夏井&カンパニー読本
■募集終了のお知らせ
「夏井&カンパニー読本」は2024年12月31日(火)をもちまして募集を終了する運びとなりました。夏井&カンパニーのHPに掲載中の鑑賞文については引き続きご覧いただけるよう、アーカイブとして保存していますので、ご投稿いただいた様々な鑑賞文を、ぜひご覧ください。
夕立来る海色の眼の猫が膝 美杉しげり
- 季語
- 夕立
- 季節
- 三夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- にわかに掻き曇ったかと思えば、あっという間に窓を叩き始める夕立。作者はどこかの部屋で外を眺めているのかもしれない。
するりと膝に飛び乗ってきた飼い猫が作者を見上げた。
いつもならその眼は薄い青だけれど、今は、辺りを満たす水の匂いに反応したかのように深い青に見える。そう、まるで海の色だ。一瞬深みへと攫われそうな感覚になる存在感が、助詞「が」に託されている気がする。
みゃおん、と鳴く声で作者は我に返るのだ。
そして猫を撫でながら、また窓の外へ視線を戻す。
夕立は、世界からこの部屋を、一人と一匹を隔絶するかのように降っている。
(鑑賞:このはる紗耶)
(出典:句集『愛撫』)
焼鳥の火がばうばうとさみだるる 朗善千津
- 季語
- さみだる
- 季節
- 仲夏
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 夕暮れの飲み屋街、焼鳥屋の店先では串に刺した鶏肉を隙間なく並べて焼いている。
肉の焼ける匂い、音、もうもうと立つ煙があたりに広がり、肉の脂が落ちるたびに、ボッと赤い火が大きく上がる。
五月雨の中を歩いてきた私には、その火が何故か懐かしく感じられて、しばし立ち止まって見入ってしまった。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『JIGAZO』)
昔愛人今は友人かき氷 朗善千津
- 季語
- かき氷
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 上五中七の措辞にドキッとする。そんな関係になれるのか。
真っ赤に着色された苺シロップのかき氷が思い浮かんだ。そういえば、あれは色を変えただけで、苺もメロンもブルーハワイも同じ味だって聞いたことがある。でもあの頃は本当に苺の甘酸っぱい味がするって信じてたんだ。今はそんな見た目には惑わされない。ただ甘いだけ。あの味が恋しくなるときもあるが、もうあんなに赤くなくって結構。
最近すっかり暑さに弱くなってしまった。この熱った体を冷やしてくれよ、かき氷。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『JIGAZO』)
タバコ吸ひてえな薄暑の膜へ今 家藤正人
- 季語
- 薄暑
- 季節
- 初夏
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 一読して「薄暑」の頃の空気感を感じた。
「タバコ吸ひてえな」という投げやりな言い方が作者の状況を想像させる。
面倒な仕事でも終えて外へ出たところか、湿り気を帯びた初夏の暑さにやり切れなさが増す。
タバコを吸う場所もないのだろう。今吸いたいのに。
「薄暑」の空気感、皮膚感覚を「膜」と捉えたことがこの句の凄さ、読み手を一気に薄暑の中に閉じ込める。
吸っていないのにタバコを吐く息で「薄暑の膜」が撓む映像が見える、匂いがする。
細く長く吐くタバコの息で「薄暑の膜」をやり切れなさを「今」突き破りたい。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『磁針』)
嫌さうに猫抱かれをる薔薇の門 美杉しげり
- 季語
- 薔薇
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 薔薇のアーチにも、その周りにも薔薇が咲き乱れている。色彩と香りに満たされたその場所に立っているのは、きっと美しく装った奥様かお嬢様というところだろう。抱かれている猫はシャム猫あたりが似合いそうだ。
が、上五に「嫌さうに」とある。せっかくの薔薇の門、せっかく飼い主が抱いているのに、嫌そうにとは何事! と、犬派の私は考える。そのあたりが猫という生き物の本質のような気もする。雰囲気を読まずに自由気ままにふるまうお猫様に、身も心も捧げて僕となるのが、猫派の方々の本望らしい。知らんけど。
(鑑賞:越智空子)
(出典:句集『愛撫』)
風つかみそこねし蝶の吹っ飛びぬ 夏井いつき
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 私の住む町は後ろ三方山に囲まれ扇状地の海町です。面前の湾は凪が多いのですが海風、山風でバドミントンも外で楽しめないほど年中強風に晒されています。
浜辺には防風林が江戸時代から作られているのですが、風の強いある日蝶が風に巻き上げられてもみくちゃになりながら防風林を越えていく光景を見ました。まるで、「風つかみそこね」「吹っ飛ぶ」ように。
この句を見たとたん、その光景をありありと思い出しました。そうか、あの蝶は風を「つかみそこね」たのか、そして吹っ飛んでいったのか。
私は、蝶がそんななかにもたくましくまた飛んでいったと思えてなりません。自然のたくましさを感じた一句です。
(鑑賞:風早杏)
(出典:句集『伊月集 梟』)
列島のここが花時酌み交わす 加根兼光
- 季語
- 花時
- 季節
- 三春
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 狭い日本列島とはいえ花時には数ヶ月の地域差がある。人々はそれぞれの土地で開花を待ちわびる。
だが、日本人は本当に桜の花そのものを待っているのか?もしかすると花の下での酒宴を心待ちにしているだけでは?と思う。
「四月は花見で酒が飲めるぞ~(8分音符)」と謳われた事も「花より団子(実は酒?)」などとも言う。満開を喜ぶのは「これで今年も大手を振って酒盛りが出来る!」と免罪符を手にした喜びではないのか?
いやここは、一年間丹精込めた北の花守達が「今年もようやく美しく咲かせる事ができた」と言う感慨と共に、彼等のみ知る穴場で静かに一献傾け合っている景と読もう。
(鑑賞:東京堕天使)
(出典:句集『あの年、四月の花』)
花房のことばにあふれさす水分 加根兼光
- 季語
- 花房
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 桜が満開だ。毎年同じ桜を見ているのに、毎年心を動かされる。梢に近づくと、「花」という大きな季語はこの一輪一輪の花によって構成されているのだと実感する。
掲句を読んだとき、ひらがなに開かれた中七の一音一音に「水分」が満たされてゆくのを感じた。同じ「ことば」でも瑞々しく心を揺さぶるものもあれば、無機質で乾いたものもある。
私は私の「ことば」にしっかりと水分を与えられているだろうか。来年もまたこの桜を見に来よう。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『あの年、四月の花』)
散ることのたとえば花の昼夜朝 加根兼光
- 季語
- 花散る
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 花の盛りは短い。満開の頃にももう散り始めている。春を感じる昼の陽気にも、静かな夜にも、そして輝く朝にも一旦散りだすと常に散っている。
この句は「~たとえば~」で繋がっている。「散る」は「命」を表している。
全ての命はやがて散る。人間もいつ何が起きいつ散るか天寿を全うする人、突然の病、事故、災害、戦争で散る人・・。
時間の流れの中で絶えず誰かが、人でなくてもあらゆる生き物が散り続けているのだ。
花を観て感じる無常。
「昼夜朝」の順番にも意味を感じる。朝が未来が万人に訪れるとは限らないのだ。
今ここに生きている奇跡を感じる句でした。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『あの年、四月の花』)
泪より少し冷たきヒヤシンス 夏井いつき
- 季語
- ヒヤシンス
- 季節
- 初春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- なんて悲しい句なのでしょう。
先ず漢字表記ですが、泪は感動や悲しみなどの深い感情によって生じる特別な涙なのです。また季語が風信子ではなくヒヤシンスというカタカナ表記である事で、より一層ヒヤシンスの花の冷たさが伝わってきます。
ヒヤシンスは恐らく冷たく光る硝子容器の水栽培で、色も紫(花言葉は哀しみ)なのでしょう。こんなにも悲しい私の流す泪の冷たさよりももっと目の前の花は冷たく悲しいと詠まれているわけですが、読み手が心の奥底に押し殺していた悲しみが、この句によって呼び起こされ火を付けられるのです。当時、俳句に親しみはじめて間もなかった私が17音の力を初めて実感した一句です。
(鑑賞:ピアニシモ)
(出典:エッセイ集『瓢箪から人生』)
地をつつむごとくに枝垂桜かな 加根兼光
- 季語
- 枝垂桜
- 季節
- 仲春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 数ある桜の品種の中でも枝垂桜でなければ成立しない一物仕立ての一句です。その一本の「枝垂桜」は、地面にしっかり根付いた幹から無数の枝が垂れ下がり、見事な花を満開に咲かせています。
この単純な情景を「地をつつむごとくに」と、表現に意思を込めた作者は「枝垂桜」を自分自身と重ね合わせているのではないでしょうか。そして自身がさまざまな経験を積んだ場所(国・故郷・家庭・仕事場など)を「地」に内包させ、そこに感謝や敬慕の念を抱いているのでしょう。
地面に触れるほどの立派な枝垂桜が映像として浮かんだ後に、それに「つつ」まれるように慈愛の情が湧き上がってくる感動的な一句なのです。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『あの年、四月の花』)
花の昼きゅるとカランの水しぼる 加根兼光
- 季語
- 花の昼
- 季節
- 晩春
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 公園の水道のカランは、なぜこんなにグラグラしているのだろう。水を出すとその反動で左右に、すこし上下もしながら小刻みに動き続ける。
手を洗っていると、風で飛んできた花びらが濡れた手に張りついた。それを水で流す。また花びらが飛んできて張りつく。また流す。そんな繰り返しを楽しんでから、きゅるとカランをしぼって水を止める。
動かなくなったカランにも濡れた洗い場にも、飛んできた花びらがたくさん張りついて、まるで美しい抽象画のようだ。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『あの年、四月の花』)
錫杖のいつぽん春の野を打たば 夏井いつき
- 季語
- 春の野
- 季節
- 三春
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- お四国八十八ヶ所を、公認先達の案内で巡ったときの情景がありありと眼前に浮かび上がった。共に巡る先達の打ち鳴らす錫杖の音には特別な響きがあった。苦しい山道や石段を登るとき、般若心経を唱えているとき、ジャリンジャリンと響き渡り心を揺さぶる。春の野に響き渡って万物の生長を促す力強い響きであった。
その記憶とピッタリと重なり、この一句に出会えたことが嬉しい。
(鑑賞:木谷 きょうみ)
(出典:「はじめての俳句と暦」Calendar2024 四季を愉しむ風景)
毛づくろひ終はつたやうだ春の雪 美杉しげり
- 季語
- 春の雪
- 季節
- 三春
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 野良猫であろうか、毛づくろいをしている。頭、胸、お腹、脚……、舌が届かないところは前足も使って念入りに。
作者は見飽きることなくそれを見ている。
「終はつたやうだ」で、短くはない時間が経過したことが伝わる。
気がつくと、明るさのある空から音もなく降る春の雪。
表記も魅力だ。ひらがなの一つ一つが、まるで重さと湿り気を持つ春の雪のようでもあるし、毛づくろいをしている猫のやわらかな肢体にも見えてくる。
猫と共有したこの時間は、春の雪とともにいつまでも作者の記憶に残るのではないだろうか。
(鑑賞:梅うめ子)
(出典:句集『愛撫』)
自画像や今日犬とゐる蝶とゐる 朗善千津
- 季語
- 蝶
- 季節
- 三春
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 人は誰しも自画像を描く時、己自身を深く見つめ直すに違いありません。半生を振り返り、楽しかった思い出などではなく、失ったものの数々を思い返して、不安な未来しか思い浮かばない己の顔が苦悩に支配されていることに気付くのです。しかし、鏡に映る今の自分が落ち着きを取り戻すと、はっきりと見えてくるものがあるのです。
作者は言い切りました。「今日」「犬とゐる」「蝶とゐる」と。今は犬と蝶しか見えていませんが、明日には新しい何かが見えてくるという希望の表情が感じられます。それは俳句を杖として生きていく決意をした作者のまさに「自画像」なのです。
(鑑賞:吉野川)
(出典:句集『JIGAZO』)