株式会社 夏井&カンパニー

夏井いつきの一句鑑賞

  • 水搔きがつかむ日永の水なりき  夏井いつき

    季語
    日永
    季節
    三春
    分類
    時候
    鑑賞

     水掻きを持つ鳥と言えば、鴨、白鳥、雁、フラミンゴ、ペリカンも思い浮かぶ。桜が散った後の暖かい午後の公園や、お堀や、動物園の池の側で、水掻きを持つ鳥達をじっと見ている人。いかにもぬるんできた水中を水掻きがゆっくりと動き、緑色に濁る水をつかんではゆっくりと放す。スローモーションのように感じる繰り返しを見ていると、ああ、日が永くなったなあ、と思う。
     芝不器男の句、「永き日のにはとり柵を越えにけり」の情景とも通じるような、気づけば、濡れたままの水掻きで岸辺を歩き回っている鳥もいる。
       
    (鑑賞:朗善)
    (出典:句集『伊月集 梟』)

  • 春眠てふひかりの繭にうづくまる  夏井いつき

    季語
    春眠
    季節
    三春
    分類
    人事
    鑑賞

     この句は、大きな特徴が二つあると思います。
     まずは、季語に「ひかりの繭」という比喩を用いたところ。春の目覚めは、明るさに満ちていて、正にひかりの繭に包まれたようです。
     しかしながら、もし「春眠てふひかりの繭につつまるる」であれば、凡庸であったと思うのです。
     作者の心は、決して寝床に横になっていたのではないのです。おそらくは、忙しく立ち働かなくてはいけない時であったと思うのです。体は寝床にあったとしても、すぐにも起き上がって何かをしなければならない。それでも、あまりにもひかりの繭は心地良く、心は既に一度立ち上がっているのにも関わらず、うづくまってしまったのです。
     それが逆にひかりの繭を際立たせています。
      
    (鑑賞:佐東亜阿介)
    (出典:句集『伊月集 梟』)

  • うぐひすに井戸の深さを教へけむ  夏井いつき

    季語
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞

     「けむ」は、過去推量・過去の原因推量の助動詞。つまり、「教へけむ」は「教えたのだろうか」、「教えたからだろうか」と解釈できる。これがこの句のポイントだ。
     すなわち、自分が鶯に井戸の深さを教えた訳ではないが、誰かに井戸の深さを教えられた鶯が、自分の目の前に居るということである。
     一体、誰が鶯に井戸の深さを教えたのだろうか。それを知った鶯とは、どんな鶯なのだろうか、何をするのだろうか。様々な想像をかき立てる一句だ。
     鶯の透き通った鳴き声が、井戸の奥に広がる空間へと響いてゆく感覚。「うぐひす」の「う」、「井戸」の「い」、「教へけむ」の「お」の、あ行の音韻も美しい。
       
    (鑑賞:若林哲哉)
    (出典:句集『伊月集 龍』)

  • 象の糞ほくりとくづれ桜さく  夏井いつき

    季語
    季節
    晩春
    分類
    植物
    鑑賞

     動物好きの私は、糞を見つけたら観察(毎回ではない)する。糞には、様々な情報があり、健康状態は勿論、何を食べたのか(私にそこまでの慧眼はないが)持ち主が誰かさえ分かる。
     ほくりとくづれた糞は、焼き芋のようにほくほくとした湯気が立ち、優しくくづれたのだろう。そんな糞と桜の取り合わせなのだろうが、先の私の性質から、別の発想が生まれた。
     象の側に桜があり、その花びらを象が食べ、落語の「あたま山」のように、糞から桜の木がにょきにょき生えてきたようにも思えた。
     近くの公園で、「忘れもの犬の糞」と、書いてあるのを見た。あちこちの忘れものから、桜が咲いたら楽しいなあ。
     とはいえ、糞は持ち帰りましょうね。
        
    (鑑賞:天野姫城)
    (出典:句集『伊月集 龍』)

  • みな春の雪を見上げて歩き出す  夏井いつき

    季語
    春の雪
    季節
    三春
    分類
    天文
    鑑賞

     春の雪は美しい。冬の雪ももちろん美しいのだけれど、降るそばから消えてしまう春の雪は、そのはかなさゆえに人の心により強く残るような気がする。だから外に出て春の雪に気がついたとき、人はみな先を急ぐ足を一瞬止めて思わず見上げてしまう。そして、そのはかない美しさを愛でるのだ。その場に居合わせただけの他人とそんなひとときを静かに共有することは、小さいけれど確かな喜びだ。
     私たちはその小さな喜びを胸に、またそれぞれの日常へと戻っていくのだ。
       
    (鑑賞:片野瑞木)
    (出典:句集『伊月集 梟』)