夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちら夕蝉をにぎるだんだんつよくにぎる 夏井いつき
- 季語
- 夕蝉
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 夕蝉の「夕」という字が妖しい雰囲気を醸し出している。
蝉を握ったことはないがその感触はありありと想像できる。
細い電線が張り巡らされたような蝉の羽、中にぎっしり詰め込まれたものを感じさせながらギシギシ動く胴体、黒い目。握った手の中で蝉が放電を行っているようだ。それ以上力を入れたら蝉は壊れてしまうよと声をかけたくなる。
なぜそのようなことになったのだろうか。目の前に蝉を握らなければならない光景が繰り広げられているのか、それとも握っている人の心の中に、昏さを感じさせる光景が浮かんでいるのか。薄い暗闇の中で気持ちが追いつめられて行く。最後の最後で手は開かれたような気はする。蝉は飛び立ち汗ばんだ掌が残る。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 梟』)
ダリア繚乱朝食喉をとほらざる 夏井いつき
- 季語
- ダリア
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 夏の終わりの朝、食卓の窓から見える庭に、大輪のダリアが色濃く咲き乱れている。トーストにバターを塗る手がとまる。何かが胸にこみ上げる。
それは、同時期に「衝動の色にダリアのひらきたり」という句を作者が詠んだ、その夏の出来事かもしれないし、或いはもっと遠い記憶が蘇り、こみ上げた想いかもしれない。
初夏の季語である芍薬や牡丹にはない「衝動」を持つ、ダリアという花の色やその佇まいに、読者は想像を掻き立てられ、少し困惑してしまう。そして、作者の快活さの中>にある色香をあらためて意識して、少し照れたりもしてしまう。
(鑑賞:香野さとみ)
(出典:句集『伊月集 龍』)
しつかりと握つたはずの初蛍 夏井いつき
- 季語
- 初蛍
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「ほらもう蛍が飛んでいたよ」と得意げに見せるはずだったのかしら。
美しいものを見せてあげたいと思う相手は、大事な人です。
でも、蛍はもう手の中にはいないのです。儚い蛍の、あの光り、どこにいつ消えたのか。消えた気配も残さずに、こぼれ落ちてしまったように。
いつの間にか手から抜け落ちてしまっているもの。。。大切なものほど、手の中で握り続けるのは難しいですね。
蛍は消えても、初蛍を見せてあげたいと思った気持ちは大事な人に伝わりますように。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:句集『伊月集 龍』)
野茨の雫をためるための棘 夏井いつき
- 季語
- 野茨
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 雨上がりの香気をもとめて、茂みの奥へと足をのばした。人のいないところに行きたかった。
左へ回り込んだ時、ふいに濃い緑の塊に出くわした。野茨だった。
ひしめくように絡みあう枝も、白い花びらも、すべてが滴っていた。てらいなく泣き濡れたそのさまに惹かれ、顔を寄せた時、葉の下の棘が、ぽこぽこと雫をたたえて連なっているのが見えた。
他を遠ざけるための、棘。それが今、懸命に雨水を抱きとり、雨と土と緑と花と、ありとある香気をあつめ凝縮し、まろげて、陽が仕上げのひかりをほんのかすか、灯していた。不規則に連なる棘たちは、たった今、世界を歓迎していた。
耐えきれず、私の頬から雫が滴った。わたしの、棘。
(鑑賞:遠音)
(出典:句集『伊月集 梟』)
登山帽振るペーターのように振る 夏井いつき
- 季語
- 登山帽
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 友人によく言われる。そんなに苦しい思いをしてどうして山になんか登るのかと。汗だくだくで心臓もばくばく。息も絶え絶えで山頂に到着すると回りは山だらけ、他にはなにも見えない。思わず登山帽を脱ぎ世界中の人に向かって振る。自分の足で一歩ずつ登ったぞとペーターのように帽子を振る。その晴れやかなペーターのような笑顔が目に見えるようだ。山登りをする人にとってスイスの山奥に住むハイジとペーターは特別な存在であこがれの人たちです。
(鑑賞:じゃすみん)
(出典:俳句新聞『いつき組』11号-2017年7月掲載)
芥子色のうんち六月色の雲 夏井いつき
- 季語
- 六月
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「芥子色のうんち」は、赤ちゃんのこと。大人のそれとは違い、芥子色が健康な状態。離乳食が始まれば茶色くなるらしいので、この句の赤ちゃんは、生まれて間もないのだろう。「六月色の雲」とは、一体何色なんだろう?と、想像を掻き立てられる。六月は初夏。これから夏が始まるという期待が、健やかに成長する赤ちゃんへの期待と合う。また、芥子色のうんちの赤ちゃんが、夏を乗り切れるだけの健康な状態であるようなので、元気な泣き声も聞こえてくるよう。赤ちゃんの未来が、夏空の雲のように無限の可能性があり、また、色を指定しないことにより、様々な未来を、読み手に想像させる。作者のお孫さんに対する、愛情あふれる応援句である。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:俳句マガジン『100年俳句計画』2014年6月号)
ぼうたんに触れて子供のはにかみぬ 夏井いつき
- 季語
- ぼうたん(牡丹)
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 牡丹の花を初めて見たとき、大きさや豪華さに圧倒された。
幼いころ気軽に摘んだタンポポやシロツメクサとは違う。
子供にとってはまだ少し近寄りがたい花だけれど、ある時そっと触れてみる。
すると、子供は自分が成長していることをなんとなく自覚する。
「手が届いたよ」と誇らしそうで少し照れた表情をして母親の顔を見る。
牡丹は子の成長を祝福するかのように華やいでいる。
自我の目覚めの大きな喜びに成長することの淋しさが少し加わって、はにかむ。
(鑑賞:ときこ)
(出典:『伊月集 龍』)
金星やあじさいは青みなぎらせ 夏井いつき
- 季語
- 紫陽花
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 金星が輝くのは、夕方か朝方です。少し暗いけれどもまだ深夜の闇ではありません。そこに紫陽花の青さが際立ってきます。
紫陽花の青と、金星の光の色や、空の色との対比となっています。紫陽花を若干擬人化し、意志を持って、青をみなぎらせていると詠みます。
みなぎるとは、あふれ出るばかりに満ちるのです。金星やまだ少し明るい夜空に対して、対抗心を抱いて、青をみなぎらせています。
作者が強い意志で、俳句という文化を世に広めようとする姿勢の表れではないでしょうか?
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 梟』)
蔓薔薇や硝子のかけら踏める音 夏井いつき
- 季語
- 蔓薔薇
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 一読、見捨てられた庭を思った。(外とは塀で隔てられていて中の様子は入ってみなければわからない。)持ち主は亡くなるか去ってしまっている。長い時間扉を閉められていた庭の錆び付いた扉を開けて何かの理由で恐る恐る入っていく様子を想像した。眠り姫の城に入っていく王子のような感じ。蔓薔薇は世話をする人を失ってその枝を庭中に伸ばしている。
蔓薔薇には棘があり強く握れば血が噴き出る。花は可憐だがうかうかと近づいてはいけない。硝子のかけらもやはり裸足で踏めば怪我をしかねない。靴音はその危険を知らせる硬質な音。何か後ろめたいことをしているようなこれから物語が始まるようなそんな音。小さな虫の羽音まで聞こえてくる。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 龍』)
一本の百合のごとくに戦はぬ 夏井いつき
- 季語
- 百合
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 一本で凛と立つ百合は、白でしょう。何も言わないけれど、その高き香りで存在を辺り一帯に知らしめていることでしょう。
気高に叫ばなくとも、あからさまな態度で人に逆らわなくても、主義主張を貫く方法は、一本の百合が教えてくれるのかもしれません。
「戦はぬ」と強く言い切る作者の強い意志が、白百合のように眩しく美しいと感じます。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:句集『旗』)
重力を離るるさびしさに蝶は 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 古来より人間は空に憧れ、空を飛びたいと願っていた。蝶のように軽々と地を離れ、自由に舞い踊れたら、どれほど素晴らしいかと。
けれども蝶は、本当はさびしいのではないか。羽化の瞬間、蝶は地球の重力が自分を引き留めてはくれないことを悟る。そして自由と引き換えに深い孤独を身の内に抱えつつ飛び立つ。あの頼りなさげに飛ぶ様は、自らを留め置かない大地を狂おしく恋うている姿でありはしないか。
人間は知恵と技術によって、ついに翼を手に入れた。重力を克服し、空を飛び、宇宙さえも行けるようになった。それは人類の永年の念願を叶えたが、同時に心に僅かなさびしさを棲まわせることになった。蝶のように。
(鑑賞:鞠月けい)
(出典:句集『蝶語』)
蝶の羽たたむにしずかなる力 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 蝶がその翅をたたむ前の、翅を開いている時とはどんな状態であるかを思ってみた。まずは日光浴、そして吸水あるいは吸蜜の時、または単に休息している時等がそうなのであるが、♀の場合気に入らない♂からの求愛を拒む時にも翅を開いて抵抗する事もあるようだ。どちらにせよ、蝶がその翅をたたむという事は新しい場面への転換を表す。小さな生き物の小さな動きだというのに、この一句の後半の「しずかなる力」が珠玉だ。これが大いなる力となってスロモーションのように読者にくっきりと瑞々しい映像を見せてくれる。蝶はどこへ行くのだろう。
(鑑賞:井上さち)
(出典:句集『蝶語』)
花びらを追ふ花びらを追ふ花びら 夏井いつき
- 季語
- 花びら
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「花びら」という言葉が三回出てくる。俳句で「花」は桜のこと。「花びら」は桜の花びらのことである。
満開を過ぎると風が吹いていなくても、桜の花びらは次々と散っていく。花びらが意思を持っていて、先に散った花びらを追って、次の花びらが散っていくのかと思うと、花びらのひとつひとつが何とも愛おしく思えてくる。下の句が「追ふ花びら」と字余りなところに余韻が生まれ、きりなく「追ふ花びらを追ふ花びらを追ふ花びらを・・・」と、散っていく花びらから目が離せなくなる。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 龍』)
遺失物係の窓のヒヤシンス 夏井いつき
- 季語
- ヒヤシンス
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 今は幸いにして元気になったが40代後半私は軽い鬱だった。よく物を失くした。気が付くと大事なものが魔法のように消えている。財布の場合、電話してカードを止めてその後警察に紛失届を出しに行かなければならない。最寄りの警察署へ自転車で重い体を引きずるようにして出かけて行く。小さなガラスの引き戸の向うの係りの人に渡す必要な書類を書き込んだ後、それを受け付けてもらう時間が少し空く。
たいていぼんやり引き戸のガラスに貼られたお知らせの文章を読んでいることが多かった。この句ではその場面でヒヤシンスが登場する。もしヒヤシンスが目に入れば(その時だけでも)あのどうしようもない倦怠感を救ってくれたのでないかと思う。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 龍』)
ここでもないわここでもないわとつぶやく蝶 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- いきなりの「ここでもないわ」のリフレインに面食らう。誰のどんな状況なのかと心が騒ぐ。下五の「つぶやく蝶」に又も動揺。そんなことあるはずないと思う。
ある日、止っては飛び、飛んでは止り、気忙しく、居場所を探しているかのような蝶に出会った。心地よい居場所を求めて飛び続ける。私にも蝶の声が聞こえた。
(鑑賞:野風)
(出典:句集『蝶語』)