株式会社 夏井&カンパニー

百囀集

夏井いつきが市井の佳句を一句鑑賞

  • 水平は恍惚に似てボートレース  さとけん

    季語
    ボートレース
    季節
    晩春
    分類
    人事
    鑑賞
     季語「ボートレース」は、轟音と水煙を上げて疾走する競艇ではありません。オールを使って漕ぐボートです。隅田川の早慶戦にちなんで春の季語となっていますが、桜の咲き満ちる湖岸や凪いだダム湖を滑るようにゆくボートの光景も印象的に思い出されます。
     ボート競技の美しさに心動かされるのは、オールの動き。水を漕いだ後、全てのオールはくるっと回され「水平」になります。空気抵抗を防ぐためです。全く同じ速度、同じ角度でオールが「水平」となる。これが見飽きないほどの美しさなのです。勿論、クルー全員の息が合っていないと、この動きは「恍惚」とはなり得ない。「水平は恍惚に似て」という措辞は「ボートレース」の瞬間を見事に切り取りつつ、春の静かな水面も見せてくれる。見事な作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2020年2月20日週分)
  • サイネリアなんにもない日おめでたう  かのたま

    季語
    サイネリア
    季節
    晩春
    分類
    植物
    鑑賞
     ディズニー映画『不思議の国のアリス』の「お誕生日じゃない日のうた」の歌詞「なんでもない日おめでとう」を本歌取りした一句。
     「なんでもない日」ではなく「なんにもない日」ともじっているのです。今日の予定がない自由な一日でしょうか。いやいや、家族や恋人がいない、お金や食べ物がない、生きる目的を見失っていると読むことだってできます。平凡な日常のシアワセか、絶望の果てに見つけた希望か。
     そこにあるのは一鉢の「サイネリア」。喜びが手を開いてかたまって咲いてるような「サイネリア」を見ていると、何もかもがきらきらしてくるような気がします。自分を励ます「おめでたう」もきらきらしてます。一緒に歌いたくなります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2019年2月21日週分)
  • 蛙鳴く脱皮しさうな月の色  古田秀

    季語
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞
    「蛙」といえば夜の鳴き声を思いますので、「月」と取り合わせられることも多いのです。正岡子規にも「蛙鳴く頃しも小田の月夜かな」などがあります。本来「月」は秋の季語ですが、「蛙」と共に描かれる月は、春の朧な月となります。湿度を含んだ春の闇に浮かぶ月です。「脱皮しさうな」というのですから、ぬめぬめと濡れたような感じかもしれません。
    「蛙」が鳴く頃なんだよな、こんな月がでるのは……と見上げる月。夜の田水や池の中には、蝌蚪の紐がぬめぬめと沈んでいます。一句は「脱皮しさうな月の色」と見上げる視線で終わりますが、読み終わったとたん、地を覆う闇の底から「蛙」の声が再びわき上がってくる。そんな構造の作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2020年4月兼題分)
  • 戦場の空白ハンナの春日傘  ノセミコ

    季語
    春日傘
    季節
    三春
    分類
    人事
    鑑賞
     一読、ウクライナ侵攻のニュース映像の中に、この春日傘を確かに見たかのような衝撃を受けました。
     昼夜を問わず続く砲撃にも、わずかな「空白」の時間があります。その合間をぬって、人々は防空壕を出て、水を汲み食料を求め煮炊きの火を熾すのでしょう。
     硝煙の匂い。足裏の瓦礫の感触。「戦場の空白」というモノクロの時空の無惨。そんな戦場にも春の空は広がり、誰へだてなく春の太陽は降り注ぎます。
     女性名「ハンナ」と季語「春日傘」が取り合わせられることで、失われた日常が色鮮やかな幻影として立ち上がります。さらに、ハンナの春日傘が撃ち抜かれる映像が見え隠れするかのような不安と不穏。
     反戦の一句として、強く心に刻まれました。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2022年3月兼題分)
  • 朝湯して乙女椿が当たりけり  ぼたん

    季語
    乙女椿
    季節
    三春
    分類
    植物
    鑑賞
     一読、露天風呂を思いました。湯舟に落ちてきたものが「乙女椿」だったとは、なんとも風流。名前の印象から、小さな花かと思えば、日本国語大辞典には以下のような解説がありました。【ツバキの園芸品種。観賞用として広く庭園に植えられる。花はやや大形の重弁花で、各片が少し内に巻き、中央部は小球状となり雄しべを持たない。色は白色、淡紅色など変化がある。】
     ある日の「朝湯」のこんな小さな事件が詩となり得る、それが俳句という短詩系文学の楽しさであります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年1月24日週分)
  • 春の底を紅下黒の深海魚  うからうから

    季語
    季節
    三春
    分類
    時候
    鑑賞
     春という季節の底には、春愁や春恨が暗く沈殿しているのだろうか。
     その底に潜む深海魚たちは、静かに紅下黒の鰓を閉じる。

    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句季刊誌 伊月庵通信 2022年秋号)
  • 赤深し日本語学校の椿  雨月

    季語
    椿
    季節
    三春
    分類
    植物
    鑑賞
     いきなり「赤深し」から始まる一句。何の赤だろうと思った瞬間、「日本」という単語が目に飛び込むため、一瞬日の丸の印象も脳裏を過ぎります。
     上五で「赤深し」と言い切った点は勿論ですが、「日本語学校の」と長い言葉を費やしつつ、最後に「椿」と季語一語を浮かび上がらせる手法が、なんとも巧い作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年1月24日週分)
  • ヨシキリの空の巣ひとつ明日野焼  菱田芋天

    季語
    野焼
    季節
    初春
    分類
    人事
    鑑賞
     「ヨシキリ」は夏の季語ですから、「ヨシキリの空(そら)」とは、ヨシキリが飛ぶ夏空かと思うのですが、「~の巣」と続く。そうか! 「ヨシキリの空(から)の巣ひとつ」なのだと理解し直します。
     この句が凄いのはここからです。下五「明日野焼」で、野焼前日の光景であることが分かり、「野焼」は早春の季語ですから、この巣は、去年のものなのだと気づくことができます。明日ここら辺りは野焼の火に覆い尽くされ、この巣も焼き尽くされてしまうのです。眼前にあるのは、空っぽの古い巣だけなのに、明日の野焼の炎を見せ、やがて萌えだす青草を思わせ、新しい巣を作り始めるヨシキリの様子も想像させる。この句は、季語「野焼」の本意の一つ、再生される命の賛歌を見事に表現しているのです。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年2月兼題分)
  • 節分の何かひつかかつてゐる雨戸  雪うさぎ

    季語
    節分
    季節
    晩冬
    分類
    時候
    鑑賞
     「節分」の夜には、邪気を退散させるための豆を撒くわけですが、あれ?おかしいぞ、「何か」引っかかってるぞ、この「雨戸」……。
     「節分→豆→敷居に転がる」という発想の句も結構あったのですが、「豆」とはどこにも書いてないところがこの句のミソ。ひょっとして豆ではなくて、「何か」邪気のようなものが「ひつかかつてゐる」のではないかしらん……という小さな不安が、作者の心に「ひつかつて」きます。
     歴史的仮名遣いの表記、微妙な字余りの調べが、一句の内容に対して効果的であることは言うまでもありません。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年1月16日週分)
  • 人差し指よ春待つFの音に成れ  沢拓庵

    季語
    春待つ
    季節
    仲冬
    分類
    時候
    鑑賞
     「Fの音」とはFコード。人差し指で一つのフレットを全部押さえ、中指も薬指も小指もそれぞれ別の弦を押さえるヤツです。どれかの弦の押さえ方がしっかりしてないと変な音になるし、指は痛いし、私は早々に挫折しました。
     上五が七音の字余り。「人差し指よ」から始まるこの詠嘆は一体なんなのだろうと思ったのですが、そこからの展開が実に軽やか。映像を持たない時候の季語「春待つ」は「Fの音」にかかり、この難しいコードの肝である「人差し指」に向かって、「春待つFの音」になってくれよ、と呼びかけるのです。思い通りの音になるまで練習する心は、春待つ心と重なります。一緒にその音を聴いているかのような心持にもなれた「春待つ」一句です。 
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2023年1月兼題分)
  • 神の名の沢に狩の刃雪ぎけり  澤村DAZZA

    季語
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
     「雪ぎ」は「そそぎ」と読みます。この場合は、水で汚れを洗い落すことを意味します。狩りを終え、谷川まで降り、獲物にトドメを刺したナイフを洗っているのです。
     「神の名」のついた沢の近くでの狩猟は、いたずらな殺戮ではなく、本来の「狩」の意味を持った行為。その肉や毛皮を売ること、獣害から作物を守ること、それらは人間が生きるための止む負えない行為ですが、命を狩ることには違いありません。「神の名」のついた沢の冷たい水で雪ぐ「刃」は、命の遣り取りへの呵責や祈りを象徴しているようでもあります。
     雪が降っているわけではないのですが、「雪」の一字によるサブリミナル効果が、この作品を下支えしているようにも感じます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年12月兼題分)
  • 母曰く風花が誕生花らし  さとけん

    季語
    風花
    季節
    晩冬
    分類
    天文
    鑑賞
     「風花」とは、晴れている空に降ってくる雪片です。逆の言い方をすると、風花という季語には、真っ青な空が内包されているのです。風花が舞う日はかなり冷えます。生の祝福として、風花は冷たく美しく降ってくる。なんと素敵な日に生まれたのでしょう。
     「風花」を「誕生花」として生まれたきたのは、母自身でしょうか。母が、成長した我が子に語っているのでしょうか。あなたが生まれた日は風花が舞っていてね、空が痛いほど青かったわ、と。風花を見ると「母曰く」と思い出す。小さなドラマがそこにあります。
     「風花」という美しい言葉を、誕生花として愛でる。その心持ちそのものが詩であるよ、と感じ入った作品です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    出典:俳句生活 ~よ句もわる句も~ 2021年1月兼題分)
  • 神鏡に映り込みたる橙よ  吾平

    季語
    季節
    三冬
    分類
    植物
    鑑賞
     「神鏡」の一語の効果、巧いですね。 神社の本殿の奥の奥。拝殿に並べられた供物の中にある「橙」が、奉納してある「神鏡」に映り込んでいるというのです。
     「神鏡」は現代の鏡とは違い、鏡面がぼんやりしてますが、そこに映り込んでいる「橙」の黄色がありありと想像できます。「橙=代々」の目出度さが、拝殿の供物棚を彩ります。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2013年12月5日週分)
  • ろんろんとうたいたる福引の旗  緑の手

    季語
    福引
    季節
    新年
    分類
    人事
    鑑賞
     「福引」はここですよ、とたなびいている「旗」に目を付けた一句。
     なんといっても「ろんろん」というオノマトペが秀逸です。誰にでも特賞が当たりそうな気分にさせる「旗」は、いかにも「ろんろん」という気分。
     「うたいたる」という擬人化も楽しい一句です。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2014年12月11日週分)
  • 重ね着て父恍惚の幹となる  次郎の飼い主

    季語
    重ね着
    季節
    三冬
    分類
    人事
    鑑賞
    「重ね着」の「父」という発想の句はいくらでもありますが、後半の「恍惚の幹となる」という措辞に胸を衝かれました。「父」とはまさに「幹」のような存在ですが、今「恍惚」の人となっている。
     この「恍惚」という言葉には幾つかの意味があります。何かに心を寄せうっとりする恍惚。美しい冬夕焼けに見惚れているのかもしれません。意識がはっきりしていない恍惚。人生に疲れ切っているのかもしれません。老人特有の病的恍惚。もはや作者である娘を認識できない父となっているのかもしれません。
     どの意味に読んでも、この句はそれぞれの味わいとなります。年輪のように「重ね着て」静かに佇む「父」。その「幹」のような姿に静かな感動を覚えます。
      
    (鑑賞:夏井いつき)
    (出典:松山市公式サイト『俳句ポスト365』2018年10月18日週分)