夏井&カンパニー読本
■募集終了のお知らせ
「夏井&カンパニー読本」は2024年12月31日(火)をもちまして募集を終了する運びとなりました。夏井&カンパニーのHPに掲載中の鑑賞文については引き続きご覧いただけるよう、アーカイブとして保存していますので、ご投稿いただいた様々な鑑賞文を、ぜひご覧ください。
枝豆やあの土地売れば済む話 夏井いつき
- 季語
- 枝豆
- 季節
- 三秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 息子は簡単にそがい言うが。婆さんが死んだ時、兄貴らもどうしても払えん分を、もう百姓しよるのは父ちゃんしかおらんけん、「ユタさんしかおらん」言われて父ちゃんが「相続税猶予」いうので引き受けたんがえっぽどよ。父ちゃんも前に売ろうか思て、ひょっと税理士はんに問うてみたら、当時で2400万の税を払わんといけんと言われてやめたんよ。売るにしても、よう考えてせなんだら、大ごとになるんぞ。
家は三代で潰れるいうのはそがいしたもんじゃけんの。それでも畑にしとったら、こがいして枝豆でも唐黍でも何でも作れろ。苗立てするには家の近くに畑がないといけんのよ。あそこも「路線価」いうてがいに税金が高いとこじゃが……
(鑑賞:穂積天玲)
(出典:俳句季刊誌『伊月庵通信 2023冬号』)
ていねいにおじぎして菊日和かな 夏井いつき
- 季語
- 菊日和
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 秋晴れの清々しい心地よさは担保した上で、読み手の想像に任せる、そんな余白がたっぷりとある句だ。
作者が寺の住職に挨拶しているのかも。街角でモヒカンの兄ちゃんの親切に、おばあさんがお礼をしているのかも。菊花展での授賞式の一場面も考えられる。
いやでも、季語以外は平仮名という表記のやわらかさを思うと、ささやかな日常、それも子どもが似合う。たとえば、六、七歳の子が親戚のおじさんに小遣いを貰ってのおじぎなんて似合いそうだ。
改めてこの句の「菊日和」の効果と、菊のバリエーションの豊かさに気付かされた。
ていねいなおじぎはいつも素敵だ!
(鑑賞:梅うめ子)
(出典:句集『伊月集 龍』)
紳士たる夫よ熱き焼栗剥いてくれ 夏井いつき
- 季語
- 焼栗
- 季節
- 晩秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- まず一読して、「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」(与謝野晶子)を想起しました。
とはいえ、晶子の歌が緊張感すら漂うような性愛であるのに対し、「紳士たる夫」といった措辞や「焼栗」という季語からは余裕とか諧謔味が感じられて、風格ある性愛の句、といった趣きです。
(鑑賞:大 広秋)
(出典:『夏井いつきの日々是「肯」日』)
赤子泣き出す鳥威猛りだす 夏井いつき
- 季語
- 鳥威
- 季節
- 三秋
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 実った穀物を荒らす鳥を脅す仕掛けである「鳥威」。赤子が泣くぐらいなので、鳴子よりも大きな音の出る空砲のようなものだろう。そう、普通は大きな音に驚いて赤子が泣き出す。
ところが句は赤子が泣き出し、そして鳥威が猛りだしている。原因結果を逆に書くことでこんなに俳諧味が出るものとは。まるで「赤子」が「鳥威」を脅しているかのような錯覚を覚える。
「鳥威猛りだす」という擬人も可笑しみと同時にすんなりと受け入れられる。
「~出す~だす」という表記は対句表現であるとともに、句またがりでこの二つの音が繰り返されることも表現していて効果的。二つの音の狭間で困り顔をしている母親の顔が思われる。
(鑑賞:高橋寅次)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
雨ぽつんぽつんままこのしりぬぐひ 夏井いつき
- 季語
- ままこのしりぬぐい
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 句集『鶴』を片手に秋の道後を訪れた。目的地の一つは宝厳寺。句集には本堂が全焼したときのことと思われる句群があり、最後に置かれているのがこの句である。
季語は「ままこのしりぬぐひ」。棘の多いこの草で継子の尻を拭くというなんとも酷い名だ。そこへ「雨」。心痛いかばかりであったかと慮る。
秋蝉の声満つ山門をくぐる。落蝉、潰れた銀杏、文士らの石碑、少し進んで振り返ると二本の大銀杏。これらが山門から火の神がでていくのを抑えたのだとわかる。そして本堂は美しかった。再建に至るまでの記述を読みつつ、しばしベンチで休んだ。
駅に向かうと雨が降ってきた。「ぽつんぽつん」優しい雨だった。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
雨ぽつんぽつんままこのしりぬぐひ 夏井いつき
- 季語
- ままこのしりぬぐい
- 季節
- 初秋
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「ままこのしりぬぐひ」とはタデ科の一年草で「トゲソバ」とも呼ばれるように茎にびっしりと刺がある。
それにしても凄まじい名前である。
しかしその花は小さなピンクでとても愛らしい。
可憐な花とびっしりな刺とのギャップ。この花は何を守ろうとこのような身体になったのか。
前半の「雨ぽつんぽつん」が涙を連想させる。
「ぽつんぽつん」からの「ままこのしりぬぐひ」への平仮名の表記がぽつんぽつんと咲いている雨に濡れてゆく花の映像へとつながり哀切である。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
かなかなや彫刻刀は菊印 夏井いつき
- 季語
- かなかな
- 季節
- 初秋
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 季語プラス12音の基本形である。全てはここから始まり、どこまでも奥深い。
彫刻刀の柄に菊の印の焼印。「彫刻刀は」とあるので、他にもいろいあるらしいと推測される。「菊印」がいかにも由緒ありそうだ。一つ一つの物に物語があって、片付けはなかなか進まない。
外でかなかなが鳴き始めた。心の奥底に届くような声だ。今日のところはここまでにしよう。
かなかなの声は時空を超えて届き、この彫刻刀を使っていた頃を想起させる。一心に彫り進めていたあの日もかなかなは鳴いていたのだと。
(鑑賞:富山の露玉)
(出典:伊月庵通信 2021 冬号)
二つ目の月産み落としさうな月 夏井いつき
- 季語
- 月
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 月の満ち足りた豊かな姿は母性の象徴と言えるだろう。何もかもを包み込むような母性の象徴。誰もが心から求めている母性の象徴。
そんな月なんだから、二つ目の月を産み落としても不思議はないかもしれない。
その産み落とされた月を、真ん丸で内側から輝く白っぽい黄色の月を、両手の平にのせていつまでも眺めていたい。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
哺乳ビン煮るも秋夜の一仕事 夏井いつき
- 季語
- 秋夜
- 季節
- 三秋
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 煮るとあるので哺乳ビンはガラス製。今日も赤子の世話でクタクタ。母親は無言で哺乳ビンを煮る。煮沸消毒された哺乳ビンを所定の置き場に置く。熱々の哺乳ビンに対して、夏も終わった秋の夜は冷えている。秋の夜気に触れて、哺乳ビンは静かに冷えていく。
ガラス製の哺乳ビンを煮沸消毒する。たったこれだけの光景から子を思う母の愛情も見えてくる。母は赤子の世話で疲れているが、明日のために哺乳ビンを煮る。ミルクを求める子を思いながら。
熱々の哺乳ビンと秋夜の空気の冷たさの対比、疲れた母の静かな夜と明日また起きれば騒がしい赤子の対比が良い。夜の哺乳ビンの向こうに明日の我が子が見えてくる。
(鑑賞:よつ葉)
(出典:句集『日よ花よ』)
翅のあるものらも露にひかりあふ 夏井いつき
- 季語
- 露
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- ひかり方が変わったのだ。だから「翅のあるものら」の存在に気づいた。助詞「も」によって類推されるものたちは、それまで静かにひかりあっていたのだろう。
「露にひかりあふ」ものたちの僅かな静と動が巧みに表現されている。
露を結んだ翅たちが、それぞれにひかりを奏で始める。私はその音に耳を澄ました。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
折鶴の街夕蝉のさわぐ街 夏井いつき
- 季語
- 夕蝉
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 広島の原爆の日の、平和記念式典を思いました。たくさんの折鶴が掛けられている光景を目に致します。
秋に極めて近い晩夏の夕方の蝉を「さわぐ」と表現しました。「この地上に生を受け、数日しか生きられないとするならば、このような馬鹿げた事を考える暇があるものか」と、夕蝉が百年を自分勝手に生きようとする人間へ淋しく非難しているような感じを受けました。
そして、悲劇を二度と起こすまいと、この地に形としてあらわれた折鶴が、千年を平和であることを祈らんとしています。
(鑑賞:北藤詩旦)
(出典:句集『伊月集 梟』)
葉柳やてんで勝手に風と犬 夏井いつき
- 季語
- 葉柳
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 楽しそう!
柳の葉先自体もひょろりとうねって「てんで勝手」な感じのものですし、風がまっすぐ吹いたり回るように吹いたり、眼に見えないはずの風の動きを葉柳の動きが可視化し、犬は犬でしっぽを振ったり飛び跳ねたり回ったり、喜びのロンドを踊るよう。
その景色を、この世界という対象を、「しょうがないなあ」と笑いつつ愛でているような、印象的な句です。もしかしたら、「吾子と犬」などだと対象が狭まり、また少し甘々な方向に向かってしまうのかもしれませんが、てんで勝手なのは犬の他には「風」であることで、世界の把握が広くなり、風の透明感も感じられて、広々と明るい光の中で爽やかです。
(鑑賞:ルーミイ)
(出典:『伊月庵通信』2023秋号)
野分来る野はよろこびにひるがえる 夏井いつき
- 季語
- 野分
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 今回の台風も恐ろしかった。今のように気象予報があってもこわい思いをしたり被害が出たりするのだから、まして予測したり情報を流したりできなかった時代には、人々はどれほどの恐怖を感じたことだろう。やまない雨や風は無いと経験的には知っていたとしても、通り過ぎるまでは神仏に祈るよりほか無かったのだ。
そしてそれらはすべて、人間様のご都合に過ぎない。条件が重なれば野分になる。むしろその季節にはそれが到来するのが自然の摂理なのかもしれない。草も木も鳥も虫も獣も、自然の大きな流れの中に生きている。雨も風も気圧の変化もすべて「よろこび」と受け入れて、翻りつつ身を任せて生きてゆくのだ。
(鑑賞:佐藤香珠)
(出典:句集『日よ花よ』)
髪洗ふ静かに暮らすとはこんな 夏井いつき
- 季語
- 髪洗う
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 一人暮らしか、それとも家人がみな留守の時の洗髪か。
「静かに暮らすとはこんな」の措辞に賑やかな暮らしも伺える。
賑やかな暮らしでは気づきもしなかった生活音。一人では自分のたてる音が全てで、響くように耳の奥にまで入ってくる。「髪洗ふ」という行為でそれを実感したのだろう。
また、「髪洗ふ」とき大体は風呂場で裸である。そんな無防備な状態の心もとさの中、シャワーの音が更に周りを遮断しているようで怖さも感じる。
「こんな」の終わり方の余韻が読み手の共感を生む。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
ががんぼの硝子にぶち当たる無音 夏井いつき
- 季語
- ががんぼ
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- ががんぼが建物の中を飛び、ガラス窓に当たっている光景を描いた句。ががんぼは、触ると足が捥げるような儚い生き物。もしかしたら既に何本か足を失っているかもしれない。
そんな必死なががんぼの存在に気付いた作者は、窓を開けて逃がしてあげたことだろう。
この句の「無音」という着地は、かえって音の存在を想像させる。もっと言うなら、音というよりは声かもしれない。
他者の身になり、そこから発信される音や声を受信する器と、それに応じて手を差し伸べてあげられる行動力。作者の優しいまなざしを思うのは読み過ぎであろうか。
(鑑賞:高橋寅次)
(出典:句集『伊月集 鶴』)