夏井&カンパニー読本
■募集終了のお知らせ
「夏井&カンパニー読本」は2024年12月31日(火)をもちまして募集を終了する運びとなりました。夏井&カンパニーのHPに掲載中の鑑賞文については引き続きご覧いただけるよう、アーカイブとして保存していますので、ご投稿いただいた様々な鑑賞文を、ぜひご覧ください。
蛇苺ほどのいぢわるしてをりぬ 夏井いつき
- 季語
- 蛇苺
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 名前も顔も性別さえ憶えていない子、いますか。
隣近所でエアポケットの様に生まれてしまった、残念なぼくだけど。
うちの前の坂を降りた先。
逆T字に横切った小道と境目にある小さな階段。
そこを降りて初めて会った同い年の子。
空色のリボンが巻き付いた、白のタオル地の布帽子。
タンポポシロツメ、ドクダミヨモギ、オオイヌフグリイヌフグリ。
魔女の薬になるような、畦道みたいな小さな原っぱ。
「これたべてみな」
当時のぼくは原始人に憧れていて、何でも口に入れた。
沢山の若葉の中に、赤赤としたプチプチを一緒に頬張る。
「なっ」
相手の子は不思議そうな顔をしていたと思う。
青大将はじっとこちらを向いていた。
(鑑賞:遊呟)
(出典:句集『伊月集 龍』)
赤ん坊のアモーレ甘いアマリリス 夏井いつき
- 季語
- アマリリス
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 私には5歳の甥っ子と9ヶ月の姪っ子がいます。末っ子だった私は妹や弟がずっと欲しくて、産まれた甥と姪は私にとっての弟的・妹的存在です。そんな中、お世話をしながら成長を見ていると、昨日出来なかったことが次の日できるようになったりと色んな成長を見るのことが出来ました。
そこで、夏井先生の句で共感出来たのがこの俳句です。アモーレはイタリア語で「愛」という意味で、長友選手たちの交際宣言の際に有名になった言葉です。しかし、ここで愛しているのは赤ん坊。赤ちゃんの真っ赤で真っ白なぷにぷにのほっぺたと彼岸花の一種アマリリス。
お母さんの愛が赤ちゃんに伝わっている感じがする、柔らかな、優しい景を想起することができました。
(鑑賞:琉々奈)
(出典:句集シングル『皺くちゃ玉』)
たんぽぽや国土地理院刊白地図 夏井いつき
- 季語
- たんぽぽ
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 小学生の教材でしょう。国土地理院発行の白地図にこれから学習する県名地名、山や湖の名を書き込んでいくのでしょう。少しずつ世界に色を付けるように白地図に学んだことが書き込まれていきます。
春の日差しの中で、たんぽぽが黄色に輝いています。いろいろな色が溢れる春がやってきました。そこここに咲くたんぽぽみたいな黄色い帽子をかぶった子供たち。健やかにたくましく自分の地図を描いていってください。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:句集『伊月集 龍』)
抱きしめてもらへぬ春の魚では 夏井いつき
- 季語
- 春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- この句の作者には好きな人がきっといるのだろう。
春は、人を明るい気分にさせる季節だが、人をどこか寂しい気分にさせる季節でもある。
そんな春だから好きな人にぎゅっと抱きしめてほしい。だが、当の好きな人は作者の気持ちに気がついてさえいない。もちろん、少しも抱きしめてもらえない。そんな切ない身の上の自分を春の魚に擬えた。ここにこの句の詩がある。
もしかすると、作者の好きな人は魚が嫌いなのかもしれない。それで、作者は見向きもされない自分と魚を同じように思ったのかもしれない。このような気持ちは誰しもが経験したことがあるのではないだろうか。
共感を呼ぶ、繊細で、切ない一句である。
(鑑賞:大津美)
(出典:句集『伊月集 龍』)
蝶の飛ぶ波動どこかの山崩 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 時間だろうか距離だろうか。
例えば蝶の羽ひとそよぎが一匹の羽虫を蜘蛛の囲から遠ざけ、蜘蛛の餓えの焦りを鳥に狙われ、死ぬはずだった雛鳥が助かり……何百万年後の山崩れの遠因となる。
あるいはまぼろしのドミノの牌。
蝶の羽ばたきで倒れるのはマイクロ? ナノ? ピコ?
徐々に徐々に大きくしながら地球の上に並べていって、何万周かの後に起こる山崩れの衝撃。
因果論だろうか、運命論だろうか。
(鑑賞:花屋英利
(出典:句集シングル『蝶語』)
花びらを追ふ花びらを追ふ花びら 夏井いつき
- 季語
- 花びら
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 散る花びらを詠んでいるのであるが、この句を読んだ時、何故かエッシャーの絵を思い出した。この句の末尾の「花びら」は句のはじめの「花びら」に戻る気がする。どこまでも無限にループし続けるのだ。
一枚の花びらに目を向けていると、その花びらを追うように散る花びらに視点が移る。それが無限に続き、見ている花びらは一向に地面にはたどり着かない。空間の狭い範囲を行ったり来たりしながら、視点は宙を漂っている。
いつしか酔ってくる。酒に酔っているのではない。乗り物酔いのような状態になる。
やがて自分が生きているのかどうかさえあやふやになってくる。自分が誰で今どこにいるのかさえわからなくなってくる。この桜の木は、妖なのだ。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 龍』)
うぐひすに生まれかはつてをるらしき 夏井いつき
- 季語
- 鶯
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 伝聞の句である。
聞き知ったことをさらっと書き取ったかのように演出している。
『生』以外は季語を含め旧仮名を使用し、『をるらしき』と他人事のように締め、自分との距離を見せるあたり、どこか不自然である。
鶯に生まれ変わったのは誰か? 作者との関係性は?
勘ぐってしまえば、あまり知られたくない過去。例えば恋愛がらみの、手痛い恋の相手とか。
若気の至りともいえる苦い過去。
けれど故人である。鶯に生まれ変わったなら悪くはない。彼らしい気もしなくはない。
引きずってきたものがあるとするなら、これで吹っ切れたような。
されど、伝聞形。いったい誰がそう判断したのか?
いろいろ疑問が残って妄想が膨らんで面白い。
(鑑賞:愛知ぷるうと)
(出典:句集『伊月集 龍』)
かんざしよ鳴れ陽春の巫女百人 夏井いつき
- 季語
- 陽春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 明るく色鮮やかな光景が目に浮かぶ。落慶、あるいは五穀豊穣を祈る神事だろうか。厳かな管弦の調べに巫女舞が始まる。白絹の千早と緋袴の巫女装束が春の陽光に眩しい。百人の神楽鈴の歯切れのよい音が境内に響く。静かに右へ左へ円を描く平舞に花簪が揺れる。
ゆるやかな動きは徐々に激しさを増す。袂を裾を翻し、振り鳴らされる鈴音。作者は「かんざしよ鳴れ」と目を輝かせる。花簪の銀ビラが触れ合い、跳躍の度かそけき音は一体に。
いや、違う。現代では神がかりの跳躍の舞はしない。「かんざしよ鳴れ」は、童謡「靴が鳴る」の鳴ると同じように、喜びに弾む心を詠っているのだ。
陽春の耀きに溢れる一句。
(鑑賞:柝の音)
(出典:『俳句新聞いつき組6号』)
からつぽの春の古墳の二人かな 夏井いつき
- 季語
- 春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 何がからっぽなのだろう。きっと全てがからっぽなのだろう。
何も生まれない明るいだけの「からつぽの春」。
権力の象徴、死への畏怖と生への執着の体現、あるいは祈りの場としての「墓」が形骸化した「からつぽの古墳」。
そんな所にいる「二人」。いや「古墳に二人」ではなく「~の二人」なので、主観的・内省的に古墳を二人に重ねて見てもよいかもしれない。この二人には愛憎絡む激動の人生があったのだろう。しかしそれは過去の話。二人からもう何も生まれない。
草木の生える山と化した古墳のように、二人はただそこにいるだけ。それ以上でもそれ以下でもない。からっぽの二人をからっぽの春がただただ静かに明るく包む。
(鑑賞:黒子)
(出典:句集『伊月集 龍』)
てふてふを殺す薬を買ひにゆく 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- この国にはとかく変わりものを愛でるというタチがある。
折り紙の蓑を作らせる子が平安の御世にいたように。
「黒いダイヤ」一匹に生活費分をつぎ込む大学教授がいるように。
彼らに興味を持つ好奇心の怪物がい続けるように。
暇人、いや粋人と称す連中は買うだけでは飽き足らず、自らが創造神たらんとするのは当然の帰結である。
思い描いた柄を書き起こさんと交配を重ね、食む葉、花の蜜に至るまで厳選する。
その欲はかつてあった高級遊女、吉原の太夫を育て上げる快楽に似るだろうか。
娘の姿をより完璧に仕立てる為に粛々と針から薬液を注ぐ。
彼女の名前はマダム・バタフライ。
かつて虫愛づる姫君と呼ばれた娘の末である。
(鑑賞:遊呟)
(出典:句集『伊月集 龍』)
たんぽぽをさんざんぶってやりました 夏井いつき
- 季語
- たんぽぽ
- 季節
- 三春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- むしゃくしゃする! 乱暴にドアを開け、咲いていたたんぽぽをぶった。目を上げれば絮は空へ。私の心はいつの間にか晴れ。
これ程ほのぼのとした句はないだろう。それは「ギャップ萌え」と「カタルシス」による。
「ぶった」は暴力的な行為だが、その相手がたんぽぽなら印象は変わってくる。読んでから少し時差があり、絮が脳の中で舞い始めたその瞬間、大きな青空が広がりどこまでも飛んでいく絮が見えた。
また「さんざん」とあるのだが、これも「さんざんぶった」のであれば、酷い! となるのだが、たんぽぽであるので、多くの絮が飛び始めた。「たんぽぽ」と「ぶった」を繋ぐ位置にあるので、脳内映像が鮮明になった。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:句集『伊月集 梟』)
春はあけぼの孫とはこんな皺くちゃ玉 夏井いつき
- 季語
- 春暁
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 玉とは、まるいもの、美しいもの、大切なもの。上五字余り下五字余りの孫俳句。愛があふれちゃっているのです。兼好は「春はあけぼの」といい、組長は「孫とは玉」と詠まずにはいられないのです。
ただ、べたな孫俳句に終わらせないのが「皺くちゃ」の四音。これにより赤ん坊が生まれた瞬間とわかります。ともすればマイナスのイメージを持つ皺ですが、「こんな」により皺くちゃへの愛おしさが伝わるのです。赤ん坊がかわいいのも、皺くちゃなのも知っていた。だけど、自分が生んだ時は必死過ぎてわからなかったこんな美しい、尊い皺くちゃなのです。
春はあけぼの。一日の始まり。季節の始まり。そして、人生の始まりなのです。
(鑑賞:板柿せっか)
(出典:句集シングル『皺くちゃ玉』)
遺失物係の窓のヒヤシンス 夏井いつき
- 季語
- ヒヤシンス
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- これは水耕栽培のヒヤシンスであり、遺失物係に行ったのは無くした側だろう。
水耕栽培は球根の、お取り込み中のあれこれを満天下にさらされる。
上半身を着飾って気取って見せても下半身を丸出しにされては残酷である。
落とし物はどんなもの? 中身は? 特徴は? どこで? いつ頃?
身ぐるみ剥がされているのは今ではないかと思えてくる時間である。
(鑑賞:花屋英利)
(出典:句集『伊月集 龍』)
遺失物係の窓のヒヤシンス 夏井いつき
- 季語
- ヒヤシンス
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 失くしものをしてしまうと、それがどんなものであっても気持ちが沈んでしまうものだ。自分の注意力の欠如を突き付けられるようで、失くしたものを惜しむより、自身を情けなく思う気持ちが勝ってしまう。
心弾まないまま遺失物係の窓口へ赴く。そこで目に入ったのは、窓辺に置かれたヒヤシンス。持ち主を失ったたくさんのモノたちの発する倦んだ空気の中で、ヒヤシンスは生き生きと生を放っている。
「遺失物係の」閉ざされた空間から「窓の」と世界は外に広がる可能性を帯び、「ヒヤシンス」で、そこに生が宿る。生気のないモノクロの世界から、色味を帯びた生ある世界への鮮やかな展開に、読者はハッとさせられる。
(鑑賞:平本魚水)
(出典:句集 『伊月集 龍』)
くそ婆と呼ばれて春を着ぶくれて 夏井いつき
- 季語
- 春
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 「くそ婆」と呼ばれるためには幾つか条件がある、
その一、女性に見えること。生まれたときの性別にはしばられないかもしれない。
その二、年齢を重ねていること。そしてその年齢が身に付いていること。
その三、「くそ婆」と呼ばれても屁とも思わない強靭な精神を持っていること。
これらの条件をクリアすれば、世間のしがらみから解放されて、晴れて立派な「くそ婆」になれるのだ。
そして、春なのに、なんて気にせず好きなだけ着ぶくれることが出来るのだ。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集シングル『悪態句集「柿食うて」』)