではありません。母になった喜びと畏れ、逞しさと繊細さに黒々と濡れています。
窓の外には緑の樹々が、濡れたようにつやつやと朝の光を照り返しています。
この子が生まれてきた世界がこんなにも美しいことに、感謝の心があふれる朝です。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:句集『皺くちゃ玉』)
春夕焼塔きりくづす遊びかな 夏井いつき
- 季語
- 春夕焼
- 季節
- 三春
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 商社に勤務して15年目のA子。
時代の風潮に、総合職という名のもと男性並みに働いてきた。
ビル9Fのデスクから見える一枚ガラスの大きな窓は大都会の景を映している。夕刻顔を上げると仄赤いそれは使い終えた映画のセットさながら少し現実味に欠けて見えた。
それを頭の中で切り崩してみたくなる。幼いころ砂場で作った塔を夕暮れにはきりくづしていたように。その遊びは楽しかった。何かをリセットする心地よさ。春の夕焼けがまた明日作ればよいと後押ししてくれるから。
ガラス超しの春夕焼けにA子は今きりくづすべきものを想う。積みあがるだけのデータベース、上司Bとのこと、等々。
(鑑賞:ときこ)
(出典:句集『伊月集 龍』)
水掻きがつかむ日永の水なりき 夏井いつき
- 季語
- 日永
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 水掻きを持つ鳥と言えば、鴨、白鳥、雁、フラミンゴ、ペリカンも思い浮かぶ。桜が散った後の暖かい午後の公園や、お堀や、動物園の池の側で、水掻きを持つ鳥達をじっと見ている人。いかにもぬるんできた水中を水掻きがゆっくりと動き、緑色に濁る水をつかんではゆっくりと放す。スローモーションのように感じる繰り返しを見ていると、ああ、日が永くなったなあ、と思う。
芝不器男の句、「永き日のにはとり柵を越えにけり」の情景とも通じるような、気づけば、濡れたままの水掻きで岸辺を歩き回っている鳥もいる。
(鑑賞:朗善)
(出典:句集『伊月集 梟』)
象の糞ほくりとくづれ桜さく 夏井いつき
- 季語
- 桜
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 動物好きの私は、糞を見つけたら観察(毎回ではない)する。糞には、様々な情報があり、健康状態は勿論、何を食べたのか(私にそこまでの慧眼はないが)持ち主が誰かさえ分かる。
ほくりとくづれた糞は、焼き芋のようにほくほくとした湯気が立ち、優しくくづれたのだろう。そんな糞と桜の取り合わせなのだろうが、先の私の性質から、別の発想が生まれた。
象の側に桜があり、その花びらを象が食べ、落語の「あたま山」のように、糞から桜の木がにょきにょき生えてきたようにも思えた。
近くの公園で、「忘れもの犬の糞」と、書いてあるのを見た。あちこちの忘れものから、桜が咲いたら楽しいなあ。
とはいえ、糞は持ち帰りましょうね。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 龍』)
春眠てふひかりの繭にうづくまる 夏井いつき
- 季語
- 春眠
- 季節
- 三春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- この句は、大きな特徴が二つあると思います。
まずは、季語に「ひかりの繭」という比喩を用いたところ。春の目覚めは、明るさに満ちていて、正にひかりの繭に包まれたようです。
しかしながら、もし「春眠てふひかりの繭につつまるる」であれば、凡庸であったと思うのです。
作者の心は、決して寝床に横になっていたのではないのです。おそらくは、忙しく立ち働かなくてはいけない時であったと思うのです。体は寝床にあったとしても、すぐにも起き上がって何かをしなければならない。それでも、あまりにもひかりの繭は心地良く、心は既に一度立ち上がっているのにも関わらず、うづくまってしまったのです。
それが逆にひかりの繭を際立たせています。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 梟』)
みな春の雪を見上げて歩き出す 夏井いつき
- 季語
- 春の雪
- 季節
- 三春
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 春の雪は美しい。冬の雪ももちろん美しいのだけれど、降るそばから消えてしまう春の雪は、そのはかなさゆえに人の心により強く残るような気がする。だから外に出て春の雪に気がついたとき、人はみな先を急ぐ足を一瞬止めて思わず見上げてしまう。そして、そのはかない美しさを愛でるのだ。その場に居合わせただけの他人とそんなひとときを静かに共有することは、小さいけれど確かな喜びだ。
私たちはその小さな喜びを胸に、またそれぞれの日常へと戻っていくのだ。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 梟』)