株式会社 夏井&カンパニー

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〔百囀集〕夏井いつきが一句鑑賞

  • ジャケットの腕の淫靡に折れ曲がる  クズウジュンイチ

    季語
    ジャケット
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞

    「ジャケット」の一物仕立てとして「淫靡」という言葉が機能するとは思いもしませんでした。比喩のリアリティに戦きます。
     今、脱いだ「ジャケット」がそこに置かれているのでしょうか。ハンガーに掛けられているのかもしれませんね。「腕」の当たりが生身の人間の痕跡そのままに「折れ曲がる」という描写はできるかもしれませんが、「淫靡」と表現したとたん、この「ジャケット」は生々しい存在として、臭い始めます。
    生ぬるい体温を持ち、生臭い息を吐き、生温かい「淫靡」な臭いを発し始めるのです。
     脱ぎ捨てられた「ジャケット」をここまで生々しく表現できる感覚は、まさにクズウジュンイチという作家の持つ奇才でありましょう。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2015年11月28日掲載分)

  • 花街の乾風休みの三味多忙  しんじゆ

    季語
    乾風
    季節
    三冬
    分類
    天文
    鑑賞

     「乾風」と書いて「あなじ」。主に、西日本で冬の北西の季節風をこう呼びます。「あなじの八日吹き」という言葉もあり、吹き出したらなかなか止まない風として怖れられています。
     今日も「乾風」が吹き荒れている港には、たくさんの船がぎしぎしと舫われています。風が止まなければ船を出すことはできない漁師たちは、これも骨休めだと港の「花街」に繰り出します。「乾風休み」とは実に巧い言い方ですね。「乾風休み」で賑わう「花街」はかき入れ時。三味線の音、手拍子、歌。三味線を小脇にかかえた芸者さんたちは、小走りに次の店に走ります。「三味」の音の向こうに、吹き止まぬ「乾風」の音も聞こえてくる花街の夜であります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2015年11月13日放送分)

  • 鉄筆で描く枯野のすさまじき   麦太朗

    季語
    枯野
    季節
    三冬
    分類
    地理
    鑑賞

     「鉄筆で描く」とは銅版画でしょうか。蕭条たる「枯野」の草の一本一本、風にゆれる枯草の表情、雲の裂け目から射す光の明暗を、ニードルと呼ばれる「鉄筆」は彫りだしていきます。銅板に刻まれる微細な傷がやがて銅版画の線描となっていくそのさまを、作者は「すさまじき」と表現しました。と、同時にその傷によって表現される「枯野」という存在もまた「すさまじき」ものであるよと詠嘆しているのでしょう。銅版画として刷り出される黒白の世界もまた、「枯野」という存在を表現する色彩であります。
     「すさまじ」も季語ですから、季重なりを指摘する向きはあるかと思いますが、この句の場合は「枯野」という主たる季語の修飾語として機能しつつ、補助的な季語として効果を発揮していると考えてよいでしょう。
     また、銅版画で描かれた「枯野」は季語として機能していないと断ずる考え方もあるかとは思いますが、この「すさまじき」銅版画を描いている人物の眼の奥には、「枯野」という季語が生々しく息づいているに違い有りません。その手応えこそが、季語そのものを感知させてくれるのではないかと考える次第です。
     
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年12月20日掲載分)

  • その昔旅は死に似て初時雨  やのたかこ

    季語
    初時雨
    季節
    初冬
    分類
    天文
    鑑賞

     昔の人にとって、旅立つってのは死ぬかもしれないということとイコールだったわけですね。
     芭蕉は奥の細道の冒頭のところで『月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也』と言って、自分も旅=おくの細道に旅立っていくわけですれども、芭蕉の亡くなった忌日は時雨忌という風に呼ばれております。
     時雨忌に捧げる今年の初めての時雨が降る今日であるよ、という一句でございます。
         
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:ラジオ番組『夏井いつきの一句一遊』2014年11月15日放送分)

  • ひよどりのあれは青き実食みし声  とおと

    季語
    ひよどり
    季節
    初冬
    分類
    動物
    鑑賞

     うっかり「青い実」を啄んでしまう「ひよどり」も、そりゃいるに違いないよという愉快。さらに「ひよどり」のヒーヨヒーヨと騒ぐ煩い声も、あ、こりゃ青い実だったよ、オレ青い実食っちゃった、みんなこれ苦いぜ! なんて、大袈裟に騒いでいるのかもしれないという空想的実感。
     発想勝負の一句ではありますが、語順がよく工夫されています。「ひよどりの」と始まる上五の後に「あれは」と置きました。代名詞をこの位置に入れることで、何が「あれ」なんだろう? と読み手の好奇心はかすかに動き出します。そして何よりもここから後の展開が鮮やか。「青き実」を食べてしまった……で終わらせず、最後に「声」を提示することで、読後の余白に「ひよどり」のヒーヨヒーヨという煩い声が響きわたらせます。言われてみると、あの声はなんだか苦いものを食べて騒いでいるようも聞こえてきます。作者の思うツボにまんまと嵌る愉快を味わわせてくれた一句でありました。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年11月8日掲載分)