夏井いつき読本
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夏井いつき読本 投稿フォームはこちら微笑みて革手袋は脱がずをり 夏井いつき
- 季語
- 手袋
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 男が微笑みながら女に近づき、首を締めようとしている。指紋が残らないよう手袋はそのままに。
いや違う。寂しそうな微笑みが見える。別れの場面。手袋も脱げぬほどの悲しみのまま、ソファに深く沈み込んでいる。微笑んでいるだけに、その寂しさは大きい。
サスペンスの要素を排除したのは「をり」の効果。ただただそこにいるだけしかできな……いやいや、違う!「脱げず」ではなく「脱がず」だ。
相反する行為に、微笑みが一気に胡散臭いものに変わり、「革」も、ワルの印象を担いだした。やはり、サスペンスだったか。そして、「をり」は、「をり」として、動作を表すだけのものに変わる。
言葉は不思議だ。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 龍』)
湯婆や夢のひらべつたく覚めて 夏井いつき
- 季語
- 湯婆
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 目覚まし時計が鳴り出す直前、ぱっと目が覚めた。ジリリリと音が鳴る。
夢をみていた。懐かしい人に会えてとても嬉しかった夢のような気がするのだけれど、何故だかうまく思い出せない。
ほんの1分ほど前のことなのに、まるで砂の城が波にどんどん溶けていくように、かりそめの記憶の顔は崩れ去ってかたちを消していく。
思い出すのはもう諦めて布団から立ち上がる。布団からすっかり冷え切った湯婆を取り出し、洗面台で水を捨てた。あっという間に水を吐ききってぺたんこになった湯婆は、今夜もまた使うので大事になおす。
(鑑賞:24516(にしこういちろう))
(出典:俳句新聞 いつき組9号)
こんなにも寒くて漢字なほも書く 夏井いつき
- 季語
- 寒し
- 季節
- 三冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「最近、女性を中心に写経が流行ってるらしいよ」
確かに、特集記事の載った女性誌を片手にやってくる女が目立つ。
「でも、どーせ、いっときの事だろ?」
日本人は、流行に弱いのだ。
「あ、また一人やってきた」
「あの子も、足が痛ーいとか、つまんなーいって、すぐ投げ出すよ」
「今日は一段と寒いしね」
「……」
「やめないね」
「足も痺れているだろうにね」
予想を裏切り、中々やめない女。
「黙々と漢字を書き写してる、よほど叶えたいことがあるのかな?」
「リフレッシュしたいのかな?」
「綺麗だよなぁ」
凛とした空気の中、背筋を伸ばす女を見ていると、空気が一層凛とし、私の気持ちも清々しいものになった。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 龍』)
雪女ことことここへ来よ小鳥 夏井いつき
- 季語
- 雪女
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 雪女が呼んでいる。行ってはいけない、行けば氷にされてしまうと僅かに心が粟立つ。
「ことことここへ来よ小鳥」ああまた、それにしてもなんて心地の良いひびきなのだろう。
この誘惑に抗うことはもうできそうにない。ことこと雪女の元へ。
私も淋しいのです。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『伊月集 梟』/『夏井いつきの「雪」の歳時記』)
たかだかと冬蝶は日にくだけたり 夏井いつき
- 季語
- 冬蝶
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 孫を連れて小春日和の野を散歩している。
めずらしく蝶を見つけたが、もうこの寒さだ。弱々しく飛んですぐ見えなくなってしまった。
「寒くてかわいそうだからおうちに連れて帰ろう」と言い出す孫。
「お日様を見てごらん、ほら今光ったのがてふてふさん。
あんなにたこう飛んで、重とうなった羽もくだけて、
日と一緒にのんびり暮らすから、ずーっと暖かいやろねぇ、よかったねぇ、、」
(鑑賞:ときこ)
(出典:句集『伊月集 龍』)
凍滝を視てきしくちびるとおもふ 夏井いつき
- 季語
- 凍滝
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 「視て」の漢字は「見て」よりも滝の前に長く立ちじっと凝視した様子を想像させる。
結果、くちびるは少し乾き赤みを失い凍えている。でもきっと凍滝を視たこの人の目は感動で輝いているに違いない。。
それにしてもセクシーな句だ。唇に目が行くなんて。
「おもふ」なのでその唇に触れるほどの関係ではない。
会話をかわしているのだが頭の隅では相手の唇が気になっているって秘めた恋なんだろうか?
実際の凍滝ではないのかもしれないとも考える。人は生きているといろいろな事に出会う。
凍滝のような厳しい状況を潜り抜けてきた人を目の前にしているのかもしれない。
唇に血の色が戻るように凍滝もやがて氷解し音を立てて流れ落ちるようになる。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 龍』)
雪片にふれ雪片のこわれけり 夏井いつき
- 季語
- 雪片
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 一読でポール・ギャリコ『雪のひとひら』が浮かぶ。ローゼン千津さんの解説(※注)にもある描写の科学的な正しさにまず感心。そして「雪片」のリフレイン。兼題は降りしきる雪の「せっぺん」だが、この句の印象は「ゆきひら」。「ふれ」て雪だと感じるのは一瞬だが、単に降り落ち消えるのではない。誰彼と「ふれ」合い関わり、そこに生ずるあれこれがあり、故に最期「こはれ」る。これを女性の一生に喩えたギャリコ。原文にも矢川澄子の名訳にもそれぞれに趣の違う美しさがあるが、この句は17音でそれらを凡て表す。改めて俳句の奥深さを感じ入る。
はかない句だが、作者にひそむ本質=繊細な優しさがきらり、しんとした余韻がいつまでも残る。
(注:夏井いつき著『雪の歳時記』より)
(鑑賞:明 惟久里)
(出典:句集『伊月集 梟』)
冬帝やことに手強きジャムの蓋 夏井いつき
- 季語
- 冬帝
- 季節
- 三冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 冬帝は冬を神格化した季語である。冬と言えば極端な低温や積雪で被害が出る場合もある。しかしながら、北海道・東北・北陸などそう言った低温や積雪の被害が大きい地方とは異なり、そうでない地方なら、冬の概念も違ってくるかもしれない。
この句は、上五に冬帝の季語をおいて、一旦「や」で切っている。冬帝はひとまず置いておこうという感じがある。
問題はジャムの蓋が開かないことなのだ。おそらく、目の前には何もつけていない食パンかコッペパンがあるだろう。その周りにはお腹を空かせた子ども達がいる。目玉焼きはもう出来上がっているかもしれない。
この句には、子ども達に早く美味しい食事を与えたいという作者の優しさが感じられる。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 梟』)
ポケットに入らぬものに朴落葉 夏井いつき
- 季語
- 朴落葉
- 季節
- 初冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 朴の葉は大きい。私の手のひらよりずっと大きい。朴の葉が緑色をしていた夏のころなら柔らかくてしなやかだから、くるくる丸めて小さくすることも出来たかもしれない。けれど今は冬。カサカサに乾いて落ち葉となった今は、まるで薄く伸ばして焼いた煎餅かクッキーのようだ。ポケットに入れようものなら、入れる端からパリパリと音を立てて砕け、その形を失くしてしまう。
ああ、でも持って帰りたい。この大きくて立派な朴落葉を。極限まで乾いて緊張感に満ちた美しい形。どこも欠けていない完璧な形は奇跡的だ。
仕方ない。後の予定はあきらめよう。神官が大切な供物を捧げ持つように、この朴落葉を持って家に帰ることにしよう。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 龍』)
ていねいにおじぎして菊日和かな 夏井いつき
- 季語
- 菊日和
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 窓を開けると爽やかな風が部屋に飛び込んでくる。そのまま庭に出ると、隣の家の奥さんが菊の手入れをしていた。丹精込めて育ているだけあって今年も美しく咲いている。
奥さんと目が合い、正直、まだ誰かと話すのは辛かったが、夫の葬儀に足を運んでくれたことの御礼を伝える。奥さんは驚いた顔をして「もう御身体は平気なんですか?」と声をかけてくれる。全然平気じゃない。死にたくて死にたくてずっと泣きとおしてた。だけどいくら泣いても死ねないということが分かっただけだった。夫のいないつまらなくも美しい世界で当分生きていくしかない。鮮やかな菊を眺めつつ、最後にもう一度ていねいにお辞儀をして部屋へ戻った。
(鑑賞:24516(にしこういちろう))
(出典:句集『伊月集 龍』)
ビル群の底の離宮の松手入れ 夏井いつき
- 季語
- 松手入れ
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- まず、「ビル群の底」に注目した。視野が広い。バベルの塔よろしく、高低差はダイナミズムを生み出す。上から下に視点を動かす都市詠の発想は「摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行」の超有名句があるので、その一点のみでは新奇性があるとは言えないが、もう一つの仕掛けがある。助詞「の」でつながれてカメラは一気に「松手入れ」に集約される。ここに、季語「松手入れ」の本意である風流やわびさびではない、通念の破壊がある。米粒のような人間が松に触れている様がかすかに見えた。松よりも人間の生き様に感動を覚えているのである。私たちは通勤時に季語がないと嘆く前に、都市にも俳句があることを忘れてはいけない。
(鑑賞:黒岩徳将)
秋の昼とは澄めるとも濁るとも 夏井いつき
- 季語
- 秋の昼
- 季節
- 三秋
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 朝、カーテンを開け空を見上げる。昨日とは明らかに違う雲。少し遠くに、少し薄くなった雲。空気が澄んでいるからだろうか、くっきりと見える。
「ああ、もう秋なんだなあ」と、少し寂しく思う。
昼、気温が上がり汗が止まらない。朝の雲とは違い、昨日と同じ厚みのある雲が広がっている。まだまだ夏。
「もしかしたら、雲は夏から秋への準備をしている時期なのかな?」
そんなことを思いながら歩く、秋の昼もまた楽し。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:俳句新聞「いつき組」12号 2017年10月)
甕に秋の七草椅子に両先生 夏井いつき
- 季語
- 秋の七草
- 季節
- 三秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 両先生というとただ先生が二人いるのではなく、特定の誰か二人を指す意味合いが強くなります。そこが七草と響き合うのですが、一口に七草といってもマイナーメンバーは入れ替わりがあるそうです。
ところで先生という呼称は幅広い使われ方をしますから、式典などで集まった人間のほとんどが先生という場合もあるでしょう。先生の群れに先生と呼びかけるのは馬鹿らしいことですが、だからこそ呼ばれた方の無意識の反応というのも可笑しなものです。萩や葛ならば泰然としていればいいものの、朝顔や刈萱ではそうもいきません。
もしかしたらこの両先生のどちらかは、先生という呼称にあんがい座り心地の悪い表情を浮かべているのかもしれません。
(鑑賞:抹茶金魚)
(出典:『絶滅寸前季語辞典』より)
犬靴をくはへてゆける子規忌かな 夏井いつき
- 季語
- 子規忌
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 「犬が靴をくわえて行くって、話には聞くけど。。。本当かな?」
「漫画では見たことあるけど、現実には見たことないよね」
「こんな本当っぽい作り話ってあるんじゃないの?」
なんて、縁側で話していたら、あ! あらら、あらあら! 本当にシロが靴をくわえて行ったよ~!
縁側で日がな一日過ごしていても面白いことってちゃんとあるもんだね。ねえ、子規さんもそうでしょう?
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:句集『伊月集 龍』)
ふるへあふ音叉のごとく曼珠沙華 夏井いつき
- 季語
- 曼珠沙華
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 初めて音叉を見た時は、何のための道具なのか見当がつかなかった。細長い鋼の棒がUの字に曲げられ、中央に柄がついている。その柄が共鳴箱と呼ばれる木の箱に突き刺さるように固定されている様子は、まるで木の箱から鋼の植物が生えているように見えた。
何度見ても、曼珠沙華は不思議な植物だ。葉が一枚もない状態でいきなり茎が伸びて花を咲かせる。群生していても茎は一本ずつ独立しているので、風を受けた時も一斉に揺れ始めるのではなく、少しずつずれて揺れ始める。それは、一つの音叉を叩いて鳴らすと、近くにある他の音叉が共鳴して自ら振動し、音を鳴らし始める様子と似ている。さて私は、何と「ふるへあふ」ことにしようか。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 龍』)