株式会社 夏井&カンパニー

夏井いつきの一句鑑賞

  • うぐひすに井戸の深さを教へけむ  夏井いつき

    季語
    季節
    三春
    分類
    動物
    鑑賞

     「けむ」は、過去推量・過去の原因推量の助動詞。つまり、「教へけむ」は「教えたのだろうか」、「教えたからだろうか」と解釈できる。これがこの句のポイントだ。
     すなわち、自分が鶯に井戸の深さを教えた訳ではないが、誰かに井戸の深さを教えられた鶯が、自分の目の前に居るということである。
     一体、誰が鶯に井戸の深さを教えたのだろうか。それを知った鶯とは、どんな鶯なのだろうか、何をするのだろうか。様々な想像をかき立てる一句だ。
     鶯の透き通った鳴き声が、井戸の奥に広がる空間へと響いてゆく感覚。「うぐひす」の「う」、「井戸」の「い」、「教へけむ」の「お」の、あ行の音韻も美しい。
       
    (鑑賞:若林哲哉)
    (出典:句集『伊月集 龍』)

  • 象の糞ほくりとくづれ桜さく  夏井いつき

    季語
    季節
    晩春
    分類
    植物
    鑑賞

     動物好きの私は、糞を見つけたら観察(毎回ではない)する。糞には、様々な情報があり、健康状態は勿論、何を食べたのか(私にそこまでの慧眼はないが)持ち主が誰かさえ分かる。
     ほくりとくづれた糞は、焼き芋のようにほくほくとした湯気が立ち、優しくくづれたのだろう。そんな糞と桜の取り合わせなのだろうが、先の私の性質から、別の発想が生まれた。
     象の側に桜があり、その花びらを象が食べ、落語の「あたま山」のように、糞から桜の木がにょきにょき生えてきたようにも思えた。
     近くの公園で、「忘れもの犬の糞」と、書いてあるのを見た。あちこちの忘れものから、桜が咲いたら楽しいなあ。
     とはいえ、糞は持ち帰りましょうね。
        
    (鑑賞:天野姫城)
    (出典:句集『伊月集 龍』)

  • みな春の雪を見上げて歩き出す  夏井いつき

    季語
    春の雪
    季節
    三春
    分類
    天文
    鑑賞

     春の雪は美しい。冬の雪ももちろん美しいのだけれど、降るそばから消えてしまう春の雪は、そのはかなさゆえに人の心により強く残るような気がする。だから外に出て春の雪に気がついたとき、人はみな先を急ぐ足を一瞬止めて思わず見上げてしまう。そして、そのはかない美しさを愛でるのだ。その場に居合わせただけの他人とそんなひとときを静かに共有することは、小さいけれど確かな喜びだ。
     私たちはその小さな喜びを胸に、またそれぞれの日常へと戻っていくのだ。
       
    (鑑賞:片野瑞木)
    (出典:句集『伊月集 梟』)

  • あかがねは力ぞ葺けよ葺け春を  夏井いつき

    季語
    季節
    三春
    分類
    時候
    鑑賞

     ものみな萌ゆる春は、華やぎと寿ぎが横溢する。だがそれだけであろうか?
     銘刀の紋冴ゆる冬の鋭さを耐え抜き、雪のついに水に還る頃、地中でもぞりと蠢く無数の影、灰色の枝先に次々とせり上がる数々。春の本質は、冬をかい潜り一斉に繁吹く生命の猛々しさにこそあるのではなかろうか。
     その蠢動に呼応して、早春の屋根に槌の快音が響く。次第に鱗を揃えてゆくが如き有様を、冴えた陽射しが乱反射して、真新しい銅の色を四方八方に主張している。
     人間の編み出した銅葺きのあかがね色、夜明けの色が、萌芽の先鋒の勢いで展開してゆく。人間もまた、来たる春に胸の内が逸る本能に気づくのである。
      
    (鑑賞:遠音)
    (出典:俳句新聞「いつき組」6号(2016年4月))

  • 長閑かな赤子の尻の穴眺む  夏井いつき

    季語
    長閑
    季節
    三春
    分類
    時候
    鑑賞

     赤ちゃんもだいぶん薄着になった。おむつも「寒いから早くかえてあげるね」なんて事はなくなり,気候も作者の心もゆっくりと焦らずにできるようになった頃である。
     いつものように、おむつを換えていると,ほんのりと色づくものが目の前にあるのである。それは中心がすぼみ,赤ちゃんの呼吸に合わせて,ひだひだの中心がきゅっとすぼんだり弛んだりする。時おり小さい穴が開いたと思ったら,ふすっと音がしたり,ゆるゆるとうんちが出てきたりする。表情もあわせてみると面白い。ずっと見ていていても飽きがこない。
     長閑でなければ,長閑な時だからこそ,ゆっくりじっくり観察できるのである。
       
    (鑑賞:豊田すばる)
    (出典:句集『皺くちゃ玉』)