夏井&カンパニー読本
■コーナー名変更のお知らせ
当コーナー「夏井いつき読本」の名称を2023年12月31日(日)をもちまして変更する運びとなりました。
2024年1月8日(月)より「夏井&カンパニー読本」として投稿募集を開始します。
鑑賞文募集中。詳細は下記専用フォームから
夏井&カンパニー読本 投稿フォームはこちら二つ目の月産み落としさうな月 夏井いつき
- 季語
- 月
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 月の満ち足りた豊かな姿は母性の象徴と言えるだろう。何もかもを包み込むような母性の象徴。誰もが心から求めている母性の象徴。
そんな月なんだから、二つ目の月を産み落としても不思議はないかもしれない。
その産み落とされた月を、真ん丸で内側から輝く白っぽい黄色の月を、両手の平にのせていつまでも眺めていたい。
(鑑賞:片野瑞木)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
哺乳ビン煮るも秋夜の一仕事 夏井いつき
- 季語
- 秋夜
- 季節
- 三秋
- 分類
- 時候
- 鑑賞
- 煮るとあるので哺乳ビンはガラス製。今日も赤子の世話でクタクタ。母親は無言で哺乳ビンを煮る。煮沸消毒された哺乳ビンを所定の置き場に置く。熱々の哺乳ビンに対して、夏も終わった秋の夜は冷えている。秋の夜気に触れて、哺乳ビンは静かに冷えていく。
ガラス製の哺乳ビンを煮沸消毒する。たったこれだけの光景から子を思う母の愛情も見えてくる。母は赤子の世話で疲れているが、明日のために哺乳ビンを煮る。ミルクを求める子を思いながら。
熱々の哺乳ビンと秋夜の空気の冷たさの対比、疲れた母の静かな夜と明日また起きれば騒がしい赤子の対比が良い。夜の哺乳ビンの向こうに明日の我が子が見えてくる。
(鑑賞:よつ葉)
(出典:句集『日よ花よ』)
翅のあるものらも露にひかりあふ 夏井いつき
- 季語
- 露
- 季節
- 三秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- ひかり方が変わったのだ。だから「翅のあるものら」の存在に気づいた。助詞「も」によって類推されるものたちは、それまで静かにひかりあっていたのだろう。
「露にひかりあふ」ものたちの僅かな静と動が巧みに表現されている。
露を結んだ翅たちが、それぞれにひかりを奏で始める。私はその音に耳を澄ました。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
折鶴の街夕蝉のさわぐ街 夏井いつき
- 季語
- 夕蝉
- 季節
- 晩夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 広島の原爆の日の、平和記念式典を思いました。たくさんの折鶴が掛けられている光景を目に致します。
秋に極めて近い晩夏の夕方の蝉を「さわぐ」と表現しました。「この地上に生を受け、数日しか生きられないとするならば、このような馬鹿げた事を考える暇があるものか」と、夕蝉が百年を自分勝手に生きようとする人間へ淋しく非難しているような感じを受けました。
そして、悲劇を二度と起こすまいと、この地に形としてあらわれた折鶴が、千年を平和であることを祈らんとしています。
(鑑賞:北藤詩旦)
(出典:句集『伊月集 梟』)
葉柳やてんで勝手に風と犬 夏井いつき
- 季語
- 葉柳
- 季節
- 初夏
- 分類
- 植物
- 鑑賞
- 楽しそう!
柳の葉先自体もひょろりとうねって「てんで勝手」な感じのものですし、風がまっすぐ吹いたり回るように吹いたり、眼に見えないはずの風の動きを葉柳の動きが可視化し、犬は犬でしっぽを振ったり飛び跳ねたり回ったり、喜びのロンドを踊るよう。
その景色を、この世界という対象を、「しょうがないなあ」と笑いつつ愛でているような、印象的な句です。もしかしたら、「吾子と犬」などだと対象が狭まり、また少し甘々な方向に向かってしまうのかもしれませんが、てんで勝手なのは犬の他には「風」であることで、世界の把握が広くなり、風の透明感も感じられて、広々と明るい光の中で爽やかです。
(鑑賞:ルーミイ)
(出典:『伊月庵通信』2023秋号)
野分来る野はよろこびにひるがえる 夏井いつき
- 季語
- 野分
- 季節
- 仲秋
- 分類
- 天文
- 鑑賞
- 今回の台風も恐ろしかった。今のように気象予報があってもこわい思いをしたり被害が出たりするのだから、まして予測したり情報を流したりできなかった時代には、人々はどれほどの恐怖を感じたことだろう。やまない雨や風は無いと経験的には知っていたとしても、通り過ぎるまでは神仏に祈るよりほか無かったのだ。
そしてそれらはすべて、人間様のご都合に過ぎない。条件が重なれば野分になる。むしろその季節にはそれが到来するのが自然の摂理なのかもしれない。草も木も鳥も虫も獣も、自然の大きな流れの中に生きている。雨も風も気圧の変化もすべて「よろこび」と受け入れて、翻りつつ身を任せて生きてゆくのだ。
(鑑賞:佐藤香珠)
(出典:句集『日よ花よ』)
髪洗ふ静かに暮らすとはこんな 夏井いつき
- 季語
- 髪洗う
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 一人暮らしか、それとも家人がみな留守の時の洗髪か。
「静かに暮らすとはこんな」の措辞に賑やかな暮らしも伺える。
賑やかな暮らしでは気づきもしなかった生活音。一人では自分のたてる音が全てで、響くように耳の奥にまで入ってくる。「髪洗ふ」という行為でそれを実感したのだろう。
また、「髪洗ふ」とき大体は風呂場で裸である。そんな無防備な状態の心もとさの中、シャワーの音が更に周りを遮断しているようで怖さも感じる。
「こんな」の終わり方の余韻が読み手の共感を生む。
(鑑賞:あまぶー)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
ががんぼの硝子にぶち当たる無音 夏井いつき
- 季語
- ががんぼ
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- ががんぼが建物の中を飛び、ガラス窓に当たっている光景を描いた句。ががんぼは、触ると足が捥げるような儚い生き物。もしかしたら既に何本か足を失っているかもしれない。
そんな必死なががんぼの存在に気付いた作者は、窓を開けて逃がしてあげたことだろう。
この句の「無音」という着地は、かえって音の存在を想像させる。もっと言うなら、音というよりは声かもしれない。
他者の身になり、そこから発信される音や声を受信する器と、それに応じて手を差し伸べてあげられる行動力。作者の優しいまなざしを思うのは読み過ぎであろうか。
(鑑賞:高橋寅次)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
もう引き返すべきかとおもひつつ泳ぐ 夏井いつき
- 季語
- 泳ぎ
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 海を泳ぐ。何も考えず、ただ無心に泳ぐ。
なにげなく振り返ると、ずいぶん岸が遠くなっている。思いのほか沖まで来てしまったようだ。もう引き返さないと、戻れなくなってしまうかもしれない。
どうしよう――そう思いながら、まだ泳いでいる。腕と脚は、延々と同じ動作を繰り返している。
泳ぐことの快楽に身をゆだねつつ、ふっとかすかな不安が兆す。
(鑑賞:なおや)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
怒声折りたたみてハンカチの白し 夏井いつき
- 季語
- ハンカチ
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 怒声をまともに受け止めていたらダメージが大きい。ハンカチを折りたたみつつ、やり過ごしているのか。次々と発せられる怒声も一緒に折りたたんで小さくなっていく。
最近の私は怒声を浴びせる側だ。何度言っても分かってもらえず、つい熱くなり声を荒げてしまう。この渾身の怒りが伝わっていないのか不信感が募る。
けれど改めて句を読み返すと、この怒声はきちんと折りたたまれ小さく整えられていることに気づく。これが握りしめて皺くちゃだったら居た堪れない。ヒステリックになっていた自分を猛省した。
最後の「白し」という断定が、そんな私の心をすっと軽くしてくれる。
(鑑賞:えむさい)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
ざらざらと蛇の臭ひの残る壁 夏井いつき
- 季語
- 蛇
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 蛇の手触りはしっとりとしていて「ざらざら」とは言いがたい。では、この質感は壁の表面が備えているものだろうか。
掲句は共感覚の句だ。オノマトペは五感の内、同時に複数の感覚を刺激することがある。「ざらざら」は手触りのような触感だけではなく、視覚的であり、聴覚的なのだ。蛇の臭いも長くは残らない。垂直な壁をくねるように這った映像や質感が、臭いという印象だけを残し、あたかも砂絵のように崩れ落ちていくのを感じた。
(鑑賞:彼方ひらく)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
箱庭に音なきものの増ゆること 夏井いつき
- 季語
- 箱庭
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- はからずもこの句の作中主体は気づくのでした。「箱庭」が「音なきもの」に占められていく「こと」に。決して音を発することのないものが「増ゆる」のは騒々しい現実社会からの逃避かもしれません。
自嘲めく一句のようですが、本来「箱庭」とはそうした理想を求める遊びであり、癒しを求める人々の願いなのでしょう。
(鑑賞:吉野川)
(出典:俳句季刊誌『伊月庵通信 秋号』)
水流はひかりの瘤だ瑠璃鶲 夏井いつき
- 季語
- 瑠璃鶲
- 季節
- 三夏
- 分類
- 動物
- 鑑賞
- 詩人の目が水の流れを「ひかりの瘤」と捉えた。「光」ではなく「ひかり」という表記が、ゆったりとなめらかな河の流れを想像させる。
その清らかな流れのほとりでは瑠璃鶲が鳴いている。命の歓びを歌うかのような明るい鳴き声だ。
夏の美しく豊かな一日。作者の心もまた生への賛歌に満ちているのだろう。
(鑑賞:つどひ)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
ちよつとすつぱいゼリーに星をとぢこめる 夏井いつき
- 季語
- ゼリー
- 季節
- 三夏
- 分類
- 人事
- 鑑賞
- 作者は日中、何か失敗をしたのかもしれない。暑さの落ち着いた夜。星の下でいただく「ゼリー」。昼のすっぱい思いが軽く感じられるのは、間違いなく「ゼリー」の涼感の効果だ。
ちょっと軽くなってきたすっぱい思いを、ゼリーの中のフルーツのように「とぢこめ」て食す。
「星」は夜という時間情報をさりげなく表すとともに、作者の心情でもあるかのように感じる。それはたぶん「とぢこめる」という強い言い方で終わっているところからくるのだと思う。
ゼリーを食べ終えた作者の、清涼感に満ちた表情を期待したくなる一句。
(鑑賞:高橋寅次)
(出典:句集『伊月集 鶴』)
泉ほどさみしきものを知らざりき 夏井いつき
- 季語
- 泉
- 季節
- 三夏
- 分類
- 地理
- 鑑賞
- セミの声に包まれ、トンボが飛び交い、澄んだ水にアメンボや小魚、水辺に生い茂る木々や草花、私がかつて見た夏の泉は明るく生命に満ちあふれていた。
なぜ作者は、泉が知る限り最もさみしい存在だなどと思ったのだろう。そのときの自分のさみしさを無意識に投影したのか。それとも湧き出る泉のように才能にあふれる人のさみしさに気づくことでもあったのか。
泉の水の冷たさや底まで透き通る様は、燃えるような夏の風景の中では異質なのかもしれない。異質だからこそ愛され憧れられたとしても、それはさみしいことなのかもしれない。少しだけそんなことを思った。
(鑑賞:中村阿昼)
(出典 句集『伊月集 龍』)