株式会社 夏井&カンパニー

夏井いつきの一句鑑賞

  • 夕蝉をにぎるだんだんつよくにぎる  夏井いつき

    季語
    夕蝉
    季節
    晩夏
    分類
    動物
    鑑賞

     夕蝉の「夕」という字が妖しい雰囲気を醸し出している。
     蝉を握ったことはないがその感触はありありと想像できる。
     細い電線が張り巡らされたような蝉の羽、中にぎっしり詰め込まれたものを感じさせながらギシギシ動く胴体、黒い目。握った手の中で蝉が放電を行っているようだ。それ以上力を入れたら蝉は壊れてしまうよと声をかけたくなる。
     なぜそのようなことになったのだろうか。目の前に蝉を握らなければならない光景が繰り広げられているのか、それとも握っている人の心の中に、昏さを感じさせる光景が浮かんでいるのか。薄い暗闇の中で気持ちが追いつめられて行く。最後の最後で手は開かれたような気はする。蝉は飛び立ち汗ばんだ掌が残る。
    (鑑賞:矢野リンド)
    (出典:句集『伊月集 梟』)

  • しつかりと握つたはずの初蛍  夏井いつき

    季語
    初蛍
    季節
    仲夏
    分類
    動物
    鑑賞

     「ほらもう蛍が飛んでいたよ」と得意げに見せるはずだったのかしら。
     美しいものを見せてあげたいと思う相手は、大事な人です。
     でも、蛍はもう手の中にはいないのです。儚い蛍の、あの光り、どこにいつ消えたのか。消えた気配も残さずに、こぼれ落ちてしまったように。
     いつの間にか手から抜け落ちてしまっているもの。。。大切なものほど、手の中で握り続けるのは難しいですね。
     蛍は消えても、初蛍を見せてあげたいと思った気持ちは大事な人に伝わりますように。
    (鑑賞:富山の露玉)
    (出典:句集『伊月集 龍』)

  • 登山帽振るペーターのように振る  夏井いつき

    季語
    登山帽
    季節
    晩夏
    分類
    人事
    鑑賞

     友人によく言われる。そんなに苦しい思いをしてどうして山になんか登るのかと。汗だくだくで心臓もばくばく。息も絶え絶えで山頂に到着すると回りは山だらけ、他にはなにも見えない。思わず登山帽を脱ぎ世界中の人に向かって振る。自分の足で一歩ずつ登ったぞとペーターのように帽子を振る。その晴れやかなペーターのような笑顔が目に見えるようだ。山登りをする人にとってスイスの山奥に住むハイジとペーターは特別な存在であこがれの人たちです。
    (鑑賞:じゃすみん)
    (出典:俳句新聞『いつき組』11号-2017年7月掲載)

  • 芥子色のうんち六月色の雲  夏井いつき

    季語
    六月
    季節
    仲夏
    分類
    時候
    鑑賞

     「芥子色のうんち」は、赤ちゃんのこと。大人のそれとは違い、芥子色が健康な状態。離乳食が始まれば茶色くなるらしいので、この句の赤ちゃんは、生まれて間もないのだろう。「六月色の雲」とは、一体何色なんだろう?と、想像を掻き立てられる。六月は初夏。これから夏が始まるという期待が、健やかに成長する赤ちゃんへの期待と合う。また、芥子色のうんちの赤ちゃんが、夏を乗り切れるだけの健康な状態であるようなので、元気な泣き声も聞こえてくるよう。赤ちゃんの未来が、夏空の雲のように無限の可能性があり、また、色を指定しないことにより、様々な未来を、読み手に想像させる。作者のお孫さんに対する、愛情あふれる応援句である。
    (鑑賞:天野姫城)
    (出典:俳句マガジン『100年俳句計画』2014年6月号)

  • 野茨の雫をためるための棘  夏井いつき

    季語
    野茨
    季節
    初夏
    分類
    植物
    鑑賞

     雨上がりの香気をもとめて、茂みの奥へと足をのばした。人のいないところに行きたかった。
     左へ回り込んだ時、ふいに濃い緑の塊に出くわした。野茨だった。
     ひしめくように絡みあう枝も、白い花びらも、すべてが滴っていた。てらいなく泣き濡れたそのさまに惹かれ、顔を寄せた時、葉の下の棘が、ぽこぽこと雫をたたえて連なっているのが見えた。
     他を遠ざけるための、棘。それが今、懸命に雨水を抱きとり、雨と土と緑と花と、ありとある香気をあつめ凝縮し、まろげて、陽が仕上げのひかりをほんのかすか、灯していた。不規則に連なる棘たちは、たった今、世界を歓迎していた。
     耐えきれず、私の頬から雫が滴った。わたしの、棘。
    (鑑賞:遠音)
    (出典:句集『伊月集 梟』)