夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちら趣味特になし籐椅子にある凹み 夏井いつき
- 季語
- 籐椅子
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 僕が遊びに行く度、おじいちゃんは、縁側にある籐椅子に座ってた。籐椅子が、おじいちゃんの指定席。おじいちゃんは、籐椅子に座って見える庭が好き。「そろそろ、紫陽花の花が咲き始めそうだなあ」とか、もごもご言ってる。
そんなおじいちゃんが突然いなくなった。縁側に置いたまんまの籐椅子は、おじいちゃんのお尻の形に凹んでる。ああ、おじいちゃん、もういないんだなあ。
籐椅子に座ってみたら、僕のお尻の形より大きい!座ってたから分からなかったけど、おじいちゃんって大きいんだ!
籐椅子に、おじいちゃんが座ってるように思うその凹みの向こうに、紫陽花が咲いていた。
(おじいちゃん子の作文より)
(鑑賞:天野姫城)
(出典:ウェブマガジン「週刊俳句第107号」2009年5月9日)
桐は天のあをさに冷ゆる花なりき 夏井いつき
- 季語
- 桐の花
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 羽衣伝説の天女を思った。
男によって羽衣を隠された天女は空へ帰る手立てを失い心ならずも人間として地上に住むことになる。男と暮らすうちに男に対する情のようなものが湧いたかもしれない。しかし彼女は羽衣を見つけてしまった。それを纏う時に迷いはほんの少しあったかもしれない。
が、やはり彼女は空を選んだ。空へ、空へ。その時に人間として過ごした日々の思い出、男への愛情も憎しみもすべてはらはらと舞い落ちて行ったような気がする。
天女が人であった時は黒かった瞳の色が桐の花の紫に変わり、その心は空の色のようにひんやりとしている。薄紫色の瞳で見下ろした地上には小さくなった男が立ち尽くしている。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 龍』)
すでに母のまなざし緑あふるる朝 夏井いつき
- 季語
- 緑
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 長い夜でした。陣痛に耐えようやく迎えた明け方、産声を聞きました。
「元気な男の子ですよ」と胸に抱かせてもらった赤ん坊を見下ろすまなざしは、もう娘ではありません。母になった喜びと畏れ、逞しさと繊細さに黒々と濡れています。
窓の外には緑の樹々が、濡れたようにつやつやと朝の光を照り返しています。
この子が生まれてきた世界がこんなにも美しいことに、感謝の心があふれる朝です。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:句集『皺くちゃ玉』)
春夕焼塔きりくづす遊びかな 夏井いつき
- 季語
- 春夕焼
- 季節
- 三春
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 商社に勤務して15年目のA子。
時代の風潮に、総合職という名のもと男性並みに働いてきた。
ビル9Fのデスクから見える一枚ガラスの大きな窓は大都会の景を映している。夕刻顔を上げると仄赤いそれは使い終えた映画のセットさながら少し現実味に欠けて見えた。
それを頭の中で切り崩してみたくなる。幼いころ砂場で作った塔を夕暮れにはきりくづしていたように。その遊びは楽しかった。何かをリセットする心地よさ。春の夕焼けがまた明日作ればよいと後押ししてくれるから。
ガラス超しの春夕焼けにA子は今きりくづすべきものを想う。積みあがるだけのデータベース、上司Bとのこと、等々。
(鑑賞:ときこ)
(出典:句集『伊月集 龍』)
水掻きがつかむ日永の水なりき 夏井いつき
- 季語
- 日永
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 水掻きを持つ鳥と言えば、鴨、白鳥、雁、フラミンゴ、ペリカンも思い浮かぶ。桜が散った後の暖かい午後の公園や、お堀や、動物園の池の側で、水掻きを持つ鳥達をじっと見ている人。いかにもぬるんできた水中を水掻きがゆっくりと動き、緑色に濁る水をつかんではゆっくりと放す。スローモーションのように感じる繰り返しを見ていると、ああ、日が永くなったなあ、と思う。
芝不器男の句、「永き日のにはとり柵を越えにけり」の情景とも通じるような、気づけば、濡れたままの水掻きで岸辺を歩き回っている鳥もいる。
(鑑賞:朗善)
(出典:句集『伊月集 梟』)
象の糞ほくりとくづれ桜さく 夏井いつき
- 季語
- 桜
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 動物好きの私は、糞を見つけたら観察(毎回ではない)する。糞には、様々な情報があり、健康状態は勿論、何を食べたのか(私にそこまでの慧眼はないが)持ち主が誰かさえ分かる。
ほくりとくづれた糞は、焼き芋のようにほくほくとした湯気が立ち、優しくくづれたのだろう。そんな糞と桜の取り合わせなのだろうが、先の私の性質から、別の発想が生まれた。
象の側に桜があり、その花びらを象が食べ、落語の「あたま山」のように、糞から桜の木がにょきにょき生えてきたようにも思えた。
近くの公園で、「忘れもの犬の糞」と、書いてあるのを見た。あちこちの忘れものから、桜が咲いたら楽しいなあ。
とはいえ、糞は持ち帰りましょうね。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 龍』)
春眠てふひかりの繭にうづくまる 夏井いつき
- 季語
- 春眠
- 季節
- 三春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- この句は、大きな特徴が二つあると思います。
まずは、季語に「ひかりの繭」という比喩を用いたところ。春の目覚めは、明るさに満ちていて、正にひかりの繭に包まれたようです。
しかしながら、もし「春眠てふひかりの繭につつまるる」であれば、凡庸であったと思うのです。
作者の心は、決して寝床に横になっていたのではないのです。おそらくは、忙しく立ち働かなくてはいけない時であったと思うのです。体は寝床にあったとしても、すぐにも起き上がって何かをしなければならない。それでも、あまりにもひかりの繭は心地良く、心は既に一度立ち上がっているのにも関わらず、うづくまってしまったのです。
それが逆にひかりの繭を際立たせています。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 梟』)
みな春の雪を見上げて歩き出す 夏井いつき
- 季語
- 春の雪
- 季節
- 三春
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 春の雪は美しい。冬の雪ももちろん美しいのだけれど、降るそばから消えてしまう春の雪は、そのはかなさゆえに人の心により強く残るような気がする。だから外に出て春の雪に気がついたとき、人はみな先を急ぐ足を一瞬止めて思わず見上げてしまう。そして、そのはかない美しさを愛でるのだ。その場に居合わせただけの他人とそんなひとときを静かに共有することは、小さいけれど確かな喜びだ。
私たちはその小さな喜びを胸に、またそれぞれの日常へと戻っていくのだ。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 梟』)
うぐひすに井戸の深さを教へけむ 夏井いつき
- 季語
- 鶯
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「けむ」は、過去推量・過去の原因推量の助動詞。つまり、「教へけむ」は「教えたのだろうか」、「教えたからだろうか」と解釈できる。これがこの句のポイントだ。
すなわち、自分が鶯に井戸の深さを教えた訳ではないが、誰かに井戸の深さを教えられた鶯が、自分の目の前に居るということである。
一体、誰が鶯に井戸の深さを教えたのだろうか。それを知った鶯とは、どんな鶯なのだろうか、何をするのだろうか。様々な想像をかき立てる一句だ。
鶯の透き通った鳴き声が、井戸の奥に広がる空間へと響いてゆく感覚。「うぐひす」の「う」、「井戸」の「い」、「教へけむ」の「お」の、あ行の音韻も美しい。
(鑑賞:若林哲哉)
(出典:句集『伊月集 龍』)
あかがねは力ぞ葺けよ葺け春を 夏井いつき
- 季語
- 春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- ものみな萌ゆる春は、華やぎと寿ぎが横溢する。だがそれだけであろうか?
銘刀の紋冴ゆる冬の鋭さを耐え抜き、雪のついに水に還る頃、地中でもぞりと蠢く無数の影、灰色の枝先に次々とせり上がる数々。春の本質は、冬をかい潜り一斉に繁吹く生命の猛々しさにこそあるのではなかろうか。
その蠢動に呼応して、早春の屋根に槌の快音が響く。次第に鱗を揃えてゆくが如き有様を、冴えた陽射しが乱反射して、真新しい銅の色を四方八方に主張している。
人間の編み出した銅葺きのあかがね色、夜明けの色が、萌芽の先鋒の勢いで展開してゆく。人間もまた、来たる春に胸の内が逸る本能に気づくのである。
(鑑賞:遠音)
(出典:俳句新聞「いつき組」6号(2016年4月))
長閑かな赤子の尻の穴眺む 夏井いつき
- 季語
- 長閑
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 赤ちゃんもだいぶん薄着になった。おむつも「寒いから早くかえてあげるね」なんて事はなくなり,気候も作者の心もゆっくりと焦らずにできるようになった頃である。
いつものように、おむつを換えていると,ほんのりと色づくものが目の前にあるのである。それは中心がすぼみ,赤ちゃんの呼吸に合わせて,ひだひだの中心がきゅっとすぼんだり弛んだりする。時おり小さい穴が開いたと思ったら,ふすっと音がしたり,ゆるゆるとうんちが出てきたりする。表情もあわせてみると面白い。ずっと見ていていても飽きがこない。
長閑でなければ,長閑な時だからこそ,ゆっくりじっくり観察できるのである。
(鑑賞:豊田すばる)
(出典:句集『皺くちゃ玉』)
ヒヤシンス手話もぴあのも漂へり 夏井いつき
- 季語
- ヒヤシンス
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 手話は視覚へピアノは聴覚へ、それらが漂っているという事は、同じ空間に居ながらピアノを弾く人は手話を理解できず、手話を操る人の耳にはピアノの調べが届かないのだろう。
平仮名表記からピアノの奏者は子供なのではと想像でき、幼いが故に手話の意味を理解できないのではとも想像できる。
お互いの最も雄弁な表現手段が通じない二人の関係は虚しいものなのか?
いや、きっと楽しげにピアノを奏でる幼子の姿は聴覚を失った人の目に楽しく心地好く映るだろうし、それへの惜しみない拍手は、幼いピアニストにこれ以上無く明快な手話となって届くだろう。
そんな穏やかで幸せな時間を、ヒヤシンスの香りが二人の共通言語となって優しく満たしている。
(鑑賞:立志)
(出典:句集『伊月集 龍』)
春愁の眼を水にひらきたる 夏井いつき
- 季語
- 春愁
- 季節
- 三春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 春の朝、顔を洗おうと水を満たした洗面器を見ていると、春の愁いがふつふつと湧いてくる。なんともし難いもどかしさに、思わずえいやっと顔を突っ込んだ。「い~ち、に~い、さ~ん、し~~・・・」
愁うる心を払いのけたい、消し去りたいそんな気持ちなのだろう。そして数秒の後、閉じていた目を水の中でゆっくり開く。
あえてひらがなの「ひらく」なのは、ゆっくりと開いていく感じがする。
愁は吹き飛んだか? 消えたか? とりあえず、この人は顔を洗って今日一日を始めるのである。
(鑑賞:ひでやん)
(出典:句集『伊月集 龍』)
さへづりや顎てふ美しき角度 夏井いつき
- 季語
- 囀(さへづり)
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 鳥は囀る。「顎てふ」ということは空を見上げて囀っているのだろう。
哺乳類の下顎は歯骨とよばれる骨がひとつであるのに対し、鳥類は歯骨、上角骨、角骨、関節骨と4種類あるらしい。
背中を毛繕うときも、しなやかに嘴で背中をつつく。多種の骨をもつ鳥類だからかもしれない。
その鳥類が囀るとき、しなやかな骨格全てを使うのだ。
なんと美しき骨格の角度なのだろう。
「さへづりや」と詠嘆したことで、鳥を特定せず鳥類全体の美しい骨格を表していて、とても清々しい一句だ。
(鑑賞:更紗 ゆふ)
(出典:俳句新聞『いつき組』14号)
山羊の乳のんで春愁そだてたり 夏井いつき
- 季語
- 春愁
- 季節
- 三春
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 母は年老いてから、よく故郷の話をするようになった。生まれた時から東京育ち。みたいに振る舞い続けていたのに、「おばあちゃまは、お乳の出が悪かったからね。私も叔母様たちも山羊のお乳を飲んで育ったのよ。あの頃の小さな農家には牛乳なんて贅沢品だったもの。」なんて聞かされた時には、母や叔母たちや、早逝してあまり記憶に無い祖母や、寡黙な祖父が愛しくてたまらなくなったものだった。もうみんな天に召されてしまった。今、北イタリアの小さな村のホテルで山羊の乳を飲んでいる。母は三月に生まれて三月に死んだ。
山羊の乳は臭いと聞いていたけれど、このホテルのは臭くない。何だかがっかりだ。その臭気が強いほど、春愁めいた懐かしさが募っていく気がする。私はもっと春の切なさを噛みしめたいのだ。
(鑑賞:ラーラ)
(出典:俳句新聞『いつき組』2号)