viewof
鳥は囀る。「顎てふ」ということは空を見上げて囀っているのだろう。
哺乳類の下顎は歯骨とよばれる骨がひとつであるのに対し、鳥類は歯骨、上角骨、角骨、関節骨と4種類あるらしい。
背中を毛繕うときも、しなやかに嘴で背中をつつく。多種の骨をもつ鳥類だからかもしれない。
その鳥類が囀るとき、しなやかな骨格全てを使うのだ。
なんと美しき骨格の角度なのだろう。
「さへづりや」と詠嘆したことで、鳥を特定せず鳥類全体の美しい骨格を表していて、とても清々しい一句だ。
(鑑賞:更紗 ゆふ)
(出典:俳句新聞『いつき組』14号)
母は年老いてから、よく故郷の話をするようになった。生まれた時から東京育ち。みたいに振る舞い続けていたのに、「おばあちゃまは、お乳の出が悪かったからね。私も叔母様たちも山羊のお乳を飲んで育ったのよ。あの頃の小さな農家には牛乳なんて贅沢品だったもの。」なんて聞かされた時には、母や叔母たちや、早逝してあまり記憶に無い祖母や、寡黙な祖父が愛しくてたまらなくなったものだった。もうみんな天に召されてしまった。今、北イタリアの小さな村のホテルで山羊の乳を飲んでいる。母は三月に生まれて三月に死んだ。
山羊の乳は臭いと聞いていたけれど、このホテルのは臭くない。何だかがっかりだ。その臭気が強いほど、春愁めいた懐かしさが募っていく気がする。私はもっと春の切なさを噛みしめたいのだ。
(鑑賞:ラーラ)
(出典:俳句新聞『いつき組』2号)
裸の句である。隠れる場所もない広大な末黒野で、今や偽ることもできず剥き出しの心で立ち尽くす二人を、太陽が酷薄に照らし出す。晒し者にするとさえ言ってよい。ゆえに、掲句に修辞などない。ありのままに定型を逸脱しながら、座四は日輪でもお日様でもなく、「太陽」である。
野は焼かれたのだ。二人は再び手を取り合うことはないが、同じ太陽を見ており、決して忘れることはないだろう。それぞれに、新たな命の予感に戸惑いながら。
(鑑賞:彼方ひらく)
(出典:句集『伊月集 梟』)
雪の夜である。外はしんしんと降る雪の音のない世界。本来夏の花であるダリアが束ねられるほどの数で室内に置かれている。
ということは農家のハウス栽培でつくられたダリアであろうか。明日の出荷に向けてダリアはおそらく八分咲きぐらいの状態で作業場に置かれている。売るためのものであるならばその茎はまっすぐで整然とした姿だ。
外の暗闇の中を降り続く雪の白さ、ダリアの色の鮮明さ、ぴんと張り詰めたような空気とその温度。
作業が終わり電気は消されるが束ねられたダリアにはスポットライトのように光が当たっている。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:句集『伊月集 龍』)
見上げる空に木々の枝が重なっている。その枝のひとつに大鷲がいる。真っ白な世界に漆黒の影を刻む。全てを見据え、見張り番の様だ。その枝振りは、大鷲に相応しく立派なものだ。
大鷲は去り雪は降る。静かにただただ雪は降り、枝は雪を盛り木々のひとつの枝にもどる。
影も無き、息も無く…また、真っ白な世界にもどる。
その始終を見ているかのごとく、静かな心となる。
(鑑賞:さとう菓子)
(出典:句集シングル『ワカサギ』)