夏井&カンパニー読本
■募集終了のお知らせ
「夏井&カンパニー読本」は2024年12月31日(火)をもちまして募集を終了する運びとなりました。夏井&カンパニーのHPに掲載中の鑑賞文については引き続きご覧いただけるよう、アーカイブとして保存していますので、ご投稿いただいた様々な鑑賞文を、ぜひご覧ください。
荒星の匂ひのセロリ齧りたる 夏井いつき
- 季語
- セロリ
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 「問題」セロリ嫌い派に好きと言わせる方法を考えなさい。
「考察1」セロリの形から「齧る」としてみる。兎が生でコリコリ食べている感じがしてかわいい。だが、嫌い派は「青臭い生なんてありえない」を盾に、対抗してくるだろう。
「考察2」イメージ戦略。「荒星の匂いのセロリ」としてみる。木枯しの夜に強い光を放つ星、冬の凛とした感じがセロリのあの苦味と通じる。
「考察3」完了の助動詞「たり」の連体形。文末にある事により、余韻が生まれる。齧った瞬間、荒星の味が口の中に広がるようだ。
「結論」荒星の強い光を浴びたセロリなら、コリっと齧ると、冬の凛とした爽やかさが口に広がるとなる。これならば、好きになれるだろう。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:『伊月集 龍』)
子を生まぬこと冬董愛さぬこと 夏井いつき
- 季語
- 冬菫
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 二つの禁止事項のように並ぶ子を生まぬことと冬菫を愛さぬこと。
冬菫は可憐でたいていの人が愛さずにはいられない。愛さないようにするためには痛みが伴う。なんとなく妊娠しても産めない立場の人を思った。不倫とか出産によって母体が危ないとか。(作者がそうだというわけではない、念のため)私の周りには子供を持たない夫婦も多くてそれぞれ幸せそうだから、子供を持つかどうかはそのカップルの自由な選択だとは思う。授からないこともあるし、はなから子供は作らないとしているケースもある。それを詮索するのも余計なお世話だと思う。
母体に宿った胎児のエコー画像は冬菫のようでなんだか切ない。でもどうしても産めない時も人にはある。
(鑑賞:矢野リンド)
(出典:『伊月集 梟』)
さきすさぶさざんかさざんかかなしむな 夏井いつき
- 季語
- 山茶花
- 季節
- 初冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- ひらがなとさ行の音が楽しい。だが「かなしむな」という。たった一語がこの句の世界へ深く分け入るきっかけをくれる。なぜこの言葉が出てくるのだろう。ただ咲くのではない。「さきすさぶ」。この、「すさぶ」に原因があるように思える。
「すさぶ」という言葉は、幅広い意味を持つ。荒れる様、気の向くまま遊ぶ様、ある方向へ向かう様、そして勢い尽き衰える様。
繚乱の山茶花。色彩。咲ききっては花弁が落ちる。茶色く汚れていく。そこへ新たな花が落ちる。その哀れは嘆くべきものではない。それでも人の心の澱を舞い上げるだけの力を持った場面だ。自分の内にあるかなしみがはっと舞い上がる。まだ樹を彩る花の上には冬の青空が広がる。
(鑑賞:家藤正人)
(出典:俳句新聞いつき組9号・2017年1月巻頭)
湯冷してぞつとするほど父に似る 夏井いつき
- 季語
- 湯ざめ
- 季節
- 三冬
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 語順がいい。
頭から読んでいくと、風呂あがりに湯冷してしまい、ぞっとするほど体が冷えたのかと思いきや、鏡に写る湯冷した自分の姿が父親に似ていたという展開に驚く。
言葉通りに読めば作者は、父親がぞっとするほど嫌いなのかと思えるのだが、そうではなく、ぞっとするほど美しいという雰囲気がある。
何故か?
「湯冷して」は、「湯冷し(連用形)」+「て(接続助詞)」なのだが、この「て」が曲者。「湯冷し、それから」となる。
もしかしたら、父親は亡くなっており、湯冷したその瞬間だけ、父親に会えるのなら、湯冷もいとわない。もしくは、そんな自分が、ぞっとするほど愛おしいのかも。
これは、親愛なるファザコン句だ。
(鑑賞:天野姫城)
(出典:『伊月集 龍』)
母刀自のいよよ猿めくお元日 夏井いつき
- 季語
- 元日
- 季節
- 新年
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- この句を読むたび亡くなった姑のことを思い出す。姑は常に理想の高い人だった。いつも何か深く考えているような人だった。脳梗塞を患ってからの姑は、後遺症で体が不自由になったが、心持は穏やかになった。表情も動きもあどけなく、私が守ってあげなければならないという気持ちになった。
この句の「母刀自」という言葉に大いなる愛を感じる。かつて優しく厳しく逞しかった母が、今は猿のように拙い存在になってしまった。その母と無事に新年を迎えることができるめでたさ。嬉しくもあり哀しくもあり。元日の感慨はこんなところにもある。
(鑑賞:都築まとむ)
(出典:『100年俳句計画2013年4月号(No.185)』「放歌高吟」)
目の端に吾を入れたる冬の蠅 夏井いつき
- 季語
- 冬の蠅
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- それはビーズ玉ほどの極小のせかい、無機質で緻密な、けれど誰にも発見されることのなかったこの世界の片隅の複眼、その端に巨大な私がちろりと映り込みはじめた時、世界はふいに捻じれ、瞬く間に反転して、まなこはぐにゃりと世界を覆い始め、いつしか縮んでしまった私の意識も、反転の世界へと気づけば囚われていた。
幼子の無造作な平手打ちにもあっけなく息絶えてしまいそうな、冬の蠅。寿命と寒気に死期を告げられているそのいのちのまなざしが、世界を侵食し、私の立ち位置を凹んだ鏡のように歪曲しながらたしかに映し出している。私を、見つけた。
(鑑賞:遠音)
おそろしきこと言ひにゆく十二月 夏井いつき
- 季語
- 十二月
- 季節
- 仲冬
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- そんな恐い顔してどうしたんだ、人でも殺してきたみたいだぞ……え、冗談だよ、来月には赤ちゃん産まれるのに変な事言ってゴメンゴメン、それでどうしたんだ……何言ってんだお前、赤ちゃんが俺たちの子じゃないって、何言ってんだ……大体俺たちってお前が産むんじゃないか、何訳のわかんない事言ってるんだ、どういうことだよ…………
あ、夢か、とんでもないおそろしい夢だった。この事は一生、絶対黙ってるはずなのに話す夢を見るなんて。あー、きっと十二月になったせいだわ。日本中馬鹿みたいに明るく、悩み事がある人なんてどこにもいないみたいな。本当に嫌いだわ、十二月。
(鑑賞:24516)
(出典:『伊月集 龍』)
コビトカバぬるりと冬の水臭わせ 夏井いつき
- 季語
- 冬の水
- 季節
- 三冬
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- まずもって名前が愉快ではないか。「コビトカバ」。どんな生き物だろう。カバには間違いない。コビトというくらいだからきっと小さいだろう。わくわくして動物図鑑をめくる。カラー写真に現れたのは少しスリムな小型のカバ。小さな頭が流線型の胴へと繋がっている。よく知っているカバのずんぐりとは違う。足もいささか細く、長い。
この生き物が水から現れる。その瞬間を脳裏に思い描く。濁った水槽の水は冬の冷たさに暗く光る。盛り上がった水からぬめる身体がつと浮き上がる。前足を陸に踏み出し全身が露になる。嗅覚が濡れた革の匂いを捉える。水滴る音が聞こえる。冬の冷たい気配が句の世界に充満する。現場に居合わせたように。
(鑑賞:家藤正人)
(出典:「放歌高吟」2014年2月号)
ろんろんと空鳴りださん冬の水 夏井いつき
- 季語
- 冬の水
- 季節
- 三冬
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 川涸る季節。豊かとはいえない冬の水の流れに目をとめた。さっきまでマフラーを揺らしていた木枯は勢いをなくした。ふと見上げた空は、今にも「ろんろん」と鳴りだすかのようであるというのだ。
「ろんろん」というオノマトペから、明るくはない空、雪の舞い落ちて来るような空が見えて来る。「ろ」はややくぐもった音ではあるが、「ん」の弾む音、「ろんろん」という繰り返しによって、愉快ささえ感じられる。
何かの始まりは突然で、無音のことが多い。しかし「ろんろん」と空が鳴り出して雪が降ってくるのなら、冬の小さな川のほとりで何度も空を見上げてみたくなる。隠れていた耳をマフラーから出してでも。
(鑑賞:亜桜みかり)
白鳥の首がどうにも変である 夏井いつき
- 季語
- 白鳥
- 季節
- 晩冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- たしかに変だ。心の奥底に潜んでいる思いをこうして文字にするって出来そうで難しい。もっとも当の白鳥にしてみたら「そんなこと言われてもこれが白鳥ですから。首が長いだけですから」なんてむくれて、名誉毀損で訴えるかもしれない。白鳥は白く美しく、優雅なものというのが世の常識。大いにプライドを傷つけられるに違いない。
花鳥風月、美しいものを美しく詠む高尚な句もいいが、「あぁそういえばそうだ」的な発見、俳諧味に満ちた句も愉快だ。とりとり氏の「ごきぶりでなければ美しい茶色」、大塚迷路氏の「大根は減るわ大根おろしは増えるわ」などなど、夏井いつきの言う「楽しくなければ俳句じゃない」ワールドは人生を豊かにする。
(鑑賞:小野更紗)
(出典:『伊月集 梟』)
鶴食うてよりことのはのおぼつかな 夏井いつき
- 季語
- 鶴
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 古来より千年の齢を生きる不老長寿の象徴として珍重されてきた鶴。その鶴を食うとは、なんと大胆不敵な一句だろう。しかしその報いか作中の人物、発する言葉さえ覚束なくなってしまう。なるほど、その発話たる一句は冒頭を除き全て平仮名で書かれ、今にもはらはらとほどけてしまいそうに頼りない。
何かを得る代償に別の何かを失う。それは古くから語り継がれてきた物語のひとつのかたち。禁忌の美味に酔い痴れるうち、毟られた無数の純白の羽根はゆっくりと言語野に降り積もり、やわらかな繭のように言の葉をくるんでゆく。
凍天をれいれいと切なげに啼きわたる鶴の一羽は、あるいはそんな風に言葉を失った人間のなれの果てなのかも知れない。
(鑑賞:中町とおと)
(出典:俳句新聞いつき組 復刊1号 放歌高吟 「鶴」)
冬草や会えばはげしきことをいう 夏井いつき
- 季語
- 冬草
- 季節
- 三冬
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- はげしきことを言っているのは誰か?
妻子ある男に詰め寄る中年の女性? 久しぶりに帰郷した子供に話しかける母親?
いずれ、なかなか会えない相手であることは間違いない。日頃は、会ったらああも言おう、こうも言おうと楽しみにしていたのに、実際に顔を見たとたん、口からこぼれだすのは「はげしきこと」。
そうして、別れてから、あんなことを言わなければ良かったのに、こう言えばもっと気持ちが通じたのに、と後悔する。
人間とは、なかなか儘ならない生き物ではある。それだけに、寒さに耐え、緑をかすかに見せている冬草が、切なくも春に希望を繋げるよすがとなるのだ。
(鑑賞:大隈みちる)
(出典:『伊月集 梟』p.27)
青空に切つ先ありぬ冬鴎 夏井いつき
- 季語
- 冬鴎
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 晴れている突堤に立つ。波は穏やか。沖には魚霊塔の影。冬空を見上げる。
空の青さ広さに息を吸い込む。ジンと涙がわいてくる。隣の夫に見られたくないので、瞬きをいっぱいした。多分夫は気づいていない。
一羽二羽と鴎が増えてきた。鴎たちはなぜか静か。鴎は「青空の切つ先」が何かを知っている。代わる代わるそれに触れて来ては水銀灯に留まる。そして黙り込む。
鴎の白は冷たいと思う。眼は厳しいと思う。夫に言うと鼻で笑われた。やはり今日私が「青空の切つ先」に触れたこと、夫には秘密にしておこうと決めた。
(鑑賞:都築まとむ)
(出典:『森になった街』)
子の恋よ水鳥の白まぶしみて 夏井いつき
- 季語
- 水鳥
- 季節
- 三冬
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 川、池、湖…どの風景と解釈してもいいだろう。鳥の種類を具体的に書かずあえて「水鳥」とおおまかに書いているのは、水鳥を遠くに望んでいる景であることを伝えたかったのだろう。夏井の句は、季語の核になるニュアンスをおさえつつ、それを乗り越えようとする。この句を支えているのは実は水鳥ではなく、「子の恋」である。水鳥は脇役だからこそ静けさを演出し、活きている。「白」だけではまだ幼くてはじまったばかり(そしてすぐ終わるかもしれない)恋のメタファーと捉えるとやや常套的かもしれないが、「子の恋よ」と、「や」ではなく「よ」と切れを作ることで、微笑みながら我が子を見つめるまなざしが「白」と響き合うのだ。
(鑑賞:黒岩徳将)
善玉のほうの狐火連れてくる 夏井いつき
- 季語
- 狐火
- 季節
- 三冬
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- 私の祖母は狐火を見たことがある。夕暮れ時、道の向こうからゆらゆらと近づいてくる火の玉を、思わず立ち尽くして見送ったそうだ。さて、掲句の人物が連れてきたのは「善玉」の狐火。古くから狐火はキツネが人を化かすために変化したものと言われるが、この句の狐火の真意は何なのか。もし悪玉の方を連れてきたら、一体どうなってしまうのか……。想像は尽きない。おどろおどろしい季語を詠みながらもどこか温かみを感じるところに、作者の人柄が表れているような気がしてならない。祖母はその炎の美しさに恐怖心を忘れて見とれたというから、きっと祖母が出会った狐火は「善玉」だったのだろう。
(鑑賞:長谷川凜太郎)
(出典:「絶滅寸前季語辞典」(2010)所収。)