夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちら西瓜割るわるわる叩き割る敗戦 夏井いつき
- 季語
- 西瓜 (※夏の遊びとしての「西瓜割り」は夏の人事の季語)
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 毎年八月は日本人にとって、否、私にとって身内の死を悼む月だ。
あの戦争がなければ祖父は生きていた。祖母はあんなに苦労せずに済んだだろうし、息子の一人を失わずに済んだはずだ。
昭和の風物詩であった西瓜割りを戦争の本質(狂気)に転換させ 、反戦句として描き切ったこの一句に心が震える。
西瓜割りという無邪気なゲームがいつかしら殺人ゲームとなる怖さ。
目隠しされ、平衡感覚を失った者はいつのまにか狂い、我を失い過ちを犯す。その規模は拡大するが、正否はない。
敵も味方もない。勝ちも負けもないはずなのに、日本に残ったのは敗戦だった。
そして私に残るのは戦争に対する憎しみだけだ。
この一句を知り、その思いはより深まる。
(鑑賞:吉野川)
(出典:2016年 句集シングル『旗』)
小舟より小舟へ露草を手渡す 夏井いつき
- 季語
- 露草
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- どうしても今手渡さなければいけないのか。それが露草なのか。
小舟は危なっかしい。それも二艘の小舟が寄り添うといっそう。そんな小舟から身を乗り出して手を伸ばし合う。二人の間にはサファイアのように青く露に濡れた露草が一本。
だってこの青は今この瞬間にしかないし、小舟は二度と並ばないかもしれないし、何より今手渡したいのだから。
心が揺れるように小舟が揺れて、露草はあなたの手に渡りました。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:句集シングル『旗』)
一斉にみえぬもの指す踊かな 夏井いつき
- 季語
- 踊
- 季節
- 初秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 子どもの頃、佐田岬半島にある母の実家の盆踊りに行くのが楽しみだった。
かき氷や綿菓子などの出店があるわけでも、派手な音楽が鳴るわけでもなかったが、太鼓の音が聞こえてくるだけでわくわくした。従姉妹たちと順番を争いながら浴衣を着せてもらい、お気に入りの団扇を握って、公民館の前の広場に走って行った。
やぐらの上でおじさんが唄う口説きの意味も、大人の真似をして踊った振りの意味も、考えたことはなかったが、あれは「みえぬもの」と触れ合うためのものであったか。
あのとき耳をすませていたら、一斉に指された「みえぬもの」たちのさざめきが聞こえたのかも知れない。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 龍』)
よどみなく答へて青き蜥蜴の尾 夏井いつき
- 季語
- 蜥蜴
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 「昨日何回も電話したのに、なんで出なかったんだよ。」
「え、そうなの? お母さんのところに行ってたの。お母さんが熱出しちゃって、携帯、カバンに入れたままだった。家のこといろいろしてたから、気づかなかったんだわ。ご飯作ったり、なんやらかんやらで、バタバタしてたのよ。ごめんね。」
「そうなの? で、おふくろさんは大丈夫なの?」
「熱下がったから大丈夫だと思う。あ、着歴も見てなくてごめんね。」
「そういうことなら仕方ないさ。」
蜥蜴の尻尾はちぎれてしまっても、ほどなく再生可能。女も蜥蜴のように振る舞うことがあるのです。男性諸氏、蜥蜴の尾っぽにはお気をつけくださいませね。
(鑑賞:平本魚水)
(出典:句集『伊月集 龍』)
立葵きらりと箱のような家 夏井いつき
- 季語
- 立葵
- 季節
- 仲葵
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 造成してまだ間もない新興住宅地に、小さな一軒の家が建っている。まるでマッチ箱のように四角くて、窓の大きな家だ。
家の周りを囲むように咲いた立葵の間を縫うように、若々しい母親の声、まだ幼い子どもたちの可愛くて元気な声が聞こえてくる。
まるで、あの立葵たちは、家族の幸せを守るために、咲いているみたいじゃないか。
立葵が枯れた後も、この家はこんな風に輝いていられるのだろうか?
そんなことを考えながら、私は、この箱のような家を、遠くからじっと眺めているのだった。
(鑑賞:根本葉音)
(出典:俳句新聞『いつき組』11号)
日盛や漂流物のなかに櫛 夏井いつき
- 季語
- 日盛
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 波打ち際は濡れているけれど、そこから少し離れると何もかもが乾いている。
流木も貝殻も海藻も緑色のガラス瓶も。そしてそれらは砂に半分以上埋もれていたりする。
その中に作者は櫛を見つける。櫛は木でできたものかプラスチックかはわからないが、長い間波間を漂ってきたので、漂白され劣化している。どこからそんなものが流れてきたのだろう。外国からか? かつてその櫛は人の髪をくしけずり、人の持つ脂を吸収し同時に人のエネルギーのようなもの、果ては喜びや悲しみまでも纏っていたかもしれないのだ。
櫛に遺された遠くてかすかな記憶。櫛の歯の一本一本が何かの骨にも見えてくる。太陽にさらされた海岸の光の下で。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 龍』)
蟻走らねば月食に間に合わぬ 夏井いつき
- 季語
- 蟻
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 蟻は常に走っているように見える。列をなして走ったり、食料を担いで急ぎ列へ駆け戻ったりしている。が、文献によれば働き蟻の中にも、よく働く蟻とそうでもない蟻がいるという。全く働かない蟻も、働くふりをして寄生する蟻もいるらしい。そういえば、じっとしている蟻もたまに見かける。この蟻は特別よく働く蟻。月食が完成する瞬間に特別な食物を貢ぐことができなければ、女王蟻は特別な何かを産むことができない。そんな特命を帯びた蟻達の姿が、刻々と黒く蝕まれゆく、真赤な夏の満月を背景に浮かぶ。
(鑑賞:朗善)
(出典:『伊月集 梟』
水は球体がくあじさいの揺れやまず 夏井いつき
- 季語
- 紫陽花
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 雨が降っている。激しい降りではない。
そんな雨に反して、がくあじさいは大きく揺れている。
がくあじさいの花びらには雨粒があり、その重みが、がくあじさいを揺らしているのだ。
まるで地球ができてからの進化と連想できる「水は球体」。そして、がくあじさいは、紫陽花の原種。「がくあじさい」と「水は球体」から、太古の昔より地球は揺れ続け、大陸を分断し、いまだ大陸は移動し、揺れは止まないのだと思える。
また、あじさいは、日本の自生種。
地震の多い日本ではあるのだが、水の球体の一部でもある、なんと美しい国であることよ。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:俳句新聞『いつき組』11号)
年月はひかりとなれり梅酒また 夏井いつき
- 季語
- 梅酒
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 幼い頃の一日は実は長い。いつまで経っても明日は来ないように思われる。成長するにつれ、一日はだんだん短くなっていく。風の流れのようだった一日は川のように、ついにはひかりの速さで過ぎてゆく。そして、思いもつかないほど遠くまで来てしまった自分と残された時間に気付く。
そんな時は梅酒をグラスに注ぎながら、ひかりの速さに抗ってみる。琥珀の色にひかりを閉じ込めてみる。明日はまたひかりの速さで一日が過ぎていくのだろう。そして、一日の終りにはまたあの琥珀色の梅酒が待っているのだ。
(鑑賞:すりいぴい)
(出典:俳句新聞いつき組15号「言祝ぎ」2018年7月)
はたた神には恋してはなるまいぞ 夏井いつき
- 季語
- はたた神
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 『絶滅危急季語辞典』に収録されている軽妙な一句。
高校1年生の少女は恋の予感に胸がときめく。憧れの先輩に「明日、待っているから来ないか」と誘われたのだ。翌日、3階の文芸部の部室で二人は好きな詩人の話題で盛り上がる。その時、雷鳴が轟く。少女は窓辺に駆け寄り稲光に歓声をあげ魅入る。先輩は雷の恐怖以上に、目を輝かせ雷見物をする少女に驚愕し青ざめていた。あえなく恋は終わる。
はたた神(雷)に心を奪われた少女は「はたた神には恋してはなるまいぞ」、きゃ~と叫ぶような可愛い女になろうと固く誓うのであった。しかし、生来の好奇心はますます旺盛に、特異な感性はますます磨かれ……。
(鑑賞:柝の音)
(出典:『絶滅危急季語辞典』)
蛍火のふいに二手に分かれけり 夏井いつき
- 季語
- 蛍火
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 子規の『若鮎の二手になりて上りけり』 へのオマージュがこの一句を生み出したと想像できます。どちらの句も夏の生物が二手に分かれた感慨を詠んでいます。
しかし、内容は対照的です。
大好物の餌場の記憶を頼りに川の合流点でも迷うことなく二手になって上流を目指すのは輝く若鮎の群れです。
一方、蛍火は二匹。ひとつとなった蛍火がことを終え、ふたつの蛍火となって飛び立った瞬間の驚きはたちまち闇に消え、二手の行方は分からなくなります。
よく似た二つの俳句は、水と火・集団と個・光と闇・直線と曲線・食い気と色気、かくも対照的な二手の俳句として完成しています。
生命賛歌が共通点ということは言うまでもありません。
(鑑賞:吉野川)
(出典:『伊月集 龍』)
蛇苺ほどのいぢわるしてをりぬ 夏井いつき
- 季語
- 蛇苺
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- そもそもこの苺に「蛇苺」という命名がちょっと意地悪。見た目にヘビと言われるような特徴は無いし、実際は無いのに毒があるというデマまで飛んでいる。他にも「この名は遺憾」と植物が言いそうなものにワルナスビ、ヘクソカヅラ、オニシバリ等々。もし「キツネノカミソリほどのいぢわる」とするとかなり怖い意地悪になりそうだし、「ワビスケほどのいぢわる」だと少し悲しくなる。
「蛇苺と名付けたほどのいぢわる」は嫉妬のなせる業で本当は好き、の裏返しかもしれない。もしかして作者はそんな意地悪を意識した句を詠んだのかも?
探してみたい。考えるほど蛇苺の華麗な赤と可愛らしさが際立つ。
(鑑賞:ときこ)
(出典:『伊月集 龍』)
蛇苺ほどのいぢわるしてをりぬ 夏井いつき
- 季語
- 蛇苺
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- バラ科キジムシロ属・多年草の「蛇苺」と、バラ科キイチゴ属・落葉小低木の「木苺」は、どちらも日当たりのいい道端によく生えている。そして初夏になると、同じくらいの大きさの、同じように赤い実をつける。
だから、遠くから赤い実を見つけて「美味しい木苺がなっている。」と思ってわくわく近づいたのに、「なんだ。食べられない蛇苺か。」と、がっかりすることがよくある。
つまり、そういう「いぢわる」なんだろうな。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:『伊月集 龍』)
蛇苺ほどのいぢわるしてをりぬ 夏井いつき
- 季語
- 蛇苺
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 毒があるという俗説があるヘビイチゴ。でも毒は無く、まずいだけ。
作者は誰かに意地悪をしているのです。ヘビイチゴ程度の意地悪ですので、それほどの悪意は感じられません。恋の相手でしょうか?
でも、甘えている様子は感じられません。子育てではないかと思うのです。
親として、子育てに疲れた時、我が子に他愛ない意地悪やいたずらをしたくなる時があります。もちろん、親子のコミュニケーションの範囲内でです。
あえて手を貸さないとか、そういったことですが、別に教育的意図が深くある訳でもなく、ちょっぴり世間の厳しさをほんのちょっと味あわせる程度、そんなことってないですか?
それを受けて子どもも強く育つのではないでしょうか。
(鑑賞:佐東亜阿介)
(出典:句集『伊月集 龍』)
趣味特になし籐椅子にある凹み 夏井いつき
- 季語
- 籐椅子
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 僕が遊びに行く度、おじいちゃんは、縁側にある籐椅子に座ってた。籐椅子が、おじいちゃんの指定席。おじいちゃんは、籐椅子に座って見える庭が好き。「そろそろ、紫陽花の花が咲き始めそうだなあ」とか、もごもご言ってる。
そんなおじいちゃんが突然いなくなった。縁側に置いたまんまの籐椅子は、おじいちゃんのお尻の形に凹んでる。ああ、おじいちゃん、もういないんだなあ。
籐椅子に座ってみたら、僕のお尻の形より大きい!座ってたから分からなかったけど、おじいちゃんって大きいんだ!
籐椅子に、おじいちゃんが座ってるように思うその凹みの向こうに、紫陽花が咲いていた。
(おじいちゃん子の作文より)
(鑑賞:天野姫城)
(出典:ウェブマガジン「週刊俳句第107号」2009年5月9日)